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ウイニングショット  作者: 中村鉄也
第2章~チーム内の生存競争、開幕~
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男の世界に「女」は通じるのか

 ところ変わって、上富田町の二軍キャンプ。午後の練習が開始される前に、選手たちはストレッチをして腹ごなしと身体ほぐしをしていた。


「え?吉田さん、今日の紅白戦出るんすか?じゃあなんでここに残ってるんすか」


 グラウンドで足を広げながら、ベテラン右腕の井上幸雄いのうえ・ゆきおは驚きの声を上げた。其の反応に、吉田は苦笑した。


「出るってわけじゃない。名前を貸しただけだよ。お前、偵察メンバーってわかるか?」

「偵察メンバー?えーっと、たしか投げる予定のないピッチャーが野手の代わりにスタメンに入って、相手ピッチャーが分かったら野手に変えるってやつでしたっけ?」

「そうだ。前日に明日の試合の先発ピッチャーがわかる『予告先発』がなかった、俺らの子供のころにはよく見たろ。それをやるんだと」


 現代のプロ野球は試合前に先発投手が告知済みの「予告先発」制度をとっている。人気のあるエース投手、あるいは話題性の高いルーキーが登板することを事前に告知することで集客力向上に繋げようと取り入れられたもので、90年代はパ・リーグにて土日限定で導入が始まり、そのうちに全試合に拡大し、両リーグで導入されるようになった。これは戦術的にも大きく、例えば左の先発投手に対して右バッターをズラリと並べて迎え撃てるというメリットもあった。

 だが、80年以上の歴史を持つ日本のプロ野球界において、前もって先発が分かるようになってまだ20年程度。それまでは当日の先発投手は誰であるかは、それまでのローテーションや試合の重要度などから『推察』するしかない。より確実に情報を得るための良く使われたのが「偵察メンバー」だった。スタメンでは投手を起用し、その後守備に就く前に本来使いたい野手を起用するという具合だ。



「なんでそんなこと紅白戦でやんなきゃダメなんすかね」

「どうやら、監督は竹内だけじゃなく、もう一人コンバートさせたいらしい。しかし、だったら唐突にじゃなくて、ちゃんと事前に言えばいいのにな」

「あ。そういや、昼飯前に何人か串本行きましたね」

「まあ、杉山監督はきっといろいろ考えてるんだろう。俺たちは、いつ結果が求められてもいいように鍛えるだけだ」


 チームの先発ローテーションを長らく支えた二人。特に吉田は例年になくワクワクした感情で腕を撫していた。



「よう、小次郎。調子はどうだ」

「兄貴?なんでここに」


 場所は変わって一軍キャンプの串本。昼食休憩を終えてグラウンドに選手たちが出向く道中、小次郎に声をかける人物が現れた。彼の兄の武蔵むさしである。小次郎と入れ替わる形で、昨年限りで現役を退いた彼はジャケットを羽織っただけの軽装に、首から「取材許可証」と書かれたカードをぶら下げている。


「ありがたいことに解説者の仕事をもらってね。もっとも、地上波とかじゃなく動画配信の小さいチャンネルだけどな。せっかくなら弟のプレーを生で見ようと思ってな。お互い、なかなか生観戦できなかったなってのもあるしな」

「…言われてみれば確かにな。少しでも元プロを驚かせるように頑張るさ」

「もう驚いてるよ。なんでドラフト1位の実戦デビューがラストバッターなんだ?ざっと見て下位ルーキーが上位打線ってのもビックリしてるがね」


 やや大げさに感想を述べる兄に、小次郎もまた苦笑する。紅白戦とは言え特異なオーダーであることも事実だ。だが、武蔵はなおも止まらない。


「しかし、このチームも大丈夫なのかねえ。客寄せに女を二人も入団させて、一人は投手よりも身体能力が問われる野手と来たもんだ。さすがに80歳で現場に立つというのも、考えもんだな」

「見てもないのに、ずいぶんな言いようですね。新人解説者さん」


 やや見下す物言いをする武蔵に、目を据わらせた笑顔で返したのは、通りががった友理だった。


「おーおー、君が噂のね…。見てないわけじゃない。初日からバッティング練習は見させてもらってたよ。確かにいいものあるよ。男の世界に飛び込んでみたくなったのも分かる。だが、打撃投手バッピのボールはある意味打って当然の棒球。実戦でプロのボール、オープン戦にもなれば抑えにくる敵ピッチャーばかりだ」

「でしょうね。凄い楽しみですよ」

「自信満々だね~。まあ、現実を突きつけられるか、覆すか。こっちも見る側として楽しみにさせてもらうよ」


 ニヤニヤとしながら武蔵は友理の背中を叩く。友理は眉をひそめたが、武蔵は「おしりじゃセクハラになっちゃうからな」と悪びれなかった。そのまま友理は足早にグラウンドに向かっていった。


「なるほど。なかなかの『血の気』だな。まあ、お前も変わった球団に入ったもんだ。今日の紅白戦で格の違いを見せてくれよ」

「…期待してくれるのは、ありがたいよ兄貴。ただな」


 小次郎は一度キャップのつばを下げてから、武蔵を見返す。その眼には少し怒りがこもっていた。


「あまりチームのことを小馬鹿にするのはやめてくれ。…自分の兄であっても、気分は良くない」

「おっと、悪いな。ま、頑張れよ」


 あきれたような笑みを浮かべながら、武蔵はそう言って背を向けた。瞬間、顔から笑みを消した。


(ああいう正義面…。どこで覚えたんだかねえ。野球の才能だけ抜きんでていればいいものを…)


 武蔵が抱えるある思いが、その時顔に出ていた。だが、それに気づくものはいなかった。

 



 ザッ…


 時間も経過していよいよグラウンドに選手たちが散る。そして、先発としてマウンドに立った優子が投球練習に入り、右足を上げる。それを大きく踏み出していく一方で左腕をぎりぎりまで隠しながら一気に上半身を沈ませる。そしてリリースの瞬間に一気に伸ばされた腕、そして放たれたストレート。左のバッターボックスでボールの軌道を見ていた近藤は舌を巻いた。


「うへえ…。まさに背中から来るって表現がぴったりだ。加藤、逆にキャッチャーも捕りにくくねえか?」

「ギリギリまでリリースポイント(ボールを手から離す瞬間の位置)を隠してますから、多少はね。なんでマスクが俺なのかってのも正直思ってますよ」

「だよな。あの子だって最初の実戦形式、慣れてるキャッチャーの方がいいだろうに」

「まあ、慣れてない側からしたらありがたいですよ。正捕手になるには、誰のどんなボールでも取れるってのは鉄則ですからね」


「優子、イケるか?」

「何の心配?」


 一方で、マウンドでは大輔が優子に声をかけていたが、優子は意に介していない。


「人の心配してる場合?あなたも急造のサードで大丈夫なの?トンネルなんかしないでよ」

「はは。余計なおせっかいだったかな」


 つっけんどんな対応の優子に、大輔はそのままサードのポジションについた。そして、その時は来た。


「よーし、プレイボール!!」


 防具をつけてそうコールした主審は、平野打撃コーチだった。この紅白戦、杉山監督はバックネット裏の放送室で観戦。新人中心の白軍は菅原コーチが、レギュラーが揃う紅軍は増田ヘッドコーチが指揮を執り、審判はその他のコーチ陣が担う。打席には紅軍の先頭打者である近藤が立つ。スイッチヒッターの彼は本来なら左投手が相手なので右打席に立つのだが、初回のみ杉山監督の指示で左で打つ。


(投球練習からして、近藤さんは彼女のストレートに慣れていない。とりあえず最初はそれで押してみるか)

 思案した加藤がサインを出して、マウンドの優子は頷く。ランナーはいないが、優子はセットポジションから投球モーションに入った。そして、ストレートを投じる。外角低めいっぱいだ。


「ストライク!」

「ほー…」


 平野コーチのコールに、近藤は改めて戸惑う。


(スピードそのものは多分バッセン程度のそれだろ。だが、ぎりぎりまでボールを握る左手を隠しているせいで「いつの間にか投げられてる」って感じだ。それに、浮き上がってくるというより、地面スレスレを滑空してるように見える。この対角線はマジで左は苦労するぞ…)


 2球目も同じようなボールが投じられたが、今度もストライク。ストライクゾーンの幅の基準であるホームベース。その角をかすめるように優子のストレートは投げ込まれている。

 3球目、またもストレート。だが今度は内角低め(インロー)


(うっ、当たるか?)


 近藤は前足(左打席で立ってる打者のピッチャー側の足。この場合は右足)を半歩外に無意識に開いて見送る。判定はボールだった。


「平野さん、入ってません?」

「俺の眼にはボール。ベースをかすってなかったよ」


 加藤の問いに平野コーチはそう返した。不満というよりは確認するかのようなやり取りだった。カウントは1ボール2ストライクだ。そして4球目。優子の手から放たれたボールは、大きく弧を描いていく。


(スライダーか?ってとおっ)


 自分の背中から飛んできたようなボールは、逃げるように三日月のような軌道を描いて近藤の視界を横切っていく。そのままアウトコースいっぱいに決まった。


「ストライク!バッターアウト!」

「はえ~…。こりゃ左バッターは苦労するな。俺スイッチで良かった~」


 ルーキー、それも女性投手相手に、一度もバットを振ることなく見逃し三振。印象の良くない三振だったが、打席の近藤は平野コーチのコールを聞いてもあっけらかんとしている。ベンチに引き上げる途中、橋本とすれ違いざま軽い情報交換。


「どっすか?あの子のボール」

「初見じゃ無理。一番厄介なのは、想像以上に『来ない』し『遠い』。まあ、変人なお前なら当てはするかもな」

「ひっでえ言い方っすね」


 近藤からの情報を得て打席に立つ橋本。独特なオープンスタンスでバットを構える橋本に対し、マスクをかぶる加藤は思案する。


(橋本さんの立ち方なら、近藤さんのように『背中から来る』という感覚は使えるかはわからん。…だが打たれたところでどうせ味方だ。それに、一軍で投げたいなら、サウスポーを苦にしない左バッターを打ち取れないとダメだ)


 初球は近藤の時と同じく、対角線気味に放たれるストレート。見送った橋本は戸惑っていた。


(俺みたいに身体開いて打つバッターなら、まだ何とか出所は見えるが…思った以上に遅く感じる。なるほどね、これが『来ない』ってことか)


 ここでオープンスタンスについて解説する。

 ピッチングフォームにオーバースローやサイドスローといろいろな投げ方があるように、バッターにもいろいろな打ち方がある。

 まず標準的なフォームは、開いた両足を平行にして立つ『スクエアスタンス』。

 ここから派生して投手側の足をホームベースから離れた位置に置いて自身の胸を投手に向けるように立つのが『オープンスタンス』。逆に、投手側の足をよりホームベースに近づけ、背中を見せるようにする立ち方が『クローズドスタンス』である。

 前者の利点はホームベースから離れるために身体に近いインコースのボールに対処しやすく、デッドボールになるボールをよけやすいが、より遠のくアウトコースへのボール、特にさらに外側へと変化していくスライダー系には弱くなる。後者はホームベースに近づく分、外角のボールにバットが届きやすくなったり、見極めやすくなったりする一方で、デッドボールのリスクをはらむ。この二つのフォームは互いに一長一短がはっきりしていると言える。橋本のオープンスタンスはそれがかなり極端で、まるで関取が踏む四股のように大きく開き、ほぼ投手に対して正対している状態だ。ボールの出どころ、つまり優子のリリースポイントは近藤よりは見やすい。だから、近藤が感じたような『背中から来るような』という感覚はない。だが、もう一つの戸惑い…『ボールが来ない』という感覚はぬぐえずにいた。

 これはシンプルに、優子のボールが『遅い』のだ。


 球速、つまり投げられるボールの速さは、残酷なまでに男女差が出る。バッティングセンターで速球として投じられることの多い130キロは、男性プロとしてはかなり遅い部類だが、女性の世界では世界最速クラスである。男のそれが170キロにも迫りつつある中で、この差は大きい。

 そして橋本らプロ野球選手は基本的に150キロ前後のボールを打ち返す。この状況で110キロ台の優子のストレートは、打撃練習で打つ打撃投手のそれと比べてもスローボールに近い。だから『来ない』と感じるのだ。それでいてボールの威力はある。このギャップが打者を大いに苦しめた。


 ガキッ!


 橋本が待ちきれずに打った打球は、鈍い音を立ててファールゾーンを転々とする。


(くそ。俺どっちかと言えば遅いボールの方が打つの得意なんだけどなあ…。球速と球威が一致してえねえ。この「バグ」は慣れないと相当きついな…)


 そして橋本もまた打ち損じ、キャッチャーへのファールフライに打ち取られた。


「いや~うまく当たんないね。あの子は思ったより戦力になるんじゃねえかねえ」

「ケッ!遅いボールなんざ怖かねえや!だったらねじ伏せてやらあ!」


 引き上げてきた橋本に、高橋は鼻息荒く打席へと向かっていった。その様子を橋本は苦笑いだ。


「変な気合入ってんなあ…。大丈夫かね、あれ」

「まあ、ドラフトの時に指名にキレてたしな。思うところがあるんだろうが…」


 ヘルメットを手に準備をしていた山下がそれに頷いていた。


 一方で、打席に立った高橋は殺気立っていた。その覇気には加藤も思わず戸惑う。


(こ、こんな迫力のある高橋は初めてだ。だが、これが力みになってやしないか?)


 サードで状況を見守る大輔も、高橋への観察は怠らない。


(ああいう感情を表に出すタイプっていうのは、やりやすいかと言われると必ずしもそうじゃない。単純…いや、『単細胞』なタイプならば力めばかえってスイングは鈍くなるし、無理やり打ち上げようとするアッパースイングもひどくなるから、甘いボールですらひっかける。だが、まれに本当に血肉と化して想定を覆す結果が出る。アイツの場合はどうなのか…勝負所だぞ)


「さあ来な。女じゃ男のプロの世界は無理だってことを突き付けてやっからな!!」


 そう言ってスタンドにバットのヘッドをむける『予告ホームラン』のポーズをとる高橋。対して、マウンドの優子は一切表情を崩さない。


 そして、その初球が投じられた。

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