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犬が兄弟になりまして・3


 引っ越して来た当時狭いと思った部屋は、突然やって来た2頭の大型犬のおかげでベッドの上でしか生活できない激セマ物件となり、2頭がいなくなった今、航は身の置き所を持て余すほど広大な部屋に感じている。

 一時は冷蔵庫やごみ箱の中身が散乱しごみ屋敷になる予兆を感じさせたが、掃除をして回る航をじっと見つめていた2頭が生もので部屋を荒らすことは2度となかった。

 興味は靴に移った。

 サンダルもスニーカーもやられたので、散歩はスウェットに革靴を履いて行ったこともあった。

 帰宅するたびスーツ用の革靴を全部箱に入れ、クローゼットにしまった。

 次は枕に行った。

 さすがに寝る場所がないと困ると思ったのか、掛布団には手を出さなかった。

 航がベッドに横たわると、ゴールデンが右にラブラドールが左に航を挟むように寝た。

 ベッドは狭いし掛布団は重いし、寝返りを打てない日々が続いた。航の身体は起きるごとにバキバキだった。しょっちゅうベッドからはみ出る足を縮めるラブラドールが、それでも下に降りて寝ないことが不思議でかわいかった。

 今は悠々とベッドで寝られる。

 ソファーの下に座り込んでテレビを観ながらビールを呑み、いい気分になってきたらソファーに上って寝っ転がってテレビを観る。

 散歩もないから早起きしなくていいし、夜もわざわざ犬のために早く帰らなくていい。

 航はもとの生活に戻った。


 実家を出て10年以上になる。

 車で行ける距離だからと安心してたら帰省が年に1回になっていた。うかうかしてたらこの2年は帰ってなかった。

 それでも親は何も言わなかったし、電話もしょっちゅうしてたからお互い油断していたんだと思う。いつでも会えると。

 久しぶりに会った両親は、2年前と変わらず若かったのかこの2年でずいぶん老けたのか、全然わからなかった。

 服も靴も見たことのないものだったが、両親かと言われれば、なんとなくそうかも、と思える程度だった。

 

 嘘。

 絶対両親だと思った。


 こないだの日曜、帰ればよかったと思った。


 運転するのヤバいかなと思ったけれど、1回家に帰ってパソコンとか喪服とかいろいろ持ってこようと航は思った。親戚のことを考えると実家の近くで葬儀をした方がいいし、もろもろの手続きは両親の居住区の方が便利だろう。それを考えるとしばらくは実家で過ごすことになりそうだ。

 

 久しぶりの実家に航は帰って来た。

 玄関前の木には2年前より多く実がなっていた。庭には実のなる木が増えている。

 「おかえり」と言われることのない実家に入るのは、気が進まなかった。

 かといって「おかえり」と聞こえてもちょっと怖いし大問題だ。

 でも、久しぶりの実家に「ただいま」も言わず入るのは気が引けた。

 航はかちゃりとカギを回し、戸をがらりと引いて「ただいま」と言いかけた。


 大きな犬が2頭、ばう!と吠えた。

 尻尾をぶんぶん振りながら、航をしっかり見つめてにこにこと笑い、ばうばう!と吠えた。

 大型犬らしい、大きな低い声だった。


 航が両親の事故を知ってからここに来るまで2日。最低でも2日この家に置き去りにされていた2頭はなんとか自分たちで腹を満たそうとしたのであろう。どこかに置いてあったのだろう、ドッグフードの袋はびりびりと切り裂かれ中身は食い散らかされていた。母がテーブルの上に置いていたのであろうパンやお菓子も床に散らばり、かじられまくったリンゴも落ちていた。

 風呂の水が蛇口から出しっぱなしだった。

 両親は浴室のタイルの上にペットシーツを敷いてトイレとして躾けていた。粗相をしても掃除しやすいからだ。犬たちはめったにそこを使うことはなかったが、犬を置いて出かけるときは万が一のためと用意していた。

 残された2頭はちゃんとそこを使っていた。

 出しっぱなしの水は、もしかしたら喉の乾いた犬が鼻で蛇口を上げたのかもしれない。

 蛇口の手前にある使われたペットシーツは踏み荒らされていてぐちゃぐちゃで、汚れた手足のせいで室内は悪臭と汚物でドロドロだった。


 しばらく呆然と室内と犬を眺めていたが、航はとりあえず犬の皿を探し、水とエサを注いだ。

 そして家じゅうの窓を開け、浴室の汚物を始末し、家中を掃除し始めた。とにかく床を綺麗にしなければこの家に滞在することもできない。

 だがまず犬の足を拭かなければと航はエサに夢中のゴールデンの後ろ脚を持ち上げた。

 素直に上げて拭かせた。顔もエサから離さなかった。

 ラブラドールも同じく素直に拭かせた。

 犬は後ろ脚を触られることをとても嫌がる。食事の邪魔をされることもだ。

 だが2頭ともよほどお腹が空いていたのか、まったく気にせず足を拭かせた。


 生きててよかったと思った。


 何枚もタオルを使って床を拭いた。拭いている間は無になれた。掃除は修行と坊さんは言うらしい。そうだなと航は思った。家が汚れていてよかったと思った。


 最初の犬を両親は「お兄ちゃん」と呼んでいた。思い出話をするときに「お兄ちゃんはよくあんたの面倒見てくれてたもんね」と言っていた。

 その『お兄ちゃん』が亡くなったのは航が小学校に行き始めた時分で、ショックでしばらく学校に行けなかったことを覚えている。

 だからというわけでもないだろうが、犬は途切れることなく時期を重ねるように航の実家に飼われていた。

『お兄ちゃん』以降の犬は航の良き相棒だった。

 子供の少ない土地で犬たちは航の良き遊び相手であり、兄弟だった。

 だから両親を残してすんなりと家を出られた。

 犬がいるから、寂しくないから、両親も帰って来いと言わなかったのかもしれない。

 最後の犬と航が実家で一緒に暮らしたのは1年ぐらいだ。その後家を出て年に1度くらいしか帰らなかったが、犬はよく懐いてくれていた。その犬が2年前に死んでから帰ってなかった。

 実家に両親だけになってから帰ってなかった。

 帰ればよかった。と航は思った。

 

 だがその1年後にゴールデンレトリバーとラブラドールレトリバーがあの実家に来ているのである。

 1年間は夫婦水入らずで過ごしているのだ。たぶんこれから犬を飼ったとして、老いた自分たちが最期まで面倒を見てやれるのか悩んだのだと思う。

 熟考の末2頭の大型犬を飼ったのであろう。

 が。

 結局人生何が起こるかわからないのだ。

 幸い離れて暮らしてるとはいえ、息子の航がなんとかできた。

 いきなり保健所で殺処分などという不幸は回避できたのだ。

 もしかしたら両親は航のこともちょっとあてにして2頭を飼ったのではないか、と航は思い始めた。だとしたらひと言相談は欲しかった。大きい犬飼うよ~と。

 そしたら犬を見るついでに会いに帰ったのに。

 航は寝返りを打った。

 2頭を保護施設に預けて2週間になる。

 良い飼い主みつかったかな、と航は思った。




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