第8節 侵入者の事情
再びカノンの秘書になってから約一週間。
リノンの姿はシャルロの森に突如として現れたツリーハウスの前にあった。
だからと言って、今日はシノンを連れ戻すために来たわけではない。
何を考えたのか、カノンがツリーハウスの住民に会ってこいと言い出したのだ。
彼女の……シルクの話が正しければこの家に住んでいる人物は只者ではない。
事前にマノンにも話を聞いてみたのだが、彼女が言うにはこの家の住民の姿を見たことがないのだという。
どうやって生活しているのか知らないが、油断しない方がいいだろう。
リノンは大きく深呼吸をして呼吸を整えた後に木に立てかけられたはしごを登り、扉の前に立つ。
一応礼として扉をノックするが、返事は帰ってこない。
「あのーすみません。この森にすむ妖精ですが、住民の方いらっしゃいますか?」
声をかけてみるが、返答はない。
扉に手をかけて押してみると、カチャという音を立ててゆっくりと扉が開いた。
「………………あなた。誰? なんで、私の家に勝手に入ってくるの?」
そんな声が家の中から聞こえてきたのは、扉が開いたのとほぼ同時だった。
リノンは彼女の姿を見つつ家の中に足を踏み入れる。
「一応、ノックはしたんだけどね」
「そう。気づかなかったわ」
彼女と会話を交わしながら、リノンは家の中に目を向ける。
あまりにも片づけられていない。
それが、真っ先に抱いた感想だ。
部屋の真ん中に置かれた机の上には食器類が散乱し、端に置かれた書斎机には大量の書籍が積まれている。
服も部屋の端にまとめておかれている。
その部屋の机のそばに座る少女は見た目の歳でいえば十代前半ぐらい、水色の髪はあまり手入れがされていないのかボサボサでその先端は床についている。
長い前髪の中から見え隠れする瞳には生気がなく、どこかうつろな瞳でリノンを見つめていた。
「……あなた。だぁれ?」
彼女はコクリと首をかしげる。
リノンは小さく息をついて彼女の方に歩み寄り、机の前に来たところで立ち止まる。
「私はリノン。この森にすむ妖精だ。あんたは?」
「……えっと、マーガレット……でいいかしら?」
「えっ? あぁ……」
つい先日、シルクから聞いた名前と目の前の少女が名乗った名前が食い違っていることに疑問を覚えたが、そのことはとりあえず気にしなくてもいいだろう。
リノンはマーガレットと名乗った少女の出方を見てみるが、彼女が何かしらの動きを見せる気配はない。
「座ったら? 私に用事があるから来たんじゃないの?」
「えっ? あぁそうだな」
彼女に促されるまま、リノンはイスの上に積もったほこりをはらってそこに座る。
つくづく不思議な少女だ。
見た目こそただの少女だが、彼女の瞳の奥というかオーラとでもいうべきか? ともかく、彼女が深い闇を抱えているように見えたのだ。
それだけではない。
生物はその身に宿している魔力を無意識のまま放出している。
普通はそれを察知することはできないのだが、自然の中で暮らし、自然の恩恵を受けて生きる妖精はそれを感じることができる。
そして、その能力を使って感知した彼女が持っている魔力は尋常ではないのだ。
人間は本来、亜人に比べて魔力が少ないのだが、彼女が持っている魔力はそれこそ魔法の扱いにたけているエルフや魔力量が多いことで有名な魔族の上を行くほどだ。
だからこそ、リノンは見た目はただの少女である彼女のことをかなり警戒していた。
「…………今日来たのはあなたに尋ねたいことがあったからです?」
「尋ねたい、こと?」
彼女が右に首をかしげる。
そんな彼女から発せられる得体の雰囲気に恐怖すら感じるが、リノンはカノンから聞いてくるようにと頼まれた事項が書いてあるメモを手に取った。
「そう。ここはシャルロの森だってことは知っているのよね?」
「はい」
「ここに立ち入ってはいけないことも?」
「はい。だからこそ、ここに来た」
「なんで?」
「追われて……いるから……どこに逃げても、来るから……私は、いくら殺されても死ねないから……だから、おとなしく。何事もなく暮らしたい。あちらこちら探したけれど、ここしか、わからなかった。エルフのところも人魚のところも無駄だった……」
「殺されても死なない?」
リノンの質問に彼女はコクリと首を縦に動かし、手元にあった果物ナイフを手に取った。
「そう。これで首を切っても私は死なないの」
そう言いながら、彼女は果物ナイフを自身の首元に突き付ける。
「ちょっと待て! わかったからそれは置いておけ!」
「……わかった」
「まぁあれだ。お前の話、少し聞かせてもらってもいいか? なんで、追われているのか、なんで人間社会から外れたのか、そして、なんで不老不死なのか。場合によっては、ここに住めるようにカノン様に頼んでみようと思う」
「わかった」
そこから彼女はゆっくりと自身の過去を話し始めた。
彼女はもともと亜人追放令が発令される前の生まれで、生まれてすぐに捨てられて魔族に拾われたそうだ。
その後、彼女は魔法に興味を持ち、子供ながらにその才能を発揮し将来を期待されたいのだという。
しかし、ある日魔法の事故で彼女の成長は止まり、不老不死になった。
その時は本人も事故を気にせずに魔法の研究に没頭できると喜んでいたし、周りの魔族たちも大して気にしていなかったのだが、統一国により魔族国が滅ぼされると事情が一変する。
彼女はそれまでの住居を追われ、人間の町へと向かった。
しかし、魔族と関わっていた彼女への風あたりは厳しく、迫害を受け何度殺されても生き返ることから、見世物にされたそうだ。
その後、その町を離れ一時的に鍛冶屋の世話になるが、そこもある事情から出ることになり、新たな住まいを探しているときに亜人追放令が発令された。
その追放対象に魔族と深くかかわっていたマーガレットも指定され、逃げるように亜人の組織を転々とする生活が始まったらしい。
もともと、この場所は立ち入り禁止だという話はエルフから聞いたらしく、前に所属していた亜人組織から出た後にこの場所のことを思い出して、やってきたのだという。
「なるほどな……私が聞いた名前と今、あんたが名乗った名前が違うのはそういう事情なのかしら?」
「……あなた、の言う通り。少しでも逃げれるようにこの森の中に……」
マーガレットはうつむきながら語り続ける。
「この森に来て、誰も来なくて、それを望んでいたはずなのにさみしいって感じる自分がいて、でも、外に出たらまた、何かがあるんじゃないかって恐怖する自分がいて……わけがわからないの」
彼女はそういうと、両手で顔を覆う。
リノンは小さくうなづくと、彼女の手を取った。
「わかった。一応、カノン様……長老に森に住めるように頼んでみるよ」
そういうと、リノンはマーガレットの家を出てセントラルエリアに向けて飛び立つ。
しかし、その背中を見送るマーガレットがニヤリとした笑みを浮かべていたという事実を知っているのはマーガレット自身だけで単なる一妖精である彼女はそのようなことに気づくはずもなく、まっすぐにセントラルエリアに向かっていった。