第2話 家族からの愛情と確執
それからは目まぐるしい日々だった。
ミサが、侍医を呼んでくるところまでは良かった。今の自分の体の状態を知るのは大事なことだったからだ。しかし……。
「リュシアナ様は、高熱で一週間も寝込まれておりました。体力が衰えていますから、無理な運動は禁物です。食事もまずはスープから取り、胃に優しいものを――……」
侍医の言い分は分かる。現にまだ体が怠く、少し動いただけでも疲れてしまっていたからだ。問題はすぐに反応した、ミサだ。
「記憶喪失を外部に漏らしてはなりませんから、ちょうどいいかもしれませんね。体力を戻しながら、一から学び直しましょう」
「ですが、陛下にはお伝えすべきでしょうな。リュシアナ様に改めて護衛騎士をつけたのですから」
「え?」
改めてって、どういうこと? 今の私は王女だから、ここでいう陛下は親ってことよね、たぶん……。
「勿論、陛下にはお伝えします。亡き王妃様にそっくりなリュシアナ様を、大変心配しておりましたから」
「ミサ殿……リュシアナ様が混乱しています」
「あっ」「え?」
私とミサの言葉が重なった。侍医もミサも、私というより周囲やその後について話していたのだ。けれどカイルの視線だけは、私の動揺に気づいていたのだろう。
彼らの言葉から、少しでも情報を得ようとしている私の表情を見逃さなかった。
嬉しいけど、これはこれで恥ずかしい。
今も尚、カイルの視線を感じて、私は逸らすように顔を横に向けた。するとミサが、勢いよくベッドに駆け寄り、私の手を取る。
「申し訳ありません。今、一番リュシアナ様が不安だというのに」
「大丈夫よ。ミサが私のために、色々と考えてくれているのが伝わってくるから」
「リュシアナ様っ! 陛下がお越しになる前に、ご家族についてご説明いたしますので、ご安心ください」
「う、うん。お願いね」
どの道、ミサかカイルに聞かなければならないことだったから、ここは素直に返事をした。けれどベッドから離れた位置にいるのに、カイルのため息が聞こえてきたような気がした。
なぜかしら。変なことを言った覚えはないんだけど……。
その時の私は、ただそう思い込んでいた。カイルは私を心配……いや、気遣うミサを止めてくれたのだから、と。
目を覚ましてから、色々あり過ぎて深く考えられなかった、というのもある。しかし翌日もまた、カイルのため息が聞こえてくるような出来事が起きた。
そう、私の状況を聞いた『陛下』が、おそらく兄弟だと思われる人物たちと一緒にやってきたのだ。
ミサから事前に聞いた特長を持った人たちが、私の部屋に入ってくる。
いくら家族といっても、王族を相手にするのだ。椅子に座ったまま、というのも失礼だと思い、挨拶をしようと立ち上がった。すると一番先頭にいた、ネイビーの髪をした年配の男性が、水色の瞳を見開き、慌てて私に駆け寄ってきた。
「目を覚ましたのは昨日なのだぞ。どうしてベッドにいない」
私の肩を掴みながら、扉の近くにいるミサと侍医を叱責する。事前に二人から、陛下……つまりリュシアナの父であり国王のフェルナンド・アルフェリオンが、彼女を大事にしていたのかを知らなかったら、逆に私の方が慌ててしまっていたことだろう。
「お、お父様。私は大丈夫です。だから二人を叱らないでください。それにベッドの上では失礼だと思い、このような形にしたいと言ったのは私なのです。だから……」
「リュシアナ……そなた、記憶がないと聞いたが……」
「はい。だからこそ、失礼に当たると思ったのです」
お父様にとっては娘との対面だけど、私にとっては初対面、しかも国王との謁見に等しい。
戸惑う私に、意外にもお父様は呆れるわけでもなく、柔らかい表情を向けてくれた。
「その他者を気遣うところは変わらないのだな。記憶を失ったことで、多少は我が儘になってもいいのだぞ?」
「えっと……」
「父上。リュシアナが困っていますよ。あと、いつまでも立たせていてよろしいのですか?」
「お、おぉ。そうであった。今からベッドに入れとは言わないが、無理をしてはならん。いいな」
「はい」
私は椅子に腰を下ろし、お父様の背後に立つ兄、ユーリウス・アルフェリオンに目を向けた。ミサの言う通り、王族特有のネイビーの髪と水色の瞳をしている。リュシアナと同じ亡き王妃の子どもということもあり、王太子なのだそうだ。
けれど私は、プラチナブロンドの髪にライラックグレーの瞳。王族特有の色は、何一つ持っていなかった。顔立ちも、お兄様とは似ていない。
まぁ、亡き王妃に似ているらしいから、お父様寄りの顔立ちをしているお兄様と似ていなくても、おかしくはないんだけど……。
ふと、後方にいる女性に目が留まった。赤褐色の髪と茶色い瞳。彼女もまた私と同じ、異質な色をしていた。
凝視し過ぎたのか、目が合った瞬間、顔を背けられた。さらに声をかけたくない、という意思表示なのか、そそくさと椅子に腰かける。
すでにお父様とお兄様が着席されていたから、無礼ではないけれど、明らかに私をよく思っていないのが伝わってきた。
「クラリーチェ」
「申し訳ありません。ですが、元々私とリュシアナが仲の良い姉妹ではなかったことを、お兄様もご存知のはずです」
「だからこれを機に、と思ってお前を連れてきたのではないか」
「仲睦まじい兄妹は、お兄様とリュシアナだけでお願いしますわ。私は次期、他国へ嫁ぐ身ですので」
ミサの話では、第一王女であるクラリーチェ・アルフェリオンは、私よりも五歳上の腹違いの姉。つまり、側室の娘ということになるのだが、そこが問題だった。
王妃である私とお兄様のお母様は体が弱く。それを理由に、無理やり押しつけられるようにして、お姉様の母親は王宮に入ったというのだ。
だから王室内でのお姉様の立場は弱い。お母様が亡くなったからといっても、王妃の座は空席のまま。お姉様の母親も側室のままからだった。
この度の結婚も、都合の良い厄介払いをされたのだ、と王宮内では囁かれているという。
なにせ相手方が望んだのは、王妃が産んだ姫。それなのにお父様が差し出したのは、私ではなくお姉様だったのだ。
彼女の言う通り、仲の良い姉妹ではなかったことは明白。お兄様の無神経さが際立つ結果となった。いや、お兄様は顔だけでなく、性格もお父様に似ているのだろう。平気でそう言えてしまえるのだから。
「……私は、それでもお姉様が来てくださって嬉しいです」
「っ! 記憶を失ったと聞きましたが、以前と変わらぬ優しい妹で、私も安心しましたわ」
その瞬間、私は言葉を間違えたのだと悟った。お姉様は私を見ることなく立ち上がり、お父様に向かって言い放つ。
「嫁ぐ前に、元気になったリュシアナを見られて良かったです。これで心置きなく、お役目を全うできそうですから」
「ふむ。任せたぞ」
「お姉様……!」
扉に向かうお姉様の後を追おうと立ち上がるが、お兄様に手を掴まれた。
「リュシアナは病み上がりなんだ。無理に追うことはない」
その冷たい物言いが、まさに王宮内でのお姉様の立場を示しているようだった。
「ダメ……お姉様を追わないと……いけないような気がする」
「リュシアナ? どうしたんだ?」
私はお兄様の手が緩んだ瞬間、扉に向かって歩き出す。お姉様がどこへ向かったのかは分からない。だけど今、仲直りをしなければ、取り返しがつかないような気がしたのだ。
その意味や内容を、うまく言語化できない……だって理屈じゃないから。
扉の前に誰かがいるような気がしたが、私は関係なく手を伸ばす。けれどその手が扉に触れる前に、視界が揺らいだ。途端、そのまま意識が途切れた。