10話 ~望まざる再会~
「感動の再会のところ悪いのだけれど、今は任務を遂行するわよ」
「あァ? 感動なんてしてねぇよリリスさん。あいつは俺がぶっ殺すンだからよ」
「そう、ならいいわ」
リリスと呼ばれた黒髪の女性は、小さく微笑むと右手に界具を顕現させた。
それは漆黒のフランベルジェで、彼女が滑らかな動きでそれを振り上げるとレイドの周囲に紫の霧がかかった。
直後、そこかしこに上位下位問わず様々な邪精霊が突如大量発生した。
「さぁ……逃げ惑い、叫び声の合唱を聞かせて……!」
艶然とした微笑みのまま狂的なことを口にしたリリスの言った通り、レイドは結界内に閉じ込められたときよりも多くの邪精霊に囲まれ、大パニックに陥っていた。
「またこんなに……!? 一体どうなってるのよ!」
「大丈夫だ……。邪精霊よりあの三人に注意しとけ」
「大丈夫ってあなたね……!?」
こんな状況にも関わらずそんなことを言うソウマに言い返そうとしたとき、彼を取り囲むように幻獣種が発生していた。
しかし遠方の三人に目を向けたまま欠けた剣を振るうと、ソウマたちの周囲にいた邪精霊は姿を歪めて爆散した。
爆散した邪精霊は紫色の霧に還元され、やがて薄まって消失した。
「幻……覚……?」
邪精霊が一気に消滅したことからそう推測したアリスだったが、周囲の来訪者は攻撃を受けて血を流したりダメージを受けている。
「あぁ、だが攻撃を受ければ肉体がダメージを錯覚するほど精巧に作られた実像を持つ幻覚だ」
「そーそー、厄介だけどこっちにはソウマがいるから大丈夫だよー!」
誰に投げかけた訳でもないアリスの問いに、イグニスが仏頂面のまま答える。それに続いてヘルシャが天真爛漫な笑みを向けてきた。
「さてキョウヤ、任務といこうじゃねぇか」
「仕方ねェよな、あの人の命令じゃ。オレはソウマとやるからクロヌさんがとっ捕まえてくれ」
「あいよ、アリス=フォティアは俺に任せろ」
「「ッッ!?」」
クロヌと呼ばれた褐色の大男の言葉に、ソウマたち三人とアリス本人までが驚愕を隠せなかった。
彼らの驚愕が収束する前にクロヌの巨躯が掻き消える。
「ヘルシャ!!」
「うんっ!!」
イグニスの裂帛の声に、ヘルシャが力強い返事を返した。
直後、アリスの前に現れたクロヌが彼女を掴もうと巨大な手のひらを接近させた。
「ぇ……?」
状況を理解する暇もなく事態が急転していくため、アリスは全く動くことができなくなってしまっていた。
クロヌの左の巨腕がアリスに迫っていく中、二人を小さな影が覆う。
「と、りゃー!!!」
それはクロヌに飛びかかったヘルシャの影であった。
彼女は小さな身体の何処にそんな力があるのかと思うほど軽々と、巨大なチャクラムをクロヌに向けて振り下ろした。
「俺の動きについてくるたぁ、やるね、嬢ちゃん」
にぃと口角を釣り上げたクロヌは、アリスに伸ばした方とは逆の腕を振り上げた。
そちらにはクロヌの体躯よりも長大な大剣が握られており、頭上でチャクラムの重撃をいとも簡単に防いだ。
「ウチの攻撃を防ぐなんて、やるねおじさん! でもここからだよ!」
攻撃を防がれたにもかかわらず楽しそうに笑ったヘルシャは、チャクラムを押し付けている腕に力を込めた。
円環を描く刀身が仄かに発光したかと思うと、クロヌにかかる重圧が突如として桁違いのものに変貌した。
彼女のチャクラムを受け止めているクロヌの足は地面に埋もれ、ひびを生じさせる。
「おっ、いい重さじゃねぇか。けどまぁ、まだまだだな」
余裕の表情で笑い返したクロヌは、チャクラムを受け止めていた大剣を軽々と押し返してヘルシャを上空へと吹き飛ばした。
「逃げろ、アリス!!」
「ッッ……!!」
駆け寄ってくるソウマの声を認識したアリスは、後方に飛び退いて間合いを取ろうとするものの、クロヌのプレッシャーで足が凍りついてしまった。
(ダメ……この人、強すぎる……!!)
「くそッッ……!!」
そんな彼女とクロヌの間にソウマが割り込み、折れた剣を構えた。
「お前さんの能力は面白いが、それは相手が界具の力や魔法を使ってるときに限るだろう? 俺はまだ腕力しか使ってねぇ……よ!!」
「これだからバケモノ共は嫌なんだよ……!!」
振り下ろされたクロヌの大剣に、顔を顰めながらも折れた剣の界具を構える。
界具や魔法効果の付与がなされていないのであれば、正面からぶつからずに逸らす技能は備えている。
しかしクロヌほどのバケモノが相手となると判断を一瞬間違えただけ、ほんの少し受け流す位置がズレただけでも死は免れない。
ソウマは全神経をクロヌの大剣の切っ先に向け、コンマ一秒以下の後に起きる一瞬を待った。
直後、塔のような大剣が十数センチしかない折れた刀身を滑り鍔に触れる。
刹那、ソウマは流れるような動作で剣を身体の右側に流そうとした。
「悪いな。お前さんじゃ俺の相手には役不足だ」
しかし圧倒的な膂力によって受け流されることを拒否したクロヌの大剣は、一直線にソウマの肩口目掛けて振り下ろされていく。
このままいけば腕どころか半身が吹き飛び、背後にいるアリスにさえ激烈な一撃を届かせるだろう。
「シッ……!!」
死を覚悟したソウマの耳朶を、イグニスの裂帛の呼気が叩く。
直後、クロヌの大剣の面に赤と青が混じり合った光弾が直撃し、軌道を完全にソウマから逸らした。
瞬間、ソウマの右側の地面に大剣が振り下ろされ、数十メートル先まで大地を割った。
「ふんッッ!!」
しかしあれほどの威力で振り下ろしながらも、クロヌは返す刀でソウマに斬りかかった。
「お、りゃー!!」
天地鳴動。空からヘルシャの間の抜けた声が聞こえた直後、そんな表現が合うような光景が目の前に広がる。
叩きつけられた直後に逆袈裟に振り上げられたクロヌの大剣は再び、落下してきたヘルシャの全体重が乗ったチャクラムに叩き落とされたのだ。
それによって地面が爆散し、ソウマとアリスはいとも簡単に吹き飛ばされる。
その最中、ソウマは空中でアリスを抱き寄せ、地面に刃折れの剣を突き立てて勢いを殺した。
「全く、油断も隙もねぇな~」
右手の大剣を叩き落とされたクロヌは、背後を振り返りながら口角を釣り上げた。
彼の左手は背後に回され、いつの間にか放たれていた光弾、いや光の矢の二射目を素手で掴んでいたのだ。
未だに勢いを失っていない矢を、しかし彼はいとも簡単に握り潰して笑った。
クロヌから離れた位置には、弓を出現させて放ったであろう後のイグニスの姿があった。
あれほどの威力を有するのだから界具なのだろうが、彼の界具は赤と蒼の双剣だったはずだ。
だがよく見てみるとイグニスが持つ弓は上半分が赤色で、下半分が蒼色であった。
「稀有な二属性界具に加えて形状変化、厄介だなァ……。けどオレの前じゃ何の意味もねェんだよ」
「くッ……!」
クロヌに集中していた横手から、キョウヤが赤黒い刀身の界具をイグニスに振るった。
咄嗟に飛び退いて斬り付けられるのは回避したものの、切っ先が界具を掠める。直後、イグニスの界具が赤と青の光と化して消えてしまった。
このタイミングで自ら界具を消すことなどあり得ないため、あの不気味な界具の能力なのだろう。
「弓の野郎とチビを分断してくれ、リリスさん」
「なんだとー! チビって言う方がチビなんだぞー!」
ヘルシャは今なおクロヌの大剣を押さえ込みなら訳の分からないことを言い返したが、キョウヤは完全に無視だ。
「えぇ……」
キョウヤの言葉に微笑みながら頷いたリリスは、漆黒のフランベルジェを二振りした。
するとイグニスとリリス、ヘルシャとクロヌ、そしてソウマとアリスとキョウヤの三人を分断するように紫色の霧が覆った。
「おい、ソウマァ! その女こっちに渡せ。そいつの力が必要なんだ!」
「……嫌だね。こいつは俺に借金があるんだ、踏み倒されてたまるかよ」
「あなた、この状況でそんなこと……ってもう離しなさいよ!!」
場に不相応な発言によって調子を取り戻したアリスは、ソウマに抱き寄せられているという現状を思い出して赤面した。
「お、悪い悪い。なに、照れてんのか?」
「だ、誰が! それよりあいつらは敵ってことでいいのよね?」
「……あぁ」
ソウマに煽られたアリスは声を荒らげて言い返そうとしたものの、現状を思い出して冷静さを取り戻す。その問に一瞬の間を置いてソウマは頷いた。
「なら私も戦うわ」
「おー、頑張れ」
「あなたもやるのよ! てかさっきまで戦ってたじゃない!」
「あいつが死んだってのに他の来訪者と仲良しこよしかよ、ソウマよォ……」
ソウマとアリスのやり取りを見たキョウヤは、吐き捨てるように言いつつ笑った。
「お前は俺が、殺してやるよォ!」
キョウヤは地面を蹴りつけてソウマとの間合いを飛ばす。
それに対応するためにソウマは刃折れの剣を手放し、入れ替えるように収納機能で長剣を出現させた。
直後、ソウマの長剣とキョウヤの界具がぶつかり合う。
鍔迫り合いにもつれ込むかと思いきや、なんてことのないぶつかり合いでソウマが長剣を取り落とす。
「くッ……!」
「何やってるのよ!」
長剣を取り落としたところを狙われたソウマの身体が後方に引っ張られる。それはアリスが行使した風の魔法で、ソウマの身体を自分の方向に引き寄せたのだ。
「ナイス判断。魔法攻撃してもアレに触れるだけで消されるし、界具に触れられればさっきのイグニスみたいに強制的に消されるからな」
「何それ、一体どんな界具なのよ……!」
苦笑いを浮かべながら別の長剣を出現させたソウマの言に、アリスは戦慄する。
魔法攻撃は効かず、界具に至っては強制的に消されるなど対処法がないではないか。
「聞いたところで対処法なんてねェから教えてやるよ」
キョウヤは界具を肩に担ぎ、ソウマたちを見下すように笑う。そして振り下ろして切っ先を二人に向けて言葉を継いだ。
「俺の界具は『繋がりを断ち切る』力を持つ。魔法は構成してる要素同士の繋がりを断ち切ることで無効化し、界具や武器は所有者との繋がりを断ち切る。まァ界具は来訪者の半身だから一時的にしか切り離せねェけどな」
その説明にアリス絶句する。魔法も界具も効かないなら一体どうすればいいのか。
「てことでクソ雑魚の俺と、魔法剣士タイプのお前じゃ相性最悪。武器とか無くても戦える脳筋ヘルシャ連れてこないと」
「そんなこと言ったって、あの子もクロヌって人と戦ってて無理でしょ!」
「霧を何とかすればイグニスがどうにかしてくれる。だから俺を守りながら十秒稼いでくれ」
ソウマは界具を顕現させながら真剣な表情でアリスを見つめた。
彼女は一瞬沈黙した後、界具を握り直したことで肯定の意を見せた。
「それでこそ【灰燼の魔女】だ」
その行動に、にぃっと不敵な笑みを見せたソウマは折れた剣を逆手に持ち替えて瞼を閉じた。
「させっか……!?」
キョウヤが嬉々とした表情でソウマに向かって駆け出そうとした瞬間、灰色の剣閃が閃いた。
彼はそれを自身の眼球寸前で咄嗟に受け止め、後方に押し飛ばされながらもかき消した。
「てめェ……」
完全に細剣の間合いの外、アリスは突きを放った姿勢でキョウヤを睨み付けていた。
間合いの外という点と、キョウヤの界具に触れても界具が消えてない点を鑑みて、アリスは界具から発生する灰炎を伸ばして彼に届かせたのだろう。
「倒すことは出来ないかもしれないけれど、その場所から進ませないことなら出来るわ」
その声を皮切りに、彼女が自身の周囲に纏った炎の熱気が背後のソウマにまで届いた。
頼りがいのあるセリフに、ソウマは瞼を閉じながらほんの少しだけ口角を釣り上げた。
そして逆手に持ち替えた界具を振り上げると、短い刀身から青白い燐光が発生した。
「イグニス!ヘルシャ! 場所わかんねぇから界具しまえ!」
「……! あぁ」
「えっ!? 今!?」
「いくぞ!」
弓を射る音や地響きが聞こえてきていた方向から、それぞれ違った反応が返ってくる。
返答を聞くや、ソウマは燐光を放つ界具を地面に突き立てた。
直後、彼を中心として紫色の霧が爆ぜたような動きをして薄まっていく。それは伝播するように戦線全域に広がっていった。
霧が晴れると大量にいた邪精霊は殆どが姿を消しており、【穢精霊】に至っては一体も残っていなかった。
それによってレイドは混乱から抜け出し、邪精霊を掃討して形勢を覆し始めた。