5話 勘違い
5話 勘違い
マヤは嬉しそうに鼻歌を歌いながらミコの隣に腰掛けた。
「ミコタン、座って。一緒に食べよ?」
そう言うとミコの制服の袖をグイグイ引っ張り無理やり隣に座らせる。ミコは困った表情でマヤを見るのだが、マヤは満面の笑みで早くしないと冷めちゃうの、とか言っている。
アキトと塩見も合流しミコの隣にアキトが、マヤの隣に塩見がそれぞれ座った。六人掛けの円卓に向かい合わせとなった男二人はお互い顔を見あわせて苦笑いするしかなかった。アキトは弁当をテーブルに置くと塩見の前にだけ何もない事に気付く。
「あれ? 塩見先輩、食べるものないじゃないですか」
さっきのゴタゴタで昼食を買いそびれた塩見はハッと我にかえり溜息をつく。
「あげませんからね!」
視線を感じたマヤはササっと自分の前に置かれたスペ定を腕で隠すと、怪訝そうにそう言い放ち、塩見を威嚇している。おいおい、それ塩見に買って貰ったんだろ、内心そう思ったアキトだったが口にはしない。ミコとハナエとの同居で学んだのだろう、余計な事は言わないほうがいい。
よし、俺は空気を読める子だ、そんなしたり顔のアキトなのだが、調教された子犬のようだとクラスメイトに揶揄されてしまうのはこういった所に原因があるのだろう。至極当然といえる。
「御船……大丈夫だよ、取ったりしないよ。何か食べる物を買ってくるからみんなで先に食べていてくれ」
そう言うと塩見は急いで券売機へと向かっていった。
「そういえば、御船と塩見先輩はあの後どうしたんだ?」
アキトの質問に、ん? と箸の先を咥えたマヤは首をかしげている。何の話? とでも言いたげな様子だ。
「いや、あの駅ビルでの昨日の一件だよ。俺たちと別れてその後どうしたのかなって」
「うーん、私たちもあの後すぐ別れたからなぁ。塩みー先輩は病院に行くって言ってたから、行ったんじゃないかなぁ?」
「え? 一緒に行かなかったのか? 塩見先輩、あんなに苦しんでたのに……」
「えー? あの後元気そうだったよ? 塩みー先輩も子供じゃないんだからぁ」
そう言ってマヤはケラケラと笑っている。アキトはあっさりと言ってのけるマヤに驚いてしまった。あの場にいた者ならば塩見の尋常でない異変に、自分がそうであるように、正常ではいられないのではないかと考えていたからだ。笑い話にするのがおこがましいほど塩見の苦痛に悶えるさまは明らかに異常だった。普通は病院ぐらい付き合うだろ、それどころかあの後すぐに別れたって……塩見先輩もとんでもない彼女を持ったな、と内心で憐みながらも塩見に妙な親近感を感じていた。
「でも、大事に至らなくてよかったです。今日は元気そうです」
ミコが横から割って入る。うんうん、至極真っ当な意見だ。
「だよねー。あの時は本当、死んじゃうんじゃないかって真剣に思っちゃったよ!」
空気を読んでなるべく言わないようにしていた事を事も無げに言ってのけるマヤに、アキトとミコはギョッとしてお互いの顔を見合わせる。だが、塩見を本気で心配し、自身も苦しそうな塩見の顔がトラウマの様に脳裏に焼き付いているアキトにとっては、マヤの底抜けに明るく、開けっぴろげな性格になんだか救われたような気がして悪い気はしなかった。
そんな調子で二人は美味しそうにスペ定を頬張るマヤにほっこりしていたのだが、マヤは急に悲しそうな表情を見せると、
「ホント、良かった……」
と、噛み締めるように静かに呟いたのをアキトもミコも聴き逃してしまっていた。
「皆ごめん、待たせたね」
ビニール袋を持って戻ってきた塩見がそう言ってテーブルに着いた。缶コーヒーを袋から取り出した塩見は一本づつ皆に配る。
「やっと落ち着きましたね。それではいただきましょうか。一人、もう食べてますけど……」
ミコはそう言うとジト目でマヤの主に胸をじっと見ている。
「ごめーん。お先頂いてまぁす」
マヤの食べっぷりは気持ちいい程で、成長期の男子高校生でも躊躇する程のスペシャル定食の、既に半分ぐらいは胃袋に納まってしまっている。嬉しそうに次はどれかなー、などと選り好みしながらこれでもかと揚げ物を口に運ぶ。
「むぅ。やはり食べないと大きくならないんでしょうか……」
ミコはチラチラとマヤの主に胸を見ながらそんなことを言っているが、アキトは聞こえない振りをして弁当を掻き込む。
「アキト君、そう言えば相談っていうのは何だ?」
塩見は買ってきたサンドイッチを手にしながら、隣で喜々として食べるマヤに苦笑いしながらアキトに尋ねた。
「色々あるんですけど、先ずは昨日、あの後病院行きました? 相当苦しそうだったんで心配で……」
「ありがとう、心配してくれて。もちろんあの後直ぐに病院には行ったよ。医者には自律神経失調症だろうって言われたよ。パニック障害がどうのこうのとも言ってたな」
「たまに耳にする病名ですね……とは言っても俺はよく知らないんですけどね」
「違和感しか感じ無いけどな。俺はそんなにヤワじゃない。ストレスとも無縁だと思っている。あれは決して精神的な病気なんかじゃない。突然、何の前触れもなく呼吸が全く出来なくなったんだ。昔、子供の頃川で溺れた時の感覚に似ていた。何かの、そう、能力かも知れない……」
塩見は昨日の恐怖を思い出したかのように青ざめた顔で語る。
「塩みー先輩! ダメですよ、素人が勝手に判断しちゃ。ちゃんとご飯食べたらお薬飲んで下さいねー。じゃないとお注射しちゃいますよぅ」
急に笑顔で割り込み、際どい発言をするマヤにアキトは一瞬焦る。緊迫した空気もマヤには全く関係ないようで、サラッと言ってのけるのが凄い。大丈夫大丈夫、などと塩見の肩をバンバン叩いている。そんな様子を見ていたアキトは、
「先輩も大変な彼女を持ちましたね……」
「は?」
「はぁ?」
「も?」
あれ? 変な事言ったかな? アキトはきょとんとして三人を見る。すると、塩見もマヤも同じようにきょとんとしている。ミコは……何だか嬉しそうだ。
マヤと塩見はお互い顔を見合わせたかと思うと、二人とも呆れたようにアキトを見る。マヤは手に持つ箸でアキトを指しながら、
「もしかしてさぁ、アキトンは何か勘違いしてないかなぁ? かなぁ?」
「そうだな。完全に勘違いしてるっぽいな。俺と御船が付き合ってると思ってるな?」
「え? 違うの??」
アキトは二人の仲良さそうな感じと、駅ビルで二人一緒だったのもあり二人は恋人同士だと思っていた。完全に思い間違いだったらしい。
「昨日はあそこで偶然見かけて喋ってただけだぞ。ちなみに俺にはちゃんとした彼女が居るからな! 同じ三年の生徒会メンバーだぞ」
「ちょっと! 塩みー先輩! 今のは聞き捨てならないですよぉ。まるで私がちゃんとしてないみたいじゃないですかぁ!」
「いやいや、そういう意味じゃ無いって!」
「そりゃぁ私なんてぇ、あの女に比べたらぁ……」
そんなゴタゴタを聞いている間、アキトはずっとミコの生暖かい視線を感じていた。
「あ、アキト君! 早く相談に移ってくれたまえ! 俺に約束を果たさせてくれ!」
流れを断つかのように塩見が声を張り上げる。アキトも咄嗟に塩見に乗っかる。
「そ、そうですね! 実は……ある部活について教えて欲しくて! 自然科学部っていう部活なんですけど!」
アキトがそう叫ぶと、塩見はそれまでの穏やかな表情とは似ても似つかぬぐらい剣呑な表情で立ち上がった。
「どこでその話を聞いた!?」
「え? あの、俺の友達から……サッカー部のヤツなんすけど……」
アキトだけでは無く、ミコもマヤも驚いた顔で塩見に注目している。
「……いきなり叫んですまない。あの部は部活として認められてはいない……あそこには、近づかない方がいい」
「どういう事なんですか? 詳しく、詳しく教えてください!」
アキトより早くミコが塩見に食いついた。急にミコに問い詰められた塩見は困った表情でミコを見つめて続ける。
「あれは部活なんかじゃない……アイツは、人の心を弄ぶ悪魔、いや、クズだ」
塩見は暗い顔で静かに吐き捨てた。
「……とにかく、自然科学部には近づかない方がいい。アイツは……あそこの部長は人の心を読む。弱味を握られるぞ」
アキトはタケルが言っていた事を思い出していた。タケルは自然科学部やその部長について、ネガティブな事は言っていなかった。むしろポジティブだったとアキトは考えている。悩みを解決してくれる優しい部長。そんなイメージを持った。だが、塩見の評価は真逆だ。
「塩見先輩……何か、あったんですか?」
「……すまない。聞かなかった事にしてくれ。偉そうに相談に乗るなどと言っておいて、本当にすまない。ただ、あそこにどんな用があるのか知らないが、近づかざるを得ないのならあそこの部長に深入りするな。会わなくて済むのなら、会わないことをお勧めする。これは忠告だ」
結局、その後は重苦しい空気を払拭出来ず、気まずい昼食会はお開きになってしまった。ただ一人、そんな状況でもマヤだけは終始楽しそうにしていた。
改めて奢らせくれと塩見は言っていたが、アキトはまたいつか御一緒しましょうと、それ以上の事は言えなかった。
読んで頂いてありがとうございます。
また明日も続きを投稿させて頂きます。
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