第7話 2人ぼっち
「あ、おはよう。白兎さん」
「…………⁉」
朝の教室。
自席の前を、登校した白兎さんが何食わぬ顔で通過するので、朝の挨拶をした。
気まずい教室にいる時間を少しでも短くしたいから、始業のチャイムギリギリに教室に入って来た白兎さんは、俺の挨拶に固まっている。
あれ? ちゃんとおはようの後に、対象を示す白兎さんという固有名をつけたのだから、他の人への挨拶と誤認することはないはずなんだけど。
「……昼休みに前の屋上に来てください」
白兎さんから、何故か挨拶ではなくまたもや屋上へのお誘いが来た。
その声は、心なしか少し怒っているように感じられた。
「ねぇねぇ白兎さんは昼ご飯ってどうしてるの?」
「ちょっと‼ 今、まだ1限終わりの休み時間ですよ⁉」
昼休みにこっそり屋上で話そうという白兎さんの先の言葉はガン無視し、俺は1限の授業終わりの10分休みの時間に白兎さんの席へ行って、話しかけた。
「さすがに俺も高校生だから、時計を読んだり時間割は解ってるよ」
「そうじゃなくて! せっかく、朝の挨拶の時には、他の人に聞かれていなかったのにこれじゃあ……」
白兎さんが少し涙目になりながら、周囲へ忙しく視線を向ける。
明らかに俺が白兎さんに、事務連絡でなく話しかけている様子を、複数のクラスメイトが目撃して、ヒソヒソと話をしている。
白兎さんの顔から、サッと血の気が引き青白い顔になる。
「それで、白兎さん。話をするにしても、前回は午後の授業をサボったから問題にならなかったけど、昼ご飯はそのまま屋上で一緒に食べる? お弁当を持って来てるならいいけど、無いなら先に購買でパンを買ったりしないとだし」
「だから‼ あ~もう……」
白兎さんは頭を抱えて、そのまま机に顔を突っ伏してしまったところで、10分休憩の終わりを告げるチャイムが鳴ったので、俺は自分の席へ戻って行った。
いくつかの視線が飛んできていたが、俺は意図的に無視した。
その中で、一際鋭い一軍リーダー様の刺すような視線は、射殺されんばかりであった。
「どういうつもりなんですか本牧くん!」
昼休みになって屋上に行くと、開口一番に白兎さんが抗議するように俺に詰め寄って来た。
「どういうつもりって何のこと?」
「教室で私に話しかけた事です!」
「ほら、また学校サボってラビットマウンテンに行こうって話してたけど、連絡先も交換してなかったからさ」
この間は、ちょうど有希さんが乱入してきて、ラビフェスのシアターに連れていかれたから、聞きそびれてたんだよね。
「それなら、こっそり連絡先を書いたメモ書きを、本牧君の机に落とすつもりだったんです!」
そう言って、白兎さんがメモ用紙を折りたたんだ物を俺に押し付ける。
中を見ると、白兎さんのものと思しきメッセージIDが書かれていた。
「あ、そんな準備してくれてたんだ。ちょっと、スパイの情報交換みたいで楽しそうだね。折角だから、そっちパターンで貰える?」
「もうっ! 今さら、隠し立てしても意味ないでしょ!」
連絡先の書かれたメモを白兎さんに戻そうとしたが、白兎さんには断られてしまう。
「何だか、白兎さん今日は表情豊かだね。そっちの方が良いと思う」
「誰のせいだと思ってるんですか! まだ、間に合いますから貴方は……」
「ああ。なんか、クラスのグループチャットはメンバーから外されてた。今はそんな位で、静かなもんだよ」
随分迅速な初期対応だけど、ブレーン役の滝本くん辺りの仕事かな。
こういう反逆者への対応は、毅然と迅速に行わないと、次々離反者が出かねないからな。
今頃、俺や白兎さんは見れないクラスのグループチャットでは、俺も集団シカトの対象になる旨の通達が行っているのだろう。
「なんで……こんなことになるのは解り切っていたのに」
「うーん、白兎さんを無視する自分がなんか嫌だったから」
「そんな、適当な……」
「そう? 理由としては十分だよ。白兎さんの人なりを知ったのは偶然だったけど、いい子だってのは解ったし」
「……いい子」
「それと比べて、俺はどこまでも自分本意だよ。白兎さんのことよく知らない時には、集団イジメに加担してた……白兎さんのことを無視できてしまった。本当にゴメン」
俺は深々と頭を垂れた。
この点をうやむやにしてはいけないと思っていた。
そうでないと、白兎さんに正面から向かい合えない。
これも、もしかしたら俺のエゴでしかないのかもしれないけど。
「……頭を上げてください本牧くん」
俺は、おずおずと顔を上げる。
(ムニュンッ)
「ぶふっ⁉」
「ふふっ。ラピッドが好物の人参を食べる時の口みたいですね」
両頬を片手で掴まれて、アヒル口になった俺を見て白兎さんが笑った。
その屈託のない彼女の笑顔と、細く白い指に触れられていることにドキッとする。
「仕方が無いですね。まぁ、私は本牧君の秘密も握っているわけですし? 私が秘密をバラさないか気になってしまうものですよね」
「あ、いや、そこは別に心配してないんだけど」
「そんな私の事を信用していいんですか? 私と本牧君は、ほんの2日前に初めて話した間柄だというのに」
「じゃあ、言うの?」
「言わないように、私のことを見張っていてください」
どうやら、白兎さんの中では、俺がラビフェスのダンスのお兄さんであるという秘密をバラさないか監視するために自分と一緒にいるのだという名目に落ち着かせて、自分を納得させているようだ。
きっと、秘密の暴露について脅しすかすような偽悪的な振る舞いも、俺がいずれは離れていく際に、罪悪感を抱かなくて済むようにとでも考えているのかもしれない。
「それじゃ、話は済んだしお昼ごはんにしよう」
「そうですね。って、可愛いですね、それ」
新校舎の屋上とは違い、ベンチなどのこじゃれた設備がある訳ではない、ここ旧校舎の屋上で昼食を食べるため持参したレジャーシートを敷くと、白兎さんが反応した。
「お、流石はお目が高い。これは俺が小学生の頃から使ってるレジャーシートなんだ。白兎さんの20周年記念便箋に対抗して、何か当時の物がないか部屋の中をひっくり返して見つけたんだ。ほら、便箋のイラストと一緒で、ラピッドの耳の辺りが、この時代特有のシャープさが見て取れるでしょ?」
「いや、そんな対抗意識を燃やされても……あれはたまたま家に残っていただけで」
「いやいや、ラビットマウンテンマニアとしては、あんなの挑戦状みたいな物だから」
自他ともに認める、ラビットマウンテン沼に頭のてっぺんから足のつま先までドップリ浸かっている俺としては、この点についてはマウントを取りに行かねばならないのだ。
けど、消えものである便箋セットがあんなに良い状態で残っているのには、正直敵わない。
俺のレジャーシートは、ちょっとラピッドとバニィちゃんのイラストの辺りが経年劣化でひび割れちゃってるし。
「本牧君は本当にラビットマウンテンが好きなんですね。あ、お弁当箱も箸入れも当然のようにラビットマウンテンですね」
「これは、割と最近のグッズで、ダンスのお兄さんのバイト代で一式そろえて~」
白兎さんが逐一反応してくれるのが嬉しくて、俺はつい得意げに解説する。
こういうのは厄介なマニアの性質である事は解っているのだが、どうにも止まらない。
これも哀しいマニアの性なのだ。
うん、これなら大丈夫だ。
これなら、放課後の憂鬱な用事。
クラスの1軍からの呼び出しもきっと乗り越えられる。
そんな事を考えながら、俺は白兎さんの横でお弁当のおかずをパクついた。