7話 金髪美少女と白衣メガネ
7話 金髪美少女と白衣メガネ
「どわっ! しっ、失礼しました!!」
叫びにも似た裏返った声で言い切ると、アキトは今しがた開けたばかりの扉を勢いよく閉める。頭が混乱し全身から冷汗が吹き出るようだ。はぁはぁ、と呼吸を整えながら心を落ち着かせた。
――やべぇ! ノックすんの忘れた! てか、何で裸!? いや、裸じゃ無かったような……着替えてた! そうだパンツ! パンツは履いてたよな? 縞パン……? 一瞬過ぎて下の方はよく見なかったけど……クソッ! なんでもっと良く……
「どうしたのですか、アキ? 何があったんですか?」
そう言ってドアノブに手を掛けようとするミコに気づき、
「ダメダメダメダメ! 今はダメ! 開けちゃダメだから! ダメ! ゼッタイ!!」
ミコを押し退け、全身全霊をもって扉を守るアキト。鼻息荒くフーフーと唸っている。ミコはそんなアキトを怪訝そうな顔で見ながら、
「アキ、怪しいです。何を隠してるんですか! 早く開けて下さい!」
「ダメだ! 天地がひっくり返ろうとも、今日世界が滅びようとも、この扉を開ける事はまかりならん!」
「……ますます怪しいですね。しょうがありません」
そう言ってミコは起勢の姿勢を取りユラユラと太極拳演舞を開始する。
「! こ、これは! 右攬雀尾!?」
いつも通り二式、野馬分鬣を警戒していたアキトに衝撃が走る。
「なっ! やはりこれは四十八式!? いや、四十二式か!」
ミコはドヤ顔で左単鞭へと緩やかに繋ぎアキトを見た。アキトは教えていない筈の四十二式太極拳を演じるミコに驚愕と称賛がごちゃ混ぜになった、しかし清々しい気持ちに囚われた。
――ガチャ
「……何、してる?」
扉を開けて出てきたのは先程の少女だ。既に着替えたのだろう。学園指定のワイシャツにブレザーを羽織り、当然スカートも身に着けている。
目鼻立ちのくっきりとした欧米人と思われる整った顔、日本人が持ち得ない透き通るような白い肌、水に濡れた金色の髪、そして淡い琥珀色と言うよりもゴールドに近い美しい瞳。
直視出来ないほどの美少女に息が詰まるようだ。少女は無表情でアキト達を見ていた。
アキトはまともに顔を見る事が出来ず、首から下をくまなく観察してしまい、先程脳裏に焼き付けたあられもない姿を重ね合わせて赤面する。
「さ、さっきは本当にすみませんでした!」
アキトは頭を下げて謝意を表すつもりが、頭を下げた拍子に何故か右手を差し出していた。触れると壊れてしまうような儚く尊い美、そう認識したはずなのだが天邪鬼な性格のせいか正反対の行動を取ってしまう。少女は差し出された右手に首を傾げながらも、恐る恐る握り返した。
「なっ! ありがとうございます! 我許しを得たりっ……て事で良いですか!?」
アキトはまさかの握手成立に、大好きなアイドルの握手会に来ているような興奮を覚え、半ばパニックになりながら右手をブンブン振っていた。少女は表情一つ変えずに握られた右手を無言で振りほどき、凍るように冷ややかな声で射抜くように言い放つ。
「誰?」
「ぬはっ! 俺のグラスハートにはキツイ……」
「アキ! 彼女は誰ですか!? 何者なんですか?!」
「……私の、セリフ……」
余りにも素っ気ない冷めた口調に微妙にキズついてガックリ肩を落としているアキトの横で、少女二人が邂逅する。
刹那、少女は提手に繋げたミコへ一瞬で間合いを詰めた。アキトは少女を見失い、「あぇ?」などと漏らしながら、必死で姿を探す。
アキトの目が再び少女を捉えた時には、少女はミコを片腕に抱きながら、相変わらずの無表情でミコの頭をナデナデしていた。
突然の百合百合しい展開にアキトは「はぅ!?」と声にならない音を漏らし、ついついニヤついてしまう。美しい少女二人がゼロ距離で密着しているのだ。
あまりのスピードに何が起きたか理解が遅れたミコだったが、状況を理解すると頬を紅潮させ、ぼーっと金髪金眼の少女に見とれている。ミコの額に少女の唇が今にも触れてしまいそうだ。
「いやぁ、こんなえぇモン見せて貰っていいんすかねー、エヘエヘ」
アキトは締りの無い顔でフラフラとミコと少女に近づく。少女は眉をピクつかせアキトに視線を移したかと思うと、おもむろにミコの頭をギュッと抱きしめた。
「おおぉっ!!」
アキトは思わず足を止め目を見開いてしまう。ミコの顔が少女の豊かな胸の谷間に埋もれてしまったからだ。苦しそうにもがいているミコを気にも止めていない様子で、まるで私の物と言わんばかりに大事そうにミコを抱く少女。アキトはどうしたもんかと硬直し、魅入ってしまった。
「おやおや、何だか楽しい事になってるじゃないの」
不意に聞こえる男の声に今度は何だよ、と声がする扉の方向へ目を向けると一人の男が微笑んで立っている。白衣姿で長髪をポニーテール風に纏め、胡散臭い眼鏡を掛けた男子生徒は、盛り上がる三人を順番に観察すると、
「……うんうん、大体分かったよ。リリィ、その子ミコちゃんと言うそうだよ。ミコちゃんを解放してあげるんだ。大丈夫、逃げやしないよ。ミコちゃん、あーミコちゃんでいいかな? 良いよね。怯える必要は無いよ。リリィはかわいい物が好きなだけなんだ。最後にアキト、リリィの裸を見た事は不問にしてあげてもいい。リリィも気にはしないだろうからね。さあ、聞きたい事があるんだろう? 取り敢えず全員中に入るといい」
白衣の男子生徒は含み笑いしながら矢継ぎ早にそう告げると、サッサと中に入っていってしまった。リリィと呼ばれた少女は抱擁を解き、名残惜しそうにミコの頭をしこたま撫でると、白衣の男を追って自身も部屋に入っていく。
残されたアキトとミコは呆気に取られていた。
「リリィ……まさにユリ! これはこれは……あんな絶世の美女が、ねぇ。勿体ない!」
とアキトが一人でほくそ笑んでいると、すぐ隣からそれはもう物凄いプレッシャーを放つ存在に気付く。
「アキ! どういう事ですか! 裸とは何の事ですか!?」
「げっ! いやいや、何の事だろな?」
しらばっくれるアキトだが完全に目が泳いでおり、真っ赤な顔でにじり寄って来るミコのプレッシャーには耐えられそうにない。
「あ、あの人もああ言ってるし、早く入ろうぜ! 話はそれからだ!」
逃げるように踵を返し、急いで部屋に入るアキト。そして鬼の形相でアキトを追ってくるミコ。
部屋に立ち入った瞬間、二人はまたも呆気に取られてしまう。安っぽい真っ白の扉からは想像も出来ないほど立派なソファやテーブル、ふかふかの絨毯、部屋の大きさには不釣り合いに大きな水槽、どこかで見たことがありそうな裸婦像や背景画。それら全てが強烈な存在感を訴えかけてくる。
「な、なんじゃこりゃあー!?」
学校にはおよそ似つかわしくない明らかに高級そうな家具や調度品に、度肝を抜かれてつい叫んでしまう。怒り心頭だったミコでさえもポカーンと口を半開きにしてキョロキョロと周りを見渡していている。
特に目を引くのはまるで絵画のように壁沿いに備え付けられた大きな水槽だろう。色とりどりの魚達が、見る者の心を癒すかのように優雅に泳いでいる。その隣には打って変わって無機質な棚の様な物が積み上がっていた。下駄箱の様に整然と並んでいて、一つ一つに扉がついており全てがナンバリングされている。扉には中に入ってるであろう物の名前が英語で書かれていた。
1.camera
2.PC
3.phone
4.writing instruments
5.monocle
6.stun gun
……
……
18.Beretta 92FS
19.9mm×19mm Para.FMJ
……
……
「やあやあ、君たちは本当に面白いね」
白衣の男は相変わらず含み笑いしながらそう言うと、二人を楽しそうに観察している。
「まあまあ、取り敢えず座りたまえ」
都会に初めて出てきた地方出身者の様に落ち着きなくキョロキョロしながら自由気ままに鑑賞を続ける二人に、校長机よりも豪華そうな机に座った白衣の男はソファへと着席を促した。
「ここは一体何なんすか! アンタ達は何モンなんすか! それに……」
「まあまあ、取り敢えず落ち着こう。……リリィ」
アキトの言葉を遮って白衣の男が笑顔でそう言うと、リリィがトレーを抱えてやって来た。そそくさとトレーに乗せられたティーカップとソーサーを何も置かれていないテーブルに置く。カップの中の漆黒の液体からは嗅ぎ慣れたコーヒーの豊かな香りが立ち上り、鼻腔を優しく刺激する。
高校生になってからちょっと大人ぶってブラックコーヒーの味を覚えたばかりのアキトでも、その香りが今まで嗅いだどんなコーヒーよりも強く爽やかで、高級なのだろうと直感した。
「いやいや、ただのコーヒーだよ。いいから座りなよ。コーヒーブレイクだよ。コーヒーは好きかな?」
アキトとミコは言われるがままにソファに腰掛け、カップを手に取り口へと運ぶ。漆黒に感じられた黒は近くで見ると驚くほど澄んでいる。ユラユラと湯気が揺らめき、思わずその強い香りを楽しんでしまう。
たまらず口に流し込む。柔らかいしっかりとした苦味を感じたかと思うと果実のような爽やかな酸味が一瞬舌を刺激する。喉を通ると口内にはナッツのような香ばしさだけを残し、香りとなって鼻から抜けていってしまう。思わずもう一口。アキトは全てを忘れたかのように至福の表情でコーヒーを味わっていた。
ポン、と急に手を叩いた白衣の男に視線が引っ張られてしまう。
「やれやれ、ようやく落ち着いたようだね。まずは自己紹介といこうか」
夢見心地から現実へと戻ったアキトは慌てて立ち上がった。白衣の男は左手を突き出し、まるで飼い犬でも躾けるように無言でお座り、とアキトを制した。
アキトが黙って再びソファに腰掛けると白衣の男はニコっと微笑んで喋り出した。
「そうそう、いい子だ。僕の名前はイト。長南イト。自然科学部の部長と言えば大体は僕の事だよ」
そう言われて含み笑いのイトを改めて見たアキトは、眼鏡の奥で妖しく輝く切れ長の目が、上がった口角とは違って全く笑っていない事に初めて気がついた。
読んで頂いてありがとうございます。
次回もまた明日、このぐらいの時間になりそうです。宜しくお願いします。