26話 ~奇跡~
(普通にやってもあの皮膚を通せない。細く細く、針のように研ぎ澄ませて……)
アリスは瞼を閉じて放つ炎の形状をイメージする。
そんな彼女の周囲には灰炎が灯り、細剣にまとわりついていく。
ソウマが刃折れの界具で打ち合うことなく、キョウヤの手首を叩いて軌道を逸らす。
直後、二人の左側の地面が彼の膂力によって、扉の位置まで斬り裂かれた。
大振りによってがら空きとなったキョウヤの胸部目掛けて、アリスは剣閃を放つ。
刹那、彼の身体が凄まじい勢いで吹き飛び、地面を弾みながら部屋の北側の壁に激突した。
「えげつねぇ……」
「やっていいって言ったのは貴方でしょう!」
そんなやり取りの最中、キョウヤは焼け焦げた胸部を掻きむしり、憎悪の感情を爆発させて突っ込んできた。
直後、成す術もなくソウマの身体が吹き飛んだ。
そしてそれを追うようにアリスの横を疾風が駆け抜けると、彼女の左肩が剣によって深々と切り裂かれていた。
「くっ……ぁ………!」
アリスは咄嗟に肩を押さえ、しかしそこから溢れ出す血は押さえ切れない。
激痛に耐えつつソウマに振り返ると、そこでは地形が変わるほどの蹂躙が行われていた。
素手で床を陥没させ、剣で壁を刻む。
その領域にいるソウマは何とか致死の一撃を受けることなく回避しているが、いつ命中してもおかしくない。
そう考えていた矢先、回避したはずのソウマが拳の風圧によって吹き飛ぶ。
上空に舞った彼の真上に跳躍したキョウヤは、両手を組んでソウマに叩きつけた。
咄嗟に刃折れの界具で受け止めたものの、あまりの膂力に拮抗する間も無く叩き落とされてしまった。
「ソウマっっ!!」
轟音とともに叩きつけられた彼の上から、紅の直剣を逆手に持ち替えたキョウヤが落下する。
「がぁぁぁぁッッ!!!」
しかし絶叫したのは追撃されたソウマではなく、追い打ちをかけたキョウヤの方であった。
土煙が晴れるとそこに顔の真横に紅の直剣を突き立てられながらも、仰向けの状態で漆黒の短剣をキョウヤの胸部に突き立てているソウマの姿があった。
先程まで傷一つつかなかったはずだが、ソウマが短剣を突き立てているのはアリスが灰炎を命中させた傷口だったのだ。
「アリス!! もう一発かませ!!」
ソウマ叫びに答えるように、アリスは先ほどと同じように灰炎を放つ。
それはさらに風をまとわせ、貫通力を上げた一撃であった。
「がッ……!!」
その一撃を防御も回避も出来ず、真横から受けたキョウヤは霞むような勢いで吹き飛び、木の壁を陥没させた。
「はぁはぁ……」
ソウマはすぐさま起き上がってアリスの元まで退避する。
そして彼女と並んでキョウヤが吹き飛んだ方向を睨みつけた。
あれだけのダメージを与えたのだからそろそろ吸血鬼化が解けてもいい頃合だが、そんな希望はあっさりと打ち砕かれる。
「ッッ……!!」
注視していた砂煙の中から飛来したのは赤黒い斬撃であった。
それは雨の如く連続して放たれ、部屋を破壊し始めた。
そのうちの一つが二人の元に飛来するも、刃折れの界具をぶつけて暴発させることで危機を逃れる。
その斬撃は爆散し、地面に赤黒い液体を撒き散らしながら消滅した。
他の斬撃は壁や床をずたずたにしていき、やがて核を守っていた結界さえも打ち破った。
「!!??」
部屋の至る所では傷の修復機能が働いているうえ、魔力を燃やす灰炎も燃え盛っている。
つまりこの部屋の魔力が枯渇し始めており、結界を多重展開することが出来なくなっているのだ。
「アリス、次で決めるしかない。あと一撃で、世界が終わる……!」
【世界樹】の核を背にして立つ二人は鬼気迫る面持ちで、暴れ狂うキョウヤを睨みつけた。
「えぇ……少し長めの詠唱をするわ。だから時間を稼いで」
「……出来るだけ早く頼むわ。あの化け物をそう長く足止め出来る気がしねぇ」
胸部と左脇腹から血を流し、灰炎によって焼かれているキョウヤはもがき苦しむように暴れ回っている。
「貴方なら出来るわ」
「簡単に言ってくれるな……!」
真剣な表情で言い切ったアリスに、ソウマは苦笑いを返す。
そして彼は刃折れの界具を構え、彼女は詠唱に入った。
「【妖精郷の血族の名において命ずる。大地を吹き荒ぶ翠の風よ、大海を切り拓く蒼の風よ】」
アリスの唄うような詠唱が部屋に響くと、それに反応したかのようにキョウヤがこちらに目を向けた。
きっと本能的に、彼女の魔力の熾りに危機感を感じたのだろう。
アリスは左手に【風精】を呼び出しても、ソウマを信じきっているように瞼を閉ざしたまま詠唱を続けた。
「こっからが正念場だ……! エマイユ!!」
「おいおい、こんなやべぇ時に呼び出すなよ」
「今回ばっかりは正面からぶつかるしかねぇ。ノータイムで頼むぜ」
「しゃーねぇなぁ! あのバカ叩き潰してやろうぜ!」
白と黒の仮面を被るソウマの【伝道妖精】は、拳を掌に叩きつけて笑った(ように見えた)。
刹那、キョウヤが文字通り血塗れた紅の剣を振り下ろして斬撃を放ってきた。
それを刃折れの界具で打ち消すものの、斬撃とほとんど同じ速度で彼はこちらに接近してきていた。
「はやすぎだろ……!」
ソウマは斬撃を追うように振るわれた紅の直剣を刃折れの界具で受け止め、互いに相殺する。
「【闇の中から光が生まれ、光は我らを導く標】」
その句の後に右手に黄色く発光する妖精【光精】を呼び出した。
「絶対にここから先へは行かせねぇ!」
ソウマは決死の覚悟でキョウヤの前に立ちはだかり、右手に漆黒の短剣、左手にただの剣を出現させて彼を迎え撃った。
暴虐という表現が相応しいほどの紅の直剣による大振りは、大気を震わせながらソウマの首に迫る。
しかしソウマは漆黒の切っ先を向けることで、キョウヤの身体を支配して停止させる。
「がァァァ!!」
「くッッ……!」
だが身体を灰炎で焼かれている痛みによってさらなる狂乱状態に陥ったのか、支配できる時間が短くなっており、すぐにソウマの支配を打ち破った。
突き出される紅の直剣を短剣の面で受けると後方に押し飛ばされた。
しかしここで下がればアリスがやられてしまう。
ソウマは彼女の手前で地面にただの直剣を突き立てることで勢いを殺し、エマイユに収納機能の中にある全ての武器を放出させた。
剣、槍、斧、ナイフ、大剣。様々な武器がソウマとキョウヤの周囲に出現し、床に突き立てられる。
(俺の役割は時間稼ぎ。勝つことなんて考えなくていい)
「【届かぬ願いを届けよう。叶わぬ祈りを叶えよう】」
アリスの唄を聴きながら、ソウマは突き刺さった武器を手に取りキョウヤの界具にぶつけた。
その瞬間に所有者との繋がりを絶たれて取り落としてしまうものの、次の武器を拾い上げて叩きつける。手が届かない武器はエマイユがソウマの手元にそれを出現させてアシストする。
そこからは何度も何度も武器をぶつけて、キョウヤをその場に張り付け始めた。
何度武器を落とされても、何度武器を折られても立ち向かい続ける。
ソウマの猛烈な攻撃に、吸血鬼化したキョウヤでさえも押し返すことが出来ていなかった。
そんな剣戟の背後で唄い終えたアリスは、両手に召喚した【風精】と【光精】を抱きしめるように自身の胸元に当てた。
「【双精統化】」
刹那、荒ぶる竜巻がアリスを中心として巻き起こり、その内側から黄金の光が爆発的に溢れ出す。
それによってキョウヤだけが遠くまで吹き飛ばされた。
「ホントにハンパねぇな、ちくしょう……!」
背後で巻き起こった魔力の熾りに、魔力を有していないソウマでさえ今のアリスがとてつもない魔力を内包しているということが感じ取れた。
「待たせたわね」
アリスは長い髪を背中側に払いながら、凛とした表情でソウマに笑いかける。
彼女が払った髪は頭頂部が濃灰色で毛先に行くにつれて黄緑、黄金と三色のグラデーションになっていた。
灰色のバトルドレスは黄金色のロングドレスに変化しており、背中からは白と黄金の翅が一対ずつ伸びている。
頭頂部には黄金色の王冠のような光が浮いており、明らかにこれまでとは桁違いの風貌であった。
「ヴァァァァ!!!」
「もう見ていられない。終わらせてあげるわ」
キョウヤは吸血鬼化してから理性を失い、意識も失われているのではないだろうか。
そんな状態でも戦い続けるなど、執念を超えて呪いだ。
そんな彼に切っ先を向けて、細剣に膨大な量の灰炎と風、そして光を付加する。
「眠りなさい……!」
細剣を引き絞り、キョウヤに向かって放とうとした瞬間のことだった。
「か……はっ……!?」
アリスが驚愕の表情を浮かべながら停止する。
「アリス……!?」
そして彼女は口から大量の血液を零した。
ソウマがアリスを抱きとめると、彼女の背中には深々とナイフが突き刺さっていた。
ソウマは弾かれるように【世界樹】の核の方に視線を遣ると、そこには何かを投擲したようにこちらに手をかざして微笑んでいるリリスがいた。
彼女は核を守る根に座った状態で背を預けながら、瞼を閉じていた。
「【キョウヤ、そいつらはタカナシサツキを殺した邪精霊】」
リリスの蠱惑的な声が部屋中に響き、それに反応したキョウヤは絶叫してソウマたちに突っ込んできた。
しかし退避しようにもアリスは重傷で動かせない。
ソウマは彼女の前に立ってキョウヤの一撃を防ぐものの、凄まじい威力に軽々と吹き飛ばされる。
「かッ……!!」
壁に叩きつけられたソウマは吐血し、その場に顔から倒れ込む。
吹き飛んだのと同時に意識が一瞬途切れたことで、エマイユは結晶の形へと戻っていた。
うつ伏せに倒れながらもキョウヤに視線を戻すと、その先では彼が虫の息のアリスにとどめを刺そうとしていた。
「や、めろ……」
もう二度と、人が死ぬところなど見たくない。それが関わりのある人間なら尚更だ。
ソウマは動かない身体で懸命にもがき、アリスの方向へ手を伸ばした。
どうして自分にはこんなに力が無いのだ。
他人の力を借りなければまともに戦えない自分に嫌気が差す。
ソウマが望んだことがないといえば嘘になる。
ヘルシャ・シュトライヘンのような圧倒的な強さを。
イグニス・スティーリアのような揺らぐことのない気高さを。
アリス・フォティアのような何物にも汚されない高潔さを。
だが自分には届かない領域だと弁えて背を向けてきた。
それでも今だけは力が欲しい。大切なものを守れるだけの、たったそれだけの力が。
「やめ……ろ……!!」
キョウヤが紅の直剣をアリスの頭上に振り上げる。ソウマは必死に手を伸ばしてもがいた。
―――絆の月で絆月、とってもいい漢字! 蒼麻の名前が私たちを繋げてくれたのかもしれないね!
どうしてこんな時に彼女の声を思い出すのだろうか。
けれど首元を中心として背中全体に柔らかな温かさを感じる。
まるでサツキが抱きしめてくれているような、優しい温かさだ。
そしてソウマはヘアゴムの装飾である十字架が輝いていることに気が付いた。
(サツキ、ここにいるんだな……)
彼女の想いがこの十字架に宿っていることを理解したソウマは小さく笑った。
そして彼女に願う。
(まだお前の想いが生きているのなら、繋いでくれ……!!)
その想いに呼応するように十字架が強烈な光を放ち、周囲のすべてを包み込んだ。
「な……に……?」
閃光が消えると、剣を振り下ろそうとしていたキョウヤがアリスの前から吹き飛ばされていた。
そして入れ替わったかのように目の前に立った少年の背に、これまでとは異なる気配を感じた。
それはまるで誰か別の人間の存在が重なっているような不思議な感覚だ。
「悪い、あとは任せてくれ」
普段であればそんなことを言うはずがないソウマが、真剣な表情で言い切った。
そんな彼が手に握っているのは根元が銀で、半分より先が漆黒の歪な長剣だった。
「ヴァァァァッ!!!」
そんなソウマに憎悪の叫び声をぶつけながら、キョウヤは紅の直剣でソウマに斬り掛かる。
しかしそれを意に返さず真正面から弾き飛ばした。
キョウヤの断絶の力を無視して吹き飛ばすなど、あの歪な剣は一体どんな力を秘めているのだというのだ。
「もうお前の力は支配した。この界具は、消させねぇよ」
吹き飛んで床に這い蹲るキョウヤに切っ先を向けながら言い切った。
そしてうつ伏せに倒れているアリスをゆっくりと抱き起こし、手を握り締める。
「【キョウヤ! 早く殺しなさ」
「させねぇよ……」
再びキョウヤを操ろうとしたリリスに、黒と銀、半分半分の刀身を持つ界具を向けた瞬間、彼女は動きを止めて気を失った。
「なに……今の……?」
「あいつの意識を支配して、強制的に眠らせた」
「そんなこと……」
「これは膨張と支配の界具をひとつにしたもの。だから支配の力が相当強まってる。……あいつの想いが奇跡を起こしたんだ」
ソウマは自身の襟足を縛るヘアゴムの十字架に触れて柔らかな笑みを称えた。
そして痛みによって眇められたアリスの金眼を、真っ直ぐに見つめて言葉を継いだ。
「お前の力、支配るぞ」
アリスはソウマの言葉に頷いて、弱々しく彼の手を握り返した。
これから何が起きるのか予想さえ出来ていないが、今はもう彼に頼るしか方法がない。
差し出された手を握り返すと、彼の長剣に灰炎と風がまとわりつき、全身に光の膜が発生した。
それはアリスが行った【双精統化】とそっくりの三種の光であった。
彼はアリスをゆっくりと横たえると、その長剣を構えてキョウヤと睨み合った。
「終わらせよう」
ソウマは両手で長剣を構え、頭上に振り上げた。
そして間合いの遥か外にいるキョウヤに向けて振り下ろす。
刹那、刀身が纏っていた灰炎と風が爆発的に増加し、天井に届くほどの長さとなる。
「がァァァァァァ!!!!」
キョウヤは振り下ろされた灰炎の剣を蒼の直剣で受け止めた。
しかしソウマの剣の勢いは収束の力を無視して膨張し、キョウヤの足元の床が陥没した。
「これは俺だけの力じゃない。俺とアリス、そしてサツキの想いが起こした奇跡だ……!!」
ソウマの言葉に反応するかのよう、に十字架が強烈な光を放つ。
それに呼応して灰炎の刀身がさらに肥大化する。
「これで、終わりだァァァ!!!」
超長大な剣と化したソウマの界具は、キョウヤの防御をねじ伏せて部屋の一角ごと吹き飛ばした。
その一撃は【世界樹】の心臓部にあたる部屋の半分を吹き飛ばし、しかし核には傷一つ付けていなかった。
そしてソウマはその後すぐに、全ての力を使い果たしたのか、その場に倒れ臥してしまう。
アリスもそれを見届けると、安堵したかのように気を失った。
(くそ、力が入らねぇ……)
ソウマは重傷のアリスを連れてエデンに急がなければならないのに、霞みゆく視界に意識を持っていかれそうになっている。
「良くやった、ソウマ」
視界が闇に閉ざされ、意識を手放しそうになっていた際に聞こえた優しげな声は、ソウマを安堵させ安らかな眠りにつかせた。




