3話 イケメン
3話 イケメン
どうも様子がおかしい。
なんとなく分かってはいるのだが、やっぱりおかしい。昨日の事件以降のミコの様子のことだ。明らかに機嫌が悪い。誰の目にも明らかだろう。こうなってしまった時のミコの対処は難しい。それはアキトが長年の経験で一番理解している。かける言葉を間違えると、事は余計にややこしくなるだろう。
どうしたものか……などと呟きながらリビングの扉を恐る恐る開けると、
「あら、アキト君おはよう」
「おはようございます、ハナエさん。あれ? ミコはまだですか?」
「あっれー? アキト君、聞いてないの? 今日は用事があるから早く学校へ行くって出ていったわよ……もしかして喧嘩でもした? 昨夜から様子が変だったもんね」
やたらと察しがいい。さすがミコの母親、などと心の中でツッコミをいれながら、
「ちょっっと色々ありまして……」
詮索しないでくれよー、と思いながら濁すのだが、
「ダメよ、気をつけないと逃げられちゃうわよ!」
などと嬉しそうにまじまじとアキトの顔を覗き込んでくる。彼女、丸井ハナエはミコの母親だ。一年も同じ屋根の下に暮らしているとお互い遠慮もなくなってくるもので、特に最近は高校生という最もナーバスな時期にもかかわらず、ズケズケと人のプライバシーに踏み込んでくるようになってしまったのはアキトにとって悩みの種だった。
「ごちそうさま! じゃあ行ってきます!」
朝食を急いで口に押し込み逃げるように家を出るアキト。ため息をつくと「まあ、たまには一人で通学も悪くないか」などと強がりを言って歩き出した。
「アキト! 珍しいね。今日は一人で登校かい? 一か月で離婚なんてちょっと忍耐力が足りないんじゃないか?」
そう言って声をかけてきたのは同じクラスの麻倉ユーリだ。
「うぉい、お前までそんな冗談言うのかよ……」
ユーリはいわゆるイケメンってやつだ。しかも顔だけじゃない。誰にでもフレンドリーで困っている人を見過ごせない正義感に溢れ、スポーツも勉強も人並み以上。春風のような爽やかさも相まって女子のみならず男子からの信頼も厚かった。
ユーリのイケメンぶりに虜になる女子生徒は後を絶たないが、よく知らない相手とは付き合えないとの理由で、両手では数えきれないほどの告白を断ってきた猛者なのだ。出席番号が五十音順であるため、アキトはこの一か月はユーリの背中を見ながら授業を受けているわけだが、例にもれずアキトも正直な所、ユーリには好感しか持てなかった。
「いやすまない。そんなつもりはないんだ。ただアキトの背中が淋しそうだったからね」
「やだ、イケメン。惚れるぞコラ」
「よせよアキト。すまないと言ってるじゃないか。それともリア充って呼ばれたいのかい?」
「なっ……悪かったよ。ところでユーリ、ちょっと聞いてもいいか?」
アキトは早く話題を逸らしたいという思いと、色々とありすぎた昨日の出来事を相談したくて、ちょうどいいやとばかりユーリに意見を求めようとの考えに至った。
正直、昨日の夜は頼みのミコの機嫌が悪く素っ気ない上、電話をかけたタケルもタケルで蔑ろにされた事を根にもっているようで、まともに相手にしてはくれなかった。昨日の出来事を話したくてウズウズしているアキトにとって、ユーリの出現は渡りに船だった。
「自然科学部って知ってるか? 昨日友達に聞いて夜に学園案内とかいう薄っぺらい冊子を見直してみたんだけど、部活紹介欄に載ってないんだよ。ホームページにもだぜ。SNSとか考えられる限り探したんだけどダメだった。ユーリは聞いたことあるか?」
「すまないが、心当たりはないな。というか、同じ帰宅部の俺に聞いてもしょうがないと思うぞ。そもそもどんな部活があるのかすら知らないんだからね。そう言えば、この前部室棟に行ったんじゃなかったのか? アレはお前じゃなかったのか?」
「ん? 何の話だ? うーん、やっぱりダメか。じゃあ、A組の御船マヤって知ってるか?」
「……浮気か?」
「ばっ! だから違うって!」
「ハハハ……冗談だよ。彼女なら知ってるよ。何度か昼食をご一緒させてもらったからね」
「なに! さすがはイケメン。ほっとかねーよな……」
「勘違いするなよ。お前は教室で弁当組だから知らないだろうが、学食じゃあ能力科の生徒はなかなかに肩身が狭いんだよ。良くも悪くも奇異の目で見られるんだ。一学年に二組しかないしね。」
「……つまり、学食じゃA組もB組もないってことか? 能力科って括りで集まると」
アキトはそれはきっと能力科って問題だけじゃないだろ……と思いながらもこれ以上話がややこしくなるのを避けたくて無難に返答した。
「弁当持参で顔を出す奴もいるから、気になるならアキトも来るといい。その時は丸井にも声をかけるんだぞ」
「そうするよ……と、あと一つ」
アキトは昨日の塩見の異常なまでに苦痛に悶える顔が脳裏をよぎったが、あの場にいなかった者に聞いたところで無駄だろうなと考え、
「答えはなんとなく流れで分かっちゃいるんだが……なあ、ユーリから見てもやっぱり俺とミコは、その……付き合ってるように見えるか?」
「違うのか? てっきりそうだと思っていたが……」
「やっぱそうですよねー。……こんな事お前に言うのもアレなんだけど、ミコは俺にとって姉みたいなもんなんだよな。そりゃ大事だけど、お節介なところとか何にでも口出してきたりとか、たまに母親かよなんて思う時もあって……」
「……俺にも三つ離れた姉がいるからその気持ちは痛いほどわかるよ。放っておいて欲しいときにそうしてくれない時なんかはイラっとくるものだよ」
「三つ上の姉! 弟よ! 兄貴と呼んでいいぜ!」
「……はぁ、真面目に答えた俺がバカだったよ……」
「悪ぃ、つまりだな、恋ってのはやっぱさ、燃え上がるっていうかドキドキが止まらないって言うか……相手の事を思うと居ても立っても居られない、夜も悶々(もんもん)として眠れないとかそういうモンじゃん?」
「……それで? そんな相手がいるのか?」
「いや、居ないけど。居ないけどさ、もしそんな女が現れたらどうなるよ? 一目で恋に落ちて、その女の事しか考えられなくなったりしたら……でもその可能性はミコにもあるワケで……」
「アキト……お前は恋に恋する乙女か何かか?」
「う、うるせぇ!」
「まあ、つまり丸井とはそういういわゆる恋とはちょっと違う関係ってことか? ……お前達はちょっと距離が近すぎるのかもしれないな……そういう恋もあってもいいとは思うんだがな」
高校一年生という青春真っ盛りの少年達にとって、異性関係というものは最も興味を引く事案といっても過言ではないだろう。アキトにとってもそれは例外ではなく、同級生であるミコという異性と同じ屋根の下に生活するといったことはなかなかのストレスを感じるようになっていた。
アキトにとってそれまでただの幼馴染の少女であったミコに、女性を感じずにはいられなくなってきているのだ。ちょっとした仕草にドキっとしてみたり、容姿や服装の変化、ハナエとの会話の内容、あるいはある日突然夕食に出てきた赤飯などにも、いちいちねっとりとした空気といった感じで息苦しさのようなものに頭を悩ませている。
ユーリに愚痴った母親かよ、などという言葉も本音を言うと女房かよ、といった感情が多分に含まれていて、万が一結婚なんて事になったら尻に敷かれるのかな、などと思春期にありがちな想像をしては頭を抱えてしまう。
「とは言っても、一人暮らしするにはバイトしなきゃだしな……だとしてもミコとハナエさんが出ていくことを今更許してくれるかどうか。あんなに揉めたしな……」
アキトは未だに一人暮らしを諦めてはいないようで、ブツブツとミコやハナエに対する言い訳を考えていた。
そうして既に完全に尻に敷かれている事に気付いていない様子でうだうだ言っている間に学校に到着してしまう。
下駄箱の扉を開けると、途端に憂鬱そうな顔をするユーリ。アキトは、ん? と気になってユーリの下駄箱を覗き込んでその理由を知った。
可愛らしい薄いピンクの封筒にもっと大きく書けよ、とツッコミを入れたくなるような小さなこれまた可愛らしい丸文字で書かれた『麻倉ユーリさま』の文字。
「さすがは我がクラスが誇るイケメン! きゃはっ!」
ため息をついているユーリをよそにアキトは嬉しそうだ。困った顔をするユーリにアキトは、
「そう嫌そうな顔するなよ。ラブレターを書くのも下駄箱に入れるのも凄く勇気がいるんだぞ。思いだけに重いんだ。嬉しそうにできなくてもそんな顔をするのはやめてやれ」
「……たまにはいい事も言うんだな。確かに今の反応は失礼だった。でも、よく知らない人間や、自分の名前すら書かないような奴に俺が心を開く事はない」
「あちゃー……厳しいねぇ。ユーリくんの心を射止めるのは大変だわ」
ユーリが下駄箱に入れられた封筒を手に取り、くるっと回して宛名を確認している時、横顔を見たアキトは何故だかユーリが優しく微笑んだような気がした。なんだよ、なんだかんだ嬉しいんじゃないか、と独り言ちたがユーリの耳には届かなかったようだ。
ユーリはこの後、ありがちな話(ただしイケメンに限る)と称して初対面の人(ユーリの中では)から告白を受ける苦痛や、友達の友達などという赤の他人とも言える人間を紹介してくる意味不明さなど、自慢話としか思えないような話をダラダラとし続け、アキトは教室までできる限りイラつかないよう聞き流していたのだった。
教室に着いてからはそれはもう酷いものだった。
クラスメイト達がミコを囲んで大騒ぎしている。もはや一大派閥と化したその集団は教室に現れたアキトに対して冷ややかな視線を集約して放射する。主に女子が。男子生徒はあるものは爆笑、あるものは苦笑い、あるものはバツが悪そうに視線を逸らす。
――やられた!
ユーリはアキトの肩をポンと叩くと頑張れよ、と言わんばかりにそそくさと自分の席に着いた。それを合図に派閥がアキトに捲し立てる。
「アキト君! ミコっちに何をしたの!」
「バカ」
「ミコは何でもないって言ってるけどそんな訳ないよね!」
「一人で登校してきたんだよ! とりあえずミコに謝って!」
「クズ」
「ミコちゃんみたいないい子を泣かすなんて最低!」
「ユーリ君まで毒牙に……はぁはぁ」
言いたい放題だ。いや、ちょっと待て。ミコ、泣いてないじゃん。むしろ笑ってるじゃん。あと、ちょいちょい悪口挟まないでくれる? 地味にキズ付くから。それに最後のは何だ? 腐女子か、おい。
口元まで出かかったが必死に飲み込む。ここで何か言ったら全女子が敵になる。それだけは避けねばならない。集団の心理とは恐ろしいもので、下手を打つとこの先平和な高校生活を送れなくなるだろう。高校生活をエンジョイしたければ、大人しくしていろと、もう一人の自分が警鐘をならしているようだ。それほどの凄みがあった。
アキトは何に対してかわからないが、反省してる風を装って大人しくしていた。時折、前に座って涼しい顔をしていると思われるユーリの椅子を蹴飛ばしていたのだが、助けてくれるどころか肩を小刻みに震わせて明らかに笑いをこらえている様子が癪にさわる。
――コノヤロウ。
もう無理。そう思い天を仰いだ時、教室の扉がガラガラと音を立てて開き、
「皆さん、おはようございます!」
元気よく担任のコトミ先生が入ってきたかと思うと派閥は解散、皆自分の席へと戻っていった。
アキトはやっとプレッシャーから解放され、ホッと胸を撫でおろすのだった。
読んで頂いてありがとうございます!
明日も続きを投稿致します。