強くもなく弱くもない、中途半端なプロ
21世紀になってから間もないころ、日本のプロ野球は大胆な『改革』を行った。
まずはプレーオフ制度の導入。リーグ優勝を「リーグ戦の1位チーム」とせず、「上位球団で行ったプレーオフを勝ちあがったチーム」とし、それまでの1位だけでなく、上位と下位の境目である3位争いも白熱。リーグ1位の権威をどうするか今なお議論が続くが、消化試合の減少という大きな効果を生み出し、ペナントレースの熱量を終盤まで延ばし続けた。
同時に赤字経営の球団も多い中、あえてエクスパンション(球団拡張)を実施。現行の2リーグ制を維持しつつ12球団を16球団とし、これによりセンチュリー・リーグ(セ・リーグ)には新潟と鹿児島、パッショナブル・リーグ(パ・リーグ)には仙台と静岡にそれぞれ新球団が誕生した。
その際に、大阪に本拠地を置くパ・リーグの球団、関鉄ブルホーンズは親会社の経営難により、保有権売却と本拠地移転を発表。それによって誕生した球団が「和歌山フェニックス」であった。
和歌山に本社を置く企業が共同で出資しして設立された市民球団であり、その筆頭株主は関西圏ではトップクラスの規模を誇るゼネコン企業・紀州建設。招致を目指して直近から建設され、誘致決定と同時に完成した本拠地、紀州ボールパークは両翼105m、センター125mと国内最大の広さを有する3万人収容の天然芝屋外球場である。
古のころから野球人気の高い県で誕生したプロ野球チームは、誕生から20年が経ったが決して芳しくなかった。
誕生初年度は8チーム中6位となってまずまずの出だしを見せるが、初めてのAクラス入りに10年かかり、それも上位3球団と大きく離された、シーズン負け越しでの4位。「Aクラス入り、かつ貯金1以上」と定められている規定によりリーグ優勝決定プレーオフへの出場を逃した。その後今日に至るまで二度Aクラス入りしたがどちらも4位で勝率5割と負け越しで同様にプレーオフを逃していた。かといって、これまで最下位はわずか1回、混戦の結果勝ち越してのBクラスも三度あり、『強くもないが弱くもない』というのがこのチームの評価だった。それでいて、プレーオフ制度導入後は既存の11球団はもちろん、後発の4球団も出場を果たす傍らで、球団移転後一度もその舞台に上がれておらず、人はこのチームを『置いてけぼり球団』とせせら笑いもしていた。
10月初旬、日曜日のデーゲーム。この日はフェニックスの今シーズン最終戦だった。にもかかわらず、3万人収容のスタンドには、1万人程度しか入っていなかった。対戦相手が最下位に沈んでいた関東圏の千葉ロッタマリナーズだったこと、フェニックス自体もプレーオフ圏外の5位以下が確定していることもあって活気もまちまちだった。
「いよいよ今日でシーズンが終わるなあ…。どうにかして打率3割はキープしないと、オフの交渉材料にならないからなあ。なあ、小山」
「そっすね、高野さん。俺もどうにか今日1本は打って、シーズン100安打は継続したいっすえ」
フェニックスのベンチでは、センターのレギュラーである小山和也と三番を打ちながらショートを守る高野道雄が、試合開始前に自分の成績のことだけをのんきに考えていた。そんな彼らの前を、背番号18をつけたピッチャーが通り過ぎる。
「よう、坊ちゃん。今日勝てば単独最多勝だって?頑張れば年俸倍増も狙えるぞ~」
「アップ分、バックで盛り立てた俺たちにおごってくれよ~」
そう冷やかしてくる先輩選手である高野たちを、ピッチャーは一瞥だけしてグラウンドに出る。二人の先輩は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「おいキム。そうイラつくなって。別にあいつらだって、単にからかってるだけじゃねえんだよ」
「…っっても石川さん。やっぱああいう自己中な連中は見てて気分悪いっすよ。それに、俺は盛り立てられてるよりも足引っ張られてる感じが強いっすよ。結構エラー多いし、打っても何度完投負けさせられたか…」
「まあ、それでいてここまで13勝7敗だ。たった3年ですっかりウチのエースなお前さんは大したもんだよ」
背番号18をつける、キムとあだ名されたピッチャーは木村翔太。4年前、夏の甲子園初出場初優勝を果たした、和歌山平成高校のメンバーの一人だった。当時1年生だったが、もとから「スーパー1年生」として注目を浴び、優勝投手だったエースの鈴木健一引退後はその座を継ぎ、甲子園出場こそ果たせなかったが、地元球団であるフェニックスから1位指名を受けて入団。甘いマスクとモデル顔負けの長身長躯で人気はチームナンバーワン。1年目から先発ローテーション入りし11勝7敗、防御率リーグ3位の好成績で新人王を受賞し、昨年もいわゆる「2年目のジンクス」に陥ることなく10勝を挙げ、今季は最多勝のタイトルを確定させており、この最終戦で単独でのタイトル受賞をかけている。その肩慣らしに付き合っているキャッチャーは、石川和正。球団譲渡後のドラフトで指名された生え抜き選手で、チームの野手陣では最古参である。
「ま、完封でもやって球場を盛り上げてやれ。それが万年Bクラスでも応援してくれるファンへのお礼だ」
「うっす。大丈夫っすよ」
そして木村は、有言実行の快投を披露した。新シーズンへの逆襲を見据え、一軍経験の浅い若手中心の打線を組んでいるマリナーズ打線相手に、最速155キロのストレートに縦と横のスライダーを交えて翻弄。8回を許したヒットはわずか3本、四死球なしの好投を見せる。
だが、ここまで2-0とリードを許していた。
「悪いな、木村。ちょっと指が引っかかっちまって…はは…」
8回表、木村はこの試合始めて得点圏にランナーを起き、2アウトながら一、三塁のピンチを背負う。ここでバッターをショートゴロに打ち取ったが、捕球した高野は余裕のあるステップから、ファーストも取れないような大暴投。一塁のファールゾーンにボールが転々とする間に、三塁ランナーはもちろん、一塁ランナーも俊足を飛ばして一気にホームイン。三塁を狙ったバッターはさすがにアウトになったが、自分たちのミスで均衡が破れてしまったのだった。
ベンチに腰かけている木村に、高野が目を逸らして頭を掻きながら謝罪のような会釈をした。対して木村は特に返答もせずにベンチ裏へと早足で下がっていった。
コンクリート製の廊下は、スパイクで歩いているとよく音が響く。木村は噴火寸前の感情を抑えこむように拳を震わせていた。
「顔に出てるぞ。まあ、気持ちは分かるし、よくベンチで出さなかったな」
そこに通りがかってきたチームメイトが木村に声をかけた。
「ヨッさんすか…それ、褒められても正直嬉しくはないっすよ」
「確かに、褒めることではないわな」
ヨッさんこと、吉田豊一はチーム最年長かつ最古参、もっと言えば前身球団の関鉄に在籍経験のある大ベテランのサウスポーだ。今季で22年目を迎えながら今なおチームの先発ローテーションを守り続け、それを全うした証しと言える規定投球回は20年連続でクリアしているのである。
木村にとってプロとしての投球術から心構えまでを教えてくれた良き兄貴分であり、吉田もまた積極的に教えを請う木村を比較的可愛がっていた。
「アイツらマジでありえねえ…。守りもそうだけど攻撃も雑すぎる。こっちのほうがヒット打ってチャンスも作ってるってのに…バントはミスるわ打ち上げるわで見てらんないっすよ」
「まあ、今に始まったことでもないしなあ」
「…あとは監督っすよ。こんな雑な野球させといて何も言わねえ…。来年80のじいさんじゃモーロクしててもしょうがないんすかね」
「おっと、監督批判はそこまでだ。迂闊に聞かれちゃお前が咎められるぞ」
「…」
フェニックスが未だ優勝争いにこぎつけていないのは、野手陣の意識の低さだった。個々の数字はまずまずの結果を出している(実際、高野は入団10年目で打率3割を6回記録し一昨年には最多安打のタイトルを獲得)が、それがチーム成績につながらない。何より木村が頭にきているのは、先輩たちの緊張感のなさだった。バッティングにしろ守備にしろ、時折軽いプレーでエラーやサインミスを犯し、特に今日のように得点圏でその手のミスが目立った。これでは試合をモノにできない。
また、今季より指揮を執る杉山茂治監督は、かつて埼玉国士セイバーズでリーグ8連覇、6年連続日本一を達成し黄金時代を築いた名将と呼び声高いが、今シーズンは勝ち負けに関わらず穏やかなコメントに終始。活躍を褒めることはあっても、ミスを咎めたり厳しい言葉をかけることはない。無論その姿勢は良い面もあるが、木村が苛立っているのは、サインミスやボーンヘッドといった選手の意識に起因するミスもそうしないところであった。御歳79、続投する来シーズン中には80歳の誕生日を迎える球界史上最高齢監督であるが故の呆けと取られても仕方ない。まして木村は杉山監督の黄金時代に生まれていないのだ。
愚痴る度に怒りの色合いが強まっていく木村に、吉田はポンと肩を叩いた。
「なあキム。それでも、全員が全員お前が呆れるような選手じゃないんだ。まだ試合は終わっていないぞ」
諭す吉田に木村は苦笑いを浮かべたところで、球場が大きく沸いた。
なんだなんだと木村と吉田がベンチへ向かって目に入ったのは、マウンドでがっくり首を垂れるピッチャーと、首をかしげるキャッチャー。ホームベース周辺には主審のほかにフェニックスのユニフォームを着た選手が三人。そして三塁を回ったバッターが、どや顔でベンチに向かって拳を突き出す。
「キム~!!最多勝取り返してやったぞ~~~」
打ったバッターの名は高橋秀悟。木村の2歳年上で、プロ入りも2年先にドラフト1位で入団。元は投手だったがコントロールに難があり、2年目から打者転向。だが、変化球にからっきしで『大型扇風機』と揶揄され、一軍昇格自体が前年までなかった。
それが今季から就任した打撃コーチの指導で開眼。夏以降に満を持して一軍に昇格すると、8月のプロ初出場以降ホームランを量産し、このホームランはシーズン20本目のホームラン、初の満塁ホームランだった。
「な。捨てたもんじゃないだろ」
「ハハ…そうっすね!」
吉田に言われて、木村は笑みを浮かべた。8回裏に試合をひっくり返し、ホーム最終戦勝利は目前。そして最終回には、チームの守護神であり、木村と同期入団の同い年、山田強が上がる。木村よりも小柄だが、キレのある直球とフォーク、カーブ、シンカーと落ちる変化球を駆使して去年からその座を務めて2年連続で20セーブ以上をマークしている。
「さあ~ヤマ、頼むぜ…」
木村の念が通じたか、山田は二者連続三振。勝利まであと一人までこぎつけた。そして、最後のバッターをセンターフライに打ち取って試合終了…の、はずだった。
「オーライオーライ。今年最後のアウトっと」
センターの小山が落下点に入り、余裕をもってグローブを構えた。だが、捕球の瞬間に悲劇が起きる。
「ゲッ、あ!オッとお!」
ボールはグローブの土手に当たり、閉じられる直前にこぼれる。慌てて取り直そうとした小山はそのままもつれて転倒した。
「はああああああああああああああっ!!!???」
ベンチの木村は思わず叫んだ。マウンドの山田も目を見開いて茫然とする。一方で、やらかした小山は恥ずかしさから膝を突いて乾いた笑みを浮かべていた。
そしてここからチームのリズムは崩れた。
気を取り直して山田は次のバッターに対峙するも、初球を痛打されて左中間真っ二つでまず1点。さらにコースを突こうとした山田は力んでストレートのフォアボールを与えて一、二塁のピンチを背負う。石川が間合いを取るが、山田の表情が硬い。実のところ、山田もまた先輩野手陣の軽い姿勢から信頼がおけず、三振狙いの投球に固執。その結果…
「うぉっ!!」
追い込んだところで投じたフォークが、石川の思わぬところで弾んでワイルドピッチ。しかも悪いことに石川のプロテクターに当たって勢いなく転がったことで二塁ランナーが一気にホームへ突入。間一髪間に合わず同点となる。そして…
「あっ…」
山田が声を漏らした瞬間、ど真ん中に吸い込まれたストレートを、マリナーズの四番・市原が強振。ライトスタンドへ確信歩きの勝ち越し2ランを浴びた。
その裏、フェニックスの攻撃はあっけなく終了。最後は小山が三球三振に倒れてシーズンが終わった。自滅からのどんでん返しを見せられたファンの多くは、試合後のセレモニーを待たずしてその多くが帰宅の途についていった。セレモニーでは杉山監督の挨拶がヤジでかき消される中で、整列している高野がポツリとつぶやいた。
「まあ…これも野球だよな。しょうがねえか」
その時だった。木村が高野を見るや飛び掛かったのだった。先輩の胸倉をつかんで顔を近づけにらみつけた。怒りで顔を赤らめつつ無言の木村に高野はあきれたような表情で払おうとする。すぐに高橋と吉田が木村を引きはがすが、木村はわめき続けた。
「こんなもん『プロ野球』じゃねえよ!!プロのくせに『草野球』しかできねえのかよてめえらはよ!!」
高橋に羽交い絞めにされながら、足を振り上げる木村。場内が騒然とする中で、スタンドから一人の女性がグラウンドを見下ろしながらつぶやいた。
「さて、『改革』を始めましょうか…」
これが、和歌山フェニックスの【現状】であった…。




