19話 ~高天の戦い~
「さて、そろそろ始めようかしらね」
「本当にこんな女の力でこの世界をぶっ壊せんのかよ、リリスさんよォ?」
「間違いないわ。【夢幻書庫】で見た彼女の記憶では灰色の炎で世界が焼き尽くされていた。魔力を焼き尽くす特性を持つあの炎、【魔滅の灰炎】で世界樹を焼き尽くせばこの世界は支えを失って崩壊する」
キョウヤの問いに、いつもならホログラムが映し出される闘技場の北側に目を向けた。
そこには巨大な十字架に手足を縛られ、生気の無い虚ろな表情をしたアリスが磔にされていた。
「あいつら、ここに来るかね」
「ねェだろ、転移紋ぶっ壊したんだぜ? どうやってここまで来るっていうんだよ」
「ここはユグドラシルの真上にある、やりようによっちゃいくらでも来れんじゃねぇか?」
クロヌの言葉をキョウヤが否定したものの、彼はにやりと笑ってそんなことを言った。
まるでそうなることを望んでいるかのような楽し気な表情であった。
「……ぁぁ……ぁぁ…………!」
「何か聞こえたわ」
「あ? んなわけ……」
「あぁぁぁぁぁ!!!」
そんな叫び声が聞こえた直後、闘技場の南の外壁から何かが飛び出してきた。
それは巨大な氷塊で、内部に何かを内包している。
それは空中で内側から爆ぜ、内部にいた人間の姿を顕わにした。
「なっ……!? ソウマァ……!!」
「やっぱりな」
「ふふ、本当に面白い……」
目の前の光景にキョウヤたちは三者三様の反応を示した。
キョウヤは目を剥いて驚き、クロヌは口角を吊り上げて笑い、リリスは口元に手を当てて艶然と微笑んでいた。
「ヘルシャ! 着地何とかしてくれ!」
「はいよ~!!」
闘技場の外壁を超えるほどの高さから落下する人影は、こちらもこちらで三者三様の反応だった。
非常に焦っているソウマ、楽しそうに笑うヘルシャ、落下しながらも状況を整理しているイグニス。
彼らは客席に落下する瞬間、一瞬だけ浮き上がって衝撃を免れた。
「そーまの予想通りだよ! えらい!」
「えらいってなんだよ、どこから目線なんだよ」
「二人とも、ふざけてる場合じゃないぞ」
イグニスの冷静な声に注意された二人は、彼の視線の先にいる三人を見つめた。
「よくここが分かったわね」
「そりゃあんだけ痕跡残してればな。お前、わざとやっただろ」
「あら、何のことかしら?」
「食えない女だな……!」
アリスの髪と血痕を残したのは明らかに【黄昏】に対する挑発だ。
あれがなければこの場所にたどり着くことは出来なかったかもしれない。
「あなたたち三人がここに来たからなんだというの? 草原での戦いは彼女の能力を測るための単なる小手調べ。ここでは本気の戦いになるのだから地力の差は明らかよ、坊やたち……?」
明らかな挑発であるように聞こえるが、確かにリリスやクロヌが本気を出していたらリネアが来るまで持ちこたえることさえ出来なかったかもしれない。
「それにこっちは四人、草原の時より分が悪いのではなくて?」
「あ? 何言って……」
「【やりなさい。彼らは貴方の敵、ハイエルフよ】」
蠱惑的な声を向けられたアリスは、虚ろな瞳をソウマたちの方へ向けた。
刹那、灰色の炎塊が無音で放たれた。
「ッ……!?」
それを辛くも躱して闘技場の客席から降りたソウマたちであったが、アリスからの攻撃に動揺していた。
しかしよくよく彼女を見てみれば瞳に生気は宿っておらず、顔色も真っ青であった。
「お前……あいつに何しやがった……!」
「ただ【夢幻書庫】で見た彼女の記憶を見せ続けただけよ」
ソウマは刃折れの界具を顕現させながらリリスを睨みつけた。
彼女は磔にされたアリスに目を向けて嫣然と笑った。
来訪者となるほどの絶望を繰り返し見せられるなど地獄だ。
それで精神が弱り、リリスの能力で操られてしまっているのだろう。
「だったら俺が」
「やめておきなさい、貴方の力は現象を膨張させることで暴発させるもの。そんなことをすれば彼女の精神を壊すわよ?」
「ッ……!」
確かに彼女の言う通りだ。ソウマの能力では精神攻撃は無効化できない。
それどころか被術者にさらなるダメージを与えてしまうだろう。
「【ここは金の森。貴女の一族の多くを殺したハイエルフの住処】」
不気味な響きを持つリリスの声がアリスの耳朶を叩くと、彼女は震えながら頭上に灰色の炎塊を発生させた。
それは太陽のように巨大で、これが【魔滅の灰炎】だとしたら相当にまずい。
「ヘルシャ! 俺を吹っ飛ばせ!」
ソウマは背筋に悪寒を感じながらもヘルシャに向かって駆け出した。
意図を即座に理解した彼女は巨大なチャクラムを顕現させ、ソウマは跳躍する。
それに合わせて刃ではなく面をソウマの方へ振り抜き、彼はそこに足を乗せて吹き飛んだ。
右手には刃折れの界具。狙うのはアリス本体ではなく灰色の炎塊。
「させっかよ、バァカ!!」
もう少しで刃が届く距離で、ソウマの界具が下方から吹き飛ばされた。
それはキョウヤの紅の直剣によるもので、互いが宿す能力によって界具は消滅していた。
しかしそれを想定していたキョウヤの方が先に行動を起こすことが出来、ソウマは空中でカウンターの蹴りを腹部に食らってしまう。
「がッ……はッ……!」
ソウマは吹き飛ばされた勢いのまま蹴られたため、一瞬完全に呼吸が停止した。
そしてそのまま地面に叩きつけられごろごろと転がってしまった。
「【焼き尽くしなさい、全てを】」
その声とともにアリスの発生させた灰色の炎塊は空へと放たれ、花火のように弾けた。
弾けた灰炎は四方八方に飛び散り、重力に逆らうことなく下方へ落下していく。
その先は間違いなくエデンの街で、このままでは下で戦っている来訪者たちに甚大な被害が出てしまう。
ソウマは腹部を抑えながら顔を顰めて思考した。
どうすれば灰炎の猛威を止められるか。
アリスは今操られているため炎をコントロール出来ないのだろう。
ならば彼女の正気を取り戻すか、力自体をコントロール出来れば。
「!!」
そしてその方法にたどり着く。今度は漆黒の短剣を顕現させ、アリスを見つめる。
「お前は俺に借金があるんだ。だから帰ってこないと困るんだよ!」
ソウマは未だに【天空の妖精亭】でのことを根に持っており、そんなことを叫びながら切っ先を彼女に向けた。
(直接斬らないと能力の支配はできない。けど五感の一部くらいならなんとかなる)
「させっかって、言ってんだろォが!」
「それはこっちのセリフだ」
「くッ……!?」
ソウマの行動を止めるために動いたキョウヤだったが、遠方から放たれた光の矢から身を守るために立ち止まった。
矢を放ったイグニスの前で、ソウマはアリスに切っ先を向けながら深く息を吸いこんだ。
「アリス・フォティアァァ!! お前、何簡単に操られてんだぁぁ!!」
ソウマは客席で磔にされているアリスに叫ぶ。
操られてしまっている彼女には届かないはずの言葉を続ける。
「うるさいわ、少し黙ってもらえるかしら?」
「させないよ!」
無駄な行動を謗るように黒のフランベルジェを振るおうとしたリリスに、ヘルシャが再び顕現させたチャクラムを投擲する。
彼女のいた位置にチャクラムが被弾し、土の地面を爆散させる。
しかしすぐ隣の空間に現れたリリスは無傷であった。
「お前は他人に操られる程度の奴だったのか!!?? さっさと戻ってきて、そんな拘束燃やしちまえ!!」
ソウマの一言一言がアリスの耳朶を叩いていくうちに、瞳にほんの少しだけ光が戻り始めていた。
「いつまで黙ってやがる!! このオレに助けられるなんてお前のプライドが許すのかよ!?」
ピクリと反応はしたものの、未だ黙り込んでいるアリスに言葉を続けるソウマは、再び深呼吸して叫んだ。
「この……貧乳女!!!」
ソウマの叫びが闘技場に木霊する。
明らかに場違いな罵倒に、ヘルシャたちはおろか、キョウヤたち三人までもが驚いて目を剥いていた。
その言葉がアリスに届いた瞬間、彼女はピタリと動きを止めた。
そして彼女の周囲に灰炎が灯っていく。
「……キ ソ……マ……」
その炎は瞬きごとに数を増やしているようで、彼女を取り囲むように浮遊していた。
「人が、気にしてる……ことを……」
「あ、やば……」
磔にされた状態で俯きぶつぶつと囁くアリスの様子を見て、ソウマはぶわっと冷や汗を浮かべた。
「馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
目尻に涙を溜めたアリスは鋭くソウマを睨みつけて叫んだ。
その瞳には生気が戻っているどころか、怒気のようなものを孕んでいた。
その叫びに呼応するように周囲の灰炎が爆発し、彼女を巻き込んだ。
それは手足を縛る紐を燃やすだけにとどまらず、木製の十字架さえも焼き尽くして灰に変えてしまった。
「五感を奪って外界との接触を断つワタシの洗脳を、自力で解いたというの……!?」
「あんた、俺の能力知ってんだろ?」
「……聴覚だけ支配してワタシの洗脳から逃れたのね……!?」
「ご名答。あいつの事だから怒らせればこうなると思ったんだよ。後が怖いけど」
挑発的な笑みで語るソウマに、リリスは冷たい視線を送った。
「よくもやってくれたわね……!」
拘束から解放され客席に降り立ったアリスは、いつの間にか灰色の細剣を顕現させて引き絞っていた。
「ごめんなさいごめんなさい洗脳解くために仕方なかったんです!」
土下座して文字通り平謝りするソウマの元に放たれた灰炎の槍は、しかし彼の前方に立つリリスに向けられたものであった。
だが槍とリリスの間に割り込んだキョウヤによってそれは打ち消されてしまう。
「貴方は一体何をしているのよ……? こんな緊急時に同士討ちなんてしないわよ」
土の地面に正座して頭を押し付けているソウマに呆れたような視線を送り、アリスはそんなことを言う。
「緊急時じゃなければ殺られてたんですね!?」
「よく私を理解してるじゃない。後で覚悟しておきなさい……」
客席から見下ろしてくるアリスの冷たい視線に、ソウマは苦笑いを返すことしか出来なかった。




