4話 ~横槍~
突然の大声に肩を跳ねさせたアリスは怪訝な表情を彼に向けようとする。
「あぁもう、そのままじっとしてろ!」
ソウマは長剣を強く握り直し、自身の言葉に従わないアリスに向かって駆け出す。
刹那、疾風が駆け抜けた。
アリスの視界からソウマの姿が掻き消え、次の瞬間には耳元で金属音が鳴り響いていた。
「ぇ……?」
遅れて後ろを振り返ると、そこにはアリスの身長の倍近くある、黒っぽい靄を纏った人型の雄牛が大戦斧を振り下ろしていた。
先程の金属音は雄牛の一撃をソウマが防いだ際に生じたものであったのだ。
「邪精霊!? しかも幻獣種!?」
「だから避けろって、言ったのによ……」
ソウマは雄牛の大戦斧を長剣で受け止めつつ呟いた。
しかしその表情には余裕が無く、斧による重撃の苛烈さが伝わってくる。
「ちょっ、もう、無理……」
だがそのすぐ後にソウマは弱々しい声を漏らし、長剣の角度を変えた。
その瞬間、大戦斧が火花を散らしながら長剣の面を滑り、大地を割り砕いた。
爆散する地面と共に吹き飛ばされた二人は、空中で体勢を立て直して武器を構え直した。
「なんで手伝ってくれないかな~。 お前なら一突きだっただろ」
「悪かったわね、突然のことで頭が回らなかったのよ!」
着地と同時にいがみ合う二人はまるで水と油。
いや、ソウマの飄々とした態度からして、暖簾に腕押しと言った方がいいだろうか。
アリスの言葉をのらりくらりとソウマが躱す。どちらにせよ合わないということに変わりないのだが。
「今から一緒に倒せばいいでしょう?」
「いや、俺はあんなのに勝てないんで遠慮します」
「はぁ!? 女の子にあんな化け物押し付けるつもり!?」
「適材適所って言葉知ってる? 俺よりお前のが強いじゃん」
「もういいわよ! 私一人で何とかするわ!」
ソウマの屁理屈に嫌気が差したアリスは、怒りを宿した視線を雄牛に向けた。そして細剣を構えて灰炎を纏わせる。
「よくも邪魔してくれたわね……」
アリスは目を細めながら細剣を引き絞り、深く息をついた。
剣の間合いの遥か外にいる雄牛へ照準を合わせていく。
そして雄牛の初動、一歩を踏み出した瞬間に視認不可能の突きを放った。
細剣の刺突が届く距離ではない。
しかしアリスの突きの軌道上には、灰炎が長槍のように変化して駆け抜けたのだ。
ただの刺突で数十メートルはある間合いを飛ばしたアリスの攻撃に、ソウマは目を見張った。
「っ!?」
しかし完璧な隙を突いたはずのアリスの攻撃は、すんでのところで大戦斧の面部分によって逸らされてしまった。
刹那の刺突を完璧なタイミングで逸らした雄牛は、ぶれるように腕を振るった。
飛来するそれは突きを防いだ大戦斧、それを全力で投擲してきたのだ。
「くっ……!」
豪速の大戦斧。しかしアリスの動体視力であればなんとか視認し、回避することが出来る。
「ダメだ、上に飛べ!!」
「!?」
左に飛び退いて大戦斧を回避しようとしたアリスの耳朶を、鬼気迫る様子のソウマの声が打つ。
左に傾いていた身体をなんとか持ち直し、風の魔法で跳躍した彼女は足元を掠めた飛来物に肝を冷やした。
投擲された大戦斧と殆ど同時にアリスの足元を掠めたそれは、雄牛本体であった。
「油断すんな! 来るぞ!」
投擲した大戦斧に追いつくほど雄牛の速度にアリスは絶句する。
そんな彼女の意識を引き戻したのはまたしてもソウマの声であった。
はっとして細剣を構えると、雄牛が地面を抉って停止し、反射するようにアリスに向かって跳躍した。
それを風魔法の行使によって間一髪躱し、しかし風圧だけでさらに上空に吹き飛ばされる。
「うっ……! 舐めないで……!!」
アリスは体勢を立て直して斜め上の雄牛に闘志の炎が灯った眼光を向けた。
そして足元に空気の壁を作り出して足場とし、細剣を構えて突風を発動させた。
直後、アリスの視界を鉄塊が覆った。
それは一度投擲されたはずの大戦斧であった。雄牛は豪速の大戦斧に追いついて、それを再び放っていたのだ。
突貫しようとしているアリスを正面から叩き切るつもりなのだろう。
加速のための風魔法は発動してしまった。もう回避しようにも間に合わない。
「なら……!!」
アリスは構えた細剣の存在を確かめるように強く握り締め、迫り来る大戦斧とその先にいる雄牛に照準を合わせた。
幻獣種である雄牛と武装を一気に貫くことは無謀であろう。魔力を全開にしても押し負けるかもしれない。
しかしそれが出来なければアリスは負ける。
「いくわよ……!!」
正面からぶつかる覚悟を決めた刹那、地上で一瞬だけ何かが閃いた。
その輝きを視界の端に捉えた直後、アリスを風で押し出した魔法陣が鮮烈な輝きを放って追い風を吹かせ、細剣から爆発的に灰炎が発生した。
「っっ!?」
あまりの魔力の放出に、アリス自身も信じられないといった表情を浮かべた。しかしすぐにはっとして大戦斧と雄牛に狙いを定める。
細剣を先端として長大な槍のように突貫したアリスは、投擲された大戦斧とぶつかり合った。
刹那、灰炎を纏った細剣が鋼鉄である大戦斧に大穴を穿った。そして灼熱の剣閃は落下を始めた雄牛に迫る。
『ヴォォォォォ!!!』
「燃え尽きなさい!!」
大気を揺るがす雄叫びを上げながら拳を振り上げた雄牛と、大戦斧を突き抜けて突き抜けたままのアリスがぶつかり合う。
剣閃と拳が触れ合った瞬間、激流のような灰炎が地を焼く。
その激流に飲まれた雄牛は腕ごと半身を失い、絶命して地上に落下した。
それに続いてアリスも落下し、風魔法の恩恵を受けながらふわりと着地する。
「いや~流石だな。 幻獣種を一撃とは」
「…………」
飄々とした様子のソウマをアリスはじっと見つめた。その手には先ほどと同じく、何の変哲もないただの長剣が握られている。
「ねぇ、聞かせてよ。 あなたが戦わない理由」
「は? なんだよ突然?」
唐突な問に対してソウマは首を傾げることしか出来なかった。
「必死だったからよく見てなかったけど、あなたが界具で私の魔力を強化したのでしょう?」
「風が吹いたのも炎が強くなったのも偶然だ。 俺にそんな大それた力はねぇよ」
「嘘よ。あなたはあのとき一瞬だけ界具を顕現させた。その力で私の力が」
「もういいよ」
ソウマは生い茂る草をわざとらしく踏みつけてアリスの言葉を遮ると、背中を向けて歩き出した。
「勝負は引き分け、勝者はいないんだから約束も無しだ」
ソウマが剣を手放し伝道結晶を叩くと、落下している長剣が光と化して消失した。
「待って! 理由を教えてよ……」
「……言っても信じないし、言う理由も無い。てかなんでそこまで俺に突っかかってくるんだ。王を目指してる奴らからすれば戦わない奴なんてライバルが減るから好都合だろ」
足を止めて振り返ったソウマの言葉に、アリスは言葉を詰まらせてしまった。
スピネルと同様である彼の論は間違いなく正論だ。戦う意志の無い者とわざわざ関わる必要などない。
しかしそれでもアリスは納得出来なかった。
力が無く、挫折して戦いに背を向けたのなら理解できる。しかし本当の力を隠し、【不戦の負け犬】などという不名誉な名を受け入れているなんて訳が分からない。
「分からない……。 なんで力を隠して、負け犬呼ばわりされて平然としていられるのか……」
「そりゃプライドの高いエルフ様には分からないだろうよ」
「分からないから知りたいのよ。 エルフは傲慢なの」
アリスは俯けていた顔を上げ、傲慢であることを誇るような笑みを浮かべた。
知りたいと思ったことは果てなく追求する。
アリスはエルフの知的好奇心に従ってソウマを知りたいと思ったのだ。
「……くそ、強情なエルフに目をつけられたなぁ!」
理屈では説明出来ないアリスの知的好奇心に負け、ソウマは後頭部を搔いて声を上げた。
「信じないと思うけど話してやる。 けど腹減ったから飯奢ってくれ」
「あなた、女の子にたかるなんてプライドはないの……?」
話すことをしぶしぶ了承したソウマは街へ足を向けて歩き出した。彼に駆け寄ってアリスが隣に並び、冷たい目を向ける。
「そんなもんその辺の邪精霊にでも食わせとけ。 プライド高い高ーいしててもろくなことないからな」
「本当にただのどうしようもない人間だったらどうしよう……」
ソウマのダメ人間発言に、自分は本当に無駄な時間を過ごそうとしているのではないかと思うアリスであった。