8話 ~邪精霊狩り~
レイドは急造にも関わらず五十人近く集まり、大所帯となって草原を南下している。
四人はそんな大所帯の殿を位置取り、後方から目的地へ向かっていた。
「なーなー、イッくんー。今回はどのくらい戦えるんだー?」
「発見した来訪者によると、その数は百近かったらしい」
「うぇ~……百ってどんだけだよ……」
イグニスとヘルシャの会話を横から聞いていたソウマは据わった目をしながら、ただでさえ遅い歩行速度をさらに落とした。
「今まで百体もの邪精霊が発生したことなんてあったかしら? そんな数が一箇所に同時に現れるものなの?」
「確率でいえば限りなく低い。しかし発生の場所が重なりに重なれば起きないと言えなくはない」
アリスの問いかけに答えたのはイグニスである。彼は先頭集団に目を向けながら淡々と説明した。
彼女はアルカディアに来てからまだ二年程度であるため、これほどの邪精霊が一度に発生する場面に立ち会ったことがなかったのだ。
「百体に対して五十人……。一人につき二体倒せばいいんですよ」
「いや、簡単に言うけどな、ヘリオドール……。 俺はこいつらと違ってクソ雑魚だから大変なんだよ!」
「あなた、自己評価低すぎでしょ……」
「あははー! 確かにソウマは誰かがいないとよわよわだもんなー!」
「うっせぇぞヘルシャ、自分で言うのと他人に言われんのは違うんだよ……!」
ヘルシャに笑い飛ばされたソウマは、拳を握りながら悔しそうに言い返していた。プライドが低いのか高いのかよく分からない。
「止まったぞ」
「あ? 着いたのか?」
ソウマたちの先頭を切っていたイグニスが立ち止まり、他の三人もつられて立ち止まる。
邪精霊が発生した場所はそう遠い場所ではなかったため、レイドが止まるとすれば目的地に到着したときのはずだが周囲には生き物の気配すらない。
「虚偽の報告だった……?」
「マジか! じゃあ帰ろうぜ!」
アリスの口にした可能性に、ソウマが俄然元気を取り戻す。そして街の方向へ帰ろうとしたソウマの手をヘルシャが掴んで止める。
「待って。なにか聞こえる……」
珍しく真面目な表情のヘルシャに、ソウマは言い返さずに耳を澄ました。
するとほんの小さくだが、地響きのようなものが鼓膜を揺らす。
やがてそれは大きくなっていき、地平線の彼方から無数の影が現れた。
「待ってよ……。こんなの百どころじゃない……!」
「倍はいるな……」
アリスは地平線から進軍してくる邪精霊の数を震える瞳で見つめながら、喉を震わせた。
地平線を埋め尽くす影は瑞々しい草むらを踏み荒らしながらこちらへ急接近してくる。
その中の十分の一は強力な幻獣種であり、来訪者たちの瞳に絶望が満ちる。
「ヘルシャ、大群の真ん中を潰せ。分断された左翼を俺が、右翼をアリス・フォティア、頼めるか?」
「ほ~い」
「え、えぇ……。けど潰すってどういう……?」
迷いの無い指示を飛ばしたイグニスに聞き返そうとしたアリスだったが、その視界を小さな影が駆け抜ける。それは全力疾走するヘルシャであった。
彼女は固まっている先頭集団を一瞬で追い越し、邪精霊の大群に急接近した。
「いっくよ~!!!」
そして彼女は衝突の直前に跳躍し、頂点で界具を顕現させた。
それは円を描く巨大な刃で、小柄なヘルシャの身体よりも優に大きい。
それはチャクラムと呼ばれる特殊な武器だった。
彼女は振り上げたそれを下方の邪精霊の大軍に向けて放った。
「どーーーーん!!!」
刹那、チャクラムが掻き消えるほどの速度で落下し、邪精霊もろとも草原を爆散させた。
「いくぞ」
「……! えぇ!」
駆け出したイグニスの声に、唖然としていたアリスははっとして追随する。
ヘルシャのあまりにも壮絶な一撃に、他のレイドメンバーは絶望から一転、驚愕の表情を顔に貼り付けていた。
「ッッ……!!」
走りながら界具を顕現させたイグニスの手には左右異なる色の短い曲剣が握られていた。
そして攻撃範囲に入った左翼の邪精霊に向かって左手の曲剣を振るった。
左手の深海を思わせる深い蒼色の曲剣を振るうと、縦一線に左翼の邪精霊の約半分を蒼色の炎が飲み込んだ。
そして間を置かずに右手に握られている、地獄の炎を思わせるような朱色の曲剣を振るうと、残りの邪精霊を朱色の氷で凍結させた。
「なに……あれ……?」
右翼の邪精霊に向かって駆けているアリスの視界の端に入ったイグニスの攻撃は、これまで様々な魔法や界具による攻撃を見てきた彼女にとっても、驚愕するほど特殊なものであった。
蒼色の炎に飲まれた邪精霊はもがいていたが、やがて全身に霜を降ろして凍結し、朱色の氷に閉じ込められた。直後、邪精霊は氷の中で灰と化して消滅する。
それによって左翼は完全に無力化され、中央ではヘルシャが舞うようにチャクラムを振るって楽しそうに邪精霊を刻んでいる。
アリスは驚愕と同時に、これほどの力を持ちながらどうして二人とも名が知られていないのかを疑問に思っていた。
しかしアルカディアで来訪者が名を知られる場面など神前決闘くらいしかないので、アリスは二人が無名であることにも得心がいった。
「私だって……!」
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
アリスは腕を引き絞りながら手中に界具を顕現させ、裂帛の呼気と共に神速の突きを放った。
すると灰色の炎が槍のように変化して右翼の邪精霊に吸い込まれていき、最後尾まで貫いた。
炎に触れた邪精霊は掠っただけでも引火し、灰と化すまで燃え盛った。
「うわー……。たった三人が一撃加えただけで半分は減ったぞ……。 これ俺ら要らなくね?」
遠目からその様子を眺めていたソウマは、半目で呆れながら周囲に聞こえない程度の声で呟いた。
未だに驚愕を隠せないでいる来訪者たちは、界具を顕現させることすら忘れている。
アリスたちは一撃で半数を屠ったものの、それぞれ数体の幻獣種に囲まれ、最初の勢いを失っていた。
「しゃーねぇな……」
肩を落としていたソウマは、後頭部を掻きながらやれやれといった様子でため息を吐いた。
「おい、お前ら! たった三人に戦わせて悔しくねぇのか!?」
ソウマの声は、固まっていた来訪者たちの意識を引っぱたいて現実へと引き戻した。
「百体の邪精霊でも倒せるって息巻いて集まったんだろ! だったら戦わねぇのは来訪者の名折れじゃねぇのか!?」
背後から聞こえてくる挑発に奮起と怒りを触発された来訪者たちは、声を発したソウマを睨みつける。
「うるせぇ、お前に言われたかねぇよ!」
「【不戦の負け犬】が吠えんじゃねぇ!」
「てめぇに言われなくても今加勢しようと思ってたんだよ!」
挑発という名の鼓舞を行ったソウマは、五十人近くいる来訪者から罵詈雑言をぶつけられたもののどこ吹く風だ。
しかし固まってしまっていた来訪者たちは、彼の言葉によって戦意を取り戻し、界具を顕現させて次々と邪精霊の群れに突っ込んでいく。
「よっし! これで俺は見てるだけで……」
ソウマは来訪者たちを動かして満足し、その場に腰を降ろそうとしたものの、背後に気配を感じてゆっくりと振り返る。
「は……?」
彼の後ろにはレイドが戦っている邪精霊と同程度の群れが突如として発生していた。
「いやいやいや……」
蒼白になった顔面に笑みを貼り付け、じりじりと後退る。
そして一体の邪精霊が咆哮をあげた瞬間に踵を返し、レイドの方向へと全力疾走を開始した。