3話 ~草原の私闘~
翌日、世界樹の葉が放つ光が一際強くなってきたのを確認して、ソウマは家を出た。しかしその足取りは牛のように緩慢で、なかなか南門にたどり着かない。
それはアリスの言葉の影響もあるが、昨夜調べた彼女の戦歴を見て唖然としたためであった。
「嫌だ~、こてんぱんにやられるイメージしか湧かねぇよ……。いっそバッくれるか……? いや、昨日魔法で探知できるとかなんとか言ってたから余計ぶっ殺案件だわ……」
ソウマはぶつぶつと独り言を零しながらも、ようやく南門にたどり着いた。するとアリスは門の枠に寄りかかって伝道妖精と言葉を交わしていた。
その様子はどこか浮世離れしていて、物語の一幕を思わせた。
(傍から見るとホントに美人だよな……)
道の真ん中で立ち止まりながらぼーっとアリスを眺めていたソウマに気が付いた彼女は、門の枠から背を離してこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
「こんにちは」
「はい、コンニチワ……」
アリスは昨日の怒りなど忘れてしまったかのように、柔らかな笑みで挨拶してきた。しかし逆にその笑顔が恐ろしいソウマは後退りながら挨拶を返す。
「どうぶちのめされるか考えてきたかしら?」
前言撤回。彼女の中で怒りの炎は燃え盛り続けていました。
ソウマは下手くそな愛想笑いを浮かべて頭をかく。
アリスはそれを半目で見つめてから振り返って門の外へと歩みを進め始めた。
「じゃ、行きましょうか」
「はい……」
この道はどこへ続いているのか。
答え:死。
◆◆◆
「さて、ここなら思う存分出来るわね」
ソウマを引き連れてアリスがやってきたのは街が彼方に見えるほど遠くの草原であった。
「こんなに離れる必要あった? 本気で俺のこと殺す気ですか……?」
「そんなわけないじゃない、本気でやるためよ」
「あなたの本気は相当やばいですよね!?」
「さぁ、始めましょう。 私は灰の森の血族、アリス・フォティア」
アリスは自身の慎ましい胸に手を当てて自己紹介してくる。
その礼儀正しさに呆れたが、彼女がソウマにもそれを強要しているようなので仕方なく名乗る。
「ソウマ。 ただのキヅキ ソウマだ。 お前みたいにかっこいい名乗りはないよ」
「別に私の世界では普通のことだったけれど……。 まぁいいわ、始めましょう」
アリスは不思議そうな表情を浮かべた後に小さく息を吐き、右手を広げて前に出した。
するとそこに灰色の炎が発生して一振りの細剣が形成された。
「……」
ソウマはアリスの界具を見て、内包されている力の強大さを感じ取った。
「あなたも界具を出しなさい。 界具に太刀打ちできるのは界具だけよ」
「あぁ、そうだな」
ソウマは小さく呟くと、右手を大げさに振るって拳を広げた。
直後、そこに黄金色の光が集まって一振りの長剣を生み出した。
「……それがあなたの界具?」
「どっからどう見てもそうだろ? 何も無いところから出したしな」
アリスはソウマが出現させた長剣に怪訝な目を向けて問いかけると、彼は肩を竦ませながら呆れたように呟いた。
「ふざけないで、それはただの剣。伝道結晶の収納機能を使って界具に見せかけただけのね」
アリスはソウマの行動を見逃してはいなかった。彼は大げさに右腕を振るって視線を誘導しながら、左手でポケットの結晶を叩いていたのだ。
「いったいどういうつもりなの……? 界具にただの剣で対抗できるわけないでしょう」
「それはどうかな、戦い方次第だろ」
「ッ……!! いいわ、その自信へし折ってあげる……!」
ソウマの飄々とした態度に腹を立てたアリスは、灰色の細剣を構えて臨戦態勢に入った。
「ッ……」
その瞬間、彼女の瞳からほんの少しだけ生気が失われたのをソウマは見逃さなかった。そして自身も長剣を構えて戦う意志を見せる。
「っ……!!」
裂帛の吐息と共にアリスの細剣が風のような速度で襲い来る。
しかしソウマは刹那の突きの軌道から身体をほんの少し逸らしつつ、長剣の面で彼女の剣先を受け流した。
直後、灰色の炎が数十メートル先まで走り、瑞々しい草を灰へと変えた。
「っっ!?」
全力とはいかないまでも、七割程度の速度は出していたアリスは思わず目を見開いていた。
界具であるアリスの細剣は、通常の武具であれば布に針を通すかのごとく簡単に破壊できる。しかしソウマも当然それを理解しているのか、正面から受けずに受け流すという選択肢を取ったのだ。
しかしその選択肢を実行出来るのは本当に卓越した技量を備える達人のみ。並の使い手ではまず不可能であろう。
(まずいっ……!)
突きの勢いのまま進んでしまったため、ソウマは既にアリスの懐に入り込んでいる。そして長剣を下から上へ、アリスの腹部を斬り上げるように振るった。
剣を引いて弾くのは間に合わない。
身体を捻って回避するのも突きの推進力が邪魔をして不可能。
「【疾風】」
アリスがたった一言呟いた刹那、彼女とソウマの長剣の間に風の球体が発生し、爆発的に膨張した。
爆発のような暴風の猛威は二人をそれぞれ逆方向に吹き飛ばし、強制的に間合いを取らせた。
アリスはそのとてつもない勢いを自身の背後に風魔法を放つことで相殺し、ソウマは長剣を地面に突き立てることで止めた。
「はぁはぁ……」
斬り結びに至らない程度の一瞬で、アリスはソウマの実力を推し量ることが出来た。
この少年は剣術だけで言えば、自分がこれまで対戦してきた来訪者の中でも相当の使い手だ。
「あ~魔法かよ……。 剣の腕も立って魔法も使えるとか、エルフは強すぎるんだよなぁ……」
「あなた、なんで戦わないの……?」
「お前が散々戦えって言ったからこうして戦ってるんだろ」
「そういうことじゃない! 神前決闘のことよ!」
「あぁ……別にそんなこといいだろ。 さっさと決着付けちまおうぜ」
アリスの問い掛けに視線を逸らしたソウマは、話をはぐらかすように再び剣を構えた。
何故戦おうとしないのか。
どうして頑なに界具を顕現させないのか。
アリスにとってソウマの行動は理解に苦しむ点だらけであった。
「私が勝ったら一つ、言うことをきいて」
「なんでだよ、それ俺に何のメリットもないだろ……」
「あなたも同じ条件でいいわよ」
「同じ条件……」
その言葉にソウマは、アリスの身体を全身くまなく眺めながら小さく呟いた。
「なっ、ちょっ、何させるつもり!?」
「いや、冗談。 お前みたいな美人がそういうこと言うと何されるかわからないってことだよ。 そういうのやめとけ」
赤面しながら身体を隠すアリスに、ソウマはため息を吐きながらそんなことを言った。その言葉にアリスはさらに赤面し、しかし振り切れたように細剣を構えた。
「私を動揺させる作戦ね……。そんなのに引っかからないわよ!」
「は? なんのこと……うぉぁ!?」
未だにほんの少し頬を紅潮させているアリスは腕を振るった。
すると首を傾げたソウマの身体が突然真上へと吹き飛ぶ。
真下をに目を遣ると、先程までソウマが足をつけていた地面に緑色の魔法陣が浮かび上がっていた。それから察するに、風の魔法によって彼の身体が吹き飛ばされたのだろう。
直後、流星のようなアリスの突きが襲い来る。それをすんでのところで弾いたソウマだったが、空中で体勢を崩して落下を始めた。
「あっぶね……! うぉぁ!?」
しかしそんな彼に向かって、アリスは風をまとって追い打ちをかける。
自由落下に逆らえないソウマに対して、彼女は風の力によって何度も折り返して剣閃を繰り出してくるのだ。
「魔法はずるいだろ!! 」
「うっさい! そんなこと言いながら擦り傷一つないじゃない!」
「いや、そんな尖ったので刺されたら痛いだろ! こっちも必死なんだよ!」
ソウマは早く地に足をつけたいのだが、アリスの剣撃によって空中に留められてしまう。
なんとか往なして落下しようとしても、彼女が発動する風の暴風域の中では吹き上げられてしまい、どうしようもできない。
「あぁぁぁ鬱陶しい!!」
ソウマは右手に持った長剣の大振りでアリスの細剣を弾き、直後に伝道結晶を軽く叩いて左掌を広げた。
それを見たアリスは界具の可能性を危惧しつつも、力を行使させる前に戦いを決めるべくすぐに追撃の突きを放った。
「終わりよっっ!!」
長剣の大振りで崩れた体勢のソウマに鈍色の煌めきが迫る。それに対して彼は未だに光のまま形を得ていない何かを突き出してきた。
鈍色の剣閃と黄金の光が交錯した瞬間、光が物体として形を得た。
「なっ!?」
出現したのは長剣の鞘であった。
ソウマはそれを駆使してアリスの細剣を鞘の中に納め、突きを防いだのだ。
そして鞘ごとアリスの細剣を吹き飛ばし、彼女から武器を奪い取った。
それを振るって彼女の界具を遠くへ投げ飛ばす。
界具を奪われたアリスは一度距離を取ろうと風魔法を発動させようとするも、手首を掴まれてしまった。
「逃がすかよ!」
そのまま魔法発動の隙を与えずにアリスの身体を斜め下方へ投げ飛ばす。
しかし彼女は地面に激突する寸前にギリギリで魔法を発動させ、体勢を立て直す。
草地を抉りながら停止したアリスはばっと顔を上げ、ソウマを落下させないために魔法を発動させようとした。
「くっ!?」
しかし顔を振り上げた彼女の視界を埋め尽くしたのは長剣の鞘であった。咄嗟に遠方に弾かれた界具を消し、再び手元に顕現させ直してそれを弾く。
しかしその間にソウマの身体は落下し、剣撃によって風の魔法陣を切り裂いていた。
「さて、もうふわふわさせられんのは面倒だ。 終わらせようぜ」
着地したソウマは長剣を肩に担ぎながら退屈そうに言った。
刹那、彼の身体がアリスの視界から消えた。
いや、ソウマは体勢を極限まで低くして突進してきたのだ。
(速い……!!)
昨日、町中での追跡劇の時にも感じたことだが、彼の脚力には目を見張るものがある。しかしそれも正面からの突進では何の意味もなさない。
「シッ……!!」
「あだッ!?」
アリスが裂帛の声とともに高速の突きを放つ直前、場違いで間抜けな声が正面から聞こえてきた。
それは高速で突進してきたソウマが草むらの中に隠れていた石に躓いた際に発した声であった。
「え……?」
体勢を大きく崩したソウマの先にはアリスが放った鈍色の剣閃。
このままでは完璧に串刺しだ。
素っ頓狂な声を上げたソウマは一瞬で顔面蒼白になり、無理やり体勢を変えて突きを回避しようとした。
しかしそれでも足りない。
彼はがむしゃらに長剣を振るって火花を散らしながらなんとか細剣の一撃を逸らし、地面を転がった。
刹那、アリスの細剣が纏っていた灰炎が突き抜けるように草原を駆け抜けた。
「ひぃ……!」
ゴロゴロと転がって止まったソウマはその光景を目にして身を震わせた。もし回避出来ていなかったら串刺しのうえ焼き尽くされていただろう。
「おま、あんなもん食らったら炭も残らねぇよ!!」
「まさか転ぶなんて思わなかったから全力で迎え撃ったのよ!」
「俺もまさかだったよ! それにしたって全力すぎる、完全に焦土じゃねぇか!」
アリスの灰炎は五十メートル以上の距離を焼き尽くしていた。しかしそれほどソウマの反撃を警戒していたということなのだ。
「仕方ないでしょ! それだけ警戒していた」
「ッッ!! 避けろ、アリス!!」
言葉の応酬の最中、突然ソウマが血相を変えて叫んだ。