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ジェリンオイルは用法容量を守って正しくお使いください

作者: 安藤ナツ
掲載日:2018/12/25

「いやー、前々から実物を見てみたいと思っていたんですよ。ありがとうございます」


 一二月二五日。鬱陶しいクリスマスソングと過剰な装飾にはうんざりだが、この一枚のコピー用紙を貰えただけでアラバマ州のとある州立中学校に来た甲斐はあったと二階堂利人は自分を納得させることにした。

 紙には『アラバマ州教育委員会からのメッセージ』と(当たり前だが英字で)銘打たれており、そのタイトル通りにアラバマ州の教育者からのメッセージが綴られている。一九九五年にアラバマ州の教科書に挟み込まれたこの文章は決して長いモノではないが、そこに書かれた文章は当時社会に結構な衝撃を与えたらしい。

 ネットでちょっと検索すれば文章自体は簡単に出て来るし、この文章に関する書籍も世の中には呆れるほど出回っているので、わざわざコピー用紙で貰う理由など欠片もない。しかしアラバマ州立中学校の校長先生から手渡しされる機会があるとなれば、話は別だった。手元のコピー用紙はいわばこれはオリジナルであり、それが二階堂利人のコレクター魂を刺激したのだ。


「Dr.そんな物で良いのですか?」


 でっぷりと太った校長が不満と困惑が混ざった声で訊ねる。校長にとって、利人は恩人であった。彼は専門家スペシャリストならぬ万能家ジェネラリストの世界的に有名な日本人医師であり、死を待つことしかできないと言われた校長の娘を見事に治療して見せたのだ。校長は男の奇跡に感激をし、この素晴らしい医師のことを多くの人間に知って欲しく思い、簡単な公演を利人へとお願いした。同時に多額の感謝金を渡す気であったのだが、利人はそれらをすべて断り、代わりにたった一枚のコピー用紙を要求した。


「ええ。中学生相手に喋るだけなら、これで十分ですよ」


 利人は笑って楽しそうに応えた。校長にしてみれば、自分の感謝の気分を無下にされて若干の不満が募る。しかし人の命を救うと言う高潔な職を生業とする男であるのだから、そう言った潔癖さを併せ持っているのだろうと勝手に感銘を受けていた。


「そうですか。それで、何を話すつもりなんですか?」

「薬物依存について、なんてどうでしょうか? 冬休みみたいな長期休暇になると、そう言った物に手を出してしまう子供も多いんじゃあないですか?」

「なるほど」


 如何にも医師らしいテーマに校長は納得し「よろしくお願いします」と頭を下げた。




「今日これから皆さんにお話しするのは、“ジェリンオイル”と言う危険な薬物の話です」


 壇上に上がった利人は挨拶の後、そう切り出した。マイクを右手に握り、左手をポケットに突っ込んだ話し方は堂に入っており、普段から男が話慣れていることを想像させた。実際、その医療の腕前から公演の機会は多いだろうし、それでなくとも名医であり新たな治療法をいくつも確立しているのだから、衆目の前で発表するのには慣れていて当然か。

 しかし、ジェリンオイルとは聞いたことのない薬物の名前だ。校長は首を傾げたが、医者が言うのだから実在するのだろうと深く気にすることなく公演の続きに耳を傾けた。


「例えばあの九月一一日。アメリカ中の人々の心を深く傷つけ、世界中に衝撃を与えたあの事件。あのハイジャック犯達は全員がこの薬物の中毒者でした。それだけではなく、オーストラリアのアボリジニ、新大陸のネイティブ・アメリカンの大虐殺や、唾棄すべき奴隷貿易の際にもこのジェリンオイルが使われていました。この薬物は中枢神経系に深く作用し、様々な症状を引き出しますが、例に出したように倫理観を崩壊させ、正常な判断を奪うことで知られています。これが最も恐ろしい。軽度な中毒症状でも、一年に数度の儀式を行わなければならないという強迫観念に襲われることが世界的に確認されています。さらにジェリンオイルを日常的に使用し始めると、判断能力の欠如が如実に表れることになります。二〇〇〇年以上昔の人間の妄想を真実だと思い込んでしまう中毒患者も少なくありません。これは要するに、雷はトールが起こすものだとか、ジャガーとの約束を破ったから人は死ぬようになっただとか、太陽が地球の周りを回っているだとか、そう言った無知が産んだ妄想を信じてしまうわけですね」


 特に台本があるわけでもないのに、利人はすらすらとジェリンオイルの特徴を上げていく。


「そして慢性的なジェリンオイル中毒となると、幻覚や幻聴が現れ始めます。頭の中に自分以外の声が聞こえ、その言葉が真理であるように行動を支配されます。ジェリンオイル中毒者は互いの妄想に影響を受けるようで、長い年月をかけてその妄想が真理だと疑わなくなり、他人に強制するようになります。もっとも巨力なジェリンオイルは西暦三〇〇年頃から国家ぐるみで常用が始まったとされています。怖いですね」


 どうやらジェリンオイルとは歴史の長い薬物であるようだ。

 が、校長はそこで首を傾げる。

 そこまで有名な薬物を知らないと言うことがあるだろうか?

 釈然としない物を覚えながらも、公演を割ってまで質問する気にはなれない。


「大抵の薬物がそうであるように、このジェリンオイルも弱者のための物です。“弱者”と言う言葉の定義は難しいですが、私にとって弱さとは諦観です。自分は悪くないと言う、世界に対する諦めの感情。他人に期待し、嫉妬し、憎悪し、不平不満だけを超え高に叫ぶ人達こそが弱者と言う言葉に相応しいでしょう。そして、そう言った人間の心にジェリンオイルは入り込みます。人類の英知である科学的な解釈に対する理解ではなく、薬物による疑似的で安直な快感を得ることを幸福と思い込むのです。中毒患者達は安直な個人の妄想を共感することで、仮初の安心を得る。これが諦観でなくてなんでしょうか? 彼等の心に向上心はなく、富を築くことを悪と呼び、自己の繁栄よりも、助けられることを望む者を善と呼びます。挙句の果てに戦い破れ無念の内に処刑された男の死をこう言うのです。『彼は私達の為に死んだのだ』と。妄想極まれりだ! 彼らは責任を取ることすら放棄し、他人の死すら冒涜的に扱う!」


 何かがおかしい。校長は自身の心に焦燥が芽生えたことに気が付く。

 これは本当に薬物の話なのだろうか?


「更に恐ろしいことを君達に伝えよう。こんな恐ろしいジェリンオイルを取り締まる法律は存在しない。一定の手順を踏めば政府公認の薬物となり、税金すら免除される。街中にはジェリンオイルの精製工場が堂々と建ち、休日になれば多くの中毒者が平然と集まり、あろうことか正常な判断能力が育っていない子供たちに使用を勧める始末だ! そう! ジェリンオイルの使用者は自分の子供達を薬中にすることに心血を注いでいる! なんたる児童虐待だ!」


 違う。違う。違う。

 これは薬物の話ではありえない。

 だが、なんだ? ジェリンオイルとは何だ?

 あの男は何を言っている?

 

「確かに人生は迷宮だ。だが絶望する程ではない。無力感から諦めを覚えることもあるだろうが、必要なのはジェリンオイルと言う名の希望ではなく、自分の脚で希望を探す意志だ。誰が書いたかもわからないカビの生えた妄想に共感する必要はないはずだ。十字架に打ち付けられた彼は正にその権化だったはずだ」


 ジェリンオイル。ジェリオールに近い発音をしていることから綴りはgerinoilジェリンオイルか?

 gerinoilジェリンオイルgerinoilジェリンオイル


「わかったぞ! わかったぞ! わか――」

 

 校長は怒りに叫びながら立ち上がる。

 gerinoilジェリンオイルは、“religionリリジョン”のアナグラムだ。

 religionリリジョン、その意味は――宗教・・


「――二階堂利人! お前は最初から私を虚仮にしたいたんだな!?」


 公演の前に利人が受け取った『アラバマ州教育委員会からのメッセージ』とは、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論を否定し、創造インテリジェンス・デザインを勧める教育委員会のメッセージである。勿論、その根底にあるのは神が世界を創造しあらゆる生物を生み出したと言う旧約聖書の天地創造である。カトリック自体は進化論を否定してはないが、やはり信仰が根強い場所では造物主以外が生命を創造したと言う考えが受け入れられないのが現状だ。時の大統領ですら、進化論ではなく創造論を指示する発言をしたことがあるほど、アメリカ国内では進化論は真実と認識されていない。

 勿論、それは理性ある人間達から見れば停滞した思想に他ならず、まっとうな科学者からは嘲笑の的だ。ならば、利人が挟み込み文をどう感じているかなど、語るまでもない。


「中止だ! この公演は中止だ!」


 壇上で不敵に笑う利人に、校長が叫ぶ。

 彼にとって天地創造は一万年前の出来事であり、あらゆる生命は人間の為に創られた存在でなければならない。方法と手順さえ守れば誰でも同じ結果が出せる科学よりも、信仰は高々三〇〇〇年程度の噴いて飛ぶような創作物語が正しいと主張するのだから。

 無論。利人に言わせて貰えば、彼の信仰はミリオンヒットしたアイドルソングを“神曲”と呼んだり、印象に残るアニメの放送を“神回”と呼んだりするのと同程度の意味しか感じることはできない。


「『この公演は中止だ!』ね。はっ! 中毒患者らしい短絡的な反応だ。よっぽど愉快なことがあったみたいだな」


 もっとも、そんな物は個人の自由だと利人は考える。誰だってアイドルに感動すれば良いし、アニメについて好きに語れば良い。過激なジェリンオイル愛用者と違い、利人は自分と違う考えの人間に寛大であり、正しさが必ずしも受け入れられないことを我慢できる。

 だが、子供達に対しては少々考え方が違う。判断能力のない子供に対し、絶対的な正しさの象徴である両親が一方的に考え方を押し付けるのは許されないことだ。二階堂利人はそう考え、そこを譲る気はなかった。

 依怙贔屓する神とか言う空虚な妄想だけでなく、真の意味で平等である科学的な思考法があることをしっかりと教えるべきだ。宇宙は約一五〇億年前に始まり、地球は約四六億年前に誕生した。原始生命は六億年に硫化水素が煮え立つ海中に姿を現し、地上に上がるまでの一億年の時間を要した。恐竜が闊歩していたのは六五〇〇万年程前までのことで、人類らしい化石が見つかったのは六〇〇万年前と言う比較的最近のこと。知っての通りチンパンジーと共通の祖先から進化した。聖書には書かれていないが、大地には確かに刻まれている。たかだか三〇〇〇年程度の人類文明の歴史と比べ、なんて雄大な物語だろうか。


「さて。予定の一〇分の一も喋れなかったが、依頼主が終わりと言うのなら終わりにしよう」


 校長の叫びに動揺が走る会場で、利人は肩を竦めた。

 出入り口からは何人かの警備員がこちらに向かって走って来ており、当然の権利を行使する彼等の腰には拳銃がぶら下がっている。もし自分がジェリンオイルの中毒者であれば、妄想に祈って弾丸を避けて貰うのだが、残念ながら利人が少なくとも信じている物理法則は銃弾の軌道を理由なしに捻じ曲げてはくれない。紙一枚もらうだけの仕事で撃たれたら堪った物ではないだろう。今日はこれでお開きだ。

 しかし、ただ不安を煽るだけと言うのは主義じゃあない。医者の仕事は治療にある。


「君達に処方箋を渡しておこう」


 不安そうな子供達を抱きしめるように、大袈裟に両腕を広げる利人はこう言った。


「『Gott(かみ) ist tot(しんだ)』!」


 と。


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