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『素朴で従順な女だから"合格"』? 謹んで辞退させていただきます。

掲載日:2026/03/23

「――合格だよ!!」


 油とエール、そして汗の染み付いた酸い匂いが充満する、裏通りの大衆酒場。薄暗いランプの灯りに照らされた傷だらけの丸テーブル越しに、侯爵令息であるカシアンは、ひどく陶酔した顔でそう叫んだ。


 彼と向かい合って座るルミリアは、自分の耳を疑った。


「は……?」


 間抜けな声が漏れるのも無理はない。いきなり「合格」と言われても、何かの試験を受けた覚えなど一切ないのだから。


 ルミリアが身を包んでいるのは、上品な光沢を放つ白い絹のワンピースだ。貴族の令嬢が休日の外出に着るような清楚な装いであり、日雇い労働者や柄の悪い傭兵たちがジョッキを打ち鳴らすこの空間には、決定的に場違いだった。周囲の客たちも、明らかに浮いているルミリアを好奇の目でチラチラと見ている。


 しかしカシアンはそんな周囲の視線など意に介さず、熱弁を振るい始めた。


「やっぱり君なら、僕に相応しいと思ったんだ!最近の王都の令嬢たちは本当にわがままでね。『デートの時は男が高級店を予約して、完璧にエスコートし、プレゼントを用意するのが当然』なんて、傲慢にも程がある。高級レストランじゃなきゃ満足できないなんて、ただの欲深く醜悪な女だ」


 ドン、と彼が乱暴にジョッキをテーブルに置く。中身のエールが少し跳ねて、ルミリアの絹のドレスに飛び散りそうになり、彼女は咄嗟に身を引いた。


「でも君は違った!こんな酒場でのディナーに連れてきても、文句ひとつ言わずに平気な顔をして座ってくれている。デート代が割り勘でも嫌な顔をしない。……合格だよ、ルミリア。都会育ちの計算高い女たちと違って、辺境育ちの純朴な君を選んだ僕の目に狂いはなかった!」


 一人で勝手に自己完結して盛り上がるカシアンを見つめながら、ルミリアの心中は急速に冷え切っていった。

 そもそも、なぜこんな状況に陥っているのか。時間は、数週間前――ルミリアが王立学園に入学した頃に遡る。


*****


 ルミリア・オルブライトは、王都から遠く離れた辺境の地を治める、辺境伯家の一人娘である。彼女の幼少期は決して華やかなものではなかった。生まれつき体が弱く、熱を出してはベッドで臥せってばかりいたのだ。妻を早くに亡くした父親はルミリアを溺愛し、「王都の風は体に障る」「無理に社交などしなくていい、一生この領地で私が守り抜く」と、娘を文字通り箱入りにして奥深くに囲い込んだ。


 だが、ルミリアもいつまでも子供ではない。成長するにつれて病魔はすっかり鳴りを潜め、健康そのものになった。しかし父親の認識は「か弱く可憐なルミリア」のまま完全に固定化されており、少しでも町の外に出ようとすると泣いて止められる始末だった。


 そんな彼女が十六歳になり、どうしても王立学園に通いたいと願い出た時の父親の抵抗は凄まじいものだった。しかし、辺境伯家にはルミリアしか子供がいない。いずれは優秀な婿を取らなければ家が絶えてしまう。学園は学びの場であると同時に、貴族たちの重要な婚活の場でもあるのだ。「行き遅れるのだけはご免です」という強い意志のもと、ルミリアは少々強引な手段を使って父親を説得し、ついに王都行きの切符をもぎ取ったのである。


 王立学園に入学して間もなく、月末には「新入生歓迎パーティ」が控えていた。婚約者がいれば共に参加し、いなければパートナーを探すのが通例であり、事実上の婚活イベントとして機能している。


 ルミリアの容姿は、良くも悪くも平凡だった。ミルクティ色の髪に、珍しくもない落ち着いた茶色の瞳。身長も低めで、ある意味で小動物のように庇護欲を掻き立てる容姿ではあるが、決して目を引くような絶世の美女というわけではない。

(私のような地味な女は、積極的に動かなければ誰の目にも留まりませんわね……)

 そう危機感を抱き、まずは友人作りから始めようと考えていた矢先、不意に声をかけられたのだ。


「やあ。君、一人?よかったら僕とパーティに行かないかな」


 声の主は、一つ上の学年である侯爵令息、カシアンだった。整った顔立ちに、人当たりの良さそうな爽やかな笑顔。家格も申し分ない。辺境から来たばかりで貴族の交友関係が皆無だったルミリアは、少し拍子抜けしながらもその申し出を承諾した。パートナーとして参加する前に、まずは親睦を深めようということで、週末に王都の街を散策するデートの約束を取り付けたのである。

 だが、違和感はデートの始まりからすでに生じていた。


「……お迎えにはいらっしゃらないのですね」


 指定された待ち合わせ場所は、学園の正門前だった。一般的な貴族のデートにおいて、男性が女性の屋敷(あるいは寮)まで馬車で迎えに来るのは、最低限の礼儀でありマナーである。学園近くのオルブライト家王都邸を出る前に、父は私の外套の襟を何度も直しながら、何ともいえない顔をしていた。


「本当に、その男は迎えに来ないのか?」


「学園前で待ち合わせですわ」


「普通は屋敷まで迎えを寄越す。せめて学園の正門前に自家の馬車くらい……」


「お父様」


 少しだけ呆れを滲ませると、父はぐっと言葉を飲み込み、それから小声でぼやいた。


「……顔の良い男は信用するな」


「その理屈でいくと、王都の半数は危険人物になりますわよ」


「半数で済めばいいがな」


 ルミリアは苦笑しつつ、父の手を軽く握った。


「初めてのデートですもの。少しくらい失敗したって、経験になりますわ」


 父はそれでも不服そうだったが、最後には深いため息と共に送り出してくれた。


 正門前で待っていたカシアンは、馬車から降りたルミリアを見るなり、値踏みするような視線を向けた。


「おお、なかなか可愛いじゃん。その服、似合ってるよ」


「ありがとうございます。カシアン様も……」


「さ、おいでよ!エスコートしてあげる!」


 カシアンはルミリアの言葉を遮るように手を差し出した。ルミリアが控えめにその手を取った瞬間、ぐいっ、と強い力で引かれた。


「きゃっ……!ちょ、少し歩くのが早いですわ!」


「あはは、ごめんごめん!」


 口では謝るものの、歩調を緩める気配は一切ない。ヒールを履いた令嬢の手を引いて、人混みの多い市街地をズンズンと進んでいく。歩幅を合わせる、人混みから守るという初歩的な配慮すら皆無だった。


「まずは腹ごしらえかな!何か持ってきてたりするの?」


「え……?すみません、何も準備しておらず。殿方とのお出かけは初めてなもので」


「そっかそっか。大丈夫大丈夫、初めてなら仕方ないよ。でもさ、こういう時は手作りのサンドイッチとか用意してくれたら、男としてはポイント高いかな!」


 爽やかな笑顔で放たれた上から目線の言葉に、ルミリアは内心で首を傾げた。

(……初回のデートで、女性側に手作りの料理を要求するのですか?お互い知らない状態で、貴族が口に入れるものを手作りなんて……都会はこれが普通なのかしら?)


 連れて行かれたのは、大通りの端にある庶民向けの屋台だった。カシアンは自分の分の大きな串焼きを一本買い、豪快にかぶりついた。ルミリアの分は当然のようにルミリア自身が小銭を出して買うことになり、彼女は白い絹のワンピースを汚さないよう、ソースが少ない塩焼きの串を慎重に選んだ。


「この屋台、アイラに教えてもらったんだよね。安くて美味いって」


「アイラ様、ですか?」


「ああ、同い年の特待生で、平民の女の子なんだけどさ。彼女はこういう飾らない店を知ってて、すごく控えめで良い子なんだ。料理も上手でね!手作りのサンドイッチの差し入れもよくしてくれる、優しい子なんだ」


「……左様ですか」


 他の女性、それも自分と比べるような形で特待生の名前を初デートで出す神経を疑うが、考えすぎかもしれないと首を横に振った。

 だがその後も、本屋に立ち寄れば、彼は自分の好きな英雄譚ばかりを語り、ルミリアが手に取った領地経営の本には「女の子なのにそういうの読むんだ」と笑う。公園を歩けば、今度は「僕、見栄っ張りな令嬢って苦手なんだよね」と、誰に聞かせるでもなく語り出した。


「高い店じゃなきゃ嫌だとか、贈り物がなきゃ不機嫌になるとか。そういう女って、結婚した後が大変そうでしょ?」


「……はあ」


「その点、君はいいね。辺境育ちだからかな、素朴で」


 素朴、の一言に込められた見下しを、ルミリアはまだこの時点では確信できていなかった。

 ただ、違和感だけが、足元に溜まる水のように増えていく。

 そしてそれは、公園を半周したあたりで、はっきりと痛みに変わった。


「痛っ……」


 靴擦れだ。慣れない長距離を、合わない速度で歩かされたせいだろう。

 ルミリアが足を止めると、カシアンは露骨に残念そうな顔をした。


「えー、もう歩けないの?これから有名なクレープ屋に行く予定だったのに!」


「申し訳ありません。少し、休ませていただければ……」


「じゃあ、そこのベンチで休んでていいよ。僕、ちょっと買ってくるから!」


 そう言って、カシアンは一人で駆け出していった。数十分後、戻ってきた彼の手には、甘い匂いを漂わせるクレープが――ひとつだけ、握られていた。


「ん、美味い!大丈夫?休めた?」


「……ええ、おかげさまで」


 痛みで顔をしかめるルミリアの横で、美味しそうにクレープを一人で平らげるカシアン。その後、「ちょっと早いけど晩御飯にしようか」と連れてこられたのが、今いるこの大衆酒場というわけである。



*****



「――君、辺境伯の娘だよね?君になら、僕が婿に入ってあげても良いよ!」


 再び現在。得意げな顔で語り続けるカシアンの言葉に、ルミリアの意識は現実に引き戻された。


「婿に、入ってあげる?」


「そう!でも、領地管理とか面倒な仕事は君の家のことだから、君が全部やってね。僕は王都で社交の仕事があるからさ。子供は三人以上欲しいなあ。それと、デートには手料理を持ってくるのが『いい女』の条件だから、次回はよろしく頼むよ。アイラを見習って、少しは男を立てる努力をしたほうが、愛情を感じるってもんでしょ!」


 ――ふつふつと、ルミリアの腹の底で冷たい怒りが沸騰した。この男は、自分を何だと思っているのか。


 見た目が地味で、辺境育ちの田舎者だから、適当にあしらっても文句を言わない「御しやすい女」だと舐めきっているのだ。自分の金や手間といったコストは極限まで削りながら、相手には過酷な環境を強いて反応を窺う。そして「文句を言わない」と分かれば、今度は労働と献身を一方的に要求する。

 いわゆる『試し行動』ーー自分に自信がなく、しかしプライドだけは異常に高い男が、相手の愛情や従順さを測るために行う、最も卑劣で幼稚な自己防衛の手段。


ぐにゃり。


 奇妙な音が、酒場の喧騒を切り裂いた。ルミリアが微笑みを浮かべたまま、右手に持っていたステーキ用の分厚い鉄フォークを、親指と人差し指の力だけでへし折った音だ。


「……ひっ?」


 カシアンが短い悲鳴を上げた。周囲のテーブルの客たちも、華奢な令嬢のあり得ない握力に気づき、水を打ったように静まり返る。


「さっきから黙って聞いていれば……随分な言い草ですこと」


「えっ、ル、ルミリア……?」


「都市部の女性たちが傲慢?いいえ、傲慢なのはあなたの方ですわ、カシアン様」


 ルミリアは飴玉のようにぐしゃぐしゃに丸まった鉄の塊をテーブルに置き、絶対零度の視線で彼を射抜いた。


「令嬢たちは、決してお金をかけろと要求しているわけではありません。相手を『思いやれ』と言っているのです」


 ルミリアの凛とした声が、酒場に響き渡る。


「通常、貴族のデートで専用のカフェや個室を使うのは、ただの高級志向や見栄ではありませんわ。毒殺や誘拐を防ぎ、家門の重要な情報漏洩を防ぐため。つまり『安全』をお金で買っているのです。

 さらに言えば、高級店を利用し、宝飾品を身につけるのも、貴族として市井に富を還元し経済を回すための当然の義務。それをただの『贅沢』『金のかかる女』としか捉えられないのは、あなたが家門を守る意識も、ノブレス・オブリージュ(貴族としての矜持)も皆無である証拠です」


「そ、それは……」


「また、今日のように無計画な街歩きをするのであれば、事前にそう教えていただくのがエスコートというものです。そうであれば私も、ヒールなど履かず、汚れの目立たない平服で参りました。女性を無意味に走らせ、靴擦れを放置し、自分だけクレープを食べる。

 恋人同士お忍びで酒場に来ることを否定はしませんが、私たちはほぼ初対面でしょう。男女抜きにしても、初対面の貴族相手にこれほどまでに配慮が欠けている殿方に、誰が将来の家督を、領地の民の命を任せたいと思いますの?」


「そんな、服とかヒールとかは、君が勝手に――」


「あなたが説明を怠ったのです」


 ルミリアは一歩も引かなかった。


「割り勘が悪いのではありません。事前に何の相談もなく、相手に不都合だけを押しつけ、その上で『文句を言わないから合格』などと審査員気取りなのが不愉快だと言っているのです」


 カウンター席にいた男が、ぶっと酒を吹き出しかけて咳き込んだ。


「あなたは倹約家を気取っていらっしゃるようですが、実際に晒したのは節度ではなく、段取りの悪さと配慮のなさだけですわ。高級店を知らぬ娘を選べば御しやすいとでも思いました?でしたら大間違いです」


 ルミリアの理路整然とした正論に、店内の隅で飲んでいた女性客たちが深く、強く頷いた。グラスを掲げて無言の賛同を示す傭兵風の女もいる。隣のカウンター席では、先ほど吹き出したガタイの良い銀髪の男が、笑いを堪えきれずに肩をガクガクと震わせていた。失礼ね。こっちは笑い事じゃないのよ。


「な、なんだと……! 偉そうに! アイラは喜んでくれたぞ! やはり貴族の女は贅沢で醜悪だ、俺にはアイラしかいないんだ! 両親の言うことなど聞いて、お前のような金目当ての女を誘ったのが間違いだった!」


 キャンキャンと吠えるカシアンの負け惜しみに、ルミリアは冷ややかなため息をこぼした。


「さっきからアイラ、アイラと」


 ルミリアは冷ややかに首を傾げた。


「どんな方かは存じませんが、あなたのその杜撰なデートで喜んでみせる女性の方が、逆に何が目的か分かったもんじゃありませんわ。一度、騎士団の方に依頼して調査した方がよろしくてよ?」


 図星――あるいは核心――を突かれたカシアンは顔を真っ赤にして逆上し、ついに理性を飛ばした。


「アイラを侮辱するな!!」


 ドンッ! と乱暴に椅子を蹴立てて立ち上がったカシアンは、血走った目でルミリアを睨みつけた。


「てめえ、自分が選ばれないからって、愛されてるアイラに見苦しく嫉妬しやがって! 田舎者だからと大目に見てやれば、少しばかり口が回るからと図に乗りやがって……!」


 ギリッと歯ぎしりをした彼は、男の腕力を見せつけるような威圧的な態度でルミリアを見下ろした。


「いいだろう。男に口答えする女がどうなるか、俺が直々に教育してやる! 身の程を弁えろ!」


 傲慢さをこれでもかと丸出しにして叫びながら、カシアンはルミリアの頬を力一杯張ろうと右腕を大きく振り上げた。

 周囲の客が「あっ」と息を呑んだ。 ――だが、ルミリアから見れば、その動きは欠伸が出るほど遅かった。


 ルミリアは飛んできたカシアンの腕を左手で軽く受け流すと、そのまま手首を掴み、背負い投げの要領で彼の体をテーブルへと力強く叩きつけた。

 メシャァッ!!という木の割れる凄まじい音と共に、テーブルが真っ二つにへし折れ、カシアンの体が床に沈む。


「がはっ……!?い、いっ……たぁぁ!?」


「女性に手を挙げるなど、男の風上にも置けませんわね」


 床でもだえ苦しむカシアンを見下ろし、ルミリアは冷酷に言い放つ。


「私を、か弱く病弱な令嬢だとでも思いましたか?おあいにく様。病弱だったのは幼い頃だけです。思春期を過ぎてからは体力を持て余し、辺境の騎士団に混ざって泥まみれで鍛え上げましたわ」


「なっ……なんだお前、話が違う……!」


「私を辺境に閉じ込めておきたい過保護な父を納得させるため、実の父を木剣による決闘で叩きのめして、この王都へ来たのです。あなたごとき、小指一本で事足りますわよ。ーー地味でか弱い女を選んだつもりだったのでしょうけれど、残念でしたわね」


 酒場のあちこちで、くっくっ、と堪えきれない笑いが漏れる。

 店主らしき壮年の男は腕を組み、心底愉快そうに言った。


「嬢ちゃんの言う通りだ。うちは庶民の店だが、連れを恥かかせる男は歓迎しねえ」


 場を失ったカシアンは、真っ赤な顔で立ち上がった。


「お、覚えてろよ!」


「……忘れて差し上げる方が慈悲深いと思いますわ」


 捨て台詞だけ残して逃げるように去っていく背中を見送り、あーあ、とルミリアは溜息をつく。結局、最後まで彼は自分の財布の紐を解かなかった。


「店主様、お騒がせいたしました。こちらのテーブルの修理代と、皆様へのご迷惑料ですわ」


 ルミリアはたっぷりと銀貨が入った小袋をカウンターに置き、深く頭を下げてから悠然と店を出た。



*****



 夜の裏通りは暗く、王都の冷たい風が吹いていた。カシアンに置いていかれたルミリアが一人で路地を歩き出すと、すぐさま不穏な気配が背後から近づいてきた。


「おいおい、あんな男に置いてけぼりとは可哀想に。お高くとまったお嬢ちゃんが、一人でこんなところを歩いてちゃ危ないぜ?」


 路地裏から、ガラの悪い男たちが数人、下卑た笑いを浮かべながら現れた。明らかに浮いているルミリアの身なりを見て、ずっと狙っていたのだろう。連れの男がいなくなり、一人になった途端に囲んできたのだ。

 治安の悪い繁華街に、上品な身なりをした女性がたった一人。――案の定というべきか。先ほどルミリアが言い放った「貴族が高級店を使うのは安全を買うため」という正論を、皮肉にもすぐさま証明するような出来事だった。


「道を譲っていただけます?」


「そう怖い顔すんなよ。送ってってやるって」


「そのまま裏の馬車に乗ってくれりゃ、もっと楽なんだがな」


 なるほど、誘拐のつもりか。

 ルミリアはため息をついた。足が痛いのが少々厄介だが、それでも四人くらいなら――ドレスの太もも部分に仕込んである護身用のナイフに手を伸ばし、臨戦態勢に入ろうとした、その時。


「――そこまでにしておけよ、三下ども」


 風を切る音がした。


 次の瞬間、目の前の男が無言で崩れ落ちる。続いて二人目、三人目。最後の一人が悲鳴を上げるより早く、その鳩尾に拳がめり込み、路地の石畳へ沈んだ。

 瞬きする間に数人の暴漢を無力化したのは、背の高い銀髪の男だった。


「怪我はないか?お嬢ちゃん」


 月明かりの下、男が手を差し伸べてくる。ルミリアは相手の只者ではない身のこなしに警戒し、ナイフから手を離さずに一歩下がった。

 男はそれに気づき、苦笑する。


「警戒するのは正しい。突然出てきた男を信用するな、と教わってる顔だな」


「そうでないと、今夜のようなことになりますもの」


「違いない」


 彼は懐から革の身分証を取り出した。


「ザックス・ヴァルフォード。公爵家の次男で、一応、第三騎士団の副団長をやっている」


 その名前に、ルミリアは目を見張った。王都でも噂を聞いたことがある。最年少で騎士団の副団長にまで上り詰め、その類まれな強さと、野性を残した整った容姿から、令嬢たちに絶大な人気を誇る『銀狼』だ。


「……実を言うと、お嬢ちゃんの過保護なお父上から、『娘に悪い虫がつかないよう、こっそり護衛してくれ』と泣きつかれていてな。多額の依頼金を積まれたもんで、遠くから見守らせてもらってたんだ」


 ルミリアは目を瞬かせた。


「……お父様が」


「娘可愛さが服を着て歩いてるような方だな」


「否定できませんわ」


 思わずそう返してしまうと、ザックスが笑った。

 そこでふと気づく。どこかで見た顔だ。


「あの、あなた……もしかして先ほど酒場に?」


「いた」


「肩を震わせていらした方?」


「笑うのを堪えていた」


 悪びれもせず白状され、ルミリアはじとりと睨んだ。


「でしたら、もっと早く助けてくださればよろしかったのでは?」


「武器も持ってないヒョロヒョロ男一人、嬢ちゃんならなんとかするだろ?……それとも、助けた方が良かったか?」


「それは……」


 私は口籠った。最年少で副団長にまで上り詰める男だ。私の身のこなしで大丈夫だと即時に判断したのだろう。それに、自分のことを甘く見たあの男の鼻っ面は絶対自分で折りたかったので、静観して貰えたのはむしろありがたかった。


「あとまぁ、失礼ながら、あそこまで鮮やかに論破される姿に、少々見惚れちまってた」


 ルミリアは一瞬だけ言葉に詰まり、それから咳払いをした。


「褒め言葉として受け取っておきます」


「そうしてくれ。だが、今後は少し危ない。ああいう男は外面だけはいいから、最初は見抜きにくい」


「ええ、勉強になりましたわ」


「初デートであれは災難だったな」


「本当に」


 顔を見合わせ、二人は同時に吹き出した。

 さっきまであれほど腹立たしかったのに、笑い話に変わっていくのが不思議だった。


「いやでも、最高に痛快だったよ。……なあ、ルミリア嬢。学園を卒業したら、俺のいる第三騎士団に入らないか?」


「えっ?」


 予想外の言葉に、ルミリアはパチクリと目を瞬かせた。


「あれほどの身体能力と度胸、ドレスの裾に隠しておくのは国家の損失だ。ぜひ、うちの部隊でその腕を振るってみる気はないか?」


「……まあ。騎士団へのスカウトですの?」


「ああ。底知れないポテンシャルを秘めた逸材だからな。他所に取られる前に、早めに唾をつけておきたくてね」


ザックスは冗談めかして笑い、それから少しだけ真面目な顔つきになって姿勢を正した。


「……だが、入団勧誘の続きはまた今度にしよう。いくらお嬢ちゃんに腕があるとはいえ、夜道で女性を一人歩きさせるのは騎士の恥だからな。今日は俺に、家までちゃんと『エスコート』させてくれないか?」


 その言葉に、ルミリアは目を丸くした。 カシアンのように「地味な令嬢」と見下すこともなく、かといって彼女の「真の強さ」を認めたからといって男扱いして粗略にするわけでもない。強さを真正面から評価した上で、貴族の淑女に対する適切な敬意と配慮を示してくれたのだ。


 先ほどのカシアンとの最悪なデートの記憶を上書きするように、ルミリアの心臓がトクン、と大きく跳ねた。 ザックスが改めて手を差し出す。ルミリアはその大きな手を取り、ふわりと微笑んだ。


「……ええ。心配してくださり、ありがとうございます。ところでザックス様」


「ん?」


「月末の夜は、空いていらっしゃるのかしら?……ちょっとしたパーティがあるのだけど」


 ルミリアの唐突な逆ナンパに、ザックスは一瞬きょとんとした後、嬉しそうに牙を見せるようにニヤリと笑った。


「ああ、もちろん。とびきりのドレスを用意して待っててくれ」



*****



 月末の、新入生歓迎パーティ。華やかな装飾が施された会場の視線は、入り口から現れた一組の男女に釘付けになっていた。

地味で平凡だと噂されていた辺境伯令嬢ルミリアは、一級品の絹と宝石で飾られた深紅のドレスを身に纏い、見違えるような美しさを放っていた。そしてその隣には、王都の令嬢たちの憧れの的である、漆黒の夜会服に身を包んだザックス副団長が、誇らしげに彼女の腰を抱いて立っていたからだ。


 二人がフロアの中心で踊るワルツは、誰よりも優雅でありながらキレがあり、息がぴったりと合っていた。ザックスの熱を帯びた独占欲丸出しの視線と、ルミリアの弾けるような笑顔に、周囲の令嬢たちは黄色い悲鳴を上げながらも、ぐぬぬとハンカチを噛むしかなかった。


「お嬢ちゃん……いや、ルミリア嬢。今度の休日は俺と出かけないか?もちろん、安全で最高に美味い店を予約して、馬車でお迎えに行くぜ」


「ふふ、手作りサンドイッチは必要ありませんこと?」


「馬鹿言え。俺の女には、王都で一番美味いもんを腹いっぱい食わせてやるよ」


 そんな甘いやり取りが交わされた夜から、二人の関係は急速に深まっていった。



*****



 後日談。

 ルミリアを「不合格」にして逃げたカシアンは、自業自得というべき悲惨な末路を辿っていた。

 彼が「控えめで良い女」と絶賛していた特待生のアイラは、実は王都を暗躍する結婚詐欺グループの幹部だったのだ。デート代もプレゼントも要求せず、ただ「カシアン様ってすごい」と自分を称賛してくれる彼女は、まさにカシアンにとって『究極に都合の良い女』だった。すっかり気を許し、優越感に浸りきったカシアンは彼女を侯爵邸に招き入れ、自らの権力を誇示するために、家門の資産状況や金庫の場所、さらには重要な機密情報までペラペラとひけらかしてしまったのである。

 結果、カシアンが完全に油断しきった隙を突き、アイラは侯爵家の莫大な資金と重要書類をごっそり抜き取って、跡形もなく逃亡した。


「デート代すら惜しむケチな男ほど、自尊心をくすぐってやれば家の金庫はあっさり開けてくれるのよね。退屈なお付き合いだったけど、ごちそうさま」


 そんなアイラの置き手紙の内容は、瞬く間に貴族社会に広まり、カシアンは学園中の笑い草となった。実家である侯爵家からも見限られて勘当され、今もなお結婚相手が見つからず借金取りに追われる日々を送っているという。


 一方、ルミリアの人生は目覚ましい飛躍を遂げていた。王立学園を優秀な成績で卒業した彼女は、ザックスの誘い通り第三騎士団に入団。可憐な容姿からは想像もつかない圧倒的な身体能力と剣術、そして冷静な判断力でめきめきと頭角を現し、瞬く間に女性騎士として最前線で活躍するようになった。


 そして入団から程なくして、彼女は直属の上司であるザックスと結婚。公爵家次男と辺境伯家令嬢、そして騎士団の最強タッグの結びつきは、王都中から盛大な祝福を受けた。

 その後、数年にわたる騎士団での活躍を経て、ルミリアは第一子の妊娠と出産を機に、惜しまれながらも騎士を引退。過保護だった父親から正式に爵位を譲り受け、凛々しき『女辺境伯』として領地の経営に乗り出した。


「ルミリア、昨日の書類の決裁、俺の方でまとめておいたぞ。視察の護衛も俺がつく」


「ありがとう、ザックス。本当に助かるわ。あなたのおかげで、領地の民も安心して暮らせているもの」


 辺境伯家の執務室。山積みの書類を前に微笑み合う二人の姿があった。ザックスもまた、ルミリアの家督相続に合わせて王都の騎士団を退役し、彼女の領地へと移り住んでいた。辺境軍の総司令官として妻を軍事面から支えつつ、公私共に献身的なサポートを続けている。


 身勝手な天秤で相手を値踏みするような男には、到底辿り着けない確かな絆がここにはある。互いの強さを認め合い、対等な立場で背中を預け合うルミリアとザックスは、辺境の地で誰よりも幸せな『最強の夫婦』として、長く語り継がれていくのだった。


お読みいただきありがとうございます!

少しでも面白かった!と思っていただけた方、

体格差カップルや、年上&合法ロリカップルが好きな方、

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