徹底秘匿の理由、試験をむしろ厳しくする理由
「いや~みんなのバッティングが成長しとって素晴らしかったわ。飛んでく打球見てて感動したで」
バッティング練習が終わり、和美が興奮気味に感想を語る。
「だろ?俺の打球はレベルが違うからな」
「自分で言うな。ま、あたしも手応えあるバッティングができたかなあ」
「まあベテランならともかく、新人は打てなきゃ指名しがいもねえしな」
「正直僕は精一杯でしたよ。先輩の皆さんと比べたら大したことありませんから」
健一、友理、大輔、そして真也はそれぞれに手応えを語った。そこに美穂を伴って杉山監督がグラウンドに戻ってきた。杉山監督はホクホク顔で拍手しながらだった。
「いやはや。皆さん素晴らしいバッティングでした。長いこと野球を見てきましたが、その中でも特筆ものでした。…ですから、球速が変わっていたのをうっかり伝え忘れたのは申し訳ありませんでしたねえ」
(嘘つけやい…健一じゃねえけど、食えない狸じじいだな)
褒めている途中で少ししょげたように言う杉山監督を見て、大輔は心の中で毒づいた。
「さて。それではそちらのお嬢さんをお待たせしすぎてしまいましたし、室内練習場にいきましょうか。そこのブルペンで彼女と君のピッチングを見せてもらいますよ」
「おいじいさん、ブルペンならベンチと内野スタンドの間にあるじゃん。あそこでいいじゃねえかよ」
移動を促す杉山監督に健一が呼び止めて目の前にあるブルペンを指さした。
紀州ボールパークは近年は当たり前になっている、グラウンドに隣接しているような…いわゆる「砂かぶり」席はない。グラウンドとスタンドの間に、それを隔てるようにベンチ、カメラマン席、そしてブルペンが設けられている。そのため、ブルペンで誰が投げているかは、スタンドから見るファンからは丸見えなのも特徴である。
とはいえ、今日は無人。わざわざ移動の必要性はないと思われるが、その意図を杉山監督は伝える。
「今日は球場近辺を立ち入り禁止にしてもらっていますが、できる限り外部の目に触れないところで君たちを見たいんですよ。君たちは全員『秘密兵器』ですからね」
「『秘密兵器』か…。いい表現だぜ」
「それに、室内練習場なら気候に左右されることなく投げられるでしょ。キャッチャーは佐藤君、お願いしますよ」
「あ~、監督…。それなんですけど、友理や真也の守備の動きは見なくていいんですか?」
今度は大輔がよう呼び止めたが、杉山監督は表情そのままに返す。
「六大学でのプレーならCS放送や動画配信もありますし、山本君は聞けば『令和の牛若丸』なる異名をとったほどの守備力。切り抜き動画はいくらでもありますしね。それに、田中君の守備ならロビンソンから送られた映像で十分ですよ。佐藤君のブロッキング(ボールを後逸しない捕手の技術)も、ロビンソンのスタッフがバックスクリーン付近で撮った映像で確認済みですからね」
「そこまで手配済みなんすか…」
「よく映像を見てるんですね。ていうか人脈すご」
大輔と友理は舌を巻いた。ともあれ全員、杉山監督の案内で球場に隣接する室内練習場へ。そこの窓はすべてシャッターが下ろされており、中の様子は見られなくなっている。徹底した情報統制もまた、囲い込む選手を気づかれないためという美穂の配慮でもあった。だが、このシャットダウンには杉山監督のさらなる仕込みもあるのだが、今明かすのは避けよう。
「ではまず小林君から見せてもらいましょう」
一通りのウォームアップを終えた後、杉山監督は球審のように佐藤の後ろに立つ。
「持ち球は30球とします。振りかぶって20、セットポジションで10、球種を申告の上お好きなように投げてください」
しかし、優子は一度顔を伏せる。そしてもう一度顔を上げたときにはっきりと、杉山監督を睨むようにして言った。
「…10でいいです。私、振りかぶりませんし、20も30も投げないとわからないようなピッチャーじゃないんで」
「…。おやおや。物静かだと思っていたら、ちゃんと”熱い”お嬢さんじゃないですか。オーナー代行。スピードガンをお任せしますよ」
対照的に、杉山監督は笑みを見せる。『それぐらいの意気込みでないと困る』と顔に書いていた。
優子は言ったとおり、セットポジションでマウンドに立つ。
「まずストレート、行きます」
球種を宣言し、ゆっくりと右脚を上げる。膝を直角まで曲げたところで、それを前に踏み出しながら上半身を屈めていく。「サブマリン」の語源である、潜水艦が潜航を始めるがごとく独特のモーション。グローブをはめた右手を前に真っすぐに突き出し、対してボールを握る左手は肘を折りたたみ、その握りを上半身でぎりぎりまで隠しながら、鞭のように腕をしならせる。そして、地面から10数㎝の高さから投げ放つ。スーーーーーーーーッ…と地面スレスレから徐々に浮き上がるような軌道を描くストレートが、大輔のミットに収まった。
「115…。数字以上のキレがありますわね…」
手にしているスピードガンに表示された球速を見て美穂は息を飲む。
「浮き上がるように見えるのはアンダースローならではですが、それだけ初速(指から放たれた瞬間)から終速(ミットに収まった瞬間)の球速差がない。これが『伸びのあるボール』というやつですよ。次は同じストレートを、ミット一つ分高くしてください」
リクエストに応じて2球目を投げる優子。ボールはさっきよりもより浮き…いや、舞い上がるような軌道を描く。
「なるほど。これならば、男を抑えることは訳もないでしょう。それに、佐藤君もいいキャッチングですね。お知り合いである程度慣れているとはいえ、軌道につられることなくミットの芯で取っていますね」
「そりゃどうも。正直、肩はあんまりなんでこっちを努力した結果ですよ」
急に矛先が自分に向けられて、大輔は平然と返したが内心焦った。
(俺のミット捌きもチェックしてやがんのか…。マジでこの人抜け目ねえな…)
「では小林君。次は変化球をお願いします。私としてはまず決め球と言えるスラーブを見たいのですが?」
「…お望みどおりに」
スラーブとは、近年多くの投手…俗に変化球投手や軟投派と呼ばれるタイプがよく使う変化球だ。スピードはスライダーとカーブの中間程度で、カーブのような大きな弧をスライダーのように横滑りするように描く、名前通りと言える変化球だ。実際、90キロ前後のスピードで、ホームベースを横断するように変化していった。
「もしこれがスラッガータイプの左打者なら、三振を取り放題でしょうね。ただでさえ、自分の背中からくるような軌道なのに、初見で対応できる打者は少ないでしょう…優子さん、もう十分ですよ」
「いえ、最後にシンカーを見てください。持ち球は全部見てほしいので」
「おっと。それは失礼しました」
そしてシンカー。スライダーとは正反対の変化をするボールで、内角側に食い込むように変化して鋭く落ちる。強いシュート回転をかけるために威力は絶大だが、抜けてしまうと失投ともなり得る諸刃の剣と言える。ストレートと同じような軌道から、音をつけるならキュッと鋭く変化した。
「お見事です。確かに、球数はさほど不要でしたね」
「…こちらこそ、出過ぎたことを言ってすいませんでした」
「いえいえ。むしろ、それほどの自信と覚悟がなければこんなところに飛び込もうとしないでしょう」
杉山監督から褒められ、優子は照れ隠しするように「…はい」とうつむきながら返事した。その傍らで、健一が右腕をぐるぐると回していた。
「うーしじいさん。次は俺だな。大輔もいい音立てて取ってくれよ!」
「あ、ちょっと待ってください。君に関してはキャッチャー交代です」
「は?」
「へ?」
勇む健一に水を差すように杉山監督は真顔で止める。素っ頓狂な指示に、健一だけでなく大輔も変な声を出す。
「キャッチャーが俺じゃない?じゃあ、友理や真也が取るんですか?」
「いやいや。さすがにそれはないですよ。鈴木君のキャッチャーは、こちらで用意していますよ」
「おいおい…まさかじいさん自ら受けるってか?あんた150キロが見えてんのか?」
「いやはや。先ほどの小林君のボールですら、目で追うのがやっとでしたよ。私があなたのストレートと対峙すれば、ユニフォーム姿であの世行きですよ。ほっほっほ」
「…年寄り自ら死にネタ言われたらなんか嫌だな…」
杉山監督のシャレにならない冗談に、さすがの健一も戸惑う。しかし、一向にはぐらかすやり取りに割って入ったのは美穂だった。
「ちょっとお待ちください監督。キャッチャーを用意しているって、私は聞いておりませんわ」
「ええ。申し訳ありませんオーナー代行。かなりぶっ飛んだキャッチャーなので、あなたにも言いませんでした。言えば、承諾しない可能性もありましたしね。ですが、信頼していないというわけではないので悪しからず」
「ちょっと監督、姉ちゃんをだますようなマネはやめてくれません?あんまふざけてると姉ちゃんが許してもウチが」
「…和美。私はよろしくてよ」
苛立った妹を、美穂は笑みをたたえてたしなめる。
「ということは、今日この球場を立ち入り禁止にしたのも、そういう意図が?」
「ええ。特にこのキャッチャーは、この時期にバレるといらないもめ事になりませんからね。…では、入ってきてください」
そろそろか、と扉のほうを向いた杉山監督は呼びかける。すると、防具をつけた一人のキャッチャーが入ってきた。その顔を見て、健一と大輔は目を見開いた。
「鈴木君と佐藤君は特に覚えているでしょう。何せ、あの渡辺小次郎とともにあなた方に立ちはだかった男ですからね」
「…ああ、覚えてるぜ。なかなかに手強いキャッチャーだったぜ」
「お久しぶりだ。あの夏以来4年ぶりか…加藤」
健一はニヤリとし、大輔も頬を緩めて手を差し出した。
「ああ、お久しぶりだな。平成高校の黄金バッテリーさんよ。まさか、こんなところで再会とは思わなかったな、こっちは」
彼の名は加藤浩輔。健一たちと同学年のキャッチャーで、4年前の夏の甲子園決勝にて、湘南大学付属高校の「四番・キャッチャー」として渡辺とともに立ちはだかった。高校通算44本塁打の長打力と遠投120m超の強肩を武器とする左打ちでキャプテンシーもあり、当時は『世代最強キャッチャー』と鳴らして、大会後の世界大会にして日本代表でもプレーした。卒業後は社会人の名門パワソニックに入部し都市対抗や日本選手権でも活躍。チームの正捕手、石川の後継者として昨年ドラフト1位で指名を受けてフェニックスに入団していた。だが、現在彼はリハビリ中だった。
「ああ悪いな。右手にぶつけられて折れててな。握手はちょっと勘弁な」
恥ずかしそうにギプスをつけた右手を見せた加藤。「そっか。じゃあこっちで」と大輔は互いのキャッチャーミットでタッチしあった。
「…現役選手とドラフト候補との接触…。タンパリングスレスレですわね。お話をいただいていたら間違いなく断りましたわ…」
「それでも、どうせなら現役選手に受けてもらうのもテと思いましてね。加藤君は口が堅いしなかなか隠密行動に優れてますね~」
頭を抱えた美穂の傍らで、杉山監督はどこ吹く風だった。
タンパリングとは、要するに「ルールの逸脱」である。野球界においては、他球団と契約中の選手に対して直接移籍交渉するという悪意ある引き抜き工作をそう呼ぶケースが多い。どこまで問題になるかはおいておいて、ドラフトが近い時期の接触はバレればそれ相応にもめかねなかった。
「話聞いた時は正直面食らいましたよ。でもリハビリ中のみでできることはなかったし、かといって左手は無事なんで捕るのには問題ないし…あとはシンプルに興味があったんでね。この4年、ほぼ野球から離れてる男のボールがどんなものかね」
そう言って健一を見る加藤の表情には、「今からお前を試してやる」と書いてある。それを見て、健一は言い切った。
「じいさん。俺は3球でいい。ストレート、カーブ、そして自慢のカットボール。『現役』を黙らせるものを見せてやるよ」
「ほほほ。それは楽しみです」
「ちょ、ちょっと健一!そんな勝手に決めていいの!?もっと見てもらった方がいいでしょ」
そこに友理がツッコミを入れる。呆れているというより、想像以上に厳しくなった条件に焦っているようだった。だが健一は意に介していない。
「優子も言ってたろ?グダグダ受けられるよりもスパッと見てくれた方がいい。一足先にプロの世界に入ってる男の感触なら説得力もあるだろ。…それに、お前は俺に3三振だったもんな」
健一の言葉に、加藤の表情、そして場の空気が杉山監督以外凍る。加藤は怒りと恥じらいを押し殺す笑みを浮かべた。
「右手だけじゃなくて、耳と頭が痛いねえ…。これからお前の運命を決める俺の過去をえぐりやがって…」
「ハハっ!悪いな。お詫びにあの時よりもスゲエボール投げてやっから」
「なんのフォローになってねえよバカ」
「加藤君…。うちのバカがホントゴメンね…orz」
カラカラと笑う健一に代わり、大輔と友理が頭を下げた。
「ゴホン。それじゃあ、まずはストレートだ」
気を取り直して、加藤はミットを構えた。だが、健一が構える場所を変えるように言う。
「そこじゃねえよ。ど真ん中投げたって面白くねえだろ。アウトローに構えてろ」
(こいつ…)
健一の指示に不満を募らせる加藤。投球練習に限らず、この手のテストにおいても普通はど真ん中に構えてもらうのだが、始めから厳しいコースに構えさせるということは、コントロールに自信があるという表れでもある。
「そんじゃまずはストレートだ。じいさんの目は見切れっかな?」
セットポジションから左足を上げて始動する健一。癖の少ない、滑らかなモーションから、オーバースローとサイドスローの中間、つまりスリークォーターで右腕を振る健一。弾丸のようなストレートがアウトローに構えられた加藤のミットに寸分狂いなく収まる。
「150キロ…」
ポツリと言った美穂だけでなく、受けた加藤も言葉を失う。
(こんな厳しいコース、テストってことで置きに行ってもねえ。この伸びとキレ、そして重さでアウトロー(ここ)に決められたら、このスピードどころか130でも打てやしねえ…)
加藤の言った「置きに行く」というのは、ボールの威力を削いでコントロールを重視するということである。狙った場所に投げようとすると思いきり腕を振れないというのは読者諸兄にも思い当たるだろうが、こうすれば当然当たれば飛ぶいわゆる『棒球』になりやすい。健一のストレートは、思いきり力を込めて投げながら、制球が寸分狂いなかった。
続いてカーブ。ストレートとの球速差は50キロ前後。緩やかに放たれながら大きく弧を描いて深く落ちていくカーブが、再び加藤のミットに収まる。そして最後のカットボールは全員衝撃を受ける。
(む?少し真ん中に来…!?)
初球のストレートに近いスピードのボールが、加藤のミットが構えられたところよりもど真ん中に近い位置に来る。そう思った加藤だったが、その急激な変化に息を飲む。甘く入ってきたはずのストレートがベースの手前で『折れた』。そして、最初に構えていたところでミットに収まった。固まった加藤に、健一はニヤリとした。
「どうだ?パワーアップしてたか?」
「…フッ…ただただ恐れ入ったよ。監督も…言うまでもないですね」
「ええ。3球とも、球種が違うのに加藤君のミットを動かすことなく投げ込んだ。まるで、あなたのボールが自分から意志をもって飛んできたようでしたよ」
加藤、そして杉山監督の感嘆に、健一は指を鳴らした。
そして加藤はふと思った。
(こんな化け物があの時立ちはだかったわけか…。もしプロでもこいつが立ちはだかるとしたら…小次郎は「優勝」に縁のないまま終わりそうだな…)
ひとりごちてかつての仲間を思う加藤。
4年前の夏、健一に夢を阻まれた世代最強のスラッガー、渡辺小次郎。
プロではなく大学に進学した彼は、その後も『栄光』をつかめずにいたのであった…。




