第5話 記憶の中のリュシアナ
中庭への道のりは、意外とあっさりしたものだった。人目につかない道だというから、てっきり……。
「もっと険しい道だと思ったけど、普通に建物の中で驚いたわ」
「どのような道を想像していたのかは……おおよそ見当はつきますが」
やはり呆れられたのか、隣からため息が聞こえてきた。
「リュシアナ様を、そのようなところにお連れする気はありません」
「……ありがとう」
護衛騎士としてのカイルの返答は正しい。お父様とお兄様の態度を見ていると、私に何かあれば即クビにされることは間違いないだろう。
騎士として、王族の専属護衛に抜擢されるのは名誉なことなのだ。その腕を買われたのに、些細な出来事でカイルの将来を潰されるなんて……私も望んではいなかった。
それなのに、繋がれた手から感じる温もりに勘違いしてしまいそうになる。目覚めてからミサとカイルが私を支えてくれたから、そう感じるのかもしれない。でも……。
「無事に中庭の入り口に着いたのだから、もう手を離しても大丈夫よ?」
なぜか疑問形になった。それはカイルの顔がそう語っていたからだろう。
「それともここに何かあるの? 注意点があるのなら、先に言ってくれると助かるのだけれど」
「……記憶喪失なのに、やはり鋭いですね」
「ここを選んだのがカイルだからよ。私を中庭に連れて来たかった理由があるのかなって思ったの。ミサを遠ざけた意図も気になるし」
私はカイルの真正面に立ち、疑いの目を向けた。すると、どこか嬉しそうな表情が困惑へと変わる。
「理由は……ただの自己確認です。リュシアナ様がここを覚えておられるのか、どうか。知りたかったのです」
記憶喪失だと知っているのに、確認?
わざわざ連れて来るほど、カイルにとっては重要なことなのだろう。私は辺りを見渡した。
中庭へまっすぐ続く、丁寧に舗装された小道。足音を優しく受け止めるその道の両脇には、手入れの行き届いた花壇が並んでいた。
色とりどりの草花が季節を告げるように咲き誇り、淡い風が花びらを揺らしては、ほのかな香りを運んでくる。もっと見たければ、中庭に入れ、といわんばかりである。
その花壇の間には、木製のベンチがひとつずつ控えめに置かれていた。白く塗られた背もたれには陽が当たり、思わず腰を下ろして日向ぼっこをしたくなった。
吸い寄せられるように、一歩ずつ前へと進む。すると、なんの抵抗もなくベンチに辿り着いた。
「お座りになられますか?」
さきほどとは違い、優しそうな眼差しで促す。
「ここで、あなたと会っていた?」
「っ!」
「やっぱり。でも、覚えているわけではないの。ただ護衛騎士になったのは、私が寝込んだ後なのに、ミサと同じように親身に接してくれるでしょう? さすがの私も、護衛騎士の範疇を超えていることくらい分かるわ」
加えて私をここに連れて来た理由を聞けば、容易に想像がついた。
「申し訳ありません。試すような真似を……」
「気にしていないわ。私がカイルの立場なら、同じことをしていたもの。だから教えて? あなたとリュシアナの接点を」
そこまで拘る理由も……。
カイルは私の手を離し、ベンチに腰を下ろした。視線を隣へと向けて、促す仕草までする。
これじゃ、どっちが催促したのか、分からないわね。
私はミサが選んでくれたベビーピンクのドレスを翻し、カイルの隣に座った。
***
「俺がここでリュシアナ様をお見かけしたのは、だいたい三年前のことです」
カイルは懐かしそうな顔で前を見据えながら、ゆっくりと語り始めた。
「当時の俺は、あまり褒められたような騎士ではなく。ただ家から出たい気持ちで入隊したからか、日々不真面目で、ここに来ていたのも、サボり目的でした」
「……うん。そんな感じがするわ。どちらかというと、そっちの方がカイルらしい、というか」
「そうですか?」
自分から言った割に、カイルは意外そうな反応をした。
「だって、ここに私を連れて来た理由を、ミサに相談していないでしょう?」
「……はい。なぜ、分かったのですか?」
「簡単よ。中庭に行く話が出た時、ミサは渋っていたもの。私がまだ、部屋の外に行くことをよく思っていなかった、というのもあるけれど、裏手に訓練場があることに反応していたでしょう? 事前に相談していたら、あんな反応はしないわ」
ニコリと笑ってみせると、カイルは逆にギクッという表情をした。けれど私は構うことなく言葉を続ける。
「それに、わざわざ私に内緒でミサを外したところも、かな。悪巧みというか、相手を出し抜く知恵を持っているんだもの。サボるための抜け道とか、知っていてもおかしくないわ」
「念のために言いますが、誰にも会わずに中庭へ行くルートを教えてくれたのは、リュシアナ様です」
「え?」
私? じゃない、記憶喪失になる前の私だ。でも、なんで?
「始めに、ここでリュシアナ様をお見かけした、と言いましたよね」
「え、えぇ」
私が動揺したことが、そんなに面白かったのか、カイルの口調が少しだけ崩れた。
「その時、ここのベンチに座っていらっしゃいました。俺はすぐに立ち去ろうとしたんですが……呼び止められ、今と同じように腰かけたんです」
「つまり、親しかったってことなの?」
「いいえ。ただ見張りがほしかったみたいです」
「どういうこと?」
王女なのだから、わざわざ近くを通った騎士に頼まずとも、他に……そう、ミサがいるじゃない。
「一人になる時間がほしかったそうです。それには接点がほとんどない、俺みたいな通りすがりの騎士は、ちょうど良かった、とおっしゃっていました」
「……分かる気がするわ。今の私は右も左も分からないから、ミサとカイルの存在は助かっている。でも……なんでもない時なら」
煩わしい、と感じるだろう。だけどそれを口に出すことは躊躇われた。
「俺もです。実は、家を出た理由がまさにそうでしたから」
「だから見張りを引き受けたのね」
今の流れで断るとは思えなかったからだ。案の定、カイルは頷いた。
「騎士団での生活が窮屈だったので、その息抜きにここへ来る許可を条件に」
「まぁ! ここは誰かの許可が必要なの?」
「いいえ。ただここに来ると、いつもリュシアナ様がいらっしゃったので」
良かった、という安心感と共に、二人だけの秘密を知らされて、なんだか複雑な気分になった。
ミサがリュシアナを大事に思う理由は姫と侍女だけど。カイルの場合は護衛騎士の本分を超えた感情がありそうだと、薄々感じていた。まさか、そんなに深い部分で繋がっていたなんて……。
「今のリュシアナ様を見ていると、本当に記憶喪失なのが疑ってしまいますね」
「それは以前のリュシアナに似ている、ということ?」
「いいえ。その鋭さです。元々、賢い方なのだとは思いますが……」
こ、これは褒められている、のよね。疑われているのに、顔がニヤけそうだった。私はそれを隠すように立ち上がり、中庭へ続く道の上に足を踏み入れた。
「そんなことよりカイル。中庭は入れるのよね」
「はい。誰でも自由に入れる場所ですが、あまり人が立ち入らないのでお気をつけください」
人がいないのに、何に気をつけるの? という疑問が浮かんだが、今は中庭だ。後ろにいるカイルを見てはいけない。今の私が、どんな顔をしているのか、分からないのだから。
けれど一歩、足を踏み入れた途端、目にしたものに、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「リュシアナ様?」
蔦の絡まったアーチ。庭によくあるものなのに、その間から見える彫刻が、一枚絵のように脳へ入ってきた。
緑色の蔦の中にある、女性の裸体。彫刻であるからこそ、許されるものだけど、これは……。
「『世界』?」
自然と出た言葉に驚く暇もなく、激しい頭痛に襲われた。
「リュシアナ様!?」
頭を抱えて、その場で蹲る。目の前に誰かの気配を感じ、手を伸ばした。
助けて……――!
「リュシアナ様!!」
その手が握られたような感触を最後に、私は意識を手放した。