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犬が兄弟になりまして・2


 航の実家から航のマンションを挟んで真反対の方向にその犬の保護施設はあった。

 キャンプでもできそうな山の中で、保護施設運営のためのドッグホテルやドッグカフェ、ドッグラン、老犬介護施設も併設している、全国的な私営の保護施設だ。

 ここに登録して自宅で里親候補を待つ場合は登録料だけで済むが、預けるとなると大型犬なら前金で委託料を10万、里親が決まるまで月々3万支払わなければならない。

 つまりそんなに支払ってまで犬を捨てたいんですかと訊かれているわけなのだが、航としては突然押し付けられた犬なので、親の遺産を使ってでもという気持ちであった。

 それに高額な譲渡料がかかるのだ。引き取る人間の覚悟も身元もしっかりしているだろうと航は期待していた。

 正直、保健所の方が安いし簡単だ。親戚にもそう言われた。

 両親は代々の犬を保健所から譲り受けていた。

 物心ついた時には航も連れて行かれ、

「この建物の中の1頭しか連れて帰れない」

 と言われた。

 譲渡会にはたくさんの人たちが来ていたから、きっと全部の犬が貰われたはずだと思っていた。


「2頭だと20万ですし、毎月6万かかりますよ?」

 応対してくれた施設のスタッフが気の毒そうな目をする。

「そうなんですけどうちも狭いマンションですし、ペット禁止のところ不動産屋にお願いして1週間だけ部屋に入れてるんです」

 もう今日から預かってもらうつもりで実家から持って来ていた愛用のエサ皿も残っていたペットフードも全部持ってきた。

「まあ、ゴールデンとラブは人気だからすぐ貰い手は見つかるとは思うんですが……」

 見慣れないところへ連れて来られてけそけそと落ち着かない2頭を見下ろしながら、スタッフは眉を八の字に下げた。

「もったいないなあ。こんなに綺麗なのに。すごく可愛がってもらってたんだろうなあ…」

 そう言われてもと航は思った。

 確かに毛並みもいいし、早朝深夜に散歩に連れていてもたまに通り過ぎる人たちが振り返るほど堂々とした体躯をしている。

 でも飼えない。なぜなら航は独り身だから。

 そんな予定は今のところ全然ないが、これから犬が好きかどうかわからない彼女ができるかもしれないし、さらにそんな予定は未定だが、結婚して子供が出来てその子が犬アレルギーを持っているかもしれないのだ。

 航は決して犬が嫌いではない。

 むしろ好きだと言っていい。

 好きだからこそ無責任なことはできないのだ。

 好きだからこそ犬の幸せを願って、自分より必要としてくれる人との縁を繋いで欲しいのだ。

 そのために両親も少しばかりのお金を残してくれたのであろうと航は思っている。

「まあ!かわいい!」

 すばやく2頭が反応して立ち上がり、声のした方へぶんぶんと尻尾を振り始めた。

「おっきいねえ!なにちゃんとなにちゃんかな?」

 声の主は2頭の間にしゃがみ込むと両腕でそれぞれ頭を抱え込み頬ずりした。

「お名前は?」

 見上げてくる女性に航は息を呑んだ。

「……天道航です」

「まあ!素敵なお名前!テンドウくんとワタルくんね!よろしく!」

 女性は花がほころぶように微笑んで2頭を抱きしめた。

「あ、すみません。天道航は僕です」

 間違った自分も自分だが、鵜呑みにした女性もどうかと思いつつ、航は犬の名前を知らないことを告げた。

 血統書はもとより、皿や首輪にさえも名前の記入が無かったのだ。

 知らないままでいいかと航は思っていた。知ったらきっと手放し辛くなると思ったので。

「だったら……」

 女性は犬の頸や肩甲骨、上腕あたりを触ってみた。

「う~ん、わかんないなあ…。ちょっとわんちゃん達お預かりしていいですか?」

 航が頷くと女性は2頭を連れて行ってしまった。2頭も美人にはすんなり着いていくものだなと航は感心した。

「マイクロチップが入ってるかもしれないので確認に行きました。入ってたら名前もわかりますしね」

 残ったスタッフが女性の説明不足を補ってくれる。

 突然現れて風のように去っていく妖精のような美女。

 そんなことより彼女の名前が知りたかったが食い気味に聞いても怪しまれると思い、航は我慢した。


「わかりましたよ~!」

 ぶんぶんと振る女性の手には1枚の紙が握られていた。

「ゴールデンが『リク』くんでラブラドールが『カイ』くんです!ほら、お父さんによろしくって」

 女性に頭を撫でられながらお座りした2頭は満面の笑みで航を見上げた。

 なぜこの2頭は初対面の女性の言うことをさっきから素直に聞いているのだろう、やはり犬も美人には弱いのか、というかお父さんじゃないしと航は思いつつ、「あ、どうも」と2頭に言った。

 亡くなった両親の名前が飼育者として登録してあった。住所は実家。犬は2頭とも3歳。どこの犬舎からいう情報はなかったが、両親のもとに来たのは1年前らしい。

「いっぱい可愛がってもらうんだよ~」

 にこにこと笑う女性がにこにこと笑ってるように見える2頭の顔をそれぞれぐりぐりと撫でまわした。

 航とスタッフは「ん?」という顔をした。

「よかったです。素敵な保護主さんに引き取ってもらえて。大事にしてあげてくださいね」

 航の目を見て屈託なく笑う女性に、逆の美人局か?犬を預けさせまいとする作戦なのか?罪悪感を煽ってきてるのか?と内心焦って言葉も出ない航にスタッフが助け舟を出した。

「美馬さん。こちら犬を預けに来られた方です」

 美馬と呼ばれたその女性は何度も「えええ!?」と2頭と航を交互に見返すと、焦ってまくしたてた。

「ごめんなさい!とてもそっくりなご家族だったからきっと運命の出会いをされたんだとばかり……!だってとってもお似合いのご家族だったから…!本当はこちらじゃなくてドッグランの方のお客さまかなと思ったくらいで…!でも初めて見るお客様だったからきっとご家族になったばかりででもわんちゃんたちもお利口にしてるからきっととっても気が合って阿吽の呼吸でお隣に座ってるんだとばかり……!」

 煽られている、と航は思った。

 これは確実に犬を置いていかせないための罠である、と。

 これだから見た目の良い女は信用できない。かわいい顔で懇願すればなんでも思い通りにできると思っている。いや、思い通りにしてきたのであろう。まさかその技を犬を手放させないために使う女がいるとは思わなかったが。

 でもなぜだろう、悪い気がしない。

 こういうかわいい顔の裏で、しめしめこれでまたひとり犬を預けるのを諦め連れ帰ってくれたぜなんてほくそ笑んでいるに違いないのだが、犬のために美人局するなんていい人なんだよね優しさゆえの悪役なんだよねホントはなどと思えてしまうのはなぜだろう。

 むしろ「やっぱり連れて帰ります」と言って、「わあ!そう言ってくれると思っていました!やっぱりあなたは犬が大好きな優しい人なんですね!」なんてキラキラの笑顔で褒めて欲しいとすら思ってしまう。

 航はぎゅうと太ももをつねった。

 いや、だめだだめだ。うちは狭いしペット禁止。そして自分は独身の社畜。

「美馬さん。それ以上言うとまた苦情が来ますよ、わざとらしいって」

 ため息をつくスタッフにますます美馬は慌てる。

「あ!ごめんなさい!そうじゃなくってそうじゃなくって……!」

「すみません、天然なんです彼女。わざとじゃないんで」

 申し訳なさそうなスタッフに大丈夫ですよと航は言った。

「なんかすみません……。こいつらのこと、よろしくお願いします」

 ほかに言いようがない。犬を捨てるのは事実なのだ。

 突然やって来た犬ではあるのだが、心も感情もある犬を短期間で知らない人から知らない人へと移動させるのだ。決して褒められたことではない。

 でも、しょうがない。

 せめて良い飼い主が見つかりますように。

 最後まで面倒見てくれる飼い主とめぐり逢えますように。

 祈りながら2頭のリードを美人局・美馬さんへと航は渡した。

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