第6節 シノン帰還
さて、リノンがカノンの秘書代理となってから早いもので一ヵ月が経とうとしている。
ここまで来ると多少ながら慣れてくるのだが、カノンのわがままに当たり前のように対応できてしまう自分に危機感を覚えてしまうのはなぜだろうか?
早朝からカノンに呼び出されたリノンはそんなことを考えながら小さくため息をつく。
「お呼びですか? カノン様」
到着するなり、伺いを立てるだとかそういったものをすべてすっ飛ばしてカノンに話しかける。
話しかけられたカノンもそのことを特にとがめることなく振り向いた。
「あぁごめんね。朝早くから。うん。早朝から」
「そういうぐらいなら早朝から呼び出さないでください」
「ん? 通過儀礼ってやつだよ。そう。あいさつだよね」
苦情を言うリノンに対して、カノンは笑顔でそれを退ける。
「いやさ……いろいろと大切なことを忘れていたからまた忘れないうちにと思ってね。そう。忘れちゃうから?」
「大切なこと?」
カノンが言う大切なことというのはなんなのだろうか?
まったく思い当たる節がないリノンは首をかしげた。
それが気に食わなかったのか、カノンは眉をひそませてむっとした表情を浮かべた。
「ほら! 思い出してよ! そう! 忘れないで!」
「えっいや……えっと……」
困った。まったくもって思い出せない。というよりもカノンからの指示などほとんどがどうでもいいものだから、一つ一つを覚えていない。その中に一つでも大切なモノがあっただろうか?
リノンは必死になって思い出そうとするが、いつまでたっても思い出せないリノンに対してカノンはいら立ちを隠せない様子だ。
「シノンだよ! そう! シノン! 結局、連れ戻せてないじゃん! そう! ここにいない! ぜーったいに忘れていたよね! うん! 忘れられていた!」
「あっ」
カノンに指摘されて、初めて思い出した。
あれから一ヶ月近くたっているが、そもそもリノンがなぜこんなことをやっているのか? というもとをただせば答えは簡単に帰ってくる。
「リノン?」
「はい! 今すぐにシノン様のところへ向かいます!」
リノンはその場から逃げ出すように自分でも信じられないような勢いでとびだった。
「もしも連れ帰らなかったら承知しないからね! そう! 許さないから!」
カノンの怒号を背にリノンはシノンがいるとみられる場所へと飛んで行った。
♪
森の中にある唯一の人工物と言っても過言ではないそのツリーハウスの周辺には今日も今日とて監視役のマノンと、セントラルエリアを飛び出したシノン、さらにその二人を監視しているワノンがいた。
リノンは上空からその姿を認めるなり、一気に急降下する。
勢いそのままにツリーハウスの方を見ているシノンの背後に降り立つと、彼女はツリーハウスの方を見たまま口を開いた。
「やっと来たようですね。あの子、よく一ヵ月も持ったものです」
「へっ?」
「マノン。私は帰るので……今後も監視を怠らないように」
立ち上がったシノンがそう命じると、マノンは彼女の方を向き直り彼女に向けて頭を下げる。
「はっ!」
「えっ?」
「さて、リノン。私はカノンの下へと帰ります。カノンからは私から話をしますのであなたは秘書代理の任を解かれることになります。以上です」
シノンはそういうと、肩の力を抜いたのか穏やかな表情を浮かべた。
「それじゃマノン。なかなか楽しかったわ。ちょうどいい秘書代理の人材もいることだし、また遊びに来るから」
「はい。シノン様。いつでもお待ちしております」
何か起きたのか理解できない様子のリノンの横でマノンは笑顔でシノンを送り出す。
勢いよく飛び去って行ったシノンの背を見送った後、呆然とした様子のリノンにマノンが話しかける。
「いやーよかったよかった。あはははっあのカノン様が一ヵ月も持ったなんて……でも、これぐらいが限界ってことかな?」
「どいうことだよ?」
「えっ? あれ? もしかして、リノン……全然気づいていなかったの? シノン様がセントラルエリアから出てきた本当の理由」
マノンがそういうものだから、色々と振り返ってみるが思い当たる節は全くない。
リノンが首を横に振ると、マノンは大きくため息をついた。
「なに? 何も知らないのに来たわけ?」
「何も知らないでというか……言いにくいんだが、一ヵ月近くシノン様のことを忘れていたんだけど、今日になって急に思い出したように連れて来いって言われたから……」
「あぁなるほど……つまり、シノン様がそう思っているだけで真意は一ミリも伝わっていないってことなのね……」
リノンの話を聞いたマノンが顔に手を当ててうつむく。
「あぁもーなんで、何も言わずにシノン様の見送りしちゃったのよー」
「仕方ないだろう。私は何も知らなかったんだから。まぁあれだ。でも、シノン様がそれでよければ結果オーラいなんじゃないのか?」
「いいのかぁ……こんなことで……」
昼の森にマノンの心配するような呆れているような声がむなしく響き、それは静かな森の中へと吸い込まれていった。
♪
シノンがカノンの下へ帰ってから約一週間。
結局、あの後マノンが取り乱してしまい結果的にシノンの真意とやらを聞けずにもやもやとしていたリノンの下にある人物が訪ねてきた。
「……何であなたが来るんでしょうか?」
「ねぇリノン! シノンが! シノンがー!」
おそらく、シノンの真意が読み取れていなかったというのが原因でまた彼女が出て行ってしまったのだろう。
カノンは長老の風格などどこかへ飛ばしてしまったようで、目に大粒の涙を浮かべ、リノンの寝床へと飛び込んできたのだ。
これはまた、めんどくさそうだ……
どうやら、自分もしくはカノンがシノンの真意を読み取れるまで自分の苦労は絶えないらしい。
リノンは大きくため息をついて、カノンの頭を軽くたたく。
「まったく、なに泣いているんですか。早くセントラルエリアに帰りましょう? カノン様!」
「うん! うん! よろしくね! 秘書代理やってくれるってことだよね!」
「はい。もちろんですとも」
「やった! ありがとう! そう。感謝しているよリノン!」
興奮した様子のカノンを抱き留め、リノンは苦笑いを浮かべる。
「まったく……これからも大変そうだな……」
「んっ? リノン。何か言った? そう。言ったの?」
「いえ、何も言っていませんよ。カノン様」
そう言って、カノンを慰めたリノンはカノンの手を取り、セントラルエリアへと向けてとびだっていった。
♪
一方そのころ。
セントラルエリアを飛び出したシノンの様子はマノンの横にあった。
「まったく! あの子ったらまったくわかっていないんだから! なんでいつもいつも!」
「まぁまぁシノン様。今度はリノンもおそらくわかっていると思いますし大丈夫なんじゃないですか? たぶん……」
こんなことを言っている一方で彼女にシノンの真意を伝えていないため自身が持てず、言葉が尻すぼみになる。
そんなマノンを見て、シノンは小さく息を吐いた。
「まぁいいわ。今度、リノンが来てもホイホイと帰らなければいいのよね。そう。そうすれば問題ないはずよね」
なぜ、最初からそうしなかったのかとあきれるマノンの横でシノンは今まさにいい手を思いついたといわんばかりにうんうんとうなづいている。
これはまた、苦労が増えそうだ……
マノンはシノンに感づかれないように小さくため息をついた。