婚約者と仕事を失いましたが、隣国ですべてバージョンアップするようです
このところ、なぜか不本意に婚約破棄を申し渡される令嬢が増えているという事態は、アリサも聞いていた。実際、アリサが働いている神殿で、令嬢たちがひっそりと泣いているのを何度も見た。
令嬢たちのほどんどが、発言権を持たない。
なぜか未婚の女性は父や、相手の男のいいなりにならなければならず、泣く泣く受け入れるしかない。理不尽極まりない。
したがって今の王都には「婚約者が気に入らないなら婚約破棄をしてもいいんだ!」という男どもの浮かれた雰囲気と「もし我が娘がそんな憂き目にあったら?」と娘を持つ親たちが醸し出すピリピリとした緊迫感とで、なんとも嫌な空気が漂っている。
婚約破棄など年頃の娘たちにとってはとんでもない災難だが、それは華やかな社交界に限ったこと。まさか、そんな災難が我が身に降り注ぐとは夢にも思わず、アリサは仕事に精を出していた――今朝までは。
「王子殿下、もう一度仰ってくださいますか? わたくしの、聞き間違いかもしれません」
アリサは、緋色のドレスの裾を摘まんでレディらしく挨拶をしながら目の前の男に問いかけた。
たしかこの派手な金髪に水色の目の男は――国王の次男、いや、三男だったかもしれない。どちらかわからないので、フィリップ殿下と呼べばいいのかレオ殿下と呼べばいいのかわからない。ソツなく王子殿下、で済ませておく。
なにせこれが初対面なのだから、国王にそっくりの息子たちの見分けがつかなくても致し方ないだろう。
「婚約破棄を告げたのだ、見た目も冴えないが物わかりも悪い女だな」
はぁ、そうですか、とアリサはつぶやいた。
ほとんど会ったことのない男に酷い言われようだが、王族に逆らうのは得策ではない。とりあえず頭を下げておくのがベスト、そう心得ているアリサは、だまって頭を下げた。
が、それが気にいらなかったらしい。
「アリサ、俺を見るんだ!」
「はい」
「イライラさせるな、ほら、ここで何か言うことはないのか?」
「何か、と言われましても……。婚約破棄を宣言するために、わたくしをしつこく舞踏会に呼びつけたのですか?」
王立学院を卒業して三年、社交界とは縁遠いところで過ごしてきたアリサにとって、王家の紋章のついた舞踏会への招待状は全くありがたくない代物だった。
今回も断る気満々だったのだが、しつこいほどに招待状が送られてきたため、渋々やってきたら、この事態だ。
「お前っ……ほかに何か言うことはないのか? 弁明するとか!」
「何についての弁明でしょうか?」
「お前が! 聖女の力は皆無なのに聖女と偽り我々を騙していた。大変な悪女ということについて、だ! 彼女が本物の聖女、ソフィア嬢だ。俺は、危うく偽聖女と結婚するところだったのだ。アリサ、お前との婚約を破棄して本物の聖女ソフィアと結婚をするのだ! わかったか!」
ざわざわ、とさすがに周囲がざわめいた。婚約破棄した直後に結婚宣言とは非常識にも程がある。
アリサも、違う意味できょとんとした。身に覚えのない、濡れ衣や汚名を着せられた気がするのだがそれを訂正すべきだろうか。
「だいたい、大神官の養女だというから優遇してきたが、お前の実の父は男爵、母に至っては貴族ですらない町娘だったとか。魔力だけが取り柄だったのだろうがその娘は魔力すら貧相だ。おおかた、魔力も身分も低いから、嘘偽りを重ねて王子の妃を望んだのだろう。あの出会いも、あの危機を救ったのも、すべて自作自演なんじゃないか?」
アリサが思案しているのをいいことに、王子は勝手に演説をし、アリサをとんでもない悪女に仕立ててしまった。そしていつの間にかやってきていた見知らぬ令嬢が王子の腕に絡みついた。
腰まで届くピンクの髪は豊かに波打ち、茶色い眼は大きく輝いている。そして、ドレスの胸元が苦しいであろうほどに豊満な体つき。
銀色の真っ直ぐな髪とスレンダーな体つきのアリサとは対照的である。
そのソフィアという令嬢はどうみても聖女には見えない。魔力が感じられないのだが、王子が聖女だというからには、聖女なのだろう。
「……わたくしが、偽聖女、ですか……」
「さっさと認めるがいいぞ! お前が偽物だと、このソフィアが見抜いたのだ! 本来なら国家反逆罪として投獄すべきところだが、ソフィアたっての願いで婚約破棄と聖女の地位剥奪に留めた。優しい彼女に感謝しろ」
アリサが、王子をまっすぐ見た。
「聖女の地位剥奪、でございますか?」
アリサの胸が、どくん、と強く打った。想定外もここまでくれば或いは……という気持ちになる。
「そうだ! とっとと、王立大神殿、いや、王都から退去するのだな!」
「はい」
「それが嫌なら、泣いて許しを――え? はい、といったのか?」
ありがとうございます、と言うのは胸の内だけに留め、アリサは多くを語らずにっこり微笑んだ。
「殿下、王都からの退去、聖女剥奪、婚約破棄、それはご命令ですね?」
勅命である、と、踏ん反り返りながら王子は演説を続ける。が、アリサは聞いてはいなかった。胸元につけていた聖女の徽章を外して王子に渡す。
「ソフィア嬢と、どうぞお幸せに。わたくしのことは、忘れてくださって構いません。ではごきげんよう」
完璧なカーテシーをして、アリサはその場を小走りで立ち去った。
そのまま、王立大神殿に取って返す。神殿入り口には呆れ顔の大神官が立っていた。両親のいないアリサの父親がわりの人物だ。
「大神官さま、申し訳ございません。婚約者とお仕事を同時に失くしてしまいました」
聞いた聞いた、と大神官が頷いた。80歳に近い老体だがいまだ魔力は健在で、しっかり王都を守っている。
「アリサ嬢、まったくわかっておらぬ王族で済まぬ」
「わたくしに婚約者がいたことを、婚約破棄の場ではじめて知りました」
「すまんな、アリサ嬢をどこぞの貴族に独占されぬよう、王家が勝手に手を回して婚約者を定めておったらしい。わしもさっき国王陛下に聞かされて仰天したところじゃ」
自分の婚約に、そんな事情があったとは。というか、自分にそこまでの価値があったとは思いもよらないアリサである。
「しかしあんなアホ王子に嫁ぐ必要はないわい。婚約破棄で正解じゃ。以降は、国のことも気にせず、好きに生きれば良いぞ」
ほい、と、大神官は皮袋をアリサにわたした。
「わ、重たい……大神官さま、これは?」
「そなたのご両親が生前貯めていたお金を運用して、増やしておいた。その一部じゃ。アリサ嬢の嫁入りの際に渡すつもりじゃったが……今がよかろう」
ありがとうございます、と、アリサはそれを大事そうに抱えた。朧げな記憶しかない両親だが、確かに愛を感じる。
「それから、わしからの餞別じゃ。わしの持っておる爵位のひとつ、ヒューズ子爵とその領地を譲る。ほとぼりが冷めるまで、そこで魔力に磨きをかけておくといいぞ」
ヒューズ領は、王都から南に馬車で半日ほどの位置にある小さな領地だ。
緑豊かで農業の盛んな土地だが、魔力に満ちた土地でもある。神官や魔導師が数多く輩出され、同時に魔物や強力な魔獣も生息している。
「大神官さま……ありがとうございます! 聖女の制約もなくなったのでこれで思いっきり……」
「うむ。何かあればいつでも、わしを呼ぶがよいぞ。そなたは、我が娘ゆえな」
「はい!」
こうしてアリサは、婚約破棄から三日と経たぬうちに、空飛ぶ馬車で王都からヒューズ領へと移っていった。
「うーん、心地いいわ!」
領主の館に到着したアリサは、シンプルなワンピースに着替えて領地へと飛び出した。王都からさらに南に位置するため、陽射しは強く空気は乾いている。
聖女として王都を守護する必要がなくなった今、アリサは『魔力の塊』と化していた。
長らく空き家だった領主の館を、一回手を叩くだけで綺麗にした。建物の時間を巻き戻して新築当時までさかのぼったのだ。
そして、一瞬にして持参したドレスを春用のそれから夏用のものへと変え、ついでに枯れそうだった大樹を元気にする。
「これで涼しくなるわ」
そして、屋敷の傍らに流れる細い川の水が淀んでいるのを見ると、それも浄化し、ついでに水路として整える。
「水遊びが出来るほどの幅はないわね、残念ね」
一気に魔力を使ったからだろう、小さな妖精たちが興味津々で近寄って来るし、竜たちは巨大な魔力の気配を察して警戒している。
「あらあら、あなたたちは光の妖精ね! ミラにリーン、ヘンリーっていうのね? よろしくね」
妖精たちが驚いたように飛び回った。
「そうよね、ここまで魔力のある人間は珍しいと思うわ。仲良くしてね」
桁外れの魔力に目を付けた先代聖女に引き取られ、聖女見習いとして働きだしたのは五歳だったか。
それ以来、胸元にいつもつけていた徽章、あれがアリサの魔力を聖属性へと変換し、ひとりで王都を守護していたのだ。そのため、アリサは物心ついてから十八になる今まで、自由に魔力を使ったことがない。
その任務から解放された今、アリサは自由に魔力を使える。それが楽しくて仕方がない。
「さて……誰も連れてこなかったから……お手伝いしてくれる子たちを呼びましょう」
ぱちん、と指を鳴らせばアリサの足元に魔法陣が浮かぶ。詠唱することなく――クラシックなメイド服を着た美少女が数人、姿を現した。いずれも白い髪と紫の目で、個性はあるものの全員、人形のように整った顔をしている。
「……わたくし、シルキー妖精を呼んだつもりだったんだけど……」
「はーい、あたしたちシルキーですよー」
「御主人さまの魔力が強すぎて、人間の姿になっちゃいました」
「あたしたち、お屋敷のメイドとして働きます」
「ごしゅじんさま、あとで、あたしたちに名前、付けてください」
わかったわ、とアリサがうなずくと、彼女たちは小躍りしながら館へと向かう。
「えっと、男性使用人も必要よね……さっき捕まえたコボルト、あの子たちを呼びましょう」
まずは二人くらいでいいだろう。家令一人と執事一人……。
魔法陣がぴかりと光り、仕立ての良いスーツに身を包んだ男性が二人。片方は、初老だろうか。ダークブラウンの短い髪はきちんと撫でつけられている。
もう一人は、若い――二十歳前後だろうか。ダークブラウンの髪を首の後ろで一つに括っている。
「えーと、年上のあなたが家令で、若いあなたが執事ね?」
さようでございます、と、二人の声が揃った。よく見れば、二人の顔が似ている。端正な顔立ち、上品な物腰。
「……兄弟? いえ、親子のコボルトかしら?」
はい、と執事が元気よく答える。
「ご主人様の魔力が強いので、我々は人型になった上に美形になったようです」
にこり、と渋い美形の家令に微笑まれて、アリサは思わずどぎまぎしてしまった。
「よっし、おやじ、職場に向かおうぜ!」
「おやじではない、その言葉遣い、なんとかせよ!」
「あいよっ!」
親子がじゃれあいながら館に向かうのを、アリサはぽかんとして見送った。
「今のところ、わたくし好みの美男美女ばかり、よ……」
己が一番貧相ね、と、思わずアリサは苦笑した。
それからしばらく散策したあと館に戻りかけて、料理人も必要だろう、ということに気付いた。館の護衛には屈強な男性が数人いたほうが良いかもしれない。
「ちょっと森で妖精や魔獣を見て来ましょう。強い魔獣がいないことを願うばかりね」
すぐに戻ってきたアリサは、庭先に魔法陣を描いた。大きな魔法陣である。
そして、あれこれ思い描きながら魔法陣を光らせていく。召喚した妖精や魔獣たちはもれなく全員が人型になり、揃いも揃って美形である。
王都でもここまで美形が揃うことはないだろう。
「そういえば、この地には強力な魔獣や古龍がいるんだったわよね。彼らも、聖獣化したり召喚したり、可能なのかしらね」
もちろん可能ですよ、と、穏やかなテノールが響いた。
「……あら? どちらさまでしょう?」
鮮やかな緋色の髪と緋色の目をした、背の高い青年がいつの間にかアリサの横に立っていた。
「……ふうん、こんなに魔力が強くて、こんなに美しいレディが王都にいたなんてねぇ……」
青年は、白く長い指でアリサの髪を一房掬うと、そこに口づけを落とした。
「ひ!?」
「……男には不慣れかな? これは初心で可愛らしい」
くすりと楽しそうに笑った赤い髪の男は、そのままアリサの顎に指をかけ、上を向かせた。恐ろしいほどの美貌がすぐそばにある。
「ふぇえ、な、なんで、す、か……」
「真っ赤になって可愛い。よし、気に入った……この魔力も心地いいし、きみがここでどうやって妖精たちと暮らすのか、興味が湧いた。しばらく館に滞在させてもらうよ」
アリサは「えええええ!」と素っ頓狂な声をあげてしまった。パクパクと口を開け閉めするだけで、言葉が出ない。
「本当に、可愛らしいレディだ」
美貌の男性の姿が掻き消え、そこには、真っ赤な竜が顕現していた。
「え、竜!?」
「この方が良さそうだ。わたしの兄弟たちは皆、用心深い。あなたに会いに来るまでに、もう少し時間が必要だ。許してくれ」
「か、か、構いません……」
へなへなと腰が抜けてその場に座り込んでしまったアリサを、竜はぱくりと咥えて、館の中へと運び込んだ。
翌日からアリサは、妖精たちと楽しくスローライフをはじめた。
田畑を耕し、領地を視察する。妖精たちが手伝うので作業はどんどん捗る。
領民たちが困っていることがあれば、魔法や書物で学んだ知識を活用し、時には領の法律改正をして彼らを助ける。
「新領主さま、助かりました。彼らをしばらくお借りします」
「いいえ、また何かありましたらお気軽にご相談くださいね!」
頭を下げる猟師のそばで、美少年が三人ほど、がんばるねー! と合唱する。森でいたずらばかりしていた魔獣三頭を従魔にし召喚したところ、彼らは三つ子の美少年になった。
その三人を、猟師の手伝いとして貸し出すことにした。アリサも、猟師もニコニコだ。
「お役に立ててよかったわ! 森は荒らされなくなってし、おじいさんの人手不足も解消!」
緋色の髪の美形に話しかければ、青年がゆったりと頷く。
「見事な手並みでした……素晴らしい」
唇が触れそうなほどの距離で嫣然と微笑まれてアリサは真っ赤になった。
彼は竜の姿でいるより人間の姿でいることの方が多く、アリサはどぎまぎすることが増えている。
「領主さまっ、次はどこいく?」
「あたし川の方に行きたいな! 魔力の匂いがするのーっ!」
わいわいはしゃぐのは、勝手についてきた美少女二名。シルキー妖精である。
「じゃあ、川の視察にしましょう! 魔獣が出るかもしれないから……二人とも、気を付けてね」
しかし、ピョンピョン飛びはねるシルキーのせいで、なかなか前に進まない。
「……ええい、じれったい。背に乗れ!」
ぽん、と音がして、緋竜が姿を現した。わーいわーい、と二人が背中に飛び乗り、アリサもそれに続く。
「では、川に向けて出発!」
上空から見る村は、まだまだ小さい。発展の余地は十分にある。
「あら? 山脈の向こうは……アーデルライト皇国なのね。旗が見えるわ」
そうです、と竜が答える。なんでも、半年ほど前に戦があり、そこにあった国がアーデルライト皇国に吸収されてしまったらしい。
「……知らなかったわ……守りを固めておかないと不安ね。王都に手紙を書きましょう」
王に知らせるか、騎士団に知らせるか。悩ましいが――ここは、元の持ち主である大神官宛でいいだろう。
「でも、こんな生活も悪くないわね!」
と、すっかり満足しているアリサである。
「主さまの魔力、ちっとも減りませんね」
と、シルキーの一人が言う。
「え? 魔力って減るものなの?」
アリサは、新しい魔物に出会うと、まず、彼らを仲間にしてみる。そのため、アリサの召喚獣や従魔は夥しい数にのぼっている。アリサの周りに顕現しているのはごく一部にすぎない。
そして、召喚獣や従魔は、人間の支配下に魔物をおくということだ。魔物と主を魔力の鎖でつなぐわけだが、そのぶん、魔物に魔力を吸われる。そのため、通常は多くて3体程度しか支配下には置けない。
「アリサ、きみはどうしてそんなに、魔力が無尽蔵なんだい?」
と、竜が不思議がるが、アリサの方がそれを知りたいくらいである。
「不思議なレディだよ、きみは……」
人型の妖精や召喚獣たちが、アリサの周りに常に群がる。それらがすべて、美男美女、妖艶な美女から屈強な紳士まで選り取り見取り、これも、アリサの魔力が高いから可能なことなのだ。本人はまったく自覚がないが、過去に例がないくらいの大魔導師と言って過言ではない。
「こんな魔力の塊、あの国が放っておくはずないし、聖女の守護を失った王都も大騒ぎだろうに……」
「竜さん、何か言った?」
「ん、いや? なんでもないよ」
そのころ、竜の懸念したとおり、隣国のアーデルライト皇国と、アリサがいなくなった王都では大騒動になっていた。
「大変な数値だ……!」
「とんでもない魔物か、そうでなければ、強すぎる魔導師だぞ。王国にも我が国にも、そんな強い魔導師がいるとは聞いていない」
世界有数の魔導師や研究員が集まるアーデルライト国立魔法研究所では、研究員たちが右往左往していた。
王国との国境付近で、異常な魔力を検知したのだ。ヒューズ領には竜の巣があることは知られているが、古龍が一斉に目を覚ましてもこの数値にはならない。
そこで、急遽探索部隊を編成することになった。
ヒューズ領ぎりぎりに仮小屋を建てて、しばらく魔力の発生源を観察するのだ。
その隊長は、自身もすぐれた魔導師である皇太子が自ら手を挙げた。漆黒の髪と紫紺の目は、優れた黒魔導師の証である。が、これからの時代は魔法だけでは戦いに勝てないと、剣術の鍛錬も怠らなかったため、優れた剣士でもある。
「我が国に有益なものならば、直ちに取り入れ、我が国に害を及ぼすと判断したら即座に取り除きます」
「皇太子、頼んだぞ」
剣を抜いて皇王に宣誓し、彼らは『未知の異常な魔力』へと接近を始めたのである。
そしてアリサを追い払った王都はといえば――。
「ソフィア、きみが聖女なんじゃないのか? 守護はどうした? 反逆者アリサの追跡はどうなった?」
御前会議の場で、王子がソフィアに詰め寄っていた。現在、ソフィアは、後宮の一角に特別に贅を凝らした部屋を用意させ、自由気ままに過ごしていた。
食べる物も身につける物も、これまでとは桁違いに豪華になっている。当然、神殿で奉仕活動をすることもなく、祈りを捧げて王都を守護することもない。
「あたしぃ、できませぇん」
「なっ、なぜだ! 聖女だったら聖女の役割を果たすべきだろう? まったく、アリサはもっとまじめだったぞ」
「そんなことよりぃ……あたしたちの結婚はいつですかぁ?」
険しい顔をしていた王子だが、ソフィアが胸を押し付け体を摺り寄せ、甘ったるい声で囁いた瞬間、とろんとした目付きになった。
「国王陛下、我々の結婚を許してください」
「馬鹿者が! お前らが追放したアリサ嬢こそが、真の聖女であったのだ……」
そんなはずないあいつは偽聖女だ、と王子は喚くが、玉座でしかめっ面の父王は、ため息でそれを否定する。
「何という大失態……アリサ嬢が消えてから、我が国は魔物が跋扈し、王都の結界が消えてしまったのじゃぞ」
「ですから、その結界をソフィアが張りなおせばいいのでしょう?」
ふふ、とソフィアが妖艶に微笑む。
「結界なんて面倒なものを展開するより、みんなで魔物狩っちゃえばいいのよ。騎士団、暇でしょ?」
「ああ、ソフィア! なんて名案なんだ……」
「ふふっ」
「今すぐ、兄上に頼んで騎士団を出発させよう」
王の前であるにもかかわらず、王子とソフィアは熱烈に抱き合い、キスを交わす。ごほんごほん、と王は、咳払いで割って入った。
「いいか! ……大神殿に問い合わせてみたが、次の聖女は見当たらぬ、しばらくは聖女不在だと回答があったぞ」
「それは、大神官の秘蔵っ子だったアリサから聖女の称号を剥奪したことを恨んで、ソフィアを聖女と認めようとしないのでしょう。いつまでも偽聖女の味方でいるなら大神官の地位を剥奪し大神殿も解散を命じればいいのです。なぁにちょっと脅せばいいのです。このソフィアが聖女の力を使いこなしますよ、ねぇソフィア……」
痴れ者が、と吐き捨てた国王は、玉座から立ち上がった。父上? 王にそっくりの息子たちが声をそろえる。
「わしが、騎士団に同行して魔物退治をしよう。愚かな息子の、愚かな発言を真に受けた愚かな父の、せめてもの罪滅ぼしじゃ……。そして、アイズ。居るか?」
「はい、お父さま、こちらに」
「お前は第六王子じゃが正妃の子、わしの魔力を受け継いだうえに正統な王位継承権者じゃ。アリサ嬢も会わぬとは言い辛いはずじゃ。わしの代理人としてな、アリサ嬢に会ってきてくれ。そしてな、早急に我が国に戻ってきてくれるよう頼んでくれ」
「戻ってくださるでしょうか?」
「戻るに決まっておる。どこぞで、家も仕事もない、みじめな生活を送っておるであろうからな。これまでどおりの聖女の称号と衣食住を保証すれば、泣いて喜ぶじゃろ」
承知いたしました、と、頭を下げたアイズ王子は小さくため息をついた。
きっとアリサ嬢は、結界が消滅し魔獣が跋扈していると聞けば民を守るためにすっ飛んでくるに違いない。
「陛下、兄上。お尋ねしますが、アリサ嬢に偽聖女の汚名を着せてしまったのは我々です。それはどうお詫びするおつもりですか?」
詫び? する必要はあるか? と、兄たちと父の声が重なった瞬間、末っ子王子は頭を抱えた。
――アリサさま、こんな国、戻ってこなくていいですから!
アリサが領主になっておよそ半年。
ヒューズ領の領主の館では、たびたび騒動が起こっていた。
「アリサさまは、王都には戻りません!」
「何べん言ったらわかるんですかっ!」
「お城にかえりなさいっ!」
はたきや箒を振り回す美少女メイドが数人、王家からの使者を追い払う。ちいさな妖精たちも、群れになって使者に襲い掛かる。
「うわわ」
「だいたい、本当にアリサさまを偽聖女と貶めて申し訳ないと思っているなら、国王陛下か婚約破棄を告げた王子ご自身がいらっしゃるべきでしょう」
と、これは、彫刻のように顔が整った若い執事が奥からやってきて告げた。自分と変わらない年齢であろうが、そのわりに落ち着いた雰囲気で、軍服で精一杯の虚勢を張っている第六王子のアイズはたじたじになってしまう。
「しかし! 真の聖女であるアリサさまにお戻りいただかないと、我が国は魔物に滅ぼされてしまいます」
「ソフィア嬢という聖女がいらっしゃるでしょう。お引き取りください。さぁみんな、仕事に戻るぞ」
「はぁい!」
ぱたん、と扉が閉じられる。だが、アイズはめげない。
聖女の守りがなくなった王都は、魔獣に蹂躙されて壊滅状態だ。騎士団で太刀打ちできたのは最初だけ、今はもう、魔獣が出たら逃げるしかないところまで追い詰められた。
「……うう、どうしたら、いいんだよぉ……聖女の守りはどうなってんだよぉ……兄貴もソフィア嬢も、魔獣に襲われて行方不明になっちまったし……。もう、国が崩壊しそうだ。アリサさま助けてください……」
本気で王都を憂う、アイズである。
それを館の屋根に留まって見ていたのは、緋色の竜である。「くあああ!」と一声鳴いた。驚いたアイズがそちらを見ると、山脈の方から青い竜が飛んでくる。
「え、竜が増えた……」
青い竜はそのまま、アイズの前に舞い降りた。
「青い……竜……?」
驚くアイズのそばに、緋色の髪の青年が顕現した。神がかった美貌に、アイズは一瞬眩暈を覚える。
「お前の嘆き、国や民を思う心は本物だろう。だから、我が兄弟のうち長兄の青竜がそなたを手伝う。そこらの魔獣は三日もあれば駆逐できる。なんとか、王都を立て直せ」
ありがとうございます、と、アイズは王家の正式な礼を、思わずとっていた。
「善は急げ、兄の背に乗って王都へ戻れ」
軍服の襟を掴んで青竜の背中へポイっと放り投げる。
「兄上、頼みましたよ!」
青い竜が一つ頷き、舞い上がった。
そしてアイズは、眼下に見た。領主の館に、立派な黒い馬車が乗り付けたところを。
「え? 皇国の紋章?」
竜が、答えた。彼女は優れた魔導師なのだから大国が迎えに来て当然だ、と。
そこまですごい聖女さまだったのか、と、驚くと同時に納得もしていた。
彼女が統治するヒューズの村は、明らかに治安がよくなり作物の収穫量が上がっている。道や公共施設が整備され、近隣の村々との交易も始まっていた。
「我々は……とんでもないレディを追放してしまったのか……」
アイズは、ぐいっと涙を拭いた。どこを取っても何人集まってもアリサの足元にも及ばないが、滅亡寸前の自分の国を守らねばならない。父や兄が役に立たないなら、自分がやればいい。
「アリサさまに恥ずかしくない国を、作ります」
「立派な決意だ、わたしが手伝おう」
「ありがとうございます」
そのアイズが見た馬車は、アリサをアーデルライト皇国へ迎えるための馬車である。
「皇太子殿下、わざわざお迎えに来てくださったのですね。ありがとうございます」
「アリサ嬢、お美しい……そして魔力も、心地よい……すばらしい」
「お褒めに与り光栄です」
皇太子と従者は、アリサたちに知られないよう、苦笑いしていた。
「殿下、アリサ嬢が殿下の美貌に驚かないのも、当然ですね……館の中、美男美女しかいません」
「ああ、俺は国一番の美形と言われていたが、ここでは並以下だな……」
「出発の用意をいたしますので、少し、ソファーでお待ちください」
ふわふわと飛び回る妖精たちを無数に従えたアリサは、ぱたぱたと駆けまわる。
そしていつもは下ろしている銀色の髪を綺麗に結い上げ、新しいドレスを着ている。
これは、隣国の皇太子がアリサの魔力に興味を持っていると知った領民と王都の大神官が、プレゼントしてくれたものだ。
皇太子訪問の前日に届いたそれを見た使用人たちは大盛り上がり。
「でも皇太子殿下は、わたくしの魔力に興味がおありなのよ? 着飾る必要あるの?」
あります、と大合唱。姿を見せていない妖精や従魔たちまで、叫んだようである。
「今更、という気もしない? 最初にお会いした時はその……襲撃してしまったのだし……」
「いいえ、男女の仲というものはどう転ぶかわからぬものです」
と、家令が言えばメイド頭も「王国のことは気にせずともよい、励め、と、大神官さまからの言伝です」としれっという。
「そんな、わたくしと大国の皇太子殿下がどうこうなるわけ、ないでしょう! だいたい身分違いはなはだしいし、出会いは最悪よ」
皇太子とアリサの出会いは最悪だった。
皇太子が国境付近に仮小屋を建ててすぐ、アリサの元にその森にすむ妖精たちから連絡が入っていた。怪しい一団が、領地の様子を窺っている、と。
領民に危害を加えるなら許せない、と、アリサは妖精たちに『怪しい一団』の見張りを頼んだ。
ところが、三日たっても七日たっても彼らは動こうとしない。しかも、森へ入った木こりが見かけた兵士の紋章は、アーデルライトのものだという。
これはいよいよ、領地を狙っているのだと確信したアリサは――魔獣たちを引き連れて『怪しい一団』を襲撃したのである。
襲われた方は、驚いた。
一人の美しい少女が、魔物を引き連れて乗り込んできたのだ。しかも『高級召喚獣』『高位従魔』と呼ばれるものをゾロゾロ引き連れている。
さらに、村には鉄壁の守護魔法がかけてある。
「あなたたち、何者? 動かないで。魔法も武力も無駄よ、わたくしが制御してるわ。さぁ、身元を明らかにしなさい」
彼女が紡いだ言葉はすべて、魔力が乗っていた。彼等の魔法はすべて抑え込まれ、武器の類も保護がかけられて使えなくなった。
そのうえで、全員魔力で縛り上げられてしまったのだ。
だが、不思議なことに、彼らはアリサの魔力に触れて恍惚、いや、魅了されてしまったかのようだった。
「おおお……なんと素晴らしい魔力……!」
「殿下、魔力計測器が計測不可能と表示しています」
「異常な魔力は、彼女一人の力だったのか……いやはや、恐ろしい……」
変な人たちだわ、と判断してしまったアリサが、さっと手を挙げた。人間の兵隊に姿を変えた妖精たちが、どっと小屋に入ってくる。
「おおおお……殿下、この兵隊たち元の姿は四大元素の妖精たちです!」
「なにっ、すごいぞ……想像以上だ……」
そこでアリサは、ようやく首を傾げた。
「……殿下? あなたが?」
耳の下で切り揃えられた漆黒の髪が、さらりと揺れる。黒にも紫にも見える瞳の青年が、はい、と頷いた。
「う、嘘おっしゃい!」
「ウソではありませんよ。この方は、我がアーデルライト皇国の皇太子殿下です。証拠は……そうですね、殿下の持ち物を見てください。皇王家の紋章が刻まれています。ご存知ですよね、アーデルライト皇国の紋章」
「はい、勿論です……」
剣や甲冑、あちこちにそれを認めたアリサは、真っ赤になってひれ伏した。
「た、た、大変なご無礼を……お許しください」
皇太子が乗り込んできた。やはり、この土地を欲しがっているのだろう。
かくなる上は魔力で一網打尽にするか、と、ちらっと脳裏をかすめたが、皇太子たちがやたら軽装なことに、気が付いた。
「どういったご用件で……その、我が領地を見ていらしたのでしょう?」
「あ、いや……申し訳ない。驚かせる気はなくて……その……あなたの魔力が知りたいんです!」
ぐいっと近寄られて、アリサは思わず後退る。ずいぶん積極的な皇太子である。
「わたくしが、こちらに通う形でよろしいですか?」
「もちろんです!」
こうしてアリサは皇太子と親しくなり、仮小屋に通うようになったのである。
そして――皇太子が、素直な気性で心優しいアリサに、すっかり惚れてしまったのである。
「我が国へお越しください、アリサ嬢」
「え? 研究対象として、でしょうか?」
「違います、我が妃として」
御冗談を、といつもアリサは笑う。
「わたくしのことは、調べはついているのでしょう?」
「……はい、王子殿下に婚約破棄され、偽聖女の汚名を着せられて聖女の身分剥奪、王都から追い払われた薄幸の令嬢だと」
「そのとおりですわ。一夜にして、婚約者と仕事を失ったのです」
「御気の毒なことでした。お亡くなりになった父君は貴族であり、養父は王家に次ぐ名門家の大神官さまで、今では立派なこの土地の領主。俺の妃となることに、何か問題があるだろうか?」
皇太子は真剣な顔でアリサに迫った。だが、あっさりと皇太子をかわしたアリサはくすりと儚く笑った。
「大国の皇太子妃ともなれば、身分も能力もしっかりした方がなるものですわ。寝ぼけたことをおっしゃってないで、魔獣の種類わけを進めてしまいましょう?」
魔力の研究や、領民と交流し領地運営をするアリサは本当に楽しそうである。
この土地から、この生活から彼女を切り離すのは本当に良いことなのか、皇太子は悩んでしまう。
「……皇太子殿下、妃がだめなら、まずは……アーデルライト国大聖女兼王立魔法研究所の研究員としてお招きしては?」
と、部下の一人が皇太子に囁いた。
「なるほど、長らく空位の大聖女……彼女なら、ふさわしいな」
「それに、大聖女と皇族の結婚は珍しくありません」
「……ふむ……だが、彼女が統治している領地はどうする?」
「中立地帯とし、アリサさまがこのまま統治を続けられるよう、両国に働きかけるのです。どうです、殿下の評価が揚がると思いません?」
そんな思惑があるとは全く思っていないアリサは、単に世界有数の魔導師や研究員が集まるというアーデルライト国立魔法研究所に興味を持ち、研究員として所属することをあっさり承諾してくれた。
「どのタイミングで大聖女を打診するか、だな……」
「それは殿下がアリサさまと親しくなってから、で良いと思いますよ」
「そうだな。まずは彼女を我が国に招けることに感謝しよう……ふふふ……」
「お待たせいたしました。殿下、今日は楽しそうですね」
「ああ、もちろん。君を我が国に招待できるんだからね」
手の甲にキスを落とされて、アリサは赤くなった。
「可愛い。さ、出発だ!」
「はい!」
馬車を走らせた皇太子は、すぐにぎょっとした。
「ま、まて、竜や魔獣、妖精たちが、ゾロゾロ付いてきているぞ」
「いけませんか? 彼らは皆、わたくしの大切な仲間なので……おいていくなんて、出来ません」
アリサの訴えを補足するように、緋色の竜が炎を吐き、サラマンダーたちが馬車を揺らす。
「か、構わない! だが、我が国に入ったら、ちゃんと隠形か人型で顕現してくれ」
「ありがとうございます、皇太子殿下」
満面の笑みを向けられて、すっかりデレてしまった皇太子であった。
「殿下、どうしてわたくしを、お誘いくださったのですか?」
「きみに惚れたから」
「またまた、御冗談を」
「本気なんだけどな、まぁいいか。きみは、王子の惨い仕打ちにもめげることなく、誰を恨むこともなく、自分の力で領地を改革し、民を幸せにするために頑張っている。魔力や魔獣について詳しく学べば、もっと効率よく多くの人を幸せにできるんじゃないかな、と思ってね。聖女とはきみのような人のことを言うんだよね」
そんなふうに評価してもらえていたとは思ってもみなかったアリサは、目をまん丸にしたあと、ぽろりと涙をこぼした。
「美しい涙だなぁ……」
皇太子は、アリサの涙をそっと指先で拭う。アリサの頬が、赤くなる。
「お礼に、わたくしに出来る範囲で殿下と殿下のお国の皆様を幸せにいたしますね!」
「……お? 聖女にでもなってくれるのかい?」
「殿下のお国は大きいのでわたくしごときでは力が足らないでしょうけれど、わたくしでよろしいのでしたら、いつでもご命令ください」
やった、と皇太子は思わずアリサを抱きしめていた。思わぬ逞しい胸と腕に抱きすくめられ、
「で、で、殿下……」
あああ、と、アリサも真っ赤になった。
なぜか心臓がどきどきする。殿方とはこんなに逞しいのか、と、はじめて知った。
悪い気はしなかったが赤い顔を見られたくなくて、慌ててアリサは窓の外へ視線を投げた。
いつもの精霊たちがそれを見ていたならば、大喜びで騒いだだろう。
「アリサさま、それは恋ですよ!」
と。
アリサはまだ知らない。
アーデルライト皇国で即日皇王直々に大聖女を打診され、大事に大事に後宮で「大聖女兼皇太子妃候補さま」ともてなされ、次第に皇太子に絆されていく運命にあることを――。
皇太子はまだ知らない。
アリサが恋愛音痴であるため、皇太子妃になってほしいと口説き落とすことに大変難儀することを――。