プロローグ
シャロル地方のほぼ中央に位置する広大な森。
森の端にツリーハウスがある以外、人の手が入っていないこの森にはたくさんの妖精たちが住んでいる。
中でも森の中央にそびえたつ大樹“願いの木”の周辺はセントラルエリアと呼ばれ、妖精たちの中でも特に力の強い大妖精と大妖精から許可を受けた妖精しか入れないエリアが存在する。
願いの大樹を取り巻くように常時発生している結界の内側に存在するその場所は、外部の人間に発見されることはまずなく、結界が崩壊しない限り絶対的な安全が保障されている。
赤い髪をポニーテールでまとめている妖精の少女リノンもまた、この場所に立ち入ることを許された妖精の一人だ。
今彼女が歩いている場所はセントラルエリアという名称がついているものの何か建造物があるわけではない。
実際、大妖精たちは他の妖精と同様に木のくぼみや枝の上で寝泊まりしている。
そんな森の中をリノンはゆっくりとした歩調で進んでいた。
「リノンじゃない! 何! あなたも呼び出し喰らったの? まぁ私はその帰りだから一緒に行くことはできないけれどね」
そんな彼女の肩をたたくのは、妖精の長の使い走り第一号として名高いマノンという名前の妖精だ。
長い緑の髪の毛を左横でまとめてサイドテールにしている彼女は仲間を見つけたといわんばかりに嬉々とした表情でリノンの肩をたたいている。
「……あなたとは違って私はカノン様に用事があってきたのです。使い走りのあなたとは違います」
だが、リノンはその可能性をバッサリと否定する。
そう。リノンがここを訪れた理由はマノンが普段ここに来るのよりももっと深刻な理由だ。
もっとも、この言葉には彼女と同列に見られたくないという意味も込められて入りするのだが……
「それで? 重大な用って何があるのさ?」
「別にあなたに話す必要はないわ」
こんなことをマノンと話している時間さえ無駄だ。
彼女を振り切って進もうとするが、マノンに手をつかまれそれを阻止される。
「何よ?」
「いやいや、急ぎかもしれないけれど、今行っても無駄だって。というよりもいなないことを推奨させてもらおうかな」
「はっ?」
いきなり何を言い出すのだという気持ちをのせて彼女をにらむ。
しかし、彼女はいかにも妖精らしく満面の笑みを浮かべたままそれを崩そうとはしない。
「あなたがどうするかは知りませんけれど、警告は素直に受け取っといた方が身のためよ」
それだけ言い残して、マノンはそそくさと立ち去っていく。
その態度を見る限り、カノンに何か言われたのかもしれない。
「でも、そんなこと言っている場合でもないのよね。まぁ多少機嫌が悪いぐらいなら問題ないでしょ」
そう片づけてリノンはその場から飛び去って行った。
*
マノンと会ってから約十分。
リノンはカノンが住む大木の根元に到着した。
「あらあら……これはどうしたことか……」
根元からカノンの姿を確認したリノンはようやくマノンの警告の意味を理解した。
「シノンーまだ帰ってこないの? 帰らないの? なんで私は留守番? 置いてけぼり? あなたが居なかったら、私が出かけられないじゃん。出れないじゃん。マノンは代理を頼む前にどこか行っちゃうの? そう行っちゃった」
リノンが見上げる先にはいつも通り、必要以上にくどい妙な口調でしゃべるカノンの姿があった。
しかし、そこにシノンの姿はなく脱力した様子のカノンだけが枝の上に寝そべっていた。
「さて、実をいうと急な連絡でもないし……帰ろう」
自分に言い聞かせるように小さくつぶやく。
面倒なことに巻き込まれる前に逃げよう。
残念ながらリノンはこういったたぐいの面倒事の上手な回避方法を知らない。
こういったときは上手いこと言ってこの場から穏便に脱出できたのであろうマノンがすごいなどと思ってしまった。
「あっ! リノン! ちょうどいいところにいた! こっちに来て! そう上がってきなさい!」
「げっ」
見つかってしまった。
リノンは深く深くため息をつく。
「どうしたの? はやくあがってきてよ! そう上がりなさい!」
再三言われ、リノンは地を蹴って上に飛び出す。
「久しぶりだね。うん。しばらくぶりだね。リノン」
「はい。お久しぶりです」
もう観念したといわんばかりにカノンの前に座る。
「それで? 私のところに来た理由は? もしかして私に会いたかった? 会いたかったのね!」
「ある意味間違っていはいませんが……その、少しお耳に入れていただきたい情報がありまして……」
とりあえず、言うことだけは言ってしまおう。
この後多少の面倒事が待っていようともカノンの耳に伝えたいことさえ伝わればいいのだから……
いや、最悪それに関する監視を命じられて面倒事を回避できるかもしれない。
そうなれば万々歳だ。
しかし、リノンが抱いたかすかな希望はカノンの無邪気な笑みを前にあっさりと砕かされしまう。
「あぁ! もしかして、もしかしたら、小池の近くにできた小さな家のこと? あれだったら問題ないよ。そう大丈夫。ついさっきマノンに監視するように頼んだから! 頼んじゃったの!」
「えっ?」
たった今カノンが発した言葉にリノンは耳を疑った。
シノンは不在、やっとの方法で思いついた面倒事の回避方法はすでにマノンが使っている。
必死に他の方法で切り抜けようと考えるが、なにも思いつかない。
「まぁそういうわけだからさ、リノンにはしばらくマノンの代役をやってもらうかな? というかやっちゃって!」
最悪だ。
“妖精”の中では割と力を持っている方だと自負しているリノンをもってしても大妖精たるカノンの命令に背くことはできない。
あの時、マノンの警告をちゃんと聞いていれば……
そんな後悔が頭の中を駆け巡る。
「あはははっ! 無言なんだ。でも、それは肯定ってことかな? オーケーってことだよね! あはははっ!」
彼女の笑い声とともにそんな言葉がリノンの耳に入ってくる。
「いや! ちょっと待ってください!」
「えーだって、シノンもいないし……いなくなっちゃったの! まったく、どこに行ったんだろうというか帰ってきて! そうだ! せっかくだから、シノンの代わりをやってもらおうかな! というかやってほしいな! そうしたら、マノンの代わりは別で見つけるし……ワノンあたりに頼もう! うん。ワノンがいい!」
「えっあの!」
これ以上はまずいとリノンの頭の中で警告が発せられる。
シノンの役割というのは表向きには秘書のようなものとされているが、マノンに言わせればほとんどただの使用人と変わりないのだという。
それに相手が同じ大妖精ならまだ制止が聞くだろうが、カノンは大妖精でリノンは単なる一般の妖精。
そんなことになれば、なにを言われるかわかったものではない。
リノンの勝手なイメージかもしれないが、カノンならばふりふりのメイド服を着てご奉仕しなさいぐらい平気で言い放ちそうだ。
そういった方向だけは何とか回避しなければならない。
「それじゃ決定ね! うん決まり! さっそくワノンを呼んで来よう!」
そんなことを考えている間にカノンは飛び去ってしまった。
しかし、思考に夢中になっていたリノンはそのことに気づくことなくブツブツとうつむいたままだ。
やっと回避方法を思いついたころには、目の前には上機嫌のカノンと半泣きのワノンの姿があり、すでに手遅れだと感じるには十分すぎる状況が出来上がっていた。
読んでいただきありがとうございます。
この話の時間軸は大体マーガレットが森に移住したころとなっています。
また、この話は本編とは基本的にかかわらない短編集のような形で行こうと予定しています。
これからもよろしくお願いします。