第26話 過去の舞台裏(カイル視点)
悪いことは、まるで待っていたかのように連鎖反応を起こし、次々とリュシアナ様を巻き込んでいった。俺は、というと……。
「どうしてですか!」
この王宮で一番広く、そして豪華でありながらも洗練された執務室内にいた。机に手を突き、陛下に向かって叫ぶ。一介の騎士がやってもいい行為ではないというのに、陛下は叱責することなく、黙って俺の言葉を受け入れてくれた。
さらに俺が抗議に来ることを分かっていたのか、執務室にいるのは、俺と陛下だけ。事前に人払いをしているほど、周到な人がなぜ……。
「リュシアナ様の護衛は俺です! どうしてついて行ってはいけないのですか!?」
ノルヴィア帝国との戦争の命運を占え、という陛下の命令に逆らったリュシアナ様は、王家が所有する離宮へと住まいを移されることとなった。場所が僻地にあるため、実質上の追放である。
そこに俺も、当然お供できると思っていた。なにせリュシアナ様の護衛は俺だ。僻地だというならば、余計に必要だろう? 情勢もまた、変化しつつあるのだ。
「ノルヴィア帝国が攻め込んでくれば、アルフェリオン王国は戦時下に入るのです。リュシアナ様に護衛がつかないなど、あってはなりません」
「カイルよ。だからこそお前を外すのだ」
「それは……どういうことですか?」
陛下がリュシアナ様を大事に想われているのは、周知の事実。この王宮で知らない者はいない、と断言できるほど有名な話だった。だから多少リュシアナ様に対して、陛下が無理なことをしたり、言ったりしても、皆、目を瞑っていたのだ。酷い場合は、リュシアナ様が諫めてくれる、という安全装置があったからだ。
それもあって、ノルヴィア帝国がリュシアナ様を求めた時、身代わりにクラリーチェ殿下を指名しても、誰も反対する者はいなかった。それだけ陛下にとってリュシアナ様は、何が何でも手放したくない存在なのを知っていたからだ。
そのリュシアナ様を僻地に送ることだって理解できないのに、護衛をつけない?
それを当然の如くいう陛下に疑問を抱いた。
「クラリーチェの目的は、アルフェリオン王国を滅ぼすことだが、標的は私だ。復讐するためならなんだってする。十五年前、王妃……オクタヴィアを殺害し、リュシアナを仕留め損ねたのだ。今回は確実に狙うだろう」
「……そんな危険な立場なら、余計に護衛が必要ではありませんか」
「お前はすでに、クラリーチェの知るところにある。離宮の周りにカイルがいれば、リュシアナの居場所がバレてしまうだろう」
つまり陛下は、クラリーチェ殿下からリュシアナ様を守るために、離宮へ追いやろうと画策されたのだ。
占えない事項は、ミサ殿がやってきた人たちに対して、事前に説明をしているから、陛下が臣下の誰かから聞いたのだろう。リュシアナ様が占えない、と確実に断言すると分かっていての処置だったとは……恐れ入る。
「それでもリュシアナ様の元へ行きたいと、守りたいと願うことはダメでしょうか」
「リュシアナを危険に晒すかもしれないのだぞ」
「この身に変えても守ってみせます」
俺以外の誰かがリュシアナ様の傍にいることなど、我慢できない。リュシアナ様と初めてお会いしてから、護衛騎士になるために腕を磨いてきたのだ。近衛騎士団長の動機はアレだったが……ようやく手に入れたチャンスを、こんなことで手放して堪るか!
「……ヴァレンティア伯爵家の問題児、というからどんな男かと思っていたが……そうだな。ユーリウスの言う通り、お前になら任せてもいいかも知れない」
「陛下っ!」
「そのためにも、これを読んでおけ。クラリーチェの恨みがどのようなものか。どれほど深いのかを理解すれば、さらに身が引き締まるだろう」
陛下は机から一通の手紙を取り出した。
◆◇◆
フェルナンド・アルフェリオン殿
もうお忘れかと思いますが、クラリーチェです。いえ、もう私のことなど忘れたい、と思っていらっしゃる、の間違いでしたね。けれど私は忘れません。おそらく、この憎しみは消えることはないでしょう。
ノルヴィア帝国に嫁いでから、さらに憎悪が増しました。なぜだと思いますか? リュシアナの代わりに嫁がされたからではありません。お母様と同じように、愛してもいない方に嫁がされたからです。
つまり夫となる方は、いわばお父様と同じ立場。にもかかわらず、私を労わってくださいました。すぐに私が身代わりで嫁がされたと分かったからです。
ここの時点ですでに、お父様と度量の違いがはっきりしましたね。そう、あなたは取るに足らない人物だということです。
私の虚しさを分かっていただけますか? こんな器量の狭い男のために、お母様と私がずっと苦しめられていたなんて。そう思っただけで、腸が煮えくり返りました。私が生きた、二十四年間。お母様が嫁がされてからですと、二十七年間ですね。きっちり返していただきます。
オクタヴィアを殺害しただけで、私の恨みが晴れるなどと思わないでいただきたいですわ!
クラリーチェ
◆◇◆
「陛下……これは!」
一見、クラリーチェ殿下の恨み節に見えるが、これは明らかに亡き王妃の殺害を認めた証拠である。しかしここにはリュシアナ様を狙う文脈はない。
「持って行け。今の私では、これを活用することはできない。オクタヴィアの殺害の犯人を知りながらも、裁けずにいたのだからな。それを知っている臣下たちもいる」
「どういうことですか? 陛下が王妃様を大事に想われていたからこそ、リュシアナ様を……」
「そうだ。あの子はオクタヴィアによく似ている。年齢が上がるにつれて、性格まで似てきた」
懐かしむように、陛下は執務机の上にある額に手を伸ばした。ここからでは見えないが、おそらく亡き王妃の絵が入っているのだろう。
「あの時、オクタヴィアを殺害した犯人はすぐに判明した。クラリーチェも当時、九歳だ。色々と穴があってな。簡単に割り出せた。しかしクラリーチェが幼かったため、側室が庇い、二度と表舞台には立たず、死んだように生きると言ったから見逃したのだ。そうしなければ、すぐにリュシアナを狙っていたかもしれなかったのでな」
そんな裏があったのか。当時、俺は六歳だったから、事件の詳細は発表されていることしか知らない。ユーリウス殿下は当然、知っているんだろうな。だからクラリーチェ殿下に対して、陛下ほど当たりが強かったのも頷ける。
クラリーチェ殿下の憎しみと怒りの矛先が、リュシアナ様に向くことを恐れたのだ。
「リュシアナが向かった離宮は、かつてオクタヴィアの保養地として使っていたところだ。長い間、行っていないが、常に当時のままの状態を維持させていたから、使用するのには不便はないだろう。使用人たちもいるし、警備も当時のまま置いている。だからリュシアナの警護は必要ない」
「し、しかし……」
リュシアナ様のお傍にいたい。まだお怒りかもしれないが、せめて近くで守らせてほしい。
「それでも行きたい、というのならば、ユーリウスでも近衛騎士団長でも使って、名目を作れ。私がリュシアナのためにできることは、離宮へ行かせることだけなのだ」
「……ありがとうございます」
「リュシアナなら、その手紙を活用してくれるかもしれないな」
最後の一言は、独り言かと思うほど小さな声だった。クラリーチェ殿下を止めてほしい。そんな願いのような想いを受けて、俺は陛下に一礼して執務室を後にした。




