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『雨はまだ、君の名前を知らない』  作者: 臥亜


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8/11

傘を持っていた人

塔は崩れかけている。

 

空に裂け目が走り、

向こう側に白い光が見える。

 

雨は弱くなった。

 

最後の一滴が、

まだ落ちずに残っている。

 

 

透は立っている。

 

彼女の前に。

 

 

「……あの日」

 

 

喉がひりつく。

 

 

「俺、動いたよな」

 

 

彼女はうなずく。

 

 

「うん」

 

 

「一歩」

 

 

「うん」

 

 

透の視界が揺れる。

 

 

「あいつを止めようとした」

 

 

「うん」

 

 

「でも」

 

 

言葉が、重い。

 

 

「お前が、先に出た」

 

 

彼女は少しだけ、笑う。

 

 

「傘、持ってたから」

 

 

 

あの日。

 

雨だった。

 

 

彼女はコンビニで買った透明な傘を持っていた。

 

 

透は持っていなかった。

 

 

横断歩道。

 

 

クラスメイトが、イヤホンをしたまま道路に出た。

 

 

ヘッドライト。

 

 

透は叫んだ。

 

 

足を踏み出した。

 

 

その瞬間。

 

 

彼女が、横から飛び出した。

 

 

透の腕を掴み、押し戻す。

 

 

その勢いで、彼女は前へ出る。

 

 

クラクション。

 

 

衝撃。

 

 

透の指先から、

傘の柄がすり抜ける。

 

 

 

「俺を、押したよな」

 

 

透の声が震える。

 

 

彼女は答えない。

 

 

ただ、少しだけ目を細める。

 

 

「なんで」

 

 

問いは、震えている。

 

 

「なんで俺なんだよ」

 

 

彼女は少し考える。

 

 

それから、まっすぐ透を見る。

 

 

「透は、動いたから」

 

 

意味がわからない。

 

 

「動かなかった人を助けるのは、つまらないでしょ」

 

 

小さく笑う。

 

 

「でも、動こうとした人なら」

 

 

雨の最後の一滴が、大きく揺れる。

 

 

「その先を見たくなる」

 

 

透の胸が崩れる。

 

 

「俺は……」

 

 

助けられた。

 

 

守られた。

 

 

選ばれた。

 

 

「俺が、代わりに――」

 

 

彼女は首を横に振る。

 

 

「違う」

 

 

静かな声。

 

 

「代わりじゃない」

 

 

塔がさらに崩れる。

 

 

光が溢れる。

 

 

彼女の輪郭が透けていく。

 

 

「選んだのは、わたし」

 

 

透の目から、涙が落ちる。

 

 

「勝手に、だよ」

 

 

「……ふざけんな」

 

 

初めて怒鳴る。

 

 

「勝手に選ぶなよ」

 

 

「俺の人生だぞ」

 

 

彼女は、少しだけ困った顔をする。

 

 

「だからだよ」

 

 

その一言が、静かに刺さる。

 

 

「透の人生だから」

 

 

「透が、ちゃんと選ぶの見たかった」

 

 

 

透の膝が崩れる。

 

 

「俺は……」

 

 

「何も返せてない」

 

 

彼女は近づく。

 

 

透の前にしゃがむ。

 

 

でも、触れない。

 

 

「返さなくていい」

 

 

「ちゃんと生きて」

 

 

「ちゃんと迷って」

 

 

「ちゃんと、選んで」

 

 

それだけでいい。

 

 

雨の最後の一滴が、

今にも落ちそうになる。

 

 

透は顔を上げる。

 

 

「お前は?」

 

 

彼女は、やわらかく笑う。

 

 

「わたしは」

 

 

言葉が、少しだけ揺れる。

 

 

「もう、十分見たから」

 

 

空が光で満ちる。

 

 

塔が崩れ落ちる。

 

 

世界が白く染まる。

 

 

透は叫ぶ。

 

 

「待て!」

 

 

彼女の姿が、さらに薄くなる。

 

 

「名前」

 

 

透の声が震える。

 

 

「俺、ちゃんと呼んでない」

 

 

彼女が、ほんの少し驚いた顔をする。

 

 

 

その瞬間。

 

 

最後の雨粒が、落ちる。

 

 

音が生まれる。

 

 

世界が砕ける。

 

 

 

透は、目を開ける。

 

 

白い天井。

 

 

消毒液の匂い。

 

 

規則正しい電子音。

 

 

窓の外。

 

 

雨は、止んでいる。

 

 

でも。

 

 

透の頬だけが、濡れている。

 

 

 

 

 

まだ、名前は呼ばれていない。

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