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第32話 ラインを越えた奴の末路

【沼間一陽 視点】


 文化祭の翌日の金曜日。


 疲れているから、文化祭の翌日に振替休日があればいいのにというのが生徒、教職員の本音だが、今日は文化祭の後片付けがあるのだ。


「ったく、手が痛ぇ。今時、反省文が手書きの原稿用紙とかありえねぇだろ」


 そんな日に大して昨日は疲れていない男、沼間一陽がボヤキながらも、ようやく自宅を脱出出来た事を喜んでいた。

 たとえ、これから学校内謹慎に出向くとしてもだ。


 沼間は、文化祭で起こした暴力事件により、停学処分を言い渡されて、即刻自宅に帰されていた。

 停学期間中は遊び惚けられると思っていた沼間だったが、最近は停学と言っても、毎日登校し、学校の別室に軟禁されて反省文などを書かされるのだ。


「チッ。昨日は謝罪行脚してたから眠い……。そりゃ、清武はボコっちまったから仕方ねぇが、女の方は勝手に絡んできて吹っ飛ばされただけで、俺のせいじゃねぇだろが」


 沼間はブツブツと不平を漏らした。


 思ってもいない反省の弁を原稿用紙に書き殴ったり、形式的に相手の保護者に向けて頭を下げたりはしたが、沼間の内心はこの件で何かが変わったということは一切無かった。


 沼間の親も、自分の息子がこういった暴力沙汰を起こして謝罪行脚をするのは、それこそ幼稚園の頃からしょっちゅうの事で最早慣れっこのためなのか、親からはおざなりな口頭注意と治療費の支払いによる金銭的負担に関する小言のみだった。


「しっかし、スマホが学校側に没収されたままってのがマジ辛かったわ。おかげで昨日、クラスの様子とか、竜司から聞くことも出来なかったしよ」


昨日の暴行事件の日。


屋上に駆けつけた生徒指導担当の教諭に生徒指導室に連行され、そのまま文化祭には参加できずに自宅謹慎となっていたので、沼間の荷物は担任の久木に預けられたままだった。


 あの後、結局ダンスのステージがどうなったのかは沼間は知らない。

 まぁ、竜司が何とかしただろうと、その事については早々に考えるのを打ち切り、強制ネット断ち期間に沼間が思案のリソースを割いたのは、


「清武と、あとBチームの女の喜多だっけな? あいつらは、直接俺に盾突いたんだ。文字通りのB(2軍)な存在のくせによ……これは、より残酷な扱いが必要だな」


 今後の、クラス運営における方針案についてだった。


「竜司が言うから、今まではシカト程度で済ませてたが、温すぎたんだよ。跳ねっ返り共には腕っぷしで黙らせりゃいいんだ。中坊の時も俺はそうやってきた」


 高校では竜司のセルフプロデュースだなんだの助言もあり、中学時代は縁遠かった綺麗どころの女子グループとも合流出来たのもあり、沼間も1学期の間は大人しくしていたが、一度タガが外れてしまえば、今更、暴力を用いることに沼間に躊躇いは無かった。


 そうこうしていると、1年4組の教室の前に到着した。


 本当は、登校したら真っすぐ謹慎先の別室へ行き、クラスの教室には近づくなと事前に言い含められていたのだが、沼間は構わず自身のクラスの教室へ足を向けていた。


 ここが自分の居場所なのだ。

 そうニンマリと笑った沼間は、教室の引き戸の扉を開ける。



「お~い、王の帰還だぞ」



 停学をくらった照れ臭さもあったのだろう。


 先ほどまで、厳しい管理方針で臨むだ何だと考えていた沼間だったが、取り敢えず初手は様子見のためにおどけた第一声で教室に入る。


 すでに半分以上の生徒が登校してきた朝の始業前の教室のザワザワとした喧騒が、シン……と静まり返る。


 この反応は、沼間も織り込み済みだった。

 トラブル直後の初登校時は、いつもこんな感じだったのだ。


 周りの畏怖と緊張が伝わってくるこの瞬間が、実は沼間は嫌いではなかった。

 自身1人に注目が集まる事で、自分の存在の大きさを認識できる。



「「「「…………」」」」



 しかし、自身の席に通学カバンを置いた辺りで、沼間は強烈な違和感を覚えた。


「なんだ?」


 沼間がつい独り言をこぼしてしまったのは、自分を見る目が、最初は驚きや怖れだったのが、今は異なる物に遷移していたからだ。

 それは、敵意、蔑み、嫌悪と呼ばれる悪感情だった。


 そして、もう一つの強烈な違和感。


 今までなら、自分が登校してきたら、それを見た1軍メンバーたちが自分の席に寄って来ていた。


 美穂などの女子たちが寄って来て、


『大丈夫? 一陽。災難だったね』

『停学なんて可哀想~ 待ってるからね』


 そんな情景を夢想していた。


 しかし、現実は……


「おい、竜司! 何だこれは?」


 女子たちの輪の中心で談笑していた、このグループの参謀役である滝本に、一陽は詰め寄る。


 サーッと潮が引くように滝本から1軍メンバーの女子たちが距離を取る。


 人は、親しい人間とそうでない人間との距離感というものを明確に区別している。

 異性同士の場合は尚更、その距離感という物を計るのは重要だ。


 今、1軍メンバーの女子たちが距離を取ったのは、滝本に対して悪感情がある訳ではない。

 彼女たちは、先ほどまで自身のパーソナルスペースに滝本を迎え入れていた。


 では、なぜ彼女たちは急に離れたのか?


 それは、嫌悪の対象である沼間から遠ざかりたいがためだった。

 ただの他人と対峙する時以上の距離を取りたいがために。


「……お前こそなんでここに居るんだ? 学内謹慎で別室に居るはずだろ」


「いや、そんなのダルいしよ。みんなはどうしてっかなと気になって……さ」


 滝本の酷く冷たく事務的な話し方に驚きと怒りを覚える沼間だったが、話し方が少したどたどしいのは、周りの1軍メンバー女子たちの、汚物を見るような冷たい視線が自分に降り注いでいることに面食らっていたのだ。


「なら、解っただろ? 色々と」


 察しろと言わんばかりに滝本が、冷たく突き放すように言葉を投げる。


「いや、解んねぇよ! 説明しろよ」

「はぁ……じゃあ、きっちり説明してやる。どうせ最期だしな」


 沼間の察しの悪さにため息をつきつつ、眉間を抑える代わりなのか、メタルフレームのメガネを指先でクイッと軽く持ち上げてから、滝本が口を開いた。


「まず、なぜ開口一番にお前は謝罪をしなかった? 文化祭のダンスステージで、皆を散々振り回しておいて、挙句に直前に参加せずにステージに穴を開けたことを」

「あ、あれは生徒指導に捕まっててよ。どうしようも……」

「お前が暴力沙汰を起こしたからだろうが」


 責任は教諭側にあるという沼間の主張は、即座に滝本のカウンターで封殺される。


「お、俺は、リーダーとしてお前たちのことを思って!」


「そんなことをAチームの誰が頼んだ? 俺は、この件に関しては手出し無用が一番俺たちの利益になると、リハーサルの後にお前にしっかり念を押して言ったはずだが?」


 沼間を見下ろすように、滝本が一つ一つ丹念に沼間の逃げ道を潰していく。


「でもよ……」

「大方、自分が目立てないなら、全てをぶち壊しにしようとでも考えたんだろ」


「それは本当に違う! あの時は、清武の奴が断りやがったから、ついカッとなって!」

「だが事実、お前の行動の結果として、AチームもBチームも本番直前にセンターはステージに立てないという厳しい状況に追い込まれた。リーダーを標榜するならば、結果責任は負って当然だ」


 この際、沼間が当時何を思って行動していたかなんて、周りには関係ない。

 どんな高尚な想いや深謀遠慮があろうが、結果、沼間がクラス全体に多大な迷惑をかけたという事実こそが重要なのだ。


「自分の思い通りにならないからって暴力とかコワ……野生動物かよ……」

「おい、誰だ今言った奴!」


 クラスメイトの群衆の中からボソッと聞こえてきた蔑みの声に激高した沼間が、声のした方を睨みつけるが、滝本がスッと間に入りブラインドとなる。


「話はまだ終わっていない。昨日の文化祭はお前の短慮によって、ぶち壊しになった。まぁ、Bチームはトラブルの中、見事にやり遂げたけどな。さすがは篠田元ダンス部部長の手腕といったところか」


「Aチームにはダンス部の美穂がいるだろうが! 奴がいれば何とかリカバリーが……」


 沼間が言いかけたところで、滝本が首を大きく横に振る。

 そして、美穂の名前が沼間から出たところで、女子生徒たちからの視線がより険しいものになる。


「美穂はすでに、直前の振り付けや照明演出の変更というお前の無茶振りへの対応で疲弊しきっていた。そこに重ねて、本番直前でのセンターのお前の不在というトラブルに、限界が来てしまった。おかげでAチームのステージはボロボロだった」


 思い出したくもない記憶を刻みこまれたAチームの面々は、煮え湯を飲まされたような顔で恨めしそうに沼間へ視線を刺す。


「美穂……ステージが始まる前も終わった後も泣き通しで、泣きすぎて吐いて倒れちゃったんだよ……」


「もう、ダンス嫌だ……ステージ怖い……って泣きじゃくってて……本当に美穂が可哀想」


「…………」


 たくさんの敵意とも言える視線や非難の言葉を向けられて、ここに来て沼間はようやく事態の深刻さを悟った。


「す……すまねぇ」


「ようやく出た謝罪の言葉がそれか……」


 皆の気持ちを代弁するように、滝本が吐き捨てる。


「……んだよ。土下座でもしろってのか?」

「要らん。それに、お前ごときの土下座に、皆の気持ちを和らげるヒーリング効果なんて無いしな。見ても不快でしかない」


 酷薄な笑みを口元に浮かべながら馬鹿にしたように笑う滝本に、沼間の苛立ちは頂点を迎える。


「さっきから、こっちが下手に出てるからって何をつけ上がってやがるんだ竜司! てめぇ、このクラスのあたまにでもなったつもりか!」


「ほう……既に自分がその座を追い落とされている事には気付くか。やはり野生動物らしく、縄張り争いには敏感らしい」


「な……⁉」


 滝本に、自分がクラスの1軍ボスであることを釘を刺しておくつもりで言った沼間の牽制の言葉を、まさか滝本が肯定するとは思っていなかったため、沼間は素っ頓狂な声を上げる。


「お前に引導を渡すのが俺の最初の役目だ」


 そう言って、クラスの新しいリーダーである滝本が、ゆっくりと腕を上げて沼間を指さす。



「沼間一陽。以後、お前はこのクラスで無き者として扱う」



 滝本のまさかの追放宣言に、沼間はたじろぐ。


「な、何言ってんだ竜司……お前は俺の補佐で……こんな……こんな……」


「俺は、お前とは違って民意にはある程度沿う方針だからな。どこかの誰かみたいに、振られた女への腹いせで無視というくだらない理由じゃないからか、皆が賛同してくれたよ」


 メタルフレームの奥の目には、はっきりと侮蔑の意思が込められていた。


「て、てめぇ! 俺のいねぇ間に、周りに何を吹き込んだぁぁ!」

「これに関しては策略もへったくれもない。ただただ、お前が愚かだった結果でしかない」


 滝本の胸倉を掴み上げながら、絶叫する沼間に、メガネを外しながら滝本は一歩も引かずに挑発する。


「あと、胸倉を掴むのも暴力だぞ。もう1回暴行事件をおかわりして、今度こそ退学になるか?」


 この時の滝本は、完全に数発殴られる覚悟が決まっているように見えた。

 それで、沼間が完全にいなくなるなら、安い物だと言わんばかりに。


「ぐ……」


 その覚悟や意図が伝わったのか、沼間も自身可愛さ故手が出ない。


「お前は本当に扱いやすいな。後は、シカトされる立場に甘んじるか、ここから居なくなってくれ。ああ、ちなみに他クラスに迷惑をかけてはいけないから、この件は学内にきちんと共有されている」


「は……?」


 突如、滝本からぶち込まれた爆弾に、沼間は間抜け顔を晒す。


「俺達Aチームも、公衆の面前で赤っ恥をかかされた不名誉を少しは払拭させたいからな。何があったか、白兎さん達への無視の指示まで包み隠さず、お前の所業を伝えてある」


「なんで、学内にまで⁉ そこまでは俺もやらなかったぞ!」


 立て続けの滝本の暴露と口撃に、日頃の図太さをもってしても心がキャパシティオーバーをし始めた沼間は、半泣きのように声が震えだす。


「いずれは知られることになる。白兎さんの時も噂として学内を巡っていただろう」


 胸倉をつかむ腕を振り払うと、滝本は制服のシャツの乱れを直して再度メガネをかける。

 そして、沼間を正面から見据える。



「覚悟しろよ。イジメていた奴がイジメられる側に堕ちた時に、誰も手なんて差し伸べないからな」



 集団という物があると、必ず発生するイジメ。

 しかし、それが集団の総意であるというパターンは意外と少ない。


 特に学校のような閉じた世界では、一部の声の大きな者の意見が罷り通っているだけだったりする。


 だが、イジメる相手が完全に悪ならばどうか?


 そこに、一切の同情を挟む余地がないならば、人はその力を奮うことに躊躇どころか、歓喜すら覚える。



「俺がイジメられる側……弱者……」



 自身が今まで味方として引き連れていた集団が、突如自分に情け容赦なく襲い掛かってくる。


 その力を奮って来ただけに、それが敵となって襲い来る様に、まるで巨大な化け物に襲われる様を沼間は幻視していた。


「こんな所にいたか沼間!」


 ガラッ! と勢いよく開いた教室のドアから、担任の久木が入ってくる。

 その顔は、般若の面のように紅潮していた。



「お前は何度、俺の顔に泥を塗れば気が済むんだ!」



 登場早々、悪態をつきながら久木が、ズカズカと沼間の方へ歩み寄る。


「登校したら、そのまますぐに生徒指導室に来いとあれほど言っただろう! まったく……お前のせいで、文化祭で目論見の賞は取れないは、暴力沙汰を起こして先生の教職員間での立場を失くさせてくれるは、それに重ねて今日もお前は問題を起こすのか! 沼間!」


 担任の久木の沼間への他の教職員の評価は、日頃の自身の行いの悪さによる所もあるのだが、なまじっか表面上は今まで上手くクラス運営が出来ていると思い込んでいた久木は、感情のままにキレ散らかす。



「あ……あ……うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」



 あらゆる人々から攻められた沼間は、とうとう精神に限界が来たのか、絶叫しながら教室から走り去っていった。



「おい待て! どこに行く沼間! おい!」



 沼間の絶叫に、何事かと各教室から廊下を眺める生徒たちの視線を集めながら、疾走する沼間の後を、ヨタヨタとした走りで担任の久木が追いかけて行ったが、あっという間に久木は沼間を見失ってしまった。


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