16話 ~夢幻書庫~
翌日、いつもは朝早く目を覚ますアリスだったが、昨日の疲れからかほとんど昼の時間に起床した。
今日は特に【神前決闘】の予定も入っていないし、それに今はあの戦いに参加する気にはなれなかった。
諸々の身支度を終えたアリスは自宅を後にして【世界書庫】に向かうことにした。
アリスの家はエデンの北西部の区画にあり、世界書庫への転移紋がある世界樹の根元までそう遠くない場所にある。
世界書庫に通うためにアリス自身がこの場所を選んだ、という理由があるのだが。
(【夢幻書庫】に行くのはいいけれど、流石にあいつを過去を勝手に見るのは良くないわよね……)
道中、アリスは世界書庫に着いたらソウマを呼び出そうと考えていた。
彼のことだから面倒だと言ってアリス一人で行くことを許しそうだが、勝手に見るより義理立てしておいた方が良いだろうと考えたためだ。
「おっと!」
「ごめんなさい、少しぼうっと……」
極太の世界樹の幹に沿って続く道を歩いていたアリスの前に突然人が現れた。そのため彼女は軽くぶつかってしまう。エデンの中にいるうえ、思考にふけっていたため感知の魔法を怠っていたのだ。
「ってキヅキソウマ! ……その目どうしたのよ?」
「うお、なんだお前か……。あぁ、昨日の戦いで少し切ってたみたいでな、腫れてるんだ」
ソウマのことを考えていた矢先に現れたため、アリスは大声を上げて指さしてしまった。
しかし彼が右目に眼帯を付けていたため心配そうに問いかけた。
「邪精霊の毒でも貰ったのかしら? 誰かに頼んで治してもらえばいいのに」
「いやいいんだ、眼帯ってちょっと強そうに見えるし」
「はぁ、馬鹿がいる……」
眼帯を誇示するようにニヤッと笑ったソウマに、アリスが呆れたため息を吐く。
「まぁいいわ。貴方に偶然会えたのはちょうど良かった。これから【夢幻書庫】に行ってあなたの記憶を見たいと思っていたのよ。勝手に見るのはマナー違反な気がして、貴方を呼び出そうと思っていたところなのだけれど。貴方、二本持ちのこと教えてくれないし、貴方の過去だからリネアさんたちに勝手に聞くのも気が引けるし」
「夢幻書庫……。分かった、俺も行くよ。代わりにお前の過去も見せろよ!」
「ぅ……。人の過去を見ようっていうんだから、背に腹は代えられないわね……。分かったわ、これで取引成立ね」
「よっし、これでなんかお前の弱み握れるかもしれない……」
「ちょっと!? 夢幻書庫の悪用はダメってルジストルさんが言ってたわよ!」
そんな言い合いをしながらアリスたちは世界樹の根元、南側に刳り貫かれた入り口に入っていった。ちなみに闘技場への転移紋は逆側、北の根元側に刻まれている。
「六階層の右から十二番目の棚、下から六段目の左から二十四番目の本【幻想入門】っと……。これかな」
昨日ルジストルから教わった手順通りに【世界書庫】を探していくと、言われた通りの位置にその本はあった。
古びた茶色の装丁で、周囲の本に溶け込むように故意にありがちな装丁にしているように思えた。
「行くわよ」
「おうよ」
アリスは緊張の面持ちでソウマに振り返り、【幻想入門】を手に取って開いた。
直後、周囲に無色の魔力が迸って結界が展開される。
これは転移の瞬間を他の来訪者に発見されないための対策なのだろう。
そして結界が張り巡らされた後、二人の足元に転移紋が浮かび上がる。それは白色の光を放ってアリスたちを飲み込んだ。
◆◆◆
「……!?」
転移の光が消えて視界が鮮明になると、そこに広がる光景にアリスは絶句した。
目の前には無数の書棚がある。それは書庫なのだから当たり前だ。
しかし上下左右があべこべで、通路や階段も入り組んでいるように見える。
「これが【夢幻書庫】……! でもこんな中からどうやって探せば……」
「相手のことを思い浮かべれば、自然とその棚までの道順が光の軌跡になるんだよ」
「なるほど……」
アリスはソウマの説明を聞くや、彼の事を思い浮かべた。目の前にいるのだから思い浮かべるのに時間などかかりようも無かった。
するとすぐにアリスの足元がぼうっと輝き始め、歪んだ道に伸びていく。それはあべこべになっている階段を登り、角を折れた。
「んじゃ、俺はお前の過去見てくるから~。弱み弱み~♪」
「ちょっと貴方ね!」
スキップしながらアリスとは別の方向に向かうソウマの背に声を投げるものの、彼はそんなことを気にも留めずに通路の角を曲がって行ってしまった。
「全く……。さて、私も行こう」
アリスはため息を吐いてソウマが去って行った方から視線を戻すと、光の軌跡を進み始めた。
何度か角を折れ、突然現れる階段を登る。元の位置には戻れないと思われるほど複雑な道順を辿って、ようやくソウマの本が納められた棚に辿り着くことが出来た。
「これがあいつの……」
他の本と異なってぼんやりと発光するそれに、恐る恐る手を伸ばす。
そして手に取って一息吐いた後、ゆっくりとページを開いた。
「ッッ……!!」
刹那、アリスの頭の中に膨大な量の記憶が流れ込んできて、意識がソウマの過去に飛んだ。
◆◆◆
彼の世界は魔法が存在せず、争いのない世界であった。
科学という技術が発展しており、魔法に近い効力を発揮して人々の役に立っていた。
剣や銃といった殺傷能力の高い武器が存在するものの、ほとんど争いに用いられる時代ではなかった。
しかし人類の発展のために自然物を軽んじているような印象を受けた。
家を建てるために土地を更地にしたり、交通網を発展させるために森林を伐採したりと、エルフが住めるような森はもうほとんど残っていなかった。
そんな時代のある日を境に、神の怒りを買ったかのように自然が猛威を振るうようになる。
異常気象、火山の活発化、大地震など、およそ災害と呼べるもの全てが乱発していた。
それは時間が経つにつれて激しさを増していき、地形は崩壊して生物の大半が死滅した。
そして逃げ場を失った人類を災厄全てが飲み込んで世界が終焉した。
アリスの中にはソウマが感じたであろう膨大な絶望や悲しみが流れ込んできて来ており、気をしっかり持っていないと狂ってしまうのではないかと思われた。
時間にしては数分、しかしアリスの頭には何度精神が壊れるか分からないほどの絶望が襲いかかってきていた。
そして気が付いたら意識が【夢幻書庫】に戻ってきており、アリスは大量の脂汗を額に浮かべていた。
その時のソウマの絶望を直接体験したため、彼女は気分を害してしまっているのだ。
他人の絶望を一身に受けることが、これほどまでに精神的負荷がかかるものだなんて思ってもみなかった。
アリスは本棚に手を付いて俯き、頬に汗を伝わせながらも本を元の位置に戻した。
そして込み上げてくるものを飲み下してソウマの過去を振り返った。そして彼の能力の真実を探る。
(あらゆる天災で滅びた世界……。であれば天災を引き起こす界具になるはず……)
しかしソウマは直接的に何かを引き起すようなことは出来ていなかった。
彼が行っていたのは自然現象や他人の界具の力を強化するようなことだけ。
「……!」
そして彼女は辿り着いた。キヅキソウマという来訪者の能力に。
(幻獣種と遭遇した時に引き起こした突風、結界を破裂させたような不自然な破壊、私の炎を膨大な威力にまで引き上げたこと。これなら全部説明がつく)
「これは……?」
しかしアリスの思考は瞳に入ってきた淡い光によって遮られる。
そちらに目を向けると、先程しまった本の隣にもうひとつぼんやりと発光する本があった。
ソウマの過去は追体験したはずだ。なのにどうしてもう一冊本が発光しているのだ。
(もしかして本当に……もう一つ世界を……?)
アリスは自身の身体を顧みずに、その一冊の本に手を伸ばした。
そしてもう一度過去の追体験に意識が飛ばされる。
◆◆◆
「これが二本持ちの真実……。あいつ、どれだけの過去を背負ってるのよ……!」
二冊目の本をそっと閉じながら、アリスは唇を噛み締めた。
ただでさえ絶望的な世界の終焉を見届けているというのに、この仕打ちは神が彼を嫌っているとしか思えない。
「お~い、終わったか?」
「っ……! キヅキソウマ……」
直前まで過去を覗いていた張本人を前にすると、どのような表情をしていいか分からない。
アリスは彼から目を逸らして言葉を待っていた。
しかし、次の瞬間にアリスを襲ったのは言葉ではなかった。
「ぇ……?」
背中に灼熱を感じる。
しかしそれは一瞬のこと。
徐々にその熱が溢れ出すように、アリスの身体から真っ赤な鮮血が漏れ出す。
彼女は人形のようにぎこちなく首を曲げて振り返ると、背中に剣が突き立てられていた。
「なん……で……!?」
その剣をアリスに突き立てているのは眼帯に手をかけたソウマだった。
彼はそれを鬱陶しそうに投げ捨てると、本来黒であるはずの瞳が真紅に染まっていた。
そしてソウマはアリスの背から剣を引き抜き、それを振り払った。
それによって剣に纏わりついていた血液があたりに付着する。
何とか立っていたアリスだったが、剣を抜かれたことによって膝から崩れ落ちてしまう。
「あ、なた……は……!!」
アリスは意識を手放す直前、ソウマの身体にノイズが走ったことを見逃さなかった。
そして一瞬だけ見えた長い黒髪を見て瞠目し、瞼を閉じた。




