【第25話】崩れゆく誇り ― 王子の決断 ―
数日が過ぎても、アルフォンス王子は皇帝との謁見を許されなかった。
それどころか、彼の居室には目に見えぬ冷たい壁ができたかのように、誰も近づこうとしない。
(なぜだ……なぜ、誰も口を開かぬ……?)
ジェニエットとの一件以来、周囲の視線は微妙に変わっていた。
かつては称賛の的だった「外交の才」も、今では皮肉交じりの噂となって耳に届く。
「王子が宰相夫人に手を出したらしい」「それで宰相が激怒し、皇帝が動いたと」――。
そんな囁きが、日々の沈黙の中で彼をじわじわと蝕んでいた。
苛立ちと焦燥の中、王子のもとに一通の封書が届く。
差出人は、自国――ナグラート王国の国務卿だった。
「……父上から……?」
封を切ると、手紙の文字が視界を焼いた。
> 『アルフォンス王子、王族の籍より除名す。
帝国との交渉失敗、ならびに属国化を招いた責任を問う。
王都への帰還を禁ず。戦時における立場は追って通達する。』
「……っ!!」
手紙を握る手が震え、紙がくしゃりと音を立てた。
「王族から籍を抜く……!? 属国化!? 戦争だと!? 一体、何が起こっている!!」
怒号が部屋に響き渡る。
次の瞬間、アルフォンスは頭に両手を差し込み、金の髪をかき乱した。
「私は、間違ってなどいない! 帝国との同盟を結ぶだけだったはずだ! なのに――!」
机を叩く音が部屋に響き、側近の従者が慌てて駆け寄る。
「王子、どうかお静まりを。……陛下は激怒なされております。宰相の進言により、帝国は我が国を“属国化”する旨を伝えてきたとか。陛下は、それを屈辱と受け取られたようです」
「宰相……グラヴィス……! やはり、奴か!」
アルフォンスの金色の瞳が、怒りと恐怖で血走る。
「女一人を守るために、私を破滅させるとでもいうのか!? あの女と宰相さえいなければ、私は――!」
その叫びに、従者は静かに一歩近づいた。
声は低く、だが確実に心の隙間へと入り込む。
「……王子。事ここに至っては、先手を打つしかございません。
これ以上、名誉を失えば、戻る場所もなくなります。ですが――今なら、まだ間に合う」
「……間に合う? どういう意味だ」
「宰相の夫人――ジェニエット様を人質にとるのです。
夫人を連れ去れば、宰相も皇帝も、戦に出る前に必ず揺らぐはずです。
幸い、我が部下の一人がすでに宰相邸の護衛に扮しております。ご命令次第で、すぐに行動を起こせます」
アルフォンスは息をのんだ。
背筋を走るのは恐怖ではなく、ぞっとするほどの甘い誘惑だった。
(宰相の妻を人質に……。そうすれば、父上は私を再び見直すかもしれない。
帝国との交渉も覆せる。そうだ、それしかない……!)
拳を握り、震える声で命じた。
「……やれ。すぐにだ。あの女を攫ってこい。そのまま我が国へ連れ帰る。
これは、王家の名誉を取り戻すための戦いだ!」
「御意。」
従者が深く頭を下げると、その影は音もなく部屋を出ていった。
扉が閉まる音がやけに重く響き、アルフォンスは荒い呼吸を繰り返す。
「ふ……ふはは……。これでいい……これでいいんだ……!」
しかし、その笑みの奥にあったのは、狂気と焦燥が混じり合う空虚な光だけだった。
そしてその夜。
ブリリアント帝国の静かな夜風を裂くように、ひとりの黒衣の男が、闇に紛れて邸へと忍び寄る――。
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