グッドラック
駄文ですみません。よろしくお願いします。
やっぱりこのビルは一番高い。いい景色だ。
所々塗装が剥れ、本当の鉄の姿が見え隠れしている柵を強く握った。
微かに匂う鉄独特の錆が、鼻を伝い、それが手にも感じてくる。
今日しかチャンスがないんだ。
今日決行しなければならないんだ。
俺は錆の事など気にせず、柵を強く握り、腕の力で片足を上げる。
フッと体が軽くなる。
気が付くと柵を越えていて、目の前にあるのは、足元ギリギリの床と、日が暮れかけた街の空だけだ。
俺の前には何にも壁がない。
舌を見ると、様々な道を乗り越え、ヨレヨレになったスニーカーが下を見渡している。
どこからどう見ても、この世界は汚い。
欲望と願望が渦巻く世界の空気を吸っていたなんて…と思うと自分に苛立っていく。
だが、もうこんな国とおさらばだ。
下の汚い奴等に自慢したいが、そいつらは自分が今から死体を見るという恐怖からか、必死に説得をする。
最後まで汚い奴等だ。
もうわかっただろう。
俺は今日、ここから飛び降りて死ぬ。いや、脱出だろう。
この地球にいる限り、俺は人間の欲に苦しみ、悶える毎日が延々と続く。だからって月面着陸なんていうバカらしい考えもない。ならば、自分の命を亡くすしかない。「欲」なんていうくだらない漢字を忘れて、楽になれるはずだ。
気持ちいい。
さようなら。
「なーんかつまんねえ事してるなあ」
体を傾けた瞬間、柵に身を乗り出した何者かに腕を掴まれ、ぐいっと傾きを直した。
「びっくりしたぁ」と、野次馬が安堵の呟きを漏らす。
「なにやってんだよ!?」
俺は振り返り、邪魔された苛立ちをぶつけるかのように尋ねると、何故か固まってしまった。
邪魔した男は、何の変哲もない成人男性だが、俺を悲しそうに見つめたその目の奥には、何かが隠されていた。
その“何か”が分からないまま、俺は固まる。
「とりあえず一回こっちに戻れ」
男にぐいっと引っ張られて、俺は男のいる場所に戻る。
「何やってんだ!?離せ」
そう叫んだが男は聞く耳も持たず、戻された。
観客から「何があったんだ?」というような騒ぎが起こった。
「おまえ、何やってるんだ?」
男がまたあの目で俺に尋ねる。
「見てわかるだろ?死にたかっただけなんだよ」
「なぜ死ぬ?」
うざったい。
「死にたいからだ」
「だから、それがなんでか言っているんだ」
このままだと、永遠に繰り返す羽目になるので、正直に話す事にした。
「人間のあまりの欲の深さに、呆れたからだ」
「ふっ、くだらねえな」
「なんでだよ」
「欲って分かるか?」
「金が欲しいとか、女が欲しいとかだろ?他には休みたいとか」
「おまえの死にたいって奴も欲じゃねえのか」
何を言っているんだこの男は。
「後、楽になりたい、こんな世界から逃げたい。死にたい、楽になりたい、逃げたい。うおー、世界三大ネガティブ欲だ」
男は指折り数えながら笑った。
「人を舐めてるのか?」
「いやいや、そんな目的でお前の命を助けたりはしない」
それは助けたって部類に入るのかわからないのは俺だけだろうか。
「まあとりあえず話を聞け。いいか、自殺ってなんかこの世に恨みがある死に方じゃないか?」
「恨みがなかったらやらないでしょ」
「恨みがあるから嫌なんだよ。死んだ途端そこにずっといる。飽きるだろ」
「そうすか?ここ景色いいし、好きですよ」
「ビデオをずっと一時停止の状態だったら楽しいか?それと一緒だ」
「そうなんすか?」
「あと血を拭くのめんどくさいだろ?」
「やっぱ人舐めてるでしょ?」
男は小さく頷いたが、すぐブンブンと首を横に振った。
「まあな、早い話。死ぬにはまだ若すぎるだろう。トレイントレインだ」
「ブルーハーツも舐めてるんですか?」
「いいか、道は下り坂もあれば上り坂もある。人生も同じだ」
「会話噛み合ってなくね?」
「グッドラックだ!」
男は親指を立てて、微笑んだ。
ふと我に返ったら、俺は階段を降りていた。限界まで下って、前を見上げたらどんな上り坂が待っているのか期待しながら、階段をゆっくり降りる。
非常口から出たら、目の前には真っ平らな道路しか無くて、寂しい気持ちになった。いつか現われる上り坂のために、俺は遠回りをして家へと帰った。
数日後、二年前あのビルから飛び降り自殺をした男がいたという情報を聞き、俺は野生の勘が働いたのか、図書館へ行き、その年の新聞を読み漁っていた。
二時間ぐらい掛かっただろう。
「あった」
ほんとに小さい大きさだが載っていた。
群馬県前橋市在住、辻本泰樹(34)が仕事場であるビルの屋上から飛び降り、亡くなった。
遺書には「疲れた」としか書いてはなく、群馬県警は仕事場で問題があったとみて調査している。
顔写真はあの男だった。
散々死のうとした俺を説得したあの男が死んでいた。
特に恐怖とかはなかった、やられたぐらいしかなかった。
『あそこは俺だけの場所だ、誰も来させはしない』
ふと男の声が耳元で聞こえ、周りを見ると、本棚の上で腰をかけていた。
「お前、飽きるとか言っていながら…」
『あそこは空気もいいし、同僚たちもよく来るから嬉しいんだ。俺の事見えないけど』
「仕事じゃねえの」
『お前と同じ理由だよ。だけど後悔した。死んでから言うのもなんだけど、幸せだった』
「…そっか」
『あっ、だけどお前に言った事は本当だぞ。必ず上り坂は見つかる』
「…ああ」
俺が親指を立て応えると、辻本も微笑みながら親指を立てた。
グッドラック。
『じゃあ俺行くわ』
「ああ」
『って、ちょっとは引き止めろよ』
「この間に俺みたいな奴が来たら困るからだろ」
『まあな、頑張って生きろよ』
「あそこよりいい穴場見つけろよ」
『バーカ、生きてたって景色は見えるだろ。じゃあな』
辻本は一瞬にして消えた。辻本の力なのか俺との会話は周りに聞こえてなくて、誰も俺を注目していなかった。
帰ろ。
俺は新聞を元に戻して図書館を出た。
今日も遠回りをするため、家とは反対方向へ自転車を走らせた。
どこかにある上り坂を目指して。
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