21話 ~死闘~
「流石に危なかったぜ……」
冷気と蒸気が収まると、そこには大剣を肩に担ぐクロヌが立っており、足元にはヘルシャのチャクラムが転がっていた。
「普通耐えられないからね!」
「まぁオレァ人間じゃねぇからな。そこらの奴らよりだいぶ頑丈に出来てる」
ヘルシャの声に首を鳴らしながら答えるクロヌは、楽しそうに笑った。
「……お前は神格に近しい存在なのではないか?」
「おぉ、よく分かったな藍髪くん。まぁそこの嬢ちゃんと似たようなもんだ」
「武神……か」
「いいや、オレの世界では闘神と呼ばれてたな」
クロヌははだけた自身の胸部に手を当てながら説明する。
そこには古傷であろう深い十字傷があった。
「言葉だけじゃ分からねぇだろうし、見せてやるか」
刹那、身体が吹き飛ぶのではないかと錯覚するほどの圧を受け、ヘルシャとイグニスが全身を強ばらせる。
「ヘルシャ!【武神化】だ!」
「うん!」
ヘルシャに指示を飛ばしたイグニスは、自身も弓を双剣に戻して詠唱を始めた。
「【青々と凍てつく氷塊も、やがて解け行き水となる】」
凄まじい闘気の爆発を受けながらもヘルシャは親指の腹を噛み、滲み出した鮮血で両頬に線を描いた。
「【やがて水さえ掻き消え、活火激発の矛と化す】」
一方イグニスも高速詠唱を完了させ終え、双剣を打ち鳴らす。
「【火精化】」
それと全く同時にクロヌは胸の十字傷を拳で叩いた。
膨張した闘気がクロヌに収束していく中、ヘルシャは全身に赤色のオーラを纏い、瞳を真紅に染めていた。
その隣でイグニスは髪と瞳を紅に染め上げ、朱色の双剣を構える。
「さぁ楽しもうぜ、闘争を!!」
「くッ……!」「うわぁ!」
声だけで二人を吹き飛ばしたクロヌには三対六本の腕が生えており、全身から黄金の光粒を発生させながら髪を逆立てていた。
その姿はさながら神話上の闘争の神のようで、さしものイグニスとヘルシャでも頬に冷や汗を伝わせた。
「【闘神化】、と言ったところか……」
「うちの【武神化】と同じよーなもの?」
「そりゃやってみりゃわかるさ。オレの方が格上ってことがな」
ヘルシャの問いを鼻で笑ったクロヌは、右側の三本腕の人差し指を上に向けて挑発してきた。
「なんだとー!」
「さァ、いくぜぇぇ!!」
不敵な笑みの後、地面が爆散する。
直前にそれを予測していた二人は跳躍して地割れを回避した。
「逃げんなよ」
飛び上がった二人に向けて右腕二本をかざしたクロヌは、左腕の一本を引き絞った。
瞬間、上空の二人の身体が凄まじい勢いで彼へと引き寄せられる。
「ヘルシャ! 重力で下に降りろ!」
「イッくんは!?」
「俺に構うな!」
イグニスは共に引き寄せられていたヘルシャを突き飛ばすと、そのままクロヌの間合いに引き寄せられてしまう。
その間にヘルシャは界具の能力で自重を倍加させ、強引に落下して難を逃れた。
「嬢ちゃんが来るなら分かるが、お前で良いのか?」
「火力だけでいえば……」
クロヌの左腕一本が引き寄せられるイグニスに拳を放つ。
それに対抗せんとする彼は右手の短剣だけを引き絞り、突きの構えをとる。
激突の瞬間、イグニスはほんの少しだけ口角を釣り上げ、右手を霞むような速度で振るった。
「この状態の俺はヘルシャに勝る」
直後、蒼の爆炎と共に大地が吹き飛んだ。
しかし爆煙の中からイグニスだけが吹き飛ばされ、石造りの客席に叩きつけられてようやく停止した。
客席を形作っていた瓦礫の山から起き上がったイグニスは、ゆっくりと立ち上がって口内の血を吐き捨てた。
そんな彼の両手には蒼炎によって射程が伸ばされた短剣、いや槍のようなものが握られていた。
「やってくれるじゃねぇか……。まさかお前にこんな火力があったとはな……」
砂煙が晴れると、その中心にいたクロヌの姿がはっきりと見えるようになった。
彼の六本の腕のうち一本が失われており、肩口から焼き尽くされたようであった。
「まずは一本……」
「ちッ……けどまぁお前ももう全力じゃ動けねぇだろ」
「あぁ、だが俺はもう後衛に戻るさ」
イグニスはふっと笑った瞬間、クロヌの背後から極厚の刃が迫った。
「ッ……!!」
「これ反応する!?」
【武神化】状態での本気の奇襲。
それを瞬時に顕現させた大剣の界具で受け止めたクロヌに、ヘルシャは瞠目する。
「右腕が引力、左腕が斥力を司っている! それぞれ効果を及ぼせるものは一つだけだ! それを考えて戦え!」
「!! りょーかい!」
遠方からのイグニスの指示に、ヘルシャは好戦的な笑みを浮かべる。
そしてクロヌの大剣によって弾かれるものの、客席の壁に着地した。
「やっぱり頭のキレる奴は厄介だな。お前も近くでやろうぜ」
ヘルシャが離れた一瞬、クロヌはイグニスに右腕の一本を向けた。
刹那、イグニスの身体が強引に引き寄せられる。
「ッ……!! お断りだ」
しかしその直後、空中で大炎の槍を放ったイグニスは引力から解放されて地面に着地する。
放られた槍は引力によって加速し、クロヌの右腕に着弾する。
直後、莫大な魔力が炸裂し、蒼の火柱が彼の腕を飲み込んだ。
「一回の攻防でどこまで……!」
「たぁ!!」
またもや腕を失ったクロヌは、息つく間もなくヘルシャの攻撃に晒された。
彼はヘルシャに向けて左手をかざして跳ね除ける。しかし横手からイグニスの朱の氷矢が放たれた。
「鬱陶しい!!」
「ッ……!?」
向けられた左腕に身の危険を感じたイグニス。
彼が咄嗟に横に飛び退くと、石造りの客席に大規模なクレーターが生じ、それを中心として彼がいた側の客席全体に亀裂が走った。
次いで向けられた右腕には反応出来ず、イグニスは凄まじい勢いでクロヌへと引き寄せられてしまう。
「くッ……!」
「まずはお前からだ」
そして残っているもう片方の右腕には大剣の界具が握られており、それがイグニスへ振り上げられた。
咄嗟に弓を双剣に戻したイグニスは、それを並行にしてクロヌの大剣に叩きつけると互いの攻撃が拮抗する。
しかしすぐにイグニスは気付く。
圧倒的膂力の差で、自分とクロヌの攻撃が拮抗するはずがないということに。
そして引力の右腕に握られた大剣と打ち合っているため、自身の身体がクロヌに引き寄せられ続けているということを悟った。
「吹き飛べや」
完全にクロヌの目の前に縫い付けられてしまっているイグニスに向けて、斥力の左腕による大岩のような拳が放たれる。
咄嗟に氷で防御したのか朱の欠片があたりに飛び散り、一瞬で数十メートル先の客席が衝撃によって崩壊する。
「イッくん!!」
常人の目にはそれぞれの現象が同時に起こって見えるほどの速度であったが、ヘルシャには客席の崩壊を引き起こしたのはイグニスが激突した衝撃によるものだということが理解出来た。
「嬢ちゃんも人の心配してる場合じゃねぇぞ」
イグニスが飛ばされた方向に目を向けたヘルシャの死角から、クロヌの大剣が迫る。
握っているのは斥力の左手、そして引力の右手は彼女にかざされている。
「うッッ……!!」
引き寄せられる力と、弾き飛ばす力を内包した大剣の一撃をチャクラムで受け止めたヘルシャだったが、その凄まじさに全身が軋んだ。
直後、もう片方の斥力の左拳が横手からヘルシャに向けて放たれたものの、彼女は界具の能力を全開にして自身の身体を地面に叩きつけた。
それによって大剣の拘束から逃れ、拳の直撃を免れたヘルシャは旋風のような足払いでクロヌの体勢を崩し、そのままの勢いで腹部に回し蹴りを叩き込んだ。
「うっそ……!?」
回し蹴りは鋼鉄のようなクロヌの腹部に命中したかのように見えたが、彼は引力の右手でヘルシャの細足を掴んでいた。
そして足払いによって体勢が崩れた勢いのまま、クロヌは彼女の身体を地面に叩きつけた。
「がっ……!!」
ヘルシャを剛力によって叩きつけた衝撃で、土の地面が蜘蛛の巣状にひび割れる。
あまりの威力にヘルシャの視界が明滅し、少量の血を吐かせた。しかし攻撃は止まない。
「オラオラオラァ!!」
仰向けに叩きつけられたヘルシャに向けて拳の乱打が降り注ぐ。
四本の腕から繰り出されるそれはまるで豪雨だ。
暴虐的なまでの連撃は地面を打ち砕き、周囲に砂煙を巻き起こす。
だがそれは次の瞬間、もうひとつの嵐が激突することによって拮抗し始める。
「すげぇな嬢ちゃん」
「おじさんこそ、強すぎるよ!!」
それはいつの間にか立ち上がり、拳を打ち返すヘルシャの姿であった。
彼女は満身創痍で口から血を零しながらも、紅の瞳でクロヌを射抜いて巨大な拳を迎え撃っていた。
四本の大腕に、たった二本の細腕で対抗しているのだ。
「けど、うちだって負けないっっ!!」
その叫びと共に、血で描かれた頬の線が紋様のように首元まで広がり、赤々と発光する。
そして渾身の拳がクロヌの引力の拳と激突した。
刹那、拳の激突を中心として地面にクレーターが生じ、大気が激震させる。
ほとんどクロヌの半分ほどの身長であるヘルシャの拳が、彼の拳と拮抗している様子は酷く違和感を覚えるものであった。




