第8話 校舎裏の対決
放課後。
呼び出さされた校舎裏。
これが女の子からの告白のためだったらワクワクなんだろうけど、今の俺は嫌な意味で心臓の鼓動の高鳴りを感じていた。
むこうが指定する時間ピッタリに出向くと、すでに1軍メンバーの何人かがスタンバっていた。
そのいずれもが、剣呑な目を俺に向ける。
こえぇ……
ただ、意外だったのが、必ずいると思われた肝心の1軍リーダー様の沼間君の姿が見えないことであった。
「単刀直入に言う。彼女から手を引け」
メタルフレームのメガネ越しで横目に俺を見ながら、1軍グループのブレーンたる滝本君が言い放つ。
ここで、彼女って誰の事ですか~? とすっとぼける返しをして煽ろうかとも思ったが、滝本君の周りの男子たちの殺気がヤバいので大人しくする。
「まったく、一陽を抑えるのは大変だったんだぞ」
そうため息をつきながら、滝本君は砕けたように表情で馴れ馴れしく肩を組んでくる。
人は高い緊張度合いから解放されると、その安堵がそのまま、その人への信頼感や安心感へ誤認されてしまう、お偉いさん特有のテクニックだ。
こうして弛緩させた後に来るのは、
「ほんの気の迷いだったんだよな? 解るよ、男だもん」
懐柔策。
相手へ共感しつつ、逃げ道を提示する。
ここで、首肯したならば丸く収まるぞという楽な道を示す。
なお、断ればどんなことになるかは、滝本君の後ろに控える殺気立った男子連中が教えてくれるといったところだろう。
かけられるプレッシャーにより、つい本能的な危機回避の意識が働きそうになる。
「気をつけろよ~? 彼女のせいで、俺たちのグループは崩壊しかけたからな。まったく、一陽や他の女子をなだめるの大変だったんだよ。ああいうのを毒婦って言う……」
「彼女は悪くない」
「ん……?」
俺の言葉を聞き返す滝本君はまだ笑顔だが、メタルフレームのメガネのレンズの後ろの目は、据わっていた。
「彼女も俺たちと何も変わらない、ただの女の子だよ」
白兎さんの事を悪く言われる不快感が、本能的な恐怖を上回る。
彼女の事は、その容姿からどこか世界の違う人のような感覚だった。
だけど、雨に打たれていた彼女を、一緒にラビットマウンテンで遊んで、俺のラビットマウンテンの話を聞いて笑ってくれた。
もう、白兎さんの事は俺にとって他人事ではなくなっていた。
「あっそ……そこまで入れあげてるんだ。じゃあいいや」
急に声のトーンが下がり、ビックリするくらい冷たい声が耳元に届き、肩に組まれていた腕が解かれる。
「これから、どうなるか解るよね? 白兎さんは、まだ一陽の惚れた腫れたの弱みがこっちにもあるから、シカト程度で済んでるんだよ。けど、野郎に対してなんて、一切容赦はされないからな」
無情な開戦通知。
だが、俺だって全く無策でこの場に来たわけではない。
「あ、それは止めときなよ。俺は、別に高校なんていつでも辞めてやるって心持だから、その時には、しっかり道連れにしてあげるよ」
俺が、他の生徒とは違うのは、最悪この高校を辞める選択をしても本当に困らないということ。
「はったりを……」
「やってみれば解ると思うよ。即警察沙汰にしてやるよ」
ダンサーの道にまい進するなら、別に高校は通信制なり高卒認定資格を取るなりすれば良い。
俺にとっては、迷っていた選択肢を選ぶきっかけになるに過ぎない。
有希さんには、まぁ……怒られるかもしれないけど、白兎さんへのイジメが少しでも和らぐだけでも十分だと胸を張って言える。
「…………」
滝本君が俺の目をジッと見つめる。
虚勢かウソが混じっていないかを見定めるように。
俺は、その目を余裕をもって迎え撃つ。
ダンスの舞台で鍛えた表情管理が、こんな所で生きるとは思わなかった
俺が高校を辞めてもいいと思っている事は、俺の偽らざる本音でもあるのだから、そういった本気の凄味という物は、自然と瞳に説得力を与える。
ただ、これだけではやはり弱いか。
仕方がない、ここは最後の手札のカードを切って……
「あ、じゃあ俺も同じ感じでおなしゃーす」
視線の攻防戦の真っ最中に、気の抜けた声が掛けられた。
「楠……」
「明浩、2日も学校休んでなにしてたんだよ」
「わりぃわりぃ。三段リーグの例会終わって、色々考え過ぎて頭が煮えちゃってな」
昨日、今日と将棋の三段リーグ例会終わりで休んでいた明浩が、超重役出勤を決めてきた。
今日は、もう授業終わっちゃったから、今更来ても遅刻扱いにすらならないぞ。
「楠、同じ扱いというのは、君も本牧と同様、こちらの指示に背いて彼女と接すると?」
「いや、白兎さんの事は正直よく解らんです。俺、彼女と喋ったことないし」
滝本君の問いかけに、明浩はひょうひょうとした捉えどころのない回答を返す。
「じゃあ、なぜ」
「いや、俺って陽以外に学校に友達いないから、陽を無視したら俺はどっちにしろボッチになっちゃうし」
「それなら、こちらのグループに入れてやらんこともないぞ」
「へぇ~1軍グループにね~。けど、それってグループで一番の下っ端での加入ってことでしょ? で、結局いづらくなってグループ抜けて俺はボッチと。そんなん、結局こっちの駒損でしょ」
バカにしたような言い方で即座に誘いを拒否する明浩に、滝本君の眉間にシワが寄る。
「なるほど、先を見通して、本牧と運命を共にすると」
「何か、その言い方気持ち悪いな」
ただ、意味としては同義だ。
これでは結果的に、俺の選択に明浩を巻き込むことになってしまった。
「おい、明浩。お前はそれでいいのか?」
「いいんだよ。いい加減、俺も学校で顔色伺うのに疲れてさ。もし、今後何かしらの危害をくわえられたら、即学校に退学チラつかせて暴露してやるよ。学校も、高校生プロ棋士になれる可能性の高い俺の実績を、学校の宣伝に活用したいだろうから、学校側はどっちを選ぶかねぇ? 未来のプロ棋士とイジメやってた一般生徒と」
いやらしい笑顔で、明浩が先ほどから黙り込んでいる滝本君へ疑問符つきで投げつけた。
外の世界の力を持つ者ゆえの強みを、明浩は俺とは違ってオープンにしつつ相手に迫る。
この差は大きかった。
「クラス内のシカト対象に楠を追加。ただし、お互い不干渉を徹底。それでいいな?」
「それでOK。ちゃんとボスにも徹底させてよ、裏番長」
ギロリとねめつけるような視線を向けつつ、落としどころの提案をしてきた滝本君の言葉に笑顔で明浩が講和の握手を差し出すが、滝本君は無視して、後ろに控えたメンバーに目配せして、その場を去って行った。
「ふぅい。何とかなったな」
「明浩、なんでこんな無茶したんだ!」
1軍メンバー様たちがいなくなってから、額の汗をぬぐった明浩を、俺は思わず問い詰めるような口調で問いかけた。
「そりゃ、こっちのセリフだよ。人が、今期三段リーグの反省でたそがれてる時に、クラスチャットに陽まで無視の対象になったって通知が来てて、慌てて学校来てみたら、校舎裏で囲まれてるし」
「それは、その色々あって……」
「ったく、白兎さんに本気で惚れたのか?」
「もう見て見ぬふりをするのは嫌だったんだ」
俺の真剣な顔を見て、明浩は一応は納得の表情に切り替わっていく。
「ふーん。けどお前、俺が割り込まなかったら、ラビットマウンテンでダンスのお兄さんやってること暴露しようとしてたろ?」
「な! なんで解んの⁉」
「俺は将棋指しだぞ。勝負所で思い切り踏み込もうと前のめりになってたから、バレバレだったぞ」
流石は盤上という勝負の世界に生きている明浩だ。
いや、これは長年友人をやってるが故に気付いたのか?
「ごめん……俺の秘密を守るために明浩が……」
「いや、俺もこのクラスの空気には辟易してたからな。それに、お前がもし学校辞めちゃったら、俺も速攻学校辞めるだろうから、そういう意味じゃ裏番長の言ってた通り、元より俺と陽は一蓮托生かもな。って、自分で言ってて気持ちわり~」
何のことは無いという顔で、明浩が笑う。
「その裏番長って何だよ」
「え? 滝川君のことだよ。今回の件で脳筋のボス猿様が表に出て来なくて良かったよ。ちゃんと利害で判断できる相手でさ」
「それは、最初に対峙した俺もホッとしたよ」
「けど、あのボス猿が大人しくこの場に来なかったのが気になるな。あの裏番長、どうやってボス猿様を宥めすかしたのか……」
明浩が悪い顔で、1軍メンバーの舞台裏を楽しそうに思い描いている。
「明浩って、そういう他人の機微に疎いのかと思ってた」
「日頃は、気付いてるけど無視してるだけだ。相手の考えてることが読めなきゃ、将棋指しは務まらねぇよ」
「何はともあれ助かった。本当にありがとう明浩」
「こっちこそ、ボッチじゃないなら気楽だよ」
ゴチンと右の拳を突き合わせて、俺たちは変わらぬ友情を確認し合う。
「そうだな3人いるしな」
「そう言えば、白兎さんに明浩のこと紹介しないとな。ちょっと説明が大変そうだけど」
「あ~、それなら心配いらねんじゃね?」
そう言って、明浩が校舎の角の方を見やる。
すると、それを契機にピョコンッ! と、兎のように顔だけこちらに覗かせている白兎さんが、なぜか膨れっ面で俺たちの方を覗いていた。