プロローグ 俺の昼飯
初のオリジナル恋愛モノです。
私はコレとは別に遊戯王の連載もしていますが、こちらは例え1話が短くてもちょくちょく更新していきます。
「いらっしゃい源さん、カウンター席とボックス席が空いていますけど、どちらにしますか?」
この店の現店長である武田天衣さん―俺はいつも店長と呼んでいる―が店に来た客に声をかけ、俺も少し遅れて厨房から声をかける。店長は今年で39歳とまだ比較的若いにもかかわらず既に未亡人だ。しかも信じられない事に亡くなった旦那さんである武田武信さんは約10歳年上で、無口な上にでかくて体格がいい。細くて見た目美しい店長と比べるとまさに『美女と野獣』という表現がぴったり来る組み合わせだ。
「カウンター席でいいぜ、天衣ちゃん。耕介、オススメ作ってくれ、オススメ。あ、あと天衣ちゃん生中ひとつね」
俺の名前は矢追耕一であって、断じて耕助ではない。あと、オススメなんてメニューはこの店にはない。
ここは飯屋やおい、名前は『やばい』、『おいしい』、『いただきます』の略であり決して『山無し』、『オチ無し』、『意味無し』の略で、男同士がどうこうする意味では決してない。ついでに俺の苗字と同じだがそれも一切関係ない。いや、俺がここで働くようになった理由の一つではあるんだけどさ。
「お客様、当店にはオススメというメニューはございません。マスターの気まぐれ定食でよろしいですか?」
料理を作るのは俺なので無理な注文は当然拒否する。大体オススメってなんだよ、全部お勧めだ、それにウチにあるのはメニューはオススメではなく、気まぐれという名の一貫性のない、本当に気分で料理が変わるやつだ。それは断じてオススメという意味ではなく、その日の冷蔵庫の中身やそとの天気―暑い日にやたらと熱い料理とか作りたくない―とかで変わるから気まぐれなのだ。それを知りつつ俺の名前をわざと間違え、無茶な注文をするのはこの飯屋やおい最古参の常連客、佐藤源治、俺以外はみんな源さんと呼ぶ。俺はこの店では天衣さんを店長と、それ以外の人―つまり客だな―をお客様と呼ぶ。例えそれが知り合いでも、ここは店で、俺は店員、それも料理人だ。素人だが。
「オススメはオススメだろうが、耕介は相変わらずかてぇなぁ。外暑くてたまんねぇんだよ、キンキンに冷えたビール先にくれ」
最も一歩でも店を出たら俺はもうここの店員でも料理人でもないので普通に天衣さん、源爺さんって呼んでるけど。いい加減源爺さんへの対応が面倒になったので、どうにかしてくれという意味でチラっと店長に目配せをすると店長は笑いながら答える。
「わかりました、オススメですね」
店長は人が良すぎる所が美点だが、それを実際に行うのは俺なんだよ、勘弁してくれ。とりあえずビールをさっさと出して、この煩い爺さんに静かになってもらおう。
そもそも俺はプロの料理人と言うわけではない。調理師学校なんて通っていないし、飯屋やおいにだって初めはただのアルバイトとして働き出したんだ。というかここで働くまで料理人志望になったことは一度も無い。
俺が飯屋やおいで働くようになったのは、まあ正直に言えば就職に失敗したからだ。しかもその後フリーターとして働こうとしていても、アルバイト先が見つからない、雇ってもらえなくて途方に暮れていた。アルバイトの面接に行くと必ず聞かれる事、それは『なぜ就職できなかったのか』、『なぜ就職活動ではなくアルバイトに応募したのか』といった就職に関することだ。なんで就職に失敗したのかなんて俺が知りたいさ!いや、一応自己分析で原因はなんとなく察しているけど。
そんなこんなで就職活動を失敗し、同時に俺の中の『何か』も一緒に砕けてしまった。就職活動に失敗し、アルバイト先もなかなか決まらなくて街を適当にぶらぶらしていた時、通りすがりの飲食店でアルバイト募集のチラシがあるのに気付いた。店の名前を確認すると、飯屋やおい。俺の苗字と同じである事に変なシンパシーを感じ、同時に変な、別の意味で捉えたら滅茶苦茶嫌な名前だな、と思った。丁度昼飯時で腹も減っていたので、応募する前に店で食事をしてみるのもいいだろう、そんな軽い気持ちで俺は飯屋やおいのドアを開けた。