第16話 王宮の流行
その日は結局、本題を切り出すことができずに終えてしまった。リュシアナとしての記憶が戻った、とはしゃぐミサに、違うとは強く言えなかったのだ。
けれどそれは、悪いことだけではなかった。宣言通り、ミサとカイルが色々とサポートをしてくれるようになったのである。その中には、あの日、言おうとして言えなかった本題も含まれていたため、思いがけない形で切り出すことができたのだ。
そう、お父様とお兄様の動きが静かな理由である。
「えっ、来月なの? お姉様の輿入れは」
「はい。姫様が病に臥せっていたため、延期になっていたのですが、ようやく再調整できたため、来月に決まったそうです」
なるほど。お姉様の嫁ぎ先は、我がアルフェリオン王国と友好的な国ではない。ノルヴィア帝国とは長いこと諍いが絶えず、今回、停戦案を向こうの方から提示してきたのだ。
「本当なら、私がその国に嫁ぐはずだったのよね」
「はい。ノルヴィア帝国が要求したのは、王妃様が産んだ姫様です。しかし陛下は……――」
「……お姉様に嫁ぐように命じた」
だから私の耳に入らないようにしたのだろう。配慮するところが違うような気もするけれど……。
「そのような理由があるからなのか、早急に話を進めておられました。お陰で陛下とユーリウス殿下を、無理に遠ざける必要もなく、こちらとしては有り難いお話でした」
「ミサ。そのような考えをしてはダメよ。確かにミサの負担が減るのは嬉しいことだけど、お姉様をダシにするのは、一番よくないことだわ」
「そうでしょうか」
いつもなら、「そうですね」とか「気をつけます」とか言ってくれるミサが、疑問を口にした。
「実は今、この王宮で結婚するカップルが増えているんです」
「え?」
「覚えていませんか? 姫様に初めて占っていただいた日のことを」
「確か、友達が結婚するから、故郷に帰るんだったっけ?」
だから寂しい、というミサを元気づけたくて、占ったのだ。
「……故郷に、とは言っていませんが、ニュアンスとしては一緒です。彼女もまたその流行りに感化された一人ですから」
「お姉様の結婚に影響を受けるなんて……一体、何が起こっているの?」
前世でも、友人の結婚式に出席した人同士が、お付き合いから結婚にまで至る、というケースは聞いたことがあった。また、今のようにロイヤルウェディングにあやかって、一種の結婚ブームを巻き起こすケースがあることも知っている。
でもそれは、周りが羨むような、素敵な二人と恋愛事情が背景にあるからだ。
「つまりこの縁談は……お姉様も望んでいる、ということ?」
うんうん。結婚から始まるロマンスもあるからね。
「おそらくそれは違うと思います」
「カイル? う~ん。そうね、ミサとは違った視点からの意見も聞いてみたいわ」
「ありがとうございます。これは、少しでもクラリーチェ殿下の結婚をよく見せようと、ご側室様の実家であるトリヴェル侯爵家が仕掛けた、一種のパフォーマンスなのです」
「私もその話は聞きました。国内でクラリーチェ殿下の結婚相手を見つけても、身分の低い相手か、容姿が醜いか。さらには生きていけないような土地に追いやれるかもしれない、と」
「だからこの縁談を失敗したくないトリヴェル侯爵様が、王宮の侍従や騎士たちを買収して、クラリーチェ殿下の結婚を良いものにしようと画策しているのです」
まぁ! トリヴェル侯爵という方が、どういった方なのかは分からないけれど、孫であるお姉様のために、そこまでするなんて……。
「いい方なのね」
「姫様?」
「だって、それくらいの演出ができるのなら、お父様とお兄様を欺いて、お姉様の結婚相手を見つけることくらいできるでしょう? それこそ、トリヴェル侯爵家に有利なお相手を見繕うことだって出来るわ」
「そう、ですね」
「でもしなかった、ということは、お姉様のことも、側室様のことも大事に想っていらっしゃるからだわ」
今回の結婚で、お父様と衝突することは、お姉様と側室様にとってはデメリットだ。ならば、逆にそれを利用して、孫への最後のはなむけをしているように、私には思えてならなかったのだ。
他国に嫁げば、それだけお姉様のためにしてあげられる支援は少ない。むしろ、ないに等しい。
「リュシアナ様のおっしゃる通りですね。このパフォーマンスも、王宮内のみですから、陛下もユーリウス殿下も目を瞑っているのかもしれません」
「ノルヴィア帝国に勘繰られても困るからですよ」
「ミサったら。まだ根に持っているの? ここは素直に祝福してあげなくてはダメよ」
色々と憶測できる言葉だったから、あえて私は最初の話題に戻した。そう、トリヴェル侯爵の策に引っかかって結婚した、ミサのお友達の話題に。
「でしたら、今度こそ私のお相手について占っていただけませんか?」
「え?」
どうやら私は、変えてはいけない方の話題に戻してしまったようだ。ミサが跪いてまでお願いをしてくる。
ここはさすがに……とぼけるところではない、わよね。
カイルに視線を送ると、「いいのではありませんか?」と温かい視線を、逆に向けられた。
「ミサ。先に言っておくけど、占いはあくまでも占い。さらにいうと、私は占い師ではないから、当たらなくても、文句は言わないでね」
「分かっています」
「あくまでも、参考にする程度よ。それでもいいの?」
「私は姫様を信じておりますから」
ダメだ。分かっていない。でもやるしかない、ことだけは私も分かる。
私は椅子から立ち上がり、ベッドサイドに置かれた、書き物机に近寄った。可愛らしい部屋に不釣り合いなこの机は、リュシアナの母の物だという。そのため古めかしいのだが、不思議と手に馴染むため、すぐに私のお気に入りになった。
一段しかない、書き物机の引き出しだが、真ん中、左右に一つずつあり、右にのみ鍵をかけることができるのだ。しかもその鍵、というのは私の右中指にはまっている。
そう、この書き物机は魔道具にもなっていて、誰にも触れたくない物を入れるのにはピッタリだった。私は右の引き出しに向かって、指輪をかざす。すると、カチッと開く音がした。
「さぁ、ミサ。そこに座ってちょうだい。占いを始めるわ」
私はテーブルの上にネイビーの布を広げる。中央にあるのは、七十八枚のタロットカード。その上に手を乗せて、静かに念じた。
私の大切なカードたち。今日も力を貸してください。ミサの歩む道を、そっと照らす光となって……。




