犬が兄弟になりまして・4
保護施設のホームページの譲渡希望欄にはまだ2頭の紹介文がなかった。
健康状態の検査をしたり環境に慣れる訓練をしてから譲渡になるので早くても1週間後ですとは言われていたが、かれこれもう2週間経つ。航と暮らしていた時から散歩も上手にできていたしトイレも失敗はなかったので、すぐにでも募集がかけられると思っていた。
もしかしたら募集をかける前に直接施設に来た誰かに見初められたのかも、などと淡い期待をしてみる。
施設に電話して聞いてみようか、預けた身分でこんなこと聞いたら厚かましいか、などと逡巡しながらの帰り道、いつものテイクアウトの焼鳥屋の前を通りすがった。
ごく最近のことなのに懐かしく感じた。2頭の犬が店の前に座り込んで動かなくなったことがあった。
今は若い男がふたり、店の前でじっと焼かれている串を見つめている。よほど腹が減っているのか、待ちきれんとばかりに食い入るように串を見ていた。
あれだけ見られたら大将もやりにくいだろうなと航は同情したが、さすがテイクアウトの店だけあって客の視線など慣れっこなのか、大将はにこにこしている。さすがだなーなどと思っていると、顔を上げた大将と目が合った。
大将は「よう!」と航に言った。
「何本?」
「え?」
なぜ買うと思われたのか?確かに2頭の散歩の途中で何回か買ったことはあったが、それだけでもう常連扱いなのか。てか、犬も連れてないのによく自分とわかったな、犬は覚えられても飼い主は案外覚えられないもんだぞ、さすが客商売だななどと感心しつつ豚バラと、犬がいた時には食べられなかったねぎまと皮とつみれをタレで注文した。犬連れの時は犬用に何もつけてないモモを買ってはいたが、結局自分の分も狙われるのでタレではなく塩を注文していたのだ。せめてもの配慮である。
食い入るように串を見ていたふたり連れが「やっぱり焼鳥は最高ですよね!」と言わんばかりにこちらを見てきたが、本当に話しかけられたら面倒臭いので視線を逸らした。たまにひとり居酒屋で飲んでいると話しかけてくるオヤジは大層苦手である。
隣のふたり連れは背も高くてちらっと見た感じ顔も良いのだが、髪は長めでぼさぼさだし、なんかこう薄ら汚れている。航とそれほど違わない年齢に見えるので家出とかではないだろうが、なんかこう、堅気な感じがしない。まさか浮浪者か?と航は思いつつ、何気なく距離を開けて立った。
「はい、おまちどう。おまけしといたから」
『おまけ?』
見るとふたつの袋に塩とタレで分けて3本づつ串が入っていた。
『ていうか先に待ってた客に渡さなくていいの?なんか絡まれそうでいやなんだけど』
航は無駄に気配を消し、隣を見ないように支払いを済ませようとQRコードをかざした。
「よかったなあ、優しい兄ちゃんで」
大将は満面の笑みで隣のふたり連れに言った。
「は?」
思わず声が出た。航は口を開けたまま大将を見、隣のふたり連れを見た。両方ともにこにこと笑っていた。
『店ぐるみのカツアゲかよ!』
航は叫びたかったが焼鳥6本で暴れるのもなんか大人げないと堪えた。第一おごってやれともおごってくださいとも言われてない。だったらこの焼鳥6本は自分に権利があるはずだ。あげなきゃいいのだ、やらなきゃいいのだ、恵んでやる義理などひとつもないのだから。
怒りをぐっと堪え、無言で立ち去る航の背に、大将はご機嫌に言った。
「またおいでね~!」
二度と来るか!と舌打ちしながら振り返るとごく至近距離にふたりがいて、航は「おっ」とのけぞった。
ふたり連れはあいかわらずにこにこしている。当然貰えるという疑いのない純粋な目をして航を見ていた。
航は無視して歩き始めた。
おおかたタイミングよく来た客にたかる目的で店の前に張り付いていたのであろうが、あんな商売してたらすぐ潰れるぞあの店、もちょっとましな大将かと思ってた。なんだ最近売り上げでも悪いのか、結構長く続いてる店だと思ってたのに残念極まりないぜ、てかお前らも良い年なんだからこんな詐欺みたいなことしてないでまともに働けよ、いや待てよヤカラなのか?こういうことして店からいくらか貰ってるヤカラなのか?焼鳥なんか口実で、もっとなんか、財布とかカードとかお金とか巻き上げようとしてる……?
怒りに任せて歩いていた航は、ふと不安になった。
たしかににこにこしたイケメンだがガタイがすこぶる良く、あれで真顔になって胸倉とか掴まれた日には……。よく漫画とかで見るにこにこ笑ってるけど実は一番怖い人っていうタイプでは……。笑いながら人殺したりする…。
航は立ち止まった。
恐る恐る振り返る。
少し後ろに同じく立ち止まったふたりがにこにこ航を見ていた。
ヤバい。と思った。
航はダッシュした。
家は突き止められたくない。でも人通りの少ない道をこれ以上歩くのは危険だ。とりあえず明るいところへ出なければ。でも明るいところに出たらすぐマンションに着いてしまう。ええい、いざとなったら警察を呼ぼう!
後ろを振り返ると、笑顔のままふたりは走ってついて来ていた。
航は焼鳥を右へ投げた。
ふたりは目を輝かせ、焼鳥めがけて右方向へ曲がって行った。
航は左へ全力疾走する。
撒いた。
航は肩を弾ませながら鍵を開けると、しっかり内鍵を閉め、床にへたり込んだ。全力疾走など何年ぶりだよと思ったが、そういや最近道に飛び出したラブラドールを追いかけて走ったっけなと思い出した。
犬がいればヤカラも怖くないんだろうか。などと思ってみたりもした。
一応しっかり撒いたつもりではあったが、追いかけて来てたらどうしようと航は寝るまで不安だった。
風呂に入っていても、テレビを観てても、布団をかぶっても、ピンポンが鳴るんじゃないかと気が気ではなかった。
でも結局いつのまにか眠ってしまった。
ピンポンが鳴ったのは次の朝だった。
ドアを開けると足下に、壁を背にして並んで座り込んでる昨日のふたりがいた。
航は叫んで飛び退いた。
「怖いんで中入れていただけません?」
ドアを開けているのは、何度か見かけたことのある同じ階に住む女性だった。