11話 ~四振りの界具~
「ヘルシャ、こっち来い!」
「おっけ~!」
霧が晴れたことでヘルシャの正確な位置を把握したソウマは、こちらに加勢させるため彼女を呼び寄せた。
「おっと、そうはさせるか……!?」
「それはこっちのセリフだ」
自分に背を向けて駆け出したヘルシャへ向けて、大剣を振り上げたクロヌだったが、突如としてピタリと動きを止めた。
その間ソウマは漆黒の短剣の切っ先をクロヌに向けおり、口角を釣り上げていた。
その短剣はいつの間にか消していた刃折れの界具より少し短く、しかし放つ気配は界具のそれであった。
(二つ目の界具!? こいつ、いったい何者なの……!)
ソウマが握る漆黒の短剣を目の当たりにして、アリスは生唾を飲み込んだ。
「本当に厄介だな……!」
ソウマに切っ先を向けられているクロヌは楽しそうに笑いながら、謎の硬直から力尽くで抜け出した。それによってソウマの腕が弾かれる。
「バケモンかよ……」
ソウマは口角を上げたまま、頬に冷や汗を伝わせる。
しかしヘルシャをアリスの元に呼び寄せるという目的は達成された。
「とぉりゃー!」
「チッ……!」
飛んできたヘルシャの攻撃を、キョウヤは舌打ちをしながら飛び退いて回避した。
「俺も仲間に入れてくれや」
ソウマの拘束を強引に解いたクロヌは、重い足音を立ててこちらに向かってくる。
「イグニス!」
「分かってる」
上空から淡々としたイグニスの声が聞こた直後、クロヌの進行方向に赤の矢が着弾する。
瞬間、緋色の氷壁が築かれクロヌとソウマたちを分断する。
「えいっ! とりゃ!」
「ッッ……!」
掛け声と不釣り合いなほどの風切り音を伴うヘルシャの攻撃は、まともに受ければ致命傷は免れない程の一撃だ。
キョウヤはなんとか回避を続けているが、当たるのも時間の問題だろう。
「あら苦戦してるようね、キョウヤ」
艶然とした声がソウマたちの耳を撫ぜた直後、ヘルシャの拳がキョウヤの頬を打ち抜いた。
しかしキョウヤの身体は霧散し、別の場所に像を結ぶ。
「助かった、リリスさん」
「あなたもワタシと同じで、本格的な肉弾戦は不得意だものね」
その隣にはこれまでの戦いを傍観していたリリスが立っていた。
いや、傍観していたのではない。
彼女は戦線全体を混乱させるために界具を使っていたことから、こちらの戦いには参加出来なかったのだろう。
「クソ……ずっと見物しててくれればよかったのによ」
「あら、仲間はずれにしないでほしいわ。ワタシだって楽しみたいのよ?」
リリスは漆黒のフランベルジェの面を指でつーっとなぞりながら微笑んだ。
近くで見る彼女の美貌は、世の男を全て手玉にとってしまうのではないか思われるほど完成されたものであった。
「……」
「羨むな羨むな。お前はあのタイプの美人にはなれねぇよ」
「誰もそんなこと思ってないわよ !ただ警戒してただけよ。彼女の界具、私の思ってるとおりの能力なら相当に厄介」
リリスのことを睨み付けていたアリスに、ソウマがやれやれといったようにため息をつく。
それに憤慨したアリスは真剣な表情でリリスを睨み直した。
「あら、あなたも美人じゃない。……少し貧相ではあるけど」
「なっ……!! 誰も彼も人が気にしてることを~!」
優美な笑みにほんの少しだけ嘲笑の意味合いを含ませたリリスに、アリスの怒りが爆発する。
「だいじょーぶだゾ、アリスは可愛い」
「ありが……。あなたにだけは言われたくなかったわ……」
背後から肩に手を乗せてきたヘルシャを振り返ったアリスは、彼女のたわわな胸元を見て更に気分を落とした。
「ゴチャゴチャうるせェな。乳なんてあるに越したこたァねェが、無くてもそれだけで女の価値が決まるわけじゃねェだろ」
「あなたいいこと言うわね……! けど今は敵同士なのよね」
一瞬目を輝かせたアリスだったが、敵対していることを思い出し、凛とした表情に戻って界具を構えた。
「ねぇ、彼女の能力って……」
「あぁ、お前が想像してる通り幻覚を見せたり認識をずらしたりだな。幻覚に至っては危険を知覚したらその通りのダメージを受けるから殆ど実体に近い。とにかく厄介だ」
「あなたより厄介な来訪者なんてそうないわよ、ソウマくん。界具二本持ちの再来者さん?」
リリスはソウマを薄目で見つめながら微笑んだ。そしてその後にキョウヤを一瞥した。
「二本持ち……? 再来者……?」
その言葉にアリスは怪訝な表情でソウマに振り返った。
確かに彼は先程霧を払った刃折れの界具と、クロヌの動きを一時的に止めた漆黒の短剣型の界具を使い分けていた。
しかしよくよく考えてみれば界具とは終焉した世界そのもの。
来訪者につき一つしか所有できないはずなのだ。
「んなことどうでもいいだろ。詳しく知りたきゃイグニスにでも聞けよ」
意図して感情を消した瞳を伏せながら、ソウマは冷たく言い放った。
その様子に、この話題は安易に踏み込んではいけない領域であることを悟った。
「そーだそーだ。ウチは聞いたけど難しいから忘れたゾー! けど面白い力だからソウマの力、ウチは好きだ~」
「おーありがとありがと。ありがとついでにそろそろアイツらぶっ倒してきてくんない?」
「おー!」
ヘルシャは楽しそうに拳を突き上げ、そこに巨大なチャクラムを出現させる。
「ヘルシャ、予定が変わった。やっぱりキョウヤは俺が何とかするからリリスとやってくれ。アリスは俺たちの援護頼むわ」
「おっけー!!」
指示を聞いた直後、ヘルシャは割り砕かんばかりに大地を踏み込んでリリスへ突貫した。
「ちょっと! 界具の能力を消せるあなたの方が適任なんじゃないの!?」
「消してるわけじゃねぇけどな。さっき言ったろ? 危険を知覚したらダメージになるって」
ソウマはにやりと笑ってリリスの方を一瞥した。
直後、ヘルシャが巨大なチャクラムを振り下ろす。
それはリリスの左肩を切り飛ばし、余波が大地を吹き飛ばした。しかし彼女の身体は霧と化して消滅する。
「元気なことは結構だけど、流石に相手するのは疲れるわ……」
土煙が舞う中、紫色の霧が結集してヘルシャの真横に現れたリリスは、頬に手を添えて困ったようにため息をついた。
「運動しないと不健康だゾ!」
「ワタシは身体が弱いのよ。だからあまり動かさないで」
ヘルシャのチャクラムが風を切る轟音の直後、身体の一部を切り飛ばされるリリス。
しかし彼女はすぐに霧と化して別の場所に現れる。
そんな二人は壮絶な戦闘とはかけ離れた会話を続けている。
「んー、でもさぁ……。さっきから一歩も動いてないよね?」
「っ……!?」
ヘルシャの眼光がリリスから離れて何も無い空間を刺した直後、凄まじい勢いでチャクラムが投擲された。
地面が爆散し、そこには右肩をチャクラムに掠められて苦悶の表情を浮かべているリリスの姿があった。
「やっと動いた」
「あなた、気付いて……」
ヘルシャは好戦的に唇を舐めながら笑った。
深くはないが、無視は出来ないほどの傷を負ったリリスは額に脂汗を浮かべながら問うた。
「あの野生児に幻覚なんて通用しない。感覚で分かるんだよ」
ソウマのその説明に、アリスは息を呑んだ。
レイドがあれほど苦戦していた幻覚を意に介さないとは、最高の相性ではないか。
「あっちのことはいい、テメェの相手は……オレだろ!!」
「まともに打ち合うかよ、負けるからな!」
ソウマは堂々とした表情でそんなことを言い、漆黒の短剣をキョウヤに向ける。
切っ先が完全に向く前に、彼は地面を転がって回避した。
「アリス、援護!」
「え!?」
突然の指示に動揺したものの、アリスは咄嗟に界具による援護射撃を放つ。
しかしキョウヤはそれを斬り払ってあっさりと消滅させる。
「悪いなァ、お前の力は知り尽くしてんだ!」
アリスの攻撃を切り払ったキョウヤは、一気に間合いを詰めてソウマに斬りかかった。
「そりゃ俺もだ」
ソウマは漆黒の短剣で彼を迎え撃った。
キョウヤの界具は触れればそれだけで界具を消されるはずだ。
激突の直前、ソウマは【伝道結晶】を叩いて、瞬時に手中の界具を刃折れの界具と入れ替えて打ち合う。
直後、ソウマの界具が消滅するのと同時にキョウヤの界具までもが消失した。
そしてすぐさまソウマは刃折れの界具を顕現させ、キョウヤは海のように蒼い直剣で迎え撃った。
「彼も二本持ち……!?」
来訪者の持つ界具は、一目で通常の武具とは異なることがわかる。
キョウヤが新たに顕現させた蒼色の直剣も間違いなく界具だ。
そして二人はそれぞれの界具をぶつけ合った。
先程の一瞬のぶつかり合いとは打って変わり、今回は鍔迫り合いとなって力勝負となる。
「あいこだな!」
「うぜェ……!」
キョウヤは眉間に皺を寄せながら、ソウマを剣ごと押し返した。
それによって体勢を崩したソウマへ、追撃を行おうとしたキョウヤにアリスの灰炎が放たれた。
「吹っ飛べ!」
自身の身体すれすれの位置を通り過ぎようとした灰炎を、ソウマは刃折れの界具で斬り付ける。
刹那、灰炎が爆発的に膨張してキョウヤに襲いかかった。
「クソがッッ!!」
キョウヤは視界を埋め尽くす回避不能なほどの灰炎を前に、大振りで蒼剣を振り下ろした。
刀身に触れた瞬間、灰炎は大爆発を起こすかのように肥大化しようとしたものの、一気に収束して真っ二つに斬られ、キョウヤの左右の草原を焼き払った。
「サンキュ、アリス。でもこの後は少しだけ手を出さないでくれ。てか多分出しようがない」
「けどあなた一人でどうにかなるの……?」
「まぁ……あいつは俺が止めなきゃならないからな……」
ソウマは刃折れの界具を握り直し、決心したかのようにキョウヤを睨みつけた。
「エマイユ!」
「なんだ、俺っちを妖精化させるなんて珍しいじゃねぇか」
呼び声に応じたのは先程まで結晶として物言う事がなかった、ソウマの【伝道妖精】であった。
エマイユと呼ばれた【伝道妖精】は半分が白、半分が黒の仮面を被り、道化のような服装をしている変わった妖精であった。
「正直手動じゃ間に合わねぇんだ」
「りょーかい、任せな」
背中から生える翅も白黒二対であるエマイユは、ソウマの肩に乗って笑った(ように見えた)。
「出てこい、ルビー!」
「あァ」
キョウヤが呼び出したのは、ツンツンとした紅蓮の短髪でつり目気味の【伝道妖精】だった。
戦闘中に【伝道妖精】を呼び出す意味は危険に晒すだけで殆ど無いのだが、彼らに限っては必要なのかもしれない。
「「ッ……!!」」
どちらからともなく間合いを詰めたソウマとキョウヤは、界具を顕現させずに間合いに入った。
刹那、ソウマは刃折れの界具を、キョウヤは蒼色の界具を顕現させ、ぶつけ合った。
目にも止まらぬ早さで打ち合っている最中、ソウマがキョウヤを仰け反らせ、漆黒の短剣の切っ先を向けた。
するとキョウヤの動きが何かに縛られたように停止する。
そしてソウマは漆黒の短剣で斬りかかった。
「うっ……ぜェッッ!!」
しかしキョウヤの拘束は一瞬で解け、間合いに入っていたソウマは顔に驚愕を貼り付ける。
自由に動けるようになったキョウヤはソウマに向けて蒼の界具を振り下ろす。
ソウマは何とか短剣で受け流したが、続く回し蹴りの餌食となって真横に吹き飛ばされた。
「かッ……!」
「てめェはあいつが死んでから戦うことをやめた。そんな奴がオレに勝てるわけねェんだよ!」
吹き飛ばした直後に間合いを詰めたキョウヤは、紅蓮の直剣で漆黒の短剣を消し飛ばした。
「うるせぇぞ、いつまであいつの死に囚われてやがんだ!!」
ソウマは界具を消されたにも関わらず、恐れることなくキョウヤの懐に入る。
そして刃折れの界具を顕現させ、紅蓮の直剣に向けて投擲した。
ぶつかった直後、両者の界具が消し飛ぶ。
「吹っ飛べ!」
「がッ……!」
紅蓮の界具を失ったキョウヤは咄嗟に蒼の界具を顕現させるものの、ソウマの拳の方が早く彼の頬を撃ち抜いた。
体重の乗った拳に、キョウヤの身体は数メートル後方まで押し飛ばされる。
「ぷッ……。ざっけんな、雑魚がァ!」
「お互い様だろ!」
口の中の血を吐き捨てたキョウヤは激怒して突っ込んできた。
ソウマも地を蹴って正面からぶつかる。
刹那、白と黒、紅と蒼の剣戟が目にも止まらぬ早さで入れ替わりながら衝突し始めた。
刃折れの剣と蒼の直剣、黒の短剣と蒼の直剣はぶつかり合い、刃折れの剣と紅の直剣は斬り結んだ瞬間に消滅、黒の短剣と紅の直剣は消えたりぶつかり合ったりまちまちだった。
遠目からそのぶつかり合いを見ていたアリスは、二人の界具の性能を推測して援護のタイミングを図っていた。
(二人の界具が確実に消えるタイミング、それは刃折れの剣と紅の直剣がぶつかり合った時……)
「避けなさい! キヅキソウマ!」
「!?」
アリスの声に反応したソウマは目線だけで振り返り、すぐに左へ跳んだ。
つい一瞬前まで彼がいた場所を灰炎の槍が突き抜け、界具を失ったキョウヤに命中して爆発した。
「やった……!?」
「いやそれ言っちゃダメなやつ……」
アリスの声に対してソウマが呆れたように呟く。
その直後、キョウヤがいた位置の炎が一気に収束して消え去った。
「女ァ……!」
そこには衣服を少しだけ焼き焦がされたキョウヤが、鬼の形相でアリスを睨んでいた。
「ほらぁ……」
「な、何よ……!」
責めるような目線にアリスは身動ぎして抗議した。
「な、なんだ!?」
「うおっ!?」
そんな二人の耳に、遠く離れた場所で邪精霊を掃討していた来訪者たちが上げる声が届いた。
そちらに目を向けると、来訪者たちの身体を漆黒の球体が飲み込んで消滅させていた。
「なに、あれ……!!」
次々と来訪者が消滅していく光景にアリスは息を呑んだ。
直後、ソウマとアリスの身体も漆黒の球体に包まれた。