世代の象徴は今日もただ人事を尽くし数字を重ねる
「◯◯世代」
プロ野球界隈では、こんなフレーズがよく見かけられる。甲子園で鮮烈な結果を残した者が代名詞となり、同学年であれば該当ししばし一括りに注目される。
渡辺小次郎は、おそらく世代の象徴と言える存在だ。1年の夏からレギュラーに名を連ねて甲子園の舞台に立ち、当代最強のスラッガーだとか、世紀の5ツールプレイヤーだとか、全国に名を轟かせた。
その後、彼自身はプロ入りせず大学に進んだが、同世代の中ではく高卒でプロ入りした選手もいて、昨年は高卒で社会人野球に渡って名を挙げた選手がプロの門を叩いた。そして彼を含めて大学でプレーした面々が、今年のドラフトで注目されている。
1位候補筆頭とされる小次郎は、青空に大飛球を放っていた…。
秋晴れの横浜スタジアム、その左打席で失投を逃さなかった小次郎。打った瞬間それと分かって総立ちになるスタンド。称賛を送る歓声の中でゆっくりとダイヤモンドを回る間に、打球はバックスクリーンに直撃した。
この日、ここで行われていたのは、東京湾沿岸の大学チームが所属する「京浜六大学」の秋季リーグ公式戦。勝てば優勝の首位川崎工科大学と、それを防いで最終戦に望みをつなぎたい2位湘南大学が相まみえ、湘南の主砲である小次郎がホームランを放ったのだ。それも、リーグの通算記録を更新する記録的な一発だ。しかし、チームメイトたちが笑顔で出迎える中、打った当人に笑顔はない。なにせ4点ビハインドの8回に出たソロホームラン。焼け石に水なのは否めなかった。
結局試合の大勢を変えるにはいたらず、湘南大学は敗北。マウンドでは川崎工科大学の選手たちが歓喜の輪を作っていた。
(結局4年間、リーグ優勝は1年秋の一度きり…。できなかった。これじゃあいくら打っても空しいだけだな…)
ネクストサークルでその瞬間を、膝をついたまま見届けながら、小次郎は虚無感にとらわれていた。今日放ったホームランでリーグの通算記録を塗り替えただけでなく、今年の春には盗塁数と安打数も塗り替え、打撃タイトルでは3季連続5度目の首位打者が決定。同リーグ史上最強の5ツールプレイヤーの名をほしいままにし、この日のバックネット裏にはプロのスカウトが視察に訪れていた。
それでいて、リーグ優勝は一度きり。春秋の王者同士が雌雄を決して、全国各地のリーグ王者が日本一を争う全日本大学選手権の舞台には一度も立てないままに終わった。日本代表に名を連ねて参じたアメリカ代表との対抗戦も、自身は数字を残すも試合は後塵を拝し続けた…。
その結果、ここ数年は小次郎にこんな評判がつくようになった。
「個人記録に走る男」「優勝できない男」と。
「ドラフトを前に悔しい結果に終わりましたが、個人記録をまたも塗り替えました。今のお気持ちは」
試合後、ベンチ裏での囲み取材。テレビ局の女子アナウンサーに問われて、小次郎は表情を変えずに淡々と答えた。
「…この4年間、自分なりにチームが優勝できるように全力を尽くしてきました。塗り替えた個人記録は、単にその副産物でしかないので、光栄ではあるけど正直喜べないですね」
「全球団から挨拶があったとのことですが、意中の球団などはありますか?」
「特に…ありません。どこに行っても優勝を目指すということに変わりはないですし、指名していただいたチームで頑張るだけです」
「…ちなみに、お兄さんから何かエールなどはありましたか?」
「…」
兄のことを問われた時に、小次郎は一瞬言葉に詰まる。それまでの受け答えで淀まなかっただけに、アナウンサーだけでなく他の取材陣も戸惑う。だが、小次郎は一つ深呼吸してから返した。
「今朝は『お前はお前のできることをやっただけ。どんな結果でも胸を張れ』と。兄とは一緒にプレーする機会が一度もなかったので、もし来年そんな機会があればよかったかとは思いますね」
小次郎の4歳上の兄、武蔵は高校・大学と小次郎に先立って同じチームでプレー。選手としては突出していないが、それでもキャプテンとして主軸に名を連ね、高校では2年夏と3年の春に甲子園を制し、大学進学後も全日本選手権を二度制している。そしてセ・リーグの横浜ビッグスターズに入団すると、一軍出場こそ僅かだが、チームの数十年ぶりとなる日本一に立ち会った。その為か、「存在だけで優勝をもたらす兄、どう頑張っても優勝できない弟」という奇妙な評判がつきまとうようにもなった。それだけならまだいいが、「チームのために献身できる兄に対して、弟は才能のあまり個人記録に走っている」と陰口を叩かれることも増えていたのだ。実際、後輩たちがこんな事を愚痴っていたのを、通りがかりに聞いたことがあった。
『あの人、個人としてはバケモノだけども、優勝できない呪いの代償なんじゃね?』
『それな。あの人いなくなった途端、付属高校も甲子園優勝してるし、ケガで離脱したら俺たち逆転優勝できたりしてな。ハハハ』
だが、小次郎自身は良くも悪くもどこ吹く風。「凡時徹底あるのみ」を信条に、ただひたすらに技術を磨いて今日に至っているわけだ。
「で、では最後にドラフトに向けた意気込みを…」
気まずくなったアナウンサーが、笑顔を作り直して会見を締めにかかる。小次郎は、それでも淡々と答えた。
「指名していただいたチームで邁進する、それだけです。あとはリーグ最終戦こそ勝って終わって、胸を張ってプロに行こうと思います」
その日の夜。湘南大学野球部の室内練習場。中からはピッチングマシンのモーター音がうなり、一定の間隔で乾いた打撃音が響いていた。中で打ち込んでいたのは、小次郎だった。野球を始めたころから1日500本の素振りを日課とし、中学で1000、高校では2000と数を増やし、自由にマシンを使える大学生活では毎日2時間前後の打ち込みをルーティーンとして過ごしていた。人によっては物足りないと感じる数字かもしれないが、それは彼なりの理屈があった。
「…11時か。そろそろ終わるか」
マシンの球が尽きたタイミングで時計を見た小次郎。時刻を確認すると、足早にマシンに向かいその電源を落とす。そして駆け足で練習場に散らばるボールを集め始めた。
彼は何よりも『睡眠』にストイックだった。これだけ書くと、怠け者のようにも思えるが、それはコンディションに対する意識の高さゆえだった。起床時間…ではなく、試合開始時間から逆算して入眠。睡眠時間だけでなく起床後から身体が完全覚醒するまでの時間を確保して行動しているため、試合では常にベストコンディション。それゆえにハイパフォーマンス、好成績を残し続けているわけだ。この意識の高さを高校入学後から実践。「少ない」「サボり気味」という周囲からの非難は、圧倒的な結果で黙らせてきた。
彼には、こんなエピソードがある。
「おい!渡辺、ちょっとこい!」
高校1年の夏、3年生が引退して新チームが始動する中で合宿が敢行されたが、コンディションに合わせて練習の強度を落としていた小次郎を見て、一部の上級生…主にレギュラー入りできていないメンバー…が「しごき」を試みた。シンプルにバッティング勝負で先輩が求める結果を出せば小次郎の勝ち、それ以外は負けで自分たちが経験してきた猛練習を同じようにやるよう求めた。それに対して小次郎は、こう言ってきた。
「そんなに俺をしごきたいのなら…バックスクリーン以外はファールでいい」
「お、おい小次郎!いくらなんでも無茶だぞ!」
「加藤は黙っとけ!お前キャッチャーやれ!望み通りその鼻っ柱へし折ってやるからな!」
小次郎の条件に、のちにキャプテンとなる同級生の加藤は慌てて止めるが、勝負を仕掛けた先輩はなおもいきり立った。
この時マウンドに立った先輩は、速球派投手としてエース候補の一人だったが、裏では下級生をいびるような陰湿な一面を持っていた。実際、小次郎を威嚇するべくブラッシュボール(顔面近辺への威嚇球)を投げたり、審判役の下級生を脅してストライクゾーンを広くとらせたりと、ともかく主導権を握りツーナッシングに追い込む。
「これでおわりだ!」
そして投げ込まれたのは150キロ近い、インハイのストレート。それを小次郎は、ライトのフェンスを越える場外弾を放った。茫然と打球方向を見やる先輩と、その取り巻き性質。加藤もまた唖然としたが、小次郎は冷たく言い放つ。
「何ヘタってるんですか。言ったでしょ。バックスクリーン以外はファールって」
これに戦意を取り戻した先輩は、今度はアウトローにストレートを投じる。これを小次郎はレフトポールに直撃するライナーを流し打つ。普通なら、二打席連続ホームラン。それも、インハイとアウトローという多くのバッターが苦労し、多くのピッチャーがとどめとして活用する厳しいコース。この時点で先輩のプライドは完全にへし折れていたが、容赦しなかった。
「俺をしごきたいんでしょ?だったらまだファールだ」
さらに小次郎は、戦意を失って棒球ばかりの先輩に対して、『わざと』ファールを右に左に打ちまくって「もういい!俺の負けだ!」と降参しても、「終わりたいならバックスクリーンに打たせればいい」と突っぱねる。そうして50球以上投げ込ませた挙句に、完ぺきなバックスクリーン弾でケリをつけた。
圧倒的な才能と思考、そして築いた実績…。小次郎の同級生が今なお楽しく語るエピソードである。
「おう。自主練は終わったんだな」
寮に戻って風呂に入った後、自室に戻るところで小次郎に同級生が声をかけた。
「林か…。まだ起きてたのか?」
「眠れなくて、ちょっとシャドウピッチングをな。できれば最終戦は投げたくてな」
彼は林信彦。小次郎とは、付属高校からの同級生で、速球派サウスポーとして鳴らす。高校時代はエースナンバーを背負い、4年前の夏でも決勝の舞台で健一と投げ合った。その頃からストレートの最速は150キロを超え、彼もまたプロ入りが有力視されていたが、制球難とメンタルのムラッ気が尾を引いて指名漏れ。大学進学後は肩と肘にメスも入れてリハビリ期間の方が長かった。それでも3年秋のリーグ最終戦でデビューを飾ると、取り戻した豪速球を武器として4年生となった今年は安定した投球で一躍ドラフト候補に返り咲いたのである。
「プロ志望届は出したけど、指名があれば御の字。なくても社会人や独立へのアピールのために、学生生活のマウンドでは結果を出したいしな」
「そうか…」
「なあ小次郎。ところでお兄さん、武蔵さんの方から何か連絡はあったか?」
「今朝の試合前に、少しな」
「そうか。残念だったな、せっかく一緒にできるかもしれなかったのに、戦力外通告を受けちまったもんな」
「それがプロの世界だからな。4年間、一度も開幕一軍に入れてなかったし、今年は3試合しか出ていない。それも代打だけ、3打数ノーヒット2三振。兄貴も『覚悟はしてた』ってな」
「…思うとこ、ないのか?」
淡々と答える小次郎に、林は少し戸惑う。それを感じてなお、小次郎は冷静に言う。
「ないわけじゃない。一緒にやってみたかったっていうのは事実だ。だが、行く先々で優勝してきたっていう『ゲン担ぎ』が武器になる世界じゃない。…兄貴はそこまでだったってことだ」
「厳しいな…。お前」
「なりたいのなら納得してもさらに鍛え上げて、生き残りたいのなら結果を出す。俺はそれだけをやる。…それしかできない『野球バカ』だからな」
そう言って、小次郎は部屋に入る。彼の矜持がプロで花開くか、それとも開かず散るか。
運命のドラフトは間近であった。




