第10話 護衛になった理由(カイル視点)
コロコロと表情を変えるリュシアナ様を見て、目が離せないのは、こんなところだとしみじみ感じた。
以前の……記憶喪失になる前のリュシアナ様とは、何度かお会いしたものの、言葉を交わしたのは、ごく僅か。それなのに惹かれたのは、陛下の寵愛を受けるただの王女ではなかったからだ。
おそらく、中庭以外にも人目を避けて行く場所があるのだろう。王宮内での出来事を、いくつか解決されている御姿を目にした。
たとえば、一介の騎士である俺の耳にも届くほど、評判の悪い大臣がいたとする。陛下や宰相、力のある貴族にはいい顔をし、逆に自分よりも立場が弱い侍従や侍女には手を挙げる、そんな最低な大臣が。
そういう輩は、別に王宮に限ったことではない。うまく立ち回り、気づかれずに出世していくのが常だった。しかし……。
「聞いた? あの大臣の話。就任して、たった一週間で辞めさせられたらしいわよ」
「え!? ってことは、誰かが密告したの?」
「そんな危ない橋を、誰がこんな短期間でやるのよ」
「た、確かに……でも、なんで?」
「知らないわよ。誰が密告したのかな、と思って聞いたんだけど……その様子だと知らないみたいね」
王宮の廊下を歩いていると、そんな噂話を耳にした。実際、確認してみると、その大臣の席にはすでに、別の者が座っていたのだ。
大臣の解雇と任命は、陛下の承認が必要だ。であるならば、可能性は一つしかない。リュシアナ様が陛下に進言したのだ。
陛下は解雇された大臣の裏の顔を知らない。けれどリュシアナ様は、侍女にも気づかれずに中庭へ行けるのだ。その過程で、大臣の噂話を聞いていたとしても、おかしくはなかった。
また、中庭というと、まるで確認するかのように、尋ねてくることがあった。
「訓練場にある道具は足りている? ボロボロで使い辛いのではなくて?」
するとその数日後には、新しい道具が訓練場に届けられていた。誰がどう見ても、リュシアナ様がしたことだと断言せざるを得ない。
その他にも、王宮内のことや国のことを聞かれ、それに答えられるように、情報を集めたものだ。少しでもあの方の力になりたい。力になれば、この国がより良い方向に進むのではないか、と思ったのだ。
ミサ殿の目を掻い潜り、陛下の手が届かない部分を陰ながらサポートされていたリュシアナ様。そのような方に護衛を付ける話が持ち上がり、俺が飛びついたのは、当然のことだった。
けれど、まさか記憶喪失になっているとは、夢にも思わなかった……。
***
「カイル?」
椅子に座っているリュシアナ様が、不思議そうに見上げる。先ほどもそうだったが、その上目遣いは反則だ。つい本音が口から……いや、その後すぐに言葉を濁したから、大丈夫だろう。
しかし、最近のリュシアナ様は、まるで記憶が戻ったかのような鋭さがある。もしかして、俺の気持ちに勘づかれたか? いやいや、別に困ることではないのだが……護衛という立場を利用したようで気が引ける。
今のリュシアナ様は記憶喪失なのだから。
「どうかしたの?」
気がつくと、先ほどよりも近い位置にリュシアナ様が立っていた。
……立っていた? いつ、立たれたんだ!?
しかも、リュシアナ様の白い手が伸びてきて、俺の頬に触れた。顔が火照っているのか、冷たくて気持ち良かった……ではなく! 冷たい!?
思わず俺は、その手を掴んだ。
「っ!」
「いつからですか?」
「え、何が?」
「手が……こんなに冷えています」
そう指摘をしても、リュシアナ様は不思議そうに首を傾げるだけ。
「何か羽織るものが必要ですね。お茶は……すでに冷えているでしょうから、入れ直さないと」
しかし俺は剣を振り回してばかりいたから、リュシアナ様にお出しできるようなお茶を入れられない。
「大丈夫よ。お茶は私が入れるし、カイルが心配するほど、寒く感じないしね」
「しかし……――」
思わず言葉を続けそうになり、口を噤んだ。護衛騎士としての領域を超えている気がしたからだ。そう、これはミサ殿が指摘すること。
けれど現状は、俺の決意や躊躇いをあざ笑うかのようにやってきた。扉をノックする音が聞こえてきたのだ。
「はい」
なんの躊躇いもなく返事をするリュシアナ様。昨日、ご自分の命が狙われていることを自覚したのではなかったのか? 思わずそんな疑問が脳裏を過った。
さらにリュシアナ様は扉に体を向け、すぐに開けてしまいそうな勢いを感じ……俺は自然と手に力を入れてしまった。
「んっ!」
「あっ、すみません。ですが、直接出られるのは、他に誰もいない場合にのみでお願いいたします」
「っ! 私ったら、ずっとミサとカイルがしてくれていたのに……ごめんなさい。さっき言われたばかりなのに、これとはね。本当、学習能力がないんだから」
「……そんなことはないですよ」
むしろ目が離せない方がちょうどいいんですから。
「え?」
「いえ、なんでもありません」
俺は逃げるように、扉へと近づいた。すると、相手も気配を感じたのか、コン、コココン、とノックの仕方を変える。
これは俺が所属する、近衛騎士団の緊急の合図と同じリズム。つまり扉の向こうにいるのは、近衛騎士団の団員だと思った。
「まさか、団長自ら来られるとは……」
それほどの緊急事態が起こったということである。もしかして……。
「リュシアナ王女殿下のお部屋を訪ねるのだ。平の団員に任せるわけにはいかないだろう」
「……そんな世間体はいいですから、本題に入ってください。何かあったのですか?」
「まずは朗報から。殿下のお望みの物を届けに来た」
懐からネイビーの布に包まれた物を手渡される。小さいけれど、ネイビーは王家の色。団長がわざわざ届ける意味はあるのだろうが、子どものお使いだけだとは思えない。
「朗報ということは、悪い知らせが?」
「あぁ、『忘れ路の小間物屋』の店主、グレティスが殺された」
「……相手は?」
「分からない。これを別の団員に渡している隙にやられたようだ」
「痕跡は……それくらいの手練れだと――……」
「あぁ、綺麗に、な」
俺は団長の前だというのに、思いっ切りため息を吐いた。これが嫌味ではないことを知っているからなのか、団長も嫌な顔はしない。
逆に後ろから、心配そうな声をかけられた。
「何か、あったの?」
「リュシアナ様っ。これは、その……」
慌てふためいていると、団長は「カイル、あとは頼んだ」と扉を閉め、そそくさと逃げていってしまった。
いや、その判断に間違いはないのだが……団長だろう? リュシアナ様に挨拶くらいしていけよ。