眼鏡の賢者はかく語りき。4
「しかし、私は別に因幡に対して恋愛感情を抱いていた訳ではないのだが、どうしてそんな事に巻き込まれたのかね。ああ、勿論今も持ち合わせてはいないのだが」
何か話を逸らさなくては、と先ほどから引っ掛かっていた疑問を口にする。
ここまでの話を聞く限り、伊織ちゃんが義理を語るその第三者は、有り難いことに私のことを憎からず想ってくれているらしい。きっと、伊織ちゃんが語ったあの冗談は、その誰かの本心でもあるのだろう。
そこで問題になってくるのが、私が因幡と姉妹になったとして、決して因幡とその某が恋敵になる訳ではない、という点だ。
私と因幡の関係が恋愛感情を核に構築されたものではないのだから、当然と言えば当然だ。
「姉妹という単語が若干ながらも恋愛的なニュアンスを含むというのは、何時だか聞いてもいないのに桜が教えてくれたから知ってはいるんだがね。しかしそれは他人同士でこそだろう?私と因幡は血縁こそないが、親戚関係で、まして恋愛感情が無いのだから、その枠には当てはまらないと思うんだがね」
どこをどう捉えれば色恋沙汰に巻き込まれるのか検討もつかないというのが私の本音であった。
「先輩は因幡さんと姉妹に、家族になりたかったんですよね?」
そんな私を余所に、そんな当たり前のことを伊織ちゃんは確認する。
「そうだが何か?」
「だからこそ、私は動かざるを得なかったんですよ」
「……分かるように話してくれないか?」
どうにも私と伊織ちゃんは相性が悪いらしい。というより彼女の発想と回転に、私の脳が付いて行けてないように感じる。にも関わらず彼女は私に同じものを求めるから噛み合わない。一体私の何をそんなに高く買ってくれているのか不思議でならない。
「……私は澄城先輩の家庭事情、いえ、出生を知っています。誰かが想いを伝えようと、きっと先輩は恋人よりも家族を求める。そう思って、私は行動を起こしました」
「……成る程」
その言葉は解答に足りて、およそ異論のあるはずも無いものだった。彼女の言う通り、きっと私はその二つを天秤に掛けることになったとしても、家族になれる因幡を選んだことだろう。
「この学園にあって、澄城先輩の恋人になれた方は決して多くはないでしょうが、確かにいたと思うんです。その誰かが健気であるか、聡明であるか。可憐であるかは分かりませんし、容易いことではないでしょうけど、けれど先輩の心を射止める事だけがその条件ならば、きっといた筈なんです」
その誰かが、あの娘ならば良かったのに。そんな願いが秘められているような、痛切な独白。眼鏡に隠されていた彼女の瞳が、知らぬ間に涙で濡れていることに気付いて、私は息を飲んだ。
「それでもきっと届かない。いつか籍を入れて家族を構成することになろうとも、しかしそこまで至るにはあまりに時間がかかり過ぎます。どうしても間に合いません。だから先輩の願いを知りながら、その妨害をしようと思いました。……何の想いも無く、親戚になった、そんな偶然一つで貴女と寄り添う権利を得ることが出来たなんて、そんな不条理に、あの娘が涙を流さないように」
瞳を濡らしていた涙は、吐露された願いと共に、まるで想いを伝える間も無く破れた誰かの分まで肩代わりするかのように、慈愛に満ちて煌めき、彼女の頬を伝い粒となって流れ落ちていた。
「私が因幡と家族になる道を選んだ上で、恋人を得ようとするとは思わないのだね」
「澄城先輩は長く願い続けたものを得たというのに、脇目を振るような甲斐性のある人ではないでしょう」
「……そうだね。君の言う通りだよ」
慰めの言葉も見付けられず、苦し紛れの問いすら破られて、私は白旗を上げて黙るしかなかった。