1話 ~灰燼の魔女と不戦の負け犬~
ここは全ての世界が行き着くはずだった理想郷・アルカディア。
この世界には終焉を迎えたあらゆる世界線から選ばれし一人が集められ、互いの武を競っている。ここで戦い続け、王となった者には元の世界を再構築してやり直す特権が与えられると言い伝えられているのだ。
彼らは外の世界から招かれた者【来訪者】と称され、アルカディアの住人の約七割を占めている。
どこまでも果てしなく広がっているように見える大陸は超広大な浮遊大陸であり、外縁に辿り着くには数十年、数百年かかるとも言われている。
そもそもこの大陸に果てがあるのかさえ不明である。
大陸の中心には天空を支えているかのような【世界樹】が屹立しており、その枝葉は樹下の街【エデン】を多い尽くしている。しかし陽光を吸収して発光する葉によって街は明かりを失わずに済んでいる。
その世界樹の頂上、樹下からでは枝葉に遮られて決して見通せない天空には、選ばれし者たちが戦う【神前闘技場】が存在している。
「……遅い」
八方を囲む客席にはまばらに観客がいるだけでいつもの活気が無い。
そんな盛り下がっている闘技場の中央に立つ少女は腕を組み、小刻みに自身の二の腕を指で叩いて苛立ちを露わにしていた。
それもそのはず、彼女がここに来てからもう一時間近くが経過しているのだ。
闘技場の客席北側には複数のクリスタルが投影するホログラムに、二人の人物の映像が映し出されていた。
一人は闘技場の中央に立つ少女のもの、そしてもう一人はこの場にはいないやる気のなさそうな少年のものだ。
ホログラムに表示された神聖文字が表すのは二人の人名。
【キヅキ ソウマ ⅤS アリス・フォティア】
アリス・フォティアというのが、闘技場に一人ぽつんと立っているエルフの少女の名前だ。
女性にしては高めの身長に引き締まったスレンダーな体型。その体躯を包んでいるのは灰色を基調とした丈の短いバドルドレスだ。
髪は両サイドを長めに伸ばしており、ふんわりとカールした後ろ髪は腰のあたりまで緩やかに伸ばされている。
ただ、特徴的なのがその髪色である。頭頂部が濃灰色で、毛先に行くにしたがって色素を失い銀色になっているのだ。
「こいつぅ……」
ホログラムに映るキヅキ ソウマという少年の顔を金色の双眸で恨めし気に睨みつけるアリスは、ぎりっと歯を鳴らした後、眉間にしわを寄せながら瞼を閉じて右手を前に突き出した。
すると彼女の掌に灰色の炎が集まっていき、何かを形成し始めた。
「なんなのよ……」
そして目を見開くと同時に掌を閉じたアリスの手中に、一振りの剣が出現した。
光を反射しない鈍色の刀身は薄く、細長い針の様であった。
彼女はそれを逆手に持ち替えて高く振り上げる。
「キヅキ、ソウマぁぁぁ!!!」
そして針のような切っ先が土の地面に突き刺さるや、灰炎の竜巻が彼女を中心として巻き起こり、天を衝いた。
その熱波は観客席にいる観客たちにまで届き、彼らを大いに慌てさせた。
無から生み出されたアリスの剣は来訪者の象徴である【界具】と呼ばれるものだ。
武器、防具、道具などの個人が望んだ形で顕現され、その内側には終焉した世界が核として内包されている。
それは世界が終末を迎える要因となった現象を小規模で引き起こすことが出来るのだ。
「ふんっ!」
アリスは針のような細剣型の界具を一振りし、消滅させてから闘技場のバックヤードへと踵を返した。
「やっぱ【灰燼の魔女】おっかね~」
「二年位前にアルカディアに来てから、ほとんど負けたところ見たことないしな~」
そんなアリスの姿を観客は冷や汗をかきながら見送り、彼女の高い評価を口にした。
アリス・フォティア。二一三戦 一九五勝 十五負 三引き分け。
これほどの試合数を重ねて九割近く白星を挙げていることは来訪者の中でもトップクラスの実力を備えていることの証明だ。
「それに比べてこいつはなぁ~」
「【不戦の負け犬】……か。 違いねぇ」
観客たちは未だ表示されているホログラムの中、アリスの隣に映し出されている少年の写真を見て落胆のため息を吐いた。
結局この日、アリスの対戦相手であるキヅキ ソウマが現れることはなく、不戦勝という彼女にとっては不本意な勝利を収めることとなった。
◆◆◆
「全く、何なのよ!」
それからアリスは、肩を怒らせながらすぐに闘技場のバックヤードへと下がっていった。
その通路でアリスは苛つきながら胸ポケットに手を突っ込み、そこから手のひらサイズのクリスタルを取り出して指を鳴らした。
するとクリスタルの周辺にきらきらとした鱗粉が発生し、彼女の目線の高さまで浮上した。
「キヅキ ソウマの情報を教えて」
目線の高さに浮上したクリスタルは、一度強く輝いた後に全く別のものへと変化した。
「そんなにカリカリしてると老けるわよ~?」
「この世界に来たらもうこれ以上老けないんでしょ? というかもともと長命なエルフだから百歳超えてるし」
おちょくるような問いかけを投げてきたのは先程までクリスタルだったものだ。
彼女の肩にちょこんと乗ったのは透き通る翅を背から生やす、アリスの手のひらよりも小さな妖精であった。
アリスとそっくりなグラデーションの髪色と幼い顔は、これほどサイズ感が違わなければ姉妹と言われても頷けてしまう。
「知ってるわよ、あたしはあなたの映し鏡なんだから」
「はいはい、【伝道妖精】様にはなんでもお見通しですよね。だから早くキヅキ ソウマについて調べて、スピネル」
伝道妖精とは来訪者一人につき一体付く、専属のナビゲーターだ。
その姿は主の鏡写しとされており、性格や容姿が持ち主に似る傾向がある。
しかしクリスタルの状態でも機能を利用することは出来るため、少数ではあるが妖精化させずに自身で操作する者もいる。その状態では【伝道結晶】と呼ばれている。
「はいはい、キヅキ ソウマの戦歴ね……。 え、なにこれ……?」
スピネルと呼ばれた伝道妖精は、自身の頭の中に流れ込んできた情報を見て唖然とした。
「どうしたのよ、早く映してよ?」
「え、えぇ……」
スピネルは動揺しながらも右の掌を壁に向けてかざすと、発光した掌から発生した青白いホログラムが四角い窓を作った。そこにはキヅキ ソウマの戦歴が表示されたのだが。
「なに、これ……」
それを見たアリスも、先ほどのスピネルと同じような反応を示した。
【五二六戦 一〇五勝 四〇八敗 十八引き分け】
この戦歴はどう見ても平凡、いや圧倒的に黒星の方が多いため落ちこぼれと言えるだろう。しかし二人が驚いたのはこの記録ではない。
【四〇三戦 四〇三敗(不戦敗)】
その下に表記されているもう一つの戦歴。それが示すのは全戦不戦敗という不可解な戦歴であった。この戦歴があるため、普段と比べて客席が閑散としていたのだろう。
「というかそもそも何で戦歴が二つに分かれているの……?」
戦歴は伝道妖精を介して誰にでも閲覧できるようになっている。
その際試合数、勝敗の内訳などが表示され、さらに深く調べれば対戦相手や試合時間なども表示される。しかし戦歴が二つに分かれている記録など今まで見たこともなかった。
「スピネル、キヅキ ソウマに会いに行きましょう」
「えぇ……。 別に不戦勝だったんだからこれ以上首突っ込まなくてもいいじゃない」
「不戦勝じゃ意味無いの。 刃を交えなければ界具の練度は上がらないんだから」
不戦ということは自分も相手も界具の練度を上げられないということだ。
それはつまりここで戦っている意味から逸脱している。
キヅキ ソウマは何を思って四〇三戦もの不戦敗を重ねているのだろうか。
当人に会えばそれが分かるかもしれない。それに何より。
「一言言ってやらないと気が済まないしね」
◆◆◆
試合の直後、アリスは街で聞き込みをしてキヅキ ソウマの居場所を突き止めた。伝道妖精であっても個人の居場所までは突き止められないためである。
聞き込みによると、彼は世界樹の根元にある【世界書庫】の近くに住んでいるらしい。
世界書庫とは無数にある来訪者の、出身世界の書物を集めた広大な図書館である。アルカディアの者であれば誰でも利用でき、様々な世界のことを知れるのだ。
「さて……。闘技場のホログラムで顔は覚えてるし、あとは見つけるだけね」
「でもこの区画だけでも相当広いわよ?」
「聞き込みの中で分かったことだけれど、彼、認知度は高いみたいじゃない? 不名誉な方向でだけれど」
「【不戦の負け犬】だったかしら? 酷い言われようよね」
「けどまぁ、全戦不戦敗なんて結果を残していたんじゃそう言われても仕方ないわよ。 だからこの近くで聞きこめばすぐに見つかるんじゃないかと思ってね」
アリスはスピネルと言葉を交わしながら適当に歩き、この区画の住人である商店の人間にキヅキ ソウマの居場所を聞き込んでいった。
すると彼女の予想通り彼の居場所を知っている者は数多くいた。しかしその情報の場所に行っても彼の姿は一向に見つからず、陽が傾き始めていた。
「いったいなんなのよ~~~!!」
アリスは往来の中央で頭を抱えて叫ぶと、その場に蹲ってしまった。それを通行人が奇異の視線を向けながら通り過ぎていく。
「もういいじゃない、これだけ探して見つからないんだから。 てか戦いに参加しない来訪者がいるならライバルが減って好都合じゃない」
「それはそうなんだけど……」
確かにスピネルの言う通りではある。
戦いに参加する来訪者の数が減ればそれだけ自身が王になれる確率が高くなる。
しかしそういう問題ではないのだ。
アリスはこの世界に導かれておきながら、元の世界を取り戻せるかもしれない戦いに臨まない者の考えを聞きたいのだ。
これはエルフの知的好奇心がそうさせるのか、アリス個人の興味なのかは分からない。
「なぁ、大丈夫か?」
地面に蹲っていたアリスを見かねてか、通行人が心配そうに手を差し伸べてきた。
「あ、ありがとうござ……あ……」
アリスはその手を取って立ち上がると、手を差し伸べてきた通行人の顔を見て唖然とした。
「き、き、き……」
「き……?」
通行人の少年は、アリスの手を握ったまま小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべた。
やる気の無さそうな黒の双眸に藍色の長髪。長めに伸ばされた襟足は、小さな三つ編みにして左肩の側でまとめられている。
まとめ上げた毛先を縛っているヘアゴムには十字架の装飾がなされており、夕陽をキラキラと反射していた。
「キヅキ ソウマ!!!」