第4話 バレてる⁉
「ふわぁ……眠い」
月曜日の朝はとみに眠いし、気だるいし、かったるい。
世の大半の学生はそうだろうけど、俺はスマホゲームやネットゲームや夜遊びに興じて夜更かしをしていたからではなく、休日も働いていたからだ。
昨日は結局、午後には雨が止んだために、その後のダンス公演は無事に行われた。
まぁ、ラビットマウンテンのお仕事は俺の天職で生きがいなのだから、むしろ働かないとそっちの方が精神の均衡を保てない。
「お、昨日の対局、明浩勝ったんだ」
昨日行われた将棋の奨励会三段リーグ今年度前期の最終局の明浩の勝敗結果を、将棋連盟のホームページで確認する。
今回は昇段争いには絡めなかったけど、着実にリーグ内での順位を上げて来ている。
俺は『お疲れ、明浩。ゆっくり休めよ』とメッセージを送っておく。
例会の対局があった翌日は頭が煮えちゃってるから無理って言って、明浩はいつも学校休むからな。
さて、今日は明浩がいないとなると昼食はボッチ飯だ。
「はぁ……」
月曜日の憂鬱に拍車がかかりつつ、下駄箱のフタを開けると。
(カサッ)
ん?
上履きを取ろうとした手が、何か紙状の物に触れて、俺は思わず手を引っ込めた。
そして下駄箱の中を目視で確認する。
俺の上履きの上に便箋が乗っかっていた。
こ、これって、もしや……
「これ、ラビットマウンテン開業20周年の記念便箋セットじゃん! すげぇ!」
思わず下駄箱で驚きの声を上げてしまい、慌てて口を噤んだ。
幸い、朝の登校ラッシュで玄関付近は騒がしかったので、特に悪目立ちはしなかった。
ホッと胸を撫でおろして、俺は改めて便箋をしげしげと観察する。
便箋は特に折れ曲がったり日に焼けて色褪せもしておらず、状態が良い物だった。
ラビットマウンテンはちょうど去年が開業30周年だったから、20周年記念のこの便箋は10年も前の物ということだ。
物持ちが良いなんてレベルじゃない。
そうそう。10年前だと、ラピッドとバニィちゃんのイラストのタッチって、こんな感じだったよな。
生のグッズでこのタッチのイラストを見るのは久しぶりだな。
今日は家に帰ったら、昔のグッズを押し入れから引っ張り出してみよ。
と、ノスタルジーに浸っていると、肝心の中身が何なのかをまだ見ていないことに俺はようやく気付いた。
そういえば、下駄箱に入れる手紙ってなんだろう?
この貴重な便箋セットをくれるなら、正直言って不幸の手紙だろうがウソ告白の恋文だろうが何だろうが、全然許せちゃうな。
こんな事言ったら、明浩に「重度のオタクすぎて引くわ~」と言われるのがオチだろうが、残念ながらツッコミ役の明浩はお家でスヤスヤだ。
「ええと……便箋の宛名はちゃんと、本牧陽様宛って書いてあるな。差出人名は無しか」
便箋の宛名と差出人欄を確認した後に、俺は便箋の封をしているシールを丁寧に剥がした。
ちなみに丁寧に剥がしたのは、このシールも便箋にセットでついてくる当時の期間限定のシールだから、後で綺麗に回収して再利用したいからですね。
「さて中身は……お~、ちゃんと中のレターも当時の限定セットのだ」
マニアの性で、どうしても手紙の内容より、レターのデザインやラピッドやバニィちゃんたちのイラストに先に目が行ってしまう。
ようやく便箋セットの吟味が終わったので、書かれている内容に目を通す。
「…………」
ワナワナと便箋セットを持った手が震えた。
先程、俺はこの便箋セットをくれるなら、ウソ告白だろうが何だろうが何でも許せちゃうと言ったが、それはどうやら間違いだった。
事態は遥かに深刻だった。
手紙の記載内容は、俺の生死に関わることだったのだから。
◇◇◇◆◇◇◇
「はぁ! はぁ!」
昼休み。
俺は、手紙に指定された屋上に駆け上がって来ていた。
新校舎側の屋上は綺麗に整備されているので生徒たちに人気だが、こちらの旧校舎の方の屋上は殺風景な物なので、人がいない。
そういった人が居ない場所を指定したのは、人目を憚っての事だろう。
息を切らせながら屋上を見やると、手紙の主が転落防止用の金網フェンスの隙間から、景色を1人でボーッと眺めていた。
「あ、いらっしゃいましたか」
屋上で少し強く吹く風が、彼女の薄紫色の髪をなびかせる。
日光に照らされた紙はいつもより白みが増して、キラキラと髪自体が輝いているようにも見えた。
「白兎さん……」
目の前には、昨日会ったばかりの白兎さんが立っていた。
昨日はずぶ濡れになっていたけれど、特に風邪を引いたりはしていないようだ。
「昨日はありがとございました。これ」
そう言って、白兎さんはキャップ帽を手渡してきた。
「んん~? 昨日? な……何のことかな?」
キャップを返してもらっていなかった事に今さらながら気付いたことはお首にも出さず、俺は白を切ろうとする。
「キャップのツバの裏に『本牧陽』と名前が書いてありますから、間違いなくあなたの物ですよ」
痛恨なり……
スタッフ用の衣類や装備品は、転売や横流しを防ぐためにかなり厳重に管理されている。
そのため、キャップのように他のスタッフと共用しない物については支給品に必ず名前を書くことが義務付けられているのだ。
小学生みたいに自分の持ち物にキチンと名前を書いているのが仇となるとは……
「参った……降参だ」
俺は、諸手を挙げて降参し、大人しくキャップを受け取った。
「本牧くんは、ラビットマウンテンで働いているのですね。フードを被っていて髪型も声色も少し変えていたので、最初は解りませんでした」
「うん、バイトではね」
俺は、慎重に言葉を選びながら最小限の言葉だけで白兎さんの問いに答える。
ラビットマウンテンでキャストとして働いている事は、あまり周囲にオープンにしない方が良いと言われている。
これは、キャストとして働く人には、入場券やグッズの購入について様々な特典が与えられているからだ。
この特典を巡って、周囲の友人知人とトラブルになり、そのせいでキャストを辞めざるを得なくなってしまったという事例をよく耳にしたことがある。
ましてや、俺はラビフェスのダンスのお兄さんだ。
他の一般キャストよりさらに上のレベルの守秘義務やら何やらが契約で定められているのだ。
おいそれと、自身のことを明かせない。
「へぇ、ダンスのお兄さんって高校生でもやれるんですね」
マイガッ!
俺は、思わず天を仰いだ。
屋上の何も遮るものの無い空は、昨日白兎さんと見上げた雨天とは違い、青々としていた。
ヤバい……ここまでバレてるのは想定外だ……
「ベンチで寝転がってた時に、レインポンチョの隙間からラビフェスのダンスのお兄さんのコスチュームが見えたので」
完全にバレていることにショックを受けている俺に、白兎さんが淡々と種明かしをしてくれる。
白兎さんが抑揚のない声で告げるので、俺も何とか叫び出すのを堪えることが出来ている。
「ああ、そうだね……ズボンも派手だからね。それにしても詳しいね白兎さん」
「子供の頃、よくラビフェスは観てましたから」
「それでね白兎さん。俺がラビフェスのダンスのお兄さんであることは、その……」
「言われなくても、誰にも言う気はありませんよ」
「あ、ありがとう」
「言う相手もいないですし」
「あ……」
チクリと胸が痛んだ。
彼女は今、クラス中から無視されている状態なのだ。
「あの、白兎さ」
「それでは用事は済んだので」
俺が言いかけた言葉に被せるように、白兎さんが会話を打ち切る。
奇しくも、昨日俺が彼女にポンチョをやや強引に渡した時の会話と一緒だった。
それは、言外の「自分の事は気にするな」という白兎さんの意思表示だった。
自分と関わると、あなたまで巻き添えになるからと。
手紙で、人気のない旧校舎の屋上という場所を指定したのも、今、クラスで集団シカトに合っている自分と会話しているのを他の生徒に見られたら、俺にまで無視が飛び火してしまうという、彼女の配慮なのだ。
情けない……
屋上から会談へ向かう白兎さんの後姿を見送るしか俺には何も……
そう思った俺は、思わず息を飲んだ。
去っていく彼女の背中が酷く細く見えて、今にも折れそうに見えたからだ。
白兎さんの体型が瘦せているからとかではなく、なんだか存在感が今にも折れて消えてしまいそうな、そんな不安を覚える後姿だったのだ。
「ねぇ! 白兎さん!」
だから、この時の俺の提案は完全な思い付きで、彼女の抱えた問題への解決法なんて、爪先ほども持ち合わせていなくて。
「今から学校サボって、ラビットマウンテン行こう!」
この時の俺には、本当に勢いしか無かった。