第6話 ピンチヒッターに入った俺がピンチ!
「ホンット、助かったよ陽君!」
「はぁ……」
俺が訳も分からず連れてこられたのは、ラビフェスの公演をするシアターだった。
いつものダンスのお兄さんのコスチュームに着替えて出てくると、有希お姉さんに背中をバンバンと叩かれた。
「今日の午後シフトのダンスのお兄さんの人が、サブも含めて急な体調不良やケガで来られなくなっちゃった時はどうしようかと思ったよ」
それで、あんなに焦っていたのかと、俺は自分が連れ去られた時の事を思い出しながら、超特急で全身のストレッチを行う。
公演の時間まで、もうほとんど時間がない。
「けど、俺が園内にいるってよく解りましたね」
「複数のキャストの人から、陽君が可愛い女の子連れて遊びに来てるって情報があったからね」
「ぶふっ!」
うそ……
入場してせいぜい2時間程度なのに、もう園内のキャストに情報共有されてるの⁉
キャストの情報網こわ!
「その情報を頼りに、デート中の陽君を見つけたってわけ。雷蔵くんがあと1時間くらいで来てくれるけど、この公演には間に合わないから中止にするしかないかって思ってたけど、ほんと良かった」
「別にデートじゃないです」
白兎さんとのことを上手く説明するのは難しいが、否定すべき部分はちゃんと否定しておかないと、誤った情報がキャストの仲間内で駆け巡りそうだ。
噂話というのは、人がそうであったら面白いと思う話ほど、伝播スピードが異様に早いのだから。
「まぁまぁ。今回は正直助かったから目をつぶるけど、学校はサボっちゃダメよ」
「はい……」
とりあえず有希お姉さんの雷は今回は無いみたいで一安心だ。
その点は、命拾いをしたと言えるだろう。
「あ、そういえば、連れの女の子はちゃんと別のキャストさんにフォローお願いしといたから」
「それは助かります」
有希お姉さんに引っ張られて、その場に残してしまった白兎さんが気がかりだったけど、どうやら他のキャストが声掛けをしてくれたようだ。
「よしっ、じゃあよろしく陽君!」
「はい!」
急遽の登壇で、普段と違ってリハの時間のないぶっつけ本番だが、今日を楽しみに来てくれているお客様たちの前では関係ない。
今日も、自分のベストを尽くすのみだ。
舞台袖の所定の位置につき、俺は集中力を高めて、ダンスのお兄さんとしてのスイッチを入れる。
「みんな~こんにちは~!」
俺は、いつにも増してハイテンションの魔法を自分に施し、ステージ上から手を大きく振りながら満開の笑顔を振りまく。
(ポカ~~ン)
そんな声? 音? が実際に聞こえてきそうな表情をしながら、こちらを呆けたような顔で見つめる白兎さんと目が合った。
(ピシッ!)
俺の方も、まるで石化の魔法でもかけられたかのように、一瞬動きが止まる。
が、そこはオンステージゆえ、俺はすぐに精神を立て直し、有希お姉さんとのタンデムロックダンスをそつなくこなし、その後のラピッドとバニィちゃん登場後のMCも何とかこなした。
白兎さんの方は、極力見ないようにして。
「お疲れ陽君。今日は、何かいつもよりこじんまりとしたダンスだったね。やっぱりリハ無しだから、安全策にしたの?」
無事に公演を終えてステージ裏に戻ると、有希お姉さんから労われる。
が、俺の方はそれどころではなかった。
「ちょっと有希さん! なんで、俺の連れが観客席にいるんです⁉」
「あ、そういえば陽君の彼女観てたね。薄紫色の特徴的な髪の毛だから覚えちゃった」
「だから彼女じゃないですってば!」
「はいはい今はまだってことね。いいな~、青春だな~ キュンキュンするな~」
駄目だこの人、話を聞いてくれない。
有希お姉さんは大好物の恋バナに一人で盛り上がっている。
「キャストの人のフォローってこれですか」
「今日は平日の日中だし、キャンセルも出たから、彼女さんを空いた席に通してくれたみたいね」
流石は、ラビットマウンテンのキャスト。
機転の利く完璧な接遇だ。
今回は、そのせいで俺がピンチなんだけど……
「しゃっす! 遅くなりました!」
白兎さんに何と説明すればと俺が頭を抱えていると、息を切らしながら雷蔵さんが演者控室に駆け込むようにして入って来た。
「あ、雷蔵くん。急なシフトなのに来てくれてありがとう」
「いえ。って、あれ? 陽先輩いらしてたんですか?」
「ピンチヒッターでね。有希さん、今日はもう帰っていいですか?」
一公演やっただけなのに、何だかドッと疲れた。
「うん、雷蔵くんが来てくれたからもう大丈夫。ありがとうね陽君」
お役御免となった俺は、ササッとコスチュームから制服に着替えてシアターの裏口から外へ出る。
そういえば、白兎さんは今どうしてるんだろう?
連絡先も知らないけど合流できるかな?
そう不安に思いながら、念のためシアターの入り口付近に回ってみると、見慣れた薄紫色の髪が見えたので、俺は安堵しつつ慌てて彼女のもとへ駆け寄った。
「ごめんね白兎さん。急にいなくなっちゃって。はい、これドリンク」
「ありがとうございます」
途中で園内の案内をいきなり放り出して一人にしてしまった詫びのジュースを手渡しながら、俺はあらためて白兎さんに謝罪した。
「……びっくりした?」
「はい。いきなり本牧君が太陽のような笑顔でステージから出てきた時はとてもビックリしました。あんな表情も出来るんですね」
クスクスッと笑う白兎さんに、俺は恥ずかしさから赤面する。
うぐぅ……知り合いに観られるのは、やっぱり何か恥ずかしいな。
何だか悔しいので、俺も白兎さんに反撃を試みる。
「白兎さんも口をポカンと開けて驚いてたもんね」
「……開けてませんが?」
白兎さんが素知らぬ顔で、ストローを口に咥えてジュースを飲みだす。
「いや、あんぐり開いてたよ。ステージからは結構、観客の人の表情ってよく見えるもんなんだ。見たことない表情だったから、記憶に焼き付いてるよ」
「写真などの客観的な証拠がなければノーカウントです」
プイッと白兎さんは顔を背ける。
どうやら言葉とは裏腹に、恥ずかしかったようだ。
「それでさ、白兎さん。一つお願いがあるんだけど」
俺は、白兎さんへお伺いを立てるように、おそるおそる話を切り出した。
「ラビフェスのダンスのお兄さんをしていることは学校では秘密にして欲しい、ですか?」
「察しが良くて助かるよ」
「別に秘密にすることは構いませんが、なぜ秘密にする必要があるんですか? さっきのダンスはその……格好良かったですし、ラビットマウンテンで働いているなんて、女の子受けも良さそうですよ」
白兎さんが心底疑問だという風に首を傾げて見せる。
「ラビフェスのダンスのお兄さんをやっているのは、契約上、あまりオープンに出来ないんだよ。けど、もし学校で知れちゃったらその……ね?」
「ああ……確かにあの人たちにそういう華やかな話題を提供すると、厄介なことが起きそうですね」
白兎さんが思い浮かべているのは、恐らくクラスの1軍メンバー様御一行だろう。
彼らに知られたら、クラスでの上下関係を背景にして、ラビットマウンテン絡みで便宜を図るよう強要されたり、口止めを依頼しても、構わずにSNSなどで大っぴらに話題提供として広く流布されてしまうといった、よろしくない事態が想定された。
「俺はこのラビフェスのダンスのお兄さんになるのが子供の頃からの夢だったからね。無用なトラブルは避けたいんだ」
「子供の頃からの夢が叶ったんですね」
「うん。この仕事をするために、ダンスコンテストで優勝実績積み上げたり、大手テーマパークへのダンサー供給実績のある大手芸能事務所に所属するようにしたりとか、結構大変だったんだ」
「……しれっと言ってますが、本牧君は芸能人ってことですか?」
「まぁ、芸能事務所に所属しているという意味で言えばそうだね。でも、ラビフェス以外の仕事はオファーが来てもほぼ断ってるんだけどね。マネージャーさんは泣いてる」
大手芸能事務所に所属しているのは、あくまでラビフェスのダンスのお兄さんになる上での最短ルートだったからだ。
大手芸能事務所の後ろ盾がない、ただダンスが上手いだけの高校生の俺では、ラビフェスのダンスのお兄さんの席を勝ち取ることは出来なかっただろう。
「理由は解りました。本牧君がラビフェスのダンスのお兄さんであることは、ちゃんと秘密にします。と言っても、今の私にそんな話を暴露するような相手もいませんが」
そう自嘲気味に白兎さんは苦笑いした。
「その……白兎さん。今、クラスで急に無視されるようになったのは、その……」
「沼間くんの告白を断ったからですね」
「けど、そんな告白を断ったくらいで……」
「かなりしつこく粘られたので、つい私も本音をぶつけたらこうなっちゃいました。私、沼間くんが最初から苦手だったんですよ」
「ああ、そういう感じ……」
だから、1軍リーダー様は御怒りなわけだ。
男としてのプライドを傷つけられたから、白兎さんをループから追い出すだけじゃなく、クラス内にお達しを出したと。
「けど、これは私自身の選択が招いたことでもあるんです。高校生になって間もなく、あちらのグループに引き込まれて、私はそもそも一人でいる方が楽なのに、流されるままにいたツケのようなものです」
「じゃあ、なんで今日は一緒に来てくれたの?」
「それは……1人でいるのが楽なのと、孤独が全く平気という事はイコールの意味ではないからです」
言葉を濁して横を向いた白兎さんの顔には、少しの迷いが見て取れた。
人の心は、そんな単純な物ではない。
そう、自分を無きもののように扱われる事に対して、心が無傷である訳がないのだ。
「それもそうだね。だから、雨に打たれたい日もあるよね」
「⁉ その事は忘れてください!」
「え? だってあの情景は絵になってたよ。仕事中じゃなかったら、写真を撮って残しておきたかったな」
「そんな事したら、本牧君の秘密をネットにバラしますよ!」
真っ赤な顔をして頬を膨らませながら、白兎さんが俺の脇腹をビシビシ小突いて来る。
「わかったよ、忘れる」
「よろしい。それでは、日も傾いた頃ですし、そろそろ帰りましょうか」
「そうだね」
「それでは本牧君、今日はありがとうございました。色々ありましたが楽しかったです」
「…………」
俺は、白兎さんの御礼の言葉に寂しさを感じていた。
ここで別れたら、また、明日からはクラスで無視される白兎さんを見なくてはならない。
今までは、白兎さんとの関りがほぼ無かったから、1人でいる彼女を見ても少し心が痛む程度で、ただ心の中で同情する事しかしてこなかった。
けど、こうして短い期間だけれど言葉を交わした間柄になった今となっては、独りぼっちの白兎さんを見る俺には、何倍もの罪悪感が押し寄せてくることは想像に難くなかった。
「それじゃあ」
「待って! 白兎さ」
呼び止めようとした言葉が、白兎さんの指で唇を物理的に塞がれ途切れさせられる。
「それ以上は駄目です。その言葉を聞いてしまうと、私もその優しさにすがりたくなってしまいますから。明日からまた元通りです」
そう言って笑うと、白兎さんは身体を翻して駅の雑踏の中に消えていった。
彼女は俺が何に迷っていたのか、全てお見通しだった。
わかった上で、俺に迷惑はかけたくないと、突き放したのだ。
そんな白兎さんの優しさに、彼女の言葉とは裏腹に、俺はある決意を固めた。