第4節 エルフの来訪者(前編)
マノンとの会話の次の日。
リノンの姿はセントラルエリアにあった。
相変わらず、シノンが帰る様子がないので秘書を続けているためだ。
仕事と言えば、カノンの言うままに扇いだり、食事を用意したりと相変わらずのモノだ。
「そうだ。リノン……ちょっといい? うん。こっちに来て」
「はいはい」
どうせまたくだらないことだろうと思いながら返事をする。そうでなかったとすれば、シノンを連れ戻す方法を思いついたかと聞かれるぐらいか……
はっきり言って、原因もよくわからないのでどうやったら連れ戻せるかまったくわからない。後者だった場合、彼女を怒らせてしまうだけだろう。
リノンが彼女の前に行き座ると、彼女はいつになく真剣な表情でカノンの目を見つめた。
その瞬間、リノンは体が凍りついたように固まるのを感じた。
ただ事ではない。リノンの勘がそう告げている。
「……リノン。本来ならシノンかマノンに頼むところだけど二人ともいないからあなたに頼むよ。そう頼んじゃう」
「はい」
「森の中にあの人間以外に誰かが侵入してきたみたい。うん。入ってきた。種族はエルフ……十分に警戒して。そう。気を付けて。そして、妖精の恐ろしさを知らしめちゃってよ! そう。やっちゃって!」
「はっ!」
ようやく仕事らしい仕事だ。
どうやら、そこら辺まで秘書のそして、マノンの仕事であるらしい。
リノンは頭を片膝をつき頭を深く下げたままニヤリと笑みを浮かべる。
「それじゃ武運を祈るよ。そうがんばって」
「はっ!」
短く返事をしたのち、リノンはカノンから地図を受け取り一気に飛び立つ。
その地図によると、侵入者がいるのはセントラルエリアから見て北東側のエリアのようだ。
それを確認したリノンは進路を北東に取り、一気に加速する。
『やっほーリノン聞こえる? そう聞こえてる?』
その時、突然リノンの声が頭の中に響いた。
「えっ?」
どこかに彼女の姿があるのではないかと周りを見回してみるが、そのような気配は全くない。
『あぁごめんごめん。そうごめん。魔法で直接あなたに話しかけているの。そう。話してる。これからいうことよく聞いて、そう。聞いちゃって』
「はい」
それを聞きながらリノンは再び北東方向へ移動し始める。
『侵入者がエルフだって話はさっきしたよね? 覚えてる? うん。忘れてないよね?』
「えぇまぁ……」
『それに追加情報。そう。追加。侵入者さんはあまり攻撃の意志がなさそうだっていう報告が来てるの。そう。来たの。だから、そのエルフに訪問目的を聞いて、場合によっては私の前に連れてきて。そう。連れてきちゃって』
「はい」
『それじゃ会話終わり。早急な解決よろしくね。うん。お願い』
その言葉を最後にカノンの声は聞こえなくなり、リノンが飛ぶことにより発する風を切る音だけが聞こえてくる。
いくら広大なシャルロの森と言えども森の中にいくつか設置されているゲートを利用すればあっという間に目的地に着くことができる。
リノンは地図と森の中のゲートの印で現在位置を確認しながら北東の目的地へまっすぐと向かう。
地図に記された場所に到着すると、すでにそこには数人の妖精がいて、その中心に侵入者と思しきエルフの姿があった。
「カノン様の使者で来た」
その一言で妖精たちが一斉にエルフから離れる。
そして、そのうち一人がリノンのそばへ寄ってきて耳打ちする。
「どうやら、彼女はカノン様との対談を望んでいて、交戦の意志はないそうです」
「わかった。あとは私がやっておく」
リノンはつばをのみエルフの方へと歩み寄っていく。
一方でエルフの方は余裕の笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「……あんたが長老か?」
リノンが歩み寄るなり、エルフはその姿に似合わない粗暴な口調で話し始める。
リノンはその場で足を止めて首を横に振った。
「違う。私はその長老に頼まれて様子を見に来ただけだ」
「ふーん。まぁいいけれどさ、妖精を束ねている長老には会えるの? 会えないの?」
それを見たエルフは不機嫌そうな表情を隠そうともせずにリノンを見据える。
おそらく、この場で相当時間待たされていたのだろう。
リノンは彼女をカノンの前に連れていくべきか判断しなければならなかった。
正直なところ、カノンは自分の前に連れてきてもいいといっていたのだから、そのまま連れて行けばいいのかもしれないが、そうした時にもしものことがあっては困るのだ。
仮に彼女の目的がカノンに危害を加えることであったのならのこのこと彼女をセントラルエリアに入れるわけにはいかない。
しかし、その判断をする時間はあまりないと考えていいだろう。
カノンの元へ舞い戻り、判断を仰ごうにもエルフをさらに不機嫌にさせるだけだろうし、何よりもカノンはそのようなこと望まないだろう。
その一方でリノンの中には彼女が何かをしたところで大妖精に一撃を当てることなどできないのではないかと……
かつて聞いた情報によれば、エルフは確かに魔法にたけているが、人に危害を加えるようなモノは得意としていないはずだ。
そのことを思い出したリノンは小さくうなづくと彼女の方を見る。
「わかりました。長老のカノンのところまで案内します」
「そうよ。最初からそうすればいいのに……そうだ。言い忘れていたけれど、私はシルク。しがない商人よ。あなたは?」
「私はリノンだ。カノン様の秘書代理を務めている」
「リノンだな。よし。覚えた」
エルフ改めシルクはリノンを見据えて不敵な笑みを浮かべる。
「それじゃ案内を頼もうか?」
リノンは彼女の要求に対して、静かに首を縦に動かした。
♪
リノンとシルクが立ち去った後、隠れて事の顛末を見ていた妖精たちが出てくる。
「行っちゃったか……」
「まぁ要求通りにカノン様に会わせるっていう判断も間違ってはいないし……」
「しかし、素直に要求をのむというのは……」
その場で始まったのは先ほどのリノンの行動に対する議論だ。
先ほどのエルフは口で好戦する意思はないと言いながら、この場に抑えようとしたときにかなりの抵抗を見せたのだ。
それを考えると、何か裏がありそうだと勘ぐってしまうのだ。
「だが、カノン様に連絡を入れると言ったらすっかりおとなしくなったぞ」
「でも、見たか? あの顔……ものすごくおっかなかった」
そう。リノンは彼女が到着する以前の様子を知らないからそんな判断ができたのかもしれない。カノンの命令の内容など知る由もない妖精たちはそう思っていた。
それと同時にマノンやシノンが来たのであれば、そう簡単にカノンのところへは連れて行かないだろうと……
今、この場でその話をしたところでリノンが思い直してエルフをここに連れ戻すわけでもないし、過去が変化するわけないのだが、妖精たちはしばらくその場で活発に議論を交わしていた。
その内容の多くは仮にリノンの判断ミスでカノンに危害を加えられたらどうするかという話なのだが、それも基本的には意見が出るだけでて結論に至る気配はない。
このような出来事も永遠の時を生きる妖精にとってはただの暇つぶしでしかないのだ。
かつて、ある人が“永遠の時を生きるモノの敵は永遠に続く退屈である”と言ったことがあるそうだが、まさにその通りだと納得せざるを得ない光景が目の前に広がっている。
そんな妖精たちの声は夜になるまでその場に響いていた。