第1話 転生王女は記憶喪失
こちらの作品を見つけて下さり、ありがとうございます。
占いがテーマの作品ですが、出てくるのは中盤頃になります。
それまでお付き合い願えれば幸いです。
目が覚めたら、見慣れた木目調の天井はなく、美術館などで見たような絵画が、目に飛び込んできた。視界の隅には二本の柱。まだ体が怠く感じるけれど、起き上がりたい衝動に駆られた。
すると、扉が開く音と共に、小走りになる足音がこちらに向かってくるのを感じた。だけど頭も体も、すぐに反応できなかった。
「姫様っ!」
ひ、め? 誰が?
茶色い髪の女性が、私を見ながら黄緑色の瞳を潤ませている。辺りを見渡しても、ここにいるのは私だけ。しかも芯のある反発力と肌触りのいい、この感触。
まさかベッド? じゃあ、この柱ってベッドの一部なの?
よく見ると、周りのカーテンは窓ではなくベッドについているものだった。
「どうかなさったのですか?」
「どうもこうも……ここはどこ? なんで上等なベッドにいるの?」
「それは姫様だからで……まさかっ!」
茶色い髪の女性が、両手で口元を隠して驚いている。黒いワンピースに白いフリルのついたエプロンをしているところから、メイドだろうか。
姫に、メイド……。驚いているのはこっちなのに、なんなの? ここはどこ?
質問をしたかったが、メイドらしき女性がさらに近づいてきて、それどころではなくなった。私の方へと手を伸ばしてきたからだ。
「失礼します」
咄嗟に目を瞑った。怠さが抜けない体でできるのは、それくらいだったからだ。すると突然、額にヒヤリと冷たい感触がした。それが彼女の手だと知ったのは、次の言葉を聞いた後だった。
「良かった。熱は引いていますね」
「熱?」
「はい。そのご様子だと、私が誰なのかもご存知ないようですね」
何がなんだか私は分からないのに、茶色い髪の女性は微笑んだ。けれどその黄緑色の瞳には悲しみが見える。
私を安心させようと、無理をして笑顔を向けてくれているのだ。それだけで、『姫様』に対する彼女の想いが伝わり、返事に困ってしまった。
「私はミサと言います。アルフェリオン王国の第二王女、リュシアナ・アルフェリオン様の侍女です」
「第二王女? さっき姫様って言っていたから……つまり、私のこと?」
「その通りでございます、リュシアナ様」
「……嘘」
気がつくと、本音が口から飛び出ていた。咄嗟に口元を抑えても後の祭り。私は恐る恐るミサを見上げた。
「戸惑われるのも無理はありません。姫様は……いえ、リュシアナ様は目を覚まされるまで、高熱で寝込んでおられましたから」
「熱を? あっ、だからさっき……」
「はい。確認させていただきました。リュシアナ様が罹っていたのはカリエンテ病といい、高熱が数日から、長い者で数週間続くとされる病です」
ベッドの上。怠い体の意味はそういうことなのね。だけどまだ、腑に落ちない。
「無事に熱が下がっても、稀に後遺症として記憶を失うことがあるそうです。だからリュシアナ様が、私のことやご自分のことを認識できなくても……このミサが全力でサポートいたします」
私の手を取りながら、懸命にいうミサ。その必死さに、私は逆に申し訳なくなった。なぜなら私は、あまり深刻に捉えていなかったからだ。
それは記憶がないからだろうか。熱にうなされ、破壊された私という精神。閉じ込められていた何かが崩れたみたいな感覚。
「……まるで『塔』みたい」
ぽつりと漏れた言葉に、ミサの目が大きく見開かれた。
「リュシアナ様?」
「……な、何?」
「今、何か言いましたか? その、塔がどうのって」
「え? 私、そんなことを言った?」
「はい」
これも病の後遺症なのかな。そんなことを言った記憶はないんだけど……でもなぜか、胸の奥が酷くざわついた。
「リュシアナ様、大丈夫ですか? 落ち着いてから侍医を呼ぼうかと思ったのですが、今すぐにでも」
「ううん。ちょっと胸が――……」
「それは大変です! すぐに侍医を呼んできます!」
「み、ミサ!?」
私の声が届いていなかったのか、ミサは裾を翻し、ぱたぱたと部屋を飛び出していった。
見た感じ、落ち着いた人なのかなと思ったけれど、意外とお茶目なのね。
クスクスっと笑っていると、扉のある方から音が聞こえた。
まさか、もうミサが侍医を連れてきたの? いくらなんでも早すぎない?
「み、ミサ?」
「ミサ殿ではありません、リュシアナ様。お笑いになる声が聞こえたので……失礼しました」
「……誰?」
明らかに男性だと分かる低い声。ミサは私を第二王女だといい、姫様と呼んだ。
その部屋に男性!? い、いつからいたの?
私が身を起こそうとすると、カーテンの陰からアイスブルーの髪の青年が静かに現れた。
鋼のように整った騎士服に、落ち着いた雰囲気。それでいて、まるで空気と一体化するように、その人はゆっくりと歩み寄ってきた。
「護衛騎士のカイル・ヴァレンティアと申します。リュシアナ様のお傍には、常に控えるよう命じられました」
胸に手を当てて挨拶をする、護衛騎士だと名乗った男性。王女に護衛騎士は変じゃないけど……その深い緑色の瞳に見つめられ、どう返事をしていいのか分からなかった。
「お加減はもうよろしいのですか?」
「え?」
「その……ミサ殿が侍医を呼びに行かれましたので」
そうか。そうだよね。彼、カイルもまた部屋にいたのだから、ミサと同じ反応をしてもおかしくはなかった。それだけ、このリュシアナ王女は周りに愛されていた姫なのだろう。
けれど今の私は……。
「リュシアナ様。今は記憶がなく、色々と不安かと思います。しかしミサ殿もいいましたが、私もまた、全力でサポートさせていただきます」
「……護衛、騎士なのに?」
「護衛騎士だからです」
カイルは迷いなく頷いた。
妙に説得力のある声音に、私は初対面であるにもかかわらず、この人は大丈夫だという不思議な確信を得た。私の中に、僅かにあるリュシアナ王女の記憶がそう思わせてくれるのだろうか。
「……よろしくね、カイル」
自然とそう口から出ていた。
けれどその瞬間、彼の瞳がほんのわずかに揺れた気がして……私は思わず、言葉の続きを飲み込んだ。