第37話 使われなかったレターセット
「何だか魔法の世界の道具屋さんみたいですね」
白兎さんご所望のステーショナリショップに着くと、他のショップとは少し用向きが違う雰囲気に白兎さんが驚く。
「他のショップはファンシーなコンセプトが多いけど、このショップは厳かな感じだよね。何だか、異国情緒も感じられて俺も好きなんだ」
このステーショナリショップは、魔女見習いシェリルの映画に登場する、魔法道具店をモチーフにしているのだ。
「私が前に来た時は、お店はこんな感じじゃなかったと思います」
「ショップが今のコンセプトに改装されたのは、7年前くらいかな。そんなに最近じゃないよ」
「そうなんですね……じゃあ、私が来れなかった間に、あの頃と変わっちゃったんですね……」
俺の話を聞いて、少し白兎さんの顔に影が差した。
白兎さんは、時々過去の話をする時に、こういった哀しそうな顔をする。
「白兎さんは、しばらくラビットマウンテンに来てなかったんだよね? それこそ10年ぶりだって」
「はい」
俺や白兎さが住んでいる地域は、ラビットマウンテンに電車一本で、割と簡単に来れる。
国民的テーマパークなのだから、大してラビットマウンテンのファンではないというご家庭でも何やかんや、年に1、2回の頻度で行くのが平均といった所だろう。
なのに、白兎さんは10年近くもラビットマウンテンを遠ざけていた。
「『行かなかった』じゃなくて『来れなかった』っていうのは、ラビットマウンテンへ行こうと思っても来れなかったって意味なんだね」
「はい。本牧くんに渡したレターセットを覚えていますか?」
「うん。もちろん」
「そのレターセットは、父の形見なんです」
「え?」
思いもかけぬ白兎さんの話に、俺は思わず固まってしまう。
「ああ、言い方がちょっと大げさでしたね。あのレターセットは、ガンで亡くなった父と一緒に来た最後のラビットマウンテンで買った物なんです」
遠い目をしながら、白兎さんはショップにある棚からレターセットを手に取ってみる。
「父は、私が物心がついた頃から、何度も病院の入退院を繰り返している状態でした。ただ、当時幼かった私は、父の病気のことを詳しくは知らされていませんでした。もう末期がんで、父が余命宣告を受けていたことも……」
もう一つの手にレターセットを持ち、白兎さんは2つを見比べてみながら、言葉を続ける。
「そんな病院で会うのが常だった父に、1週間だけですが外出許可が病院から出ました。その時に、父は、私がずっと行きたがっていたラビットマウンテンに行こうと提案して来たんです。母が止めたんですが、父が押し切ったそうです」
苦笑を浮かべて、白兎さんは手に持ったレターセットを棚に戻す。
「その日は、とても楽しかったです。親子3人で初めて遊んだラビットマウンテンは本当に楽しかった……そしてランドからの帰り際に、このお店でレターセットを父にねだって買ってもらったんです。今日のこの素敵な思い出を書いて、また病院で頑張るお父さんに持っていくからと約束しました。その時、父は、私の頭を優しく撫でながら笑って言いました」
『いつか大事な人へ伝えたいことがある時に使いなさい』
「幼くて父の言う真意がよく解っていなかった私は、何日か思い悩んだ末、やっぱり病院にいる父に手紙を書こうと思っていました」
けど、そのレターセットは、買ったまま封切られていなかった……
ということは……
「父は病院に戻った後、すぐに病状が急変して意識を失い、そのまま帰らぬ人となりました」
10年前だから、まだ白兎さんは6歳だ。
親の死という、つらい体験を飲み込むにはあまりにも幼く、そして事態だけは把握できる程度には自我も記憶もある年の頃だ。
「ラビットマウンテンは父との最初で最後の、一所に遊んだ想い出の場所です。だからこそなのか、ここに来ると、父はもう居ないんだと実感させられるような気がして、行けませんでした。そして、父に送れなかったレターセットは、引き出しの奥深くに仕舞われました」
「じゃあ、何でそれを俺へ帽子を返すための、ただの事務連絡に使って……」
「その辺りのお話は、あそこで話しませんか?」
「あそこって?」
「私と本牧君が初めて出会った場所です」
そう言って、白兎さんは先を歩き出したが……
「すいません。あのベンチってランドのどこのエリアにありましたか?」
照れくさそうにこちらを振り返って、締まらないなという顔で白兎さんが苦笑しながら俺に訊ねる。
何だか、そのちょっと抜けている所に、彼女の過去の独白で固まっていた空気が少し緩んだ。
「ふふっ、案内するよ」
「あ……」
俺は白兎さんの手を握って、あのベンチへ向かった。
俺と彼女が初めて会った場所。
ただ顔を合わせたという意味では、高校の入学式会場や1年4組の教室になるのだろう。
だが、真の意味で2人が出会った場所は、あそこだ。
初めて握った彼女の手は、少し冷たかった。
あの日は、雨に濡れてもっと冷たかったのだろうか?
そんな事を考えながら、俺は彼女の手を引いて、ずぶ濡れだった白兎さんがいたベンチへ向かった。




