14話 ~アリス VS ヘルシャ~
「案内って言ってもな~、修練場か図書の塔くらいしかないよね~」
「まあ団長の指示だ、構わない」
「ねぇ、なんで貴方たちは【黄昏】に入ったの?」
「【黄昏】の団員は皆、団長に救われた過去がある。それは俺もヘルシャもリオも、ソウマもだ」
「だから団長の助けにならないと~ってね!」
アリスの数歩先を行く二人は簡単に言ってのけた。【黎明】という危険思想を持つ組織を相手取らなければならないというのにだ。
(でも……恩義は何よりも大切なももよね)
アリスは瞳を閉じて瞼にそっと触れながら、元の世界で命を救ってくれたハイエルフのことを思い出していた。
金髪金眼の最高位種族である彼が、灰かぶりの自分を救ってくれたのだ。
魔法でさえ治せなかった怪我を、自分の血を輸血することで内側から治癒させてくれた。下位の者にそこまで身を挺すことなど普通は出来ない。
そのとき身体を流れた彼の血の影響で、元々灰髪灰眼だったアリスの眼は眩い金眼となった。
その結果同族からも厭われる存在になってしまったが、これは彼が救ってくれた証なのだ。一度も恥じたことはない。
「アリス・フォティア。着いたぞ、修練場だ」
「!!」
遥か昔のことを思い出していたアリスは、イグニスの呼びかけではっとしする。
そして視界を埋め尽くすドーム状の巨大な建造物に唖然としてしまった。遠目から見ても大きかったが、近くに来るとその存在感は途轍もない。
「そういえばフルネームは呼びにくくない?」
「そうだな、ではフォティア」
「アリスでいいわよ。イグニス、だったわよね?」
「分かった」
「アーちゃん! 中いこ!」
「アーちゃん!?」
「アリスだからアーちゃん! イグニスはイっくんだぞ!」
「それでいいの、イグニス……?」
「何度言っても聞かないから諦めた」
イグニスは仏頂面のままアリスの横を通り過ぎ、修練場の入り口に入っていった。アリスはヘルシャに手を引かれてその後に続いた。
◆◆◆
「おー、やってるやってる~」
修練場の中に入ると、そこはやはり遠目から見た通り、【神前決闘】が行われる闘技場と似た雰囲気があった。
そこでは至る所で【黄昏】の団員らしき面々が手合わせをしている。
「あ、ヘルシャさんにイグニスさん。それと……【灰燼の魔女】……!?」
「え!?」
「なんでアリス・フォティア様がこんなところに!?」
ヘルシャとイグニスに気が付いた団員たちはアリスの存在に気付いて声を上げた。それに苦笑いで手を振るアリスであった。
「あはは! アーちゃんは人気者だな~!」
「彼ら神前決闘には参加してないのよね? なんで私のこと知ってるのかしら……?」
「【黄昏】の団員たちは神前決闘に参加しなくとも観戦くらいはする。幹部クラスは見込みのある者の選定をするが、通常の団員は学ぶために観戦している」
「アーちゃんは強くて可愛いからみんなこぞって見に行ってたよ~」
そう言うと客席から飛び降りたヘルシャはアリスに振り返りながらにししと笑った。
「さってと……誰かウチとやりたい人~?」
ヘルシャが元気に手を挙げながら問いかけたものの、誰も名乗りを上げずに彼女の周りから離れた。
確かに彼女の実力を知っているのなら戦いたいと思うはずもない。並みの来訪者では束になっても敵わないだろう。
「ありゃ、誰も相手にしてくれないや。んじゃイッくんやろ~!」
「パスだ」
「えぇ~なんでよ~!」
「もうお互い手の内が読めすぎて決着がつかない。なんならアリスとやればいい」
「えっ!? 私が!?」
「おっ! アーちゃんとやってみたーい!!」
その提案にヘルシャは楽しげに手を叩き、周りの団員も拍手や声を上げて囃し立ててくる。
「で、でも……」
「心配するな。この修練場には結界が張られていて死傷することはない。痛みも軽減されていて手合わせには持ってこいだ」
「……なら」
その説明を聞いたアリスは小さく頷き、風の魔法で身体を浮かせて修練場に降り立った。
幹部であるヘルシャと、神前決闘でかなりの好成績を修める来訪者であるアリスが戦うとあって、団員たちは大盛り上がりである。彼らは期待の表情のまま客席へと上がっていった。
「勝負は五分以内に相手に痛打を与えた者の勝利とする。時間内に決着が着かない場合は団員たちの判定となる」
対角に立って界具を構える二人へ、イグニスからルール説明が行われる。
「界具、魔法、武具、何を使っても構わない。実践同様、何でもありだ」
その説明にアリスは息を呑み、ヘルシャはぺろりと唇を舐めた。
「では始め」
イグニスの抑揚の無い声に次いで、彼の後ろで団員の一人がドラを鳴らした。
音が響き渡る前にヘルシャが動いた。
「いっくよ~!!」
跳躍で数十メートルはあった間合いを一気に飛ばし、超巨大なチャクラムを振り下ろしてくる。
正面からぶつかれば押し負けるのは間違いない。
アリスは地面を蹴って後方へ跳び、風の魔法で上空へ飛び上がった。
先程まで彼女がいた場所にチャクラムが振り下ろされ、直後信じ難い破壊が起こった。
チャクラムが叩きつけられた位置を中心として、十数メートル半径にも及ぶ円形の陥没が起こったのだ。
不自然なまでの陥没に、ヘルシャの能力は重力に関するものだとアリスは推測した。
(あんなの受けたら一発じゃない!)
アリスは浮遊しながら足元を見下ろして驚愕した。
そして気を引き締めて灰色の細剣を握り締める。
「降りてきなよ、アーちゃん!」
ヘルシャは返す刀でチャクラムを投擲した。
その速度は凄まじいもので、咄嗟には回避が間に合わないほどであった。
「くっ……!!」
しかしアリスは灰色の細剣を振るって灰炎のブーストと風の魔法をフル活用して何とかチャクラムを受け流した。
細剣を握っていた右手がビリビリと痺れたものの、それを振り払って界具を失ったヘルシャの元へ飛ぶ。
「あまいよ」
界具を弾き飛ばされたにも関わらず、ヘルシャは笑顔でこちらに掌をかざしていた。
そしてアリスは背後に巨大な気配が迫ってきていることを察知した。
周囲に魔力を放って常に危険を察知している彼女の索敵範囲に何かが入ったのだ。
「がっ……!?」
咄嗟に振り返ったアリスは迫ってきているチャクラムを見るや、咄嗟に細剣を横向きに持ち替えて防御態勢に入る。
刹那、全身がばらばらに吹き飛ぶのではないかと思えるほどの衝撃とともに、アリスの身体が飛ばされた。
そして彼女の土の地面を抉り、修練場の壁に叩きつけられる。
団員たちは背後から痛烈な一撃を受けたアリスを見て、勝負は決したかと判断した。
「おわっと!?」
しかし土煙の中から灰炎の槍が放たれ、ヘルシャの足元に突き刺さったことで、アリスはまだ負けていないことが証明された。
「やっぱやるね……!」
ヘルシャは猛烈な勢いで戻ってくるチャクラムを目視せずに掴み取りながら笑った。
土煙が晴れると、自身の周囲に白色の結界を張りながら細剣を構えているアリスの姿があった。
地面に叩きつけられる瞬間、結界を張って衝撃を緩和したのだろう。
「【妖精郷の血族の名において命ずる。」
「ちょっと見てみたいけど、させないよ!!」
詠唱の最中、ヘルシャは間合いを飛ばしてチャクラムを振りかぶる。
接敵の瞬間、ヘルシャは横薙ぎにチャクラムを振り切った。
それをしゃがみ込んで回避したアリスは、カウンターの如く引き絞った細剣を放つ。
「ははっ! 楽しーね!」
チャクラムの重さに身体を持っていかれている隙を狙ったはずなのに、ヘルシャはそれさえも利用して放たれた細剣に回し蹴りを叩き込んで軌道を逸らした。
灰炎の尾を引いて、細剣の切っ先がヘルシャの真横を通り過ぎる。
(嘘っ……!?)
逆に隙を見せてしまったアリスは体勢を立て直そうとしたものの、チャクラムから手を離して身軽になったヘルシャが拳を放ってきた。
「たぁ!!」
「くっ……!」
ヘルシャの拳が迫ってくる方向に白色の結界を多重展開したものの、それはいとも簡単に一撃で吹き飛ばされてしまう。
だが威力は抑えられたようで、アリス自身の身体は少し押し飛ばされただけであった。
直後、手放したチャクラムが円を描くようにヘルシャの元に戻ってきて、その勢いのまま刃を突き出してきた。
アリスはチャクラムの側面に一瞬で三連撃を叩き込んで軌道を逸らし、四撃目でヘルシャに切っ先を向けた。
彼女は細剣の先が煌めいた瞬間、身体をよじってすんでのところで回避し、逸らされたチャクラムを強引にアリスに向けて引き戻した。
アリスはそれを針のような細剣で火花を散らしながら器用に受け流し、反撃を放つ。
そこから重撃と閃撃の応酬が繰り広げられた。
それは見る者から言葉を奪い、瞬きさえ許さぬ神速の域であった。
両者一歩も引かずに攻撃と回避を繰り返す。
しかしそんな中でアリスが動いた。
灰炎、風の力を全開にしてチャクラムの面を叩き、これまでで最もヘルシャの体勢を崩させたのだ。
そして流れるような動作で細剣を逆手に持ち替え、地面に突き刺した。
刹那、アリスを中心として灰炎が渦を巻いて発生し、ヘルシャの身体を上空へ吹き飛ばした。
灰炎の竜巻は修練場の天井に届くほど伸び、周囲に熱波を放っている。
「届かぬ願いを届けよう。叶わぬ祈りを叶えよう】」
アリスは唄うように詠唱を終え、細剣を握っている方とは逆の左手に【風精】を呼び出す。
すると彼女の周囲に白色の魔力が渦を巻き、風と共に集結した。
「まさかずっと詠唱を保留したまま闘ってたのか!?」
「なんて高等技術だよ!?」
そのアリスの荒業に、観戦していた団員たちは声を上げた。
アリスが行ったのは魔法を扱うものであれば誰にでも分かる超高等技術だ。
「【精霊統化】」
アリスは左手の上に乗っている【風精】を、自身の胸に抱き寄せるように優しく触れさせた。
刹那、彼女を中心として集まってきていた魔力と風が一気に収束し、弾けた。
その奔流はヘルシャを吹き上げた灰炎の竜巻をも吹き飛ばし、視界を良好にした。
「なにそれ、すっごいじゃん!」
上空に吹き飛び、天井に着地していたヘルシャは再び唇を舐め、眼下のアリスを見下ろす。
彼女の姿は女神と見紛うほどの純白であった。
動きやすさを重視していた灰色の短いバトルドレスは魔力の衣を帯びてロングスカートとなり、全身に薄い魔力の光を纏っていた。
そして背中からは蝶の羽のような美しい白色の羽を生やしている。
髪のグラデーションも毛先が黄緑色になっており、精霊と同化したことが見て取れた。
そしてアリスは指揮者がタクトを振るような、滑らかな動作で細剣を振り上げる。
それと全く同時、灰炎の竜巻がヘルシャのいる天井を穿った。
通常であれば天井が吹き飛ぶような一撃であったが、結界が張られている修練場のそれは傷一つ付かなかった。
この結界の術者の魔術師としての技量は凄まじいものなのだろう。
「うっわー、こりゃ本気出さないと負けちゃうよ~!」
いつの間にか先程の場所から移動していたヘルシャは、重力に逆らって天井を走っていた。
「さってと、ぶつかってみようか!」
ヘルシャは走りながら自身の親指の先をほんの少し噛み切り、そこから出た血で頬に左右対称の一本線を描いた。
するとヘルシャの桃色だった瞳が燃え上がるような真紅へと変貌する。
「マジかよ!? ヘルシャさんの【武神化】まで引き出したのか!?」
「これはどうなるか分からないぞ!」
ヘルシャの変貌を見た団員たちのボルテージは今、最高潮を迎えた。
「いっくよ~! アーちゃんっ!!」
「っ……!!」
ヘルシャが口角を釣り上げて好戦的な笑みを浮かべ、アリスが細剣を引き絞った。
結界に守られているはずの天井が爆散し、引き絞られた細剣に膨大な量の灰炎の風が纒わり付く。
ヘルシャのチャクラムには先程まで無かった赤色の刻印が浮き上がっており、明らかに凶悪さを増していた。
極厚の紅刃と、灰炎と風を纏った白閃が交わろうとした瞬間、ドラの音が響き渡った。
直後、二人の姿が一瞬で元に戻り、界具も消滅した。
先程までの勢いで落下してきているヘルシャは、もうどうにも止まることが出来なくなっている。
「【逆巻け】!」
アリスは咄嗟に風を巻き起こしてヘルシャの勢いを止めようとするが、止まり切らずにアリスに激突した。
「あたた……大丈……うわぁ、ふよふよだ~」
「う……何、柔らか……ってひゃあ!?」
上空から降り注いできたヘルシャはアリスと激突し、彼女に馬乗りの形になっていた。
アリスの太ももの間にヘルシャの膝があり、短めのスカートを押し上げて眩いほどの絶対領域が露わとなっている。
加えてヘルシャの右手がアリスの衣服の下を通って胸の位置で止まっている。
逆にアリスの手もヘルシャの衣服を押し上げて、たわわな彼女の胸を半分ほど晒した状態で握っていた。
「神よ!」
「これがラッキースケベ……」
美少女二人の組んず解れつを目の当たりにした団員たちは凝視したり、神に祈りを捧げたりと多種多様な反応を示していた。
「はぁ……」
イグニスはそんな二人の様子を見て溜息をつき、朱と蒼の双剣を顕現させて一つに合わせた。
そして四発の赤光の矢をアリスとヘルシャの四方に放つと、一瞬にして赤色の氷壁が彼女たちを隠した。
「なっ!?」
「イグニスさん!あんたホントに男か!?」
団員たち(男)の嘆きの声がイグニスを責め立てるが、彼は瞼を閉じてどこ吹く風だった。
結局団員たちの判定は引き分けで、二人の勝負はあやふやなまま幕を閉じた。
ちなみのあの銅鑼はあらかじめ定められた時間が終了、または条件が達せられた場合、自動的に鳴り響いて戦闘行為を中断させる魔術がかけられていたらしい。