第9話 リュシアナとしての振る舞い
翌日の昼下がり。レース越しに差し込む光が、部屋を程よく暖める。外はまだ寒いから、と窓が閉め切られているため、レースが揺れることはない。その代わりに光を帯びたレースがキラキラと揺れて、私たちの目を楽しませてくれていた。
そんな部屋の中で私は昼食をとり、ナプキンで口を拭う。横ではミサが、優雅に食後のお茶を入れていた。
今までは当然のように享受していた、この光景。前世の記憶を取り戻した後だと、居た堪れない気持ちになった。
あまりにも時間がなくて、朝食を抜いたり、疲れて夕食を食べ損ねたりしたことなんて、日常茶飯事だったのに。今は逆に、食事を取ることが仕事のような生活をしている。
私が一言、「食べたくない」と発したら、きっとミサは大騒ぎをするんだろうな。
なにせミサは、毎回、空になった食器を見ては、満足そうな顔でワゴンにしまうからだ。目覚めてからしばらくは、侍医の指示でスープばかりだったけれど、今は普通の食事に切り替わっている。それが回復した証だと、私でさえ分かるのに、ミサの態度は相変わらずだった。
「どうかなさいましたか?」
私の前にカップを置きながら、ミサが心配そうに尋ねた。
「ちょっとね。以前の私は少食だったのかなって思ったの」
「なぜ、そのようなことを?」
「ミサの顔が嬉しそうだったからよ」
それが悪い、というわけではない。けれど前世の記憶が戻ったのに、リュシアナの記憶が戻らないことが、私の良心を苦しめた。
「姫様は、量が多くても少なくても、出された食事は綺麗に食べる方でした」
「それは……好き嫌いがないということ?」
「いいえ。国の情勢や不作豊作の関係で……どこでその情報を仕入れるのか、姫様はその都度、量をお決めになられるのです」
それはおそらく、中庭で仕入れるのではないかしら。たとえばカイルとかに。
扉へと視線を向けると、案の定、顔を逸らされた。
「私が嬉しそうにしていたのは、リュシアナ様が綺麗に食事をされていたからです。以前と同じ、といってもいいほどでした」
「本当?」
「はい。私が見間違うはずはございません」
前世の記憶が戻ったことで、体が馴染み始めたのかもしれない。体にだって、リュシアナの記憶は刻まれているのだから。
「それじゃ、お父様たちと食事ができる日も、そんなに長くはなさそうね」
「リュシアナ様。『それでは』ですよ。ここでは構いませんが、言葉使いにも慣れていきませんと」
「あら、私ったら。ごめんなさい」
気を抜くと、王女らしからぬ言葉使いになってしまう。前世の記憶も、良し悪しだと思った。
「あの、リュシアナ様」
「えっ、ミサ? どうしたの?」
さきほどの雰囲気はどこへいったのか、突然ミサが、私の横で跪いた。
「私への頼み事は、いつになったらおっしゃってくだるのでしょうか。昨夜の就寝前も、今も、話してくださるのを、ずっと待っていたのですが……もう我慢できません」
「あぁ、それね。けして忘れていたわけではないのよ」
それは本当だ。ただ、ものが来ていない以上、頼み事をするわけにもいかなかった。
「でしたら今すぐ、おっしゃってください。なんでもこなしてみせます!」
「えっと、とりあえず落ち着いて、ね」
「ミサ殿」
あまりの気迫に困っていると、見かねたカイルが近づいてきた。
「頼み事をする前に、このワゴンを厨房に戻すべきではありませんか? まずゆっくり話をできるようにしてから、リュシアナ様に尋ねるべきだと思います」
「うっ、それは……そうですが」
気になるよね、そりゃあ……。でも、やるべきことをやってから、ね。厨房にいる人たちも困るわけだから。
「ミサ」
「……分かりました。厨房に行って参ります。ですが!」
「うん。帰ってきたら、ちゃんと話すわ」
それでも渋々、部屋を出ていった。長い距離でもないのに、時折後ろを振り向き、名残惜しそうにするミサ。その姿を見ていると、ますます罪悪感が増した。
「ありがとう、カイル。助かったわ」
「いいえ。ですが、不思議です」
「何が?」
「昨日、グレティスに取った処置のように、ミサ殿に対しても、毅然と振るまれるのかと思っていましたので」
処置……グレティスが帰る際、監視という名の護衛を付けたことを言っているのだと悟った。それも、信頼できる人物を、とカイルに頼んだのだ。勿論、腕が立つことが前提である。
「グレティスの場合、帰宅した直後に始末されてしまう可能性があったから、早急に対処したの」
「口を割らなかったのに、配慮をする必要があったのでしょうか」
「別に尋問したわけではないし、咎めるために呼んだわけではないことも伝えたのよ。わざわざ自分の首を絞める言動はしないでしょう? ましてや、ここは王宮なのよ。危険すぎるわ」
「おっしゃることは分かりますが……」
するとカイルは再び、不思議そうに私を見つめてきた。
「……私の判断は甘かったかしら」
「いえ、むしろ的確だったので驚いています。本当に記憶喪失なのかと感じたほどです」
「っ!」
思わず反射的に顔を背けてしまった。
記憶はない。あるのは前世の記憶なのだから、偽りはない。でも……誰がそれを信じるの?
「申し訳ありません」
「え? どうしてカイルが謝るの?」
「リュシアナ様を傷つけてしまったからです」
「ううん。カイルの指摘は、何も間違っていないわ。今の私は記憶喪失だけど、完全……ではないでしょう?」
な、何を言っているの!? さらに頭のおかしい女に見えちゃうでしょうー!
「そうですね。以前のリュシアナ様のような威厳というか、包容力は感じませんが、目が離せないところは同じように見えます」
「っ! それは……危なっかしい、ということ?」
カリエンテ病のことも含めると、三度倒れたのに城下へ行ったり、グレティスを呼んだり……思い当たることが山ほどあった。
「護衛としては、そうですね」
「それ以外にもあるの?」
「……まぁ、色々です」
気まずそうに言ってくる割には、私に笑顔を向けるカイル。柔らかくて、温かい。見守られている感じがして、嫌な気分ではなかった。むしろ――……。