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番外編 5∶庭園で出会った少女 ―アンリ視点―

初めて彼女を目にしたとき。

月の女神が舞い降りたのかと思った。

月明かりに照らされた庭園で、ひとり立つ少女。

淡い銀の光をまとったその姿は、あまりにも幻想的で――思わず息をのんだ。

こんなにも美しい人を、アンリは今まで見たことがなかった。

胸が強く打つ。

鼓動が速くなる。

ただ目を離せなかった。

「……あなたは?」

少女は不思議そうに首を傾げながら、柔らかな声で問いかけてきた。

その声さえも澄んでいて、アンリは一瞬言葉を失う。

だが、次の瞬間。

少女は微笑みながら名を名乗った。

「ジュリアよ」

そして続けた。

「グラヴィス宰相は私の父上なの」

――その瞬間だった。

アンリの胸に、氷の刃が突き刺さる。

グラヴィス宰相。

その名を忘れることなどできない。

十数年前。

ナグラート王国を属国へと追い込んだ男。

父王は屈辱に震え、王家の誇りは地に落ちた。

宮廷では嘲笑され、王族でありながら哀れみの目で見られる日々。

すべては――ブリリアント帝国の策略。

そして、その中心にいたのが。

グラヴィス宰相だった。

「……っ」

胸が強く締めつけられる。

つい先ほどまで胸を満たしていた温かな感情が、一瞬で凍りついた。

――何をしている。

自分は。

敵国の宰相の娘に、心を奪われるなど。

許されるはずがない。

アンリはその場に片膝をついた。

深く頭を下げる。

「そうとは知らず、ご無礼を働きました。どうか……お許しください」

声が思った以上に低くなった。

「アンリ!」

少女――ジュリアは慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたの? 立って」

その声は、先ほどと同じく優しい。

まるで何も知らないかのように。

アンリは目を伏せたまま言う。

「それはできません」

「私は、属国となったナグラート王国の第五王子でございます」

空気が静まり返る。

ジュリアは驚いたようだった。

だが次の言葉は、アンリの予想とは違っていた。

「属国とか関係ないわ。さっきみたいに普通に話して」

アンリは思わず目を上げた。

そこにあったのは――

まっすぐな瞳だった。

軽蔑も、侮蔑もない。

ただ純粋にそう思っているだけの瞳。

だからこそ、胸が痛んだ。

「それは許されません」

アンリは静かに言う。

そして立ち上がった。

これ以上ここにいれば。

きっと――

自分は、この少女から目を逸らせなくなる。

「……用がありますので、これで失礼させていただきます」

そう言って踵を返した。

月明かりの庭園を歩く。

背中に視線を感じながらも、振り返ることはできなかった。

――どれほど歩いただろうか。

庭園の外へ出たところで、アンリは足を止めた。

拳を強く握る。

「……くそ」

小さく吐き捨てる。

忘れろ。

あの少女は敵だ。

ブリリアント帝国宰相の娘。

ナグラート王国の誇りを踏みにじった男の血を引く者。

それなのに。

脳裏に浮かぶのは――

月明かりの中で微笑む少女の姿。

「属国とか関係ないわ」

あの言葉が離れない。

胸が苦しい。

アンリは空を見上げた。

夜空には、静かに月が輝いている。

「……馬鹿げている」

呟く。

それでも。

あの少女の名だけは、忘れられなかった。

「ジュリア……」

夜風が静かに吹き抜けていく。

それは――

アンリ自身もまだ気づいていない。

運命の始まりだった。

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