9話 ~檻の中の混戦~
「うおぉぉぉぉぉ!!??」
幻獣種数体を相手取っているアリスの耳に遠くから叫び声と、重なり合う重い足音が聞こえてきた。
細剣を振り払い間合いを取ってそちらに目をやると、そこには百体近い邪精霊の群れを引き連れてこちらに爆走してくるソウマの姿があった。
「貴方は一体何してるのよ!?」
その光景の意味が分からないアリスは、彼に向けて批難の声を上げる。
「知らねぇよ! 突然後ろに現れたんだよ! 助けてぇ~~~!!!」
ソウマの引き連れてきた邪精霊の群れが元々いた邪精霊の群れに合流し、場は混沌の様相を呈してきた。
「あっぶ……! これはやべぇ!」
その原因を持ち込んだソウマは身の危険を感じ、胸ポケットにしまい込んでいる【伝道結晶】を叩いて長剣を出現させた。
狼型の邪精霊の突進を間一髪のところで躱し、すれ違いざまに斬り付ける。
すると致命傷を受けた邪精霊は黒い霧と化し、風に吹かれて闇が払われるように消滅した。
このように低級の邪精霊であれば界具でなくても討伐できるが、幻獣種ともなると通常の武器はほとんど通らない。
「ふぅ……ってあっぶね!?」
狼型を退けたソウマは一息吐こうとしたところ、オーガ型の邪精霊に鉄槌を落とされた。
それを剣の面で滑らせて地面に逸らすと、盛大な地響きと共に地面が割り砕かれる。
「怖ぇんだよ、バカ!」
ソウマはそんなことを言いつつも地面に叩きつけられたオーガ型の腕を駆け上り、首を斬り付けた。
「あ……?」
瞬間、ソウマは剣を握る手に響くはずの手応えが感じられずに怪訝な表情をする。
「全員一旦来た方向へ戻れ! この混戦では同士討ちになりかねない!」
しかしそんなソウマの違和感は、戦線に響き渡ったレイドリーダーの指示によって振り払われた。
指示が戦線全域に伝播し、来訪者たちが一斉に元の方向へと駆け出す。しかし―――。
「【不可侵の檻】」
婉然とした女の声が響いた瞬間、来訪者たちの行先に薄紫色の透き通った壁が出現した。
先頭の来訪者が界具で斬り付けるもびくともしない。
「別の方向から……!?」
出現した壁を壊すことは不可能と考え、迂回して戦線を離れようとした来訪者が振り返って戦慄する。
薄紫色のそれは壁ではなく、レイドと邪精霊の群れを一緒くたに閉じ込めるために張られたようなドーム型の結界であったのだ。
『グォォォォォ!!!』
文字通り八方塞がりになった来訪者たちに、幻獣種ミノタウロス型の邪精霊が目にも止まらぬ速度で突進してきた。
その直線上にいた来訪者たちは紙くずのように吹き飛ばされ叫喚し、ミノタウロス型は結界に激突して停止する。
「あぁぁぁぁ!!!」
その蹂躙が行われたのとは別の場所から再び叫び声が上がった。
「おい、嘘だろ……?」
ソウマがそちらに目をやると、幻獣種の身体が膨張して破裂し、そこから人形の邪精霊が出現していた。
この混戦でも優位を保っていたイグニスやアリス、楽しそうに笑っていたヘルシャでさえ目を見開いて驚愕していた。
「ぁ……ぁ……。 【穢精霊】が出たぁぁぁ!!!???」
恐怖以外の感情を失ってしまったかのような来訪者の叫びは、周囲の来訪者たちに恐怖を伝播させた。
【穢精霊】とは文字通り人間の形をとった邪精霊であるが、その個体は数万体に一体という程の希少種であり、強さは並の来訪者では全く歯が立たないほどなのだ。
そんな【穢精霊】を前にして、取り乱すほど恐怖するのは当然の摂理だ。
「ちょっとこれは流石に……手に負えないよ……?」
引きつった笑みで冷や汗を流しながら、ヘルシャはチャクラムを握る手に力を入れた。
それもそのはず。一体であればヘルシャであればどうにかなるものの、結界内では次々と【穢精霊】が生まれていたのだ。
来訪者たちはパニックに陥り、方々へ散って必死に逃げ惑っていた。
しかしそれぞれの場所で邪精霊の攻撃を受け、次々と倒れていく。
「これは本格的にやべぇ……! イグニス! 結界までの道を開いてくれ!」
「……あぁ、分かった」
いつの間にか左翼で戦っていたイグニスの方まで移動してきていたソウマは、彼に叫ぶように頼んだ。それに問い返したりせずに、彼は仏頂面のまま頷いた。
彼を前衛、ソウマを後衛として一直線に結界へと向かう。
イグニスは左右の曲剣を巧みに振るいながら進路の邪精霊を蹴散らしていく。
その際、二人が通り過ぎる付近で来訪者を襲っている邪精霊も無力化していく徹底ぶりだ。
進路を切り開く中で最も警戒していた【穢精霊】の近くを通り過ぎても攻撃してこない様子に、イグニスもソウマも拭いきれない違和感を感じた。
しかし今は策を優先すべきと判断したイグニスは、好都合といったように低級の邪精霊と幻獣種をまるで意に介さずに灰と氷像に変えていく。
「開けたぞ」
「あぁ!!」
結界までの全ての邪精霊を蹴散らしたイグニスは、背後に追従していたソウマに振り返る。
残りの直線を全力で駆け、ソウマはその最中に界具を顕現させた。
(何、あの界具……?)
右翼で懸命に戦っていたアリスが邪精霊を突きで撃ち抜くと、ちょうど逆側にいるイグニスとソウマの姿が見通せた。ソウマは何故か不壊の結界に向けて駆けている。
その手にはこれまで握っていた長剣ではなく、刀身が半分ほど折れた剣が握られていた。
彼はそれを結界に向けて振るうと、右斜め上から袈裟斬りにした。
他の来訪者の界具は弾かれていたにもかかわらず、彼は界具を振り切ることができている。
「……?」
しかし結界が壊れたり、穴が空いたりすると言ったことは無かった。
『グォォォォォ!!』
「くッッ……!!」
ソウマの行動を注視していたアリスの背後から、幻獣種 フェニックスが襲いかかってきた。
アリスは振り返りながら細剣による突きを放ち、フェニックスの嘴と激突した。
「邪魔……よ!!」
幻獣種の膂力を前にアリスは押されるものの、灰炎を全力で放って頭部を吹き飛ばした。
直後、四方から下位の邪精霊が飛びかかってくるものの、回転しながら突きを放って一掃する。
「この結界をどうにかしないと……!?」
剣の範囲にいた邪精霊を一旦倒しきったアリスは、頭上の結界に目を向けて驚愕する。
なぜなら先程までビクともしなかった結界が揺らぎ、波打つように形を崩していたためだ。
そしてソウマの方へ首を曲げる。するとそこでは刀身が折れた剣で、再び結界を斬り付ける彼の姿があった。
直後、結界が一気に膨張して風船のように破裂した。
「おら、お前ら一旦逃げろ!!」
結界が壊れたことで逃げ場を見つけた来訪者たちは、邪精霊の群れから適切な距離をとって対応し、形勢を逆転させ始めた。
「ちょっと! あなたどうやって結界を破ったの!?」
「お? アリスか。いや、なんか叩いてたら割れたんだわ」
「そんなことありえないわよ! あなたの界具の力なんでしょ!?」
ソウマがヘラヘラしてそんなことを言うため、アリスは憤激して彼ににじり寄る。
「ドウドウ。あ、後ろ」
「っっ!?」
両手を前に出してアリスを宥めていたソウマの視線が、彼女の後ろの空間で停止する。
四足歩行の低級邪精霊が数体飛びかかってきており、アリスの背に爪を立てようとしていた。
「【貫け】」
刹那、謳うように呟かれた起句によって瞬時に魔法が発動し、地面から突き出た土の槍が邪精霊たちの腹部を刺し貫いた。
「は~、お前ってどんな属性の魔法でも使えるのな」
「えぇ、得意不得意はあるけれど、基礎となる魔法程度であれば使えるわ」
「界具も規格外で魔法も万能とかどうなってんだ、ちくしょう……」
頬にかかった灰髪を背に払いながら得意げに言うアリスに、ソウマは半目を向けていた。
「それより、結界が消えたら一方的だったわね。けれど、【穢精霊】が動かないのが不気味ね……」
「あぁ、これは……!!」
【穢精霊】を横目にソウマが神妙な表情になった直後、地平線の彼方で何かが煌めいた。
瞬間、ソウマはアリスを抱き寄せ、何かが煌めいた地平線側へ庇うように自身の背を向けた。
「ちょ……!?」
抱き寄せられたことを理解して赤面するアリスだったが、直後に起こったことによって頬の紅潮はすっと引いた。
ソウマとアリスの前に左右からイグニスとヘルシャが割り込み、それぞれの界具を振るったのだ。
刹那、いつの間にか地平線の方から迫ってきていた四メートルはあろうかという大剣とぶつかり合った。
「ッッ……!!」
「ふっ……飛べー!!」
あまりの重撃に一瞬顔を顰めた二人だったが、すぐに持ち直して界具を振り切った。
しかし大剣は勢いを減退させられただけで、草原の草を刈り取った後、大地を抉りながらソウマたちの数メートル先で垂直に停止した。
「な、何……?」
状況が飲み込めないアリスを解放し、ソウマはゆっくりと立ち上がって地平線を睨みつける。
そこにはこちらに向かって歩いてくる三つの人影があった。
「おっ、あれを弾くなんてやるじゃねぇか!」
その中の一人、三メートルはありそうな人外じみた巨躯を誇る浅黒い大男が先程の大剣を軽々と拾い上げて肩に担ぐ。
銀の短髪をオールバックにしてバンダナを巻いている彼は、稲光のような眩い金眼を細めて豪快に笑った。
「私の結界を破るなんて、全く面倒な能力ね……」
褐色の大男の隣に止まった女性は、腰まで伸びている波打つ黒髪を払って妖艶に微笑む。
肩を大胆に露出した、黒にほど近い藍色のドレスに身を包む彼女は、髪で隠れていない方の紫色の目で舐めるようにソウマの頭の先から爪先までを流し見た。
そして大男の右側に立ち止まった彼女とは逆側、そこに立ったのはソウマと同じ肌の色で同じくらいの歳に見える少年であった。
茶色の短髪の彼は、だらりと下げた右手に赤黒い刀身の不気味な剣を握って俯いていた。
少しすると彼は顔を上げて榛色の瞳でソウマを射抜くや、狂笑を称えた。
「よォ、久しぶりじゃねェかよ、ソウマ!」
「ッ……! キョウヤ……!!」
その時のソウマはこれまで見たことのないような表情をしていた。
マイナスの感情にほんの少しだけ喜びが混ざったように複雑な、しかしどこか苦しげな表情だった。