番外編 6∶庭園で出会った少女 ―アンリ視点②―
その夜。
アンリは部屋の窓辺に立っていた。
灯りは消したまま。
静かな部屋の中で、夜空を見上げている。
眠れるはずがなかった。
「……」
脳裏に浮かぶのは、あの庭園の光景。
月明かり。
噴水の音。
そして――
あの少女。
ジュリア。
アンリは小さく舌打ちをした。
「……忘れろ」
低く呟く。
相手は敵だ。
ブリリアント帝国の宰相の娘。
ナグラート王国を屈辱の属国へと落とした男の血を引く者。
関わるべきではない。
それなのに。
どうしても思い出してしまう。
月明かりの中で微笑んだ顔。
驚いたように目を見開いた表情。
そして――
「属国とか関係ないわ」
あの言葉。
胸がざわつく。
そんなはずがない。
属国であることは、ナグラート王家にとって最大の屈辱だ。
王族でありながら、他国の貴族たちに嘲笑される日々。
父王がどれほど苦しんだか。
兄たちがどれほど歯を食いしばってきたか。
アンリは知っている。
それなのに。
あの少女の瞳には、嘲りも軽蔑もなかった。
まるで本当に――
そんなことは関係ないとでも言うように。
「……甘い」
アンリは自嘲するように笑った。
ただ世間を知らないだけだ。
宰相の娘として、守られて育ったのだろう。
だからそんなことが言える。
きっとそうだ。
……そうでなければ困る。
アンリは額に手を当てた。
胸の奥がざわめいている。
まるで嵐の前の海のように。
落ち着かない。
「……馬鹿らしい」
呟きながら、再び窓の外を見る。
夜空には月が浮かんでいた。
その光が、ふとあの庭園を思い出させる。
月明かりの中に立っていた少女。
輝く銀の髪。
そして――
優しく微笑む瞳。
「……」
アンリはゆっくり目を閉じた。
だが、すぐに小さく息を吐く。
「……ジュリア」
自分でも気づかぬうちに、名を呼んでいた。
その瞬間。
アンリは眉を強く寄せた。
「……くそ」
拳を握りしめる。
敵の名を、こんなふうに呼ぶなど。
ありえない。
だが。
それでも。
あの少女の姿は、どうしても消えてくれなかった。
――翌朝。
アンリは鏡の前で自分の顔を見た。
目の下に、うっすらと影ができている。
どうやらほとんど眠れなかったらしい。
「……情けない」
小さく呟く。
ただ一度会っただけの少女のことで眠れないなど。
第五王子として、あまりにも情けない。
アンリは軽く息を吐いた。
だがその時。
扉の向こうから、侍従の声が聞こえた。
「アンリ殿下。本日の朝食の準備が整いました」
「……今行く」
短く答える。
そして部屋を出ようとして――
ふと足を止めた。
もし。
もしまた。
あの少女に会うことがあったなら。
自分は――
どんな顔をすればいいのだろう。
アンリは一瞬だけ目を伏せた。
だがすぐに表情を消す。
王子としての仮面を被る。
「……関係ない」
低く呟いた。
そう。
もう会うことなどないだろう。
ブリリアント帝国の宰相の娘と、属国の王子。
交わるはずのない存在なのだから。
――そのはずだった。




