第23話 白兎さんの覚悟
「お、恵梨……っと、篠田部長、お疲れ様です」
「あ、本牧コーチ、お疲れ様です」
「皆の耳目があるから、呼び方は本牧君とかで良いですよ」
「いえ……尊敬する本牧コーチに君付け呼びは、ちょっと私にはレベルが高すぎます……」
まぁ、ステージの裏方あたりのバタバタと騒がしい場所なので、こっちの話は聞こえないからイイか。
色々と出店を見て回った後に、俺と白兎さんは予定通りにダンス部の公演を観に来ていた。
今は、無事に公演が終わって、次のステージまでの幕間だった。
「ダンス部の公演、良かったですね」
「ええ。これで、ようやく私もダンス部の方は完全引退で、肩の荷が降りました」
んん~、と伸びをして解放されたとアピールしながら、恵梨子が笑う。
「まだ篠田部長には仕事がありますよ。午後のうちのクラスのBチームの監督という大事な仕事が」
「解ってるわよムラサキ。何やかんや、Bチームの子たちも私の厳しめな指導にきっちりついて来たしね。特にセンターの2人は、ダンス部に欲しいくらいだわ。だから、私も最後まで、手は抜かないわよ」
白兎さんの指摘に、当たり前でしょと恵梨子が鼻白んだように笑う。
「それなら、良いですけど……」
「話は変わるけど、ムラサキ。あなた、今日の文化祭では随分と派手に暴れ回ったみたいね。他学年の私の方まで噂が流れてきたわよ」
ジロリとした目線を寄越されると、白兎さんはビクッと身体を震わせた。
「暴れる? 俺は今日、白兎さんとずっと一緒に居ましたけど、暴れてなんていないですよ」
「その、ずっと一緒っていうのが問題なんです! このメスムラサキは事もあろうに、本牧コーチが自分の男であると誇示するように、イチャイチャしながら文化祭を練り歩きモゴッ!」
「メスムラサキってなんです⁉ というか、いつも言ってますけど、私の名前は紫野です!」
白兎さんが顔を真っ赤にしながら、恵梨子の口を手で塞ぐ。
「私がダンス指導でムラサキのクラスに出入りしているのを知っている男共から、問い合わせが私の方に来てるのよ。ウザったいったらないわ」
恵梨子がため息をつく。
まぁ、今までは旧校舎の屋上で話していたくらいで、他の生徒の目に触れる機会は少なかったからな。
俺と白兎さんの組み合わせで親しくしているのを見るのが初見な大部分の周りの人からは、奇異な光景に映った事だろう。
「何だか誤解されちゃってるみたい……だね」
絶賛シカトされてる身としては、抗弁しようにもその相手がいない。
こうなったら、恵梨子を通して否定してもらおうか?
「いえ、このメスムラサキはそれが狙」
「もうっ! 篠田先輩は黙っててください! ほら、ダンス部の人たちが呼んでますよ!」
先程から、『部長~ 記念に写真撮りましょ~』とダンス部の部員の人たちに呼ばれていたのだ。
無事に文化祭公演が終わり、代替わりになるとの話だったが、やはり厳しくも慕われているのだろう。
「すぐ行く~! それでは本牧コーチ、失礼します」
「うん、午後のBチームのこと、よろしくね」
「あ、紫野。ちょっと待ちなさい。最後に一つだけ」
「だから、私は紫野で……って、え?」
恵梨子がいつものムラサキ呼びではなく、唐突にちゃんと紫野と名前で呼んだことに、定型文を返そうとしていた白兎さんが驚く。
「単刀直入に聞くけど、あなた本気なのよね? 」
真正面から見据えながら、ウソや取り繕いは許さないという真剣な顔で恵梨子が白兎さんに問いかける。
「はい」
真っすぐな恵梨子の視線を、白兎さんが真正面から受け止め返す。
敢えてなのか、目的語や対象を廃しての会話なので、俺には何の話なのか解らない。
「そう……けど、もしアナタが本牧コーチの足を引っ張るような事になるなら、私は容赦なくあなたを排除する側に回るわよ」
最後に物騒なことを言い残して、恵梨子がダンス部員たちの方へ向かう。
「白兎さん、今の話って……」
「……今は聞かないでください」
ピョコッと頭を下げてお願いしてくる白兎さんに、俺は
「……わかった」
と、解っていないのに応諾の言葉を返した。
学生ホールを後にして、文化祭の喧騒の中を俺と白兎さんは2人でしばらく無言で歩く。
先程の恵梨子と白兎さんの話していた事について、考え事をしていたので、この時だけは、周囲の嫉妬まじりの視線を忘れられた。
横にいる白兎さんも、相変わらず俺の隣に寄り添ってくるが、無言だ。
あてどもなく歩いていると、
「「あ……」」
自然と、いつもの旧校舎の屋上に足が向いていることに、屋上の入口へつづく階段の踊り場で俺と白兎さんは、ようやく気付いた。
同時に気付いて、同時にお互いの顔を見合わせる。
「ふふっ、自然と足が向いちゃいましたね」
まるで、にらめっこみたいになったのが可笑しかったのか、白兎さんが笑った。
「ハハッ! うん。何の違和感も無くてびっくりした」
先程の、なんとなく無言だった状態から解放された安堵からか、俺も一緒に笑い合った。
「ここは、私たちにとって特別な場所ですもんね。覚えてます? 最初に私がここに本牧くんを呼び出したの」
「そりゃ覚えてるよ。あの時の白兎さんは、まだ俺の事、警戒状態だったよね」
「私は、この人、ラビットマウンテンの便箋の事をやたら気にしてて、気にするのそっち? って思いました」
お互い茶化しあいながら当時の第一印象を今だから語ると言いう感じで笑い合う。
不思議だな。
白兎さんとはちゃんと話すようになって1ケ月程度なのに、何だかずっと一緒にいたような、そんな落ち着く感じだ。
「いや、あの便箋は10年前のもので、あんな美品でなんて今は絶対手に入らないんだから、ラビットマウンテンファンとしては興奮するのは無理ないんだよ」
あの時は、白兎さんもラビットマウンテンの相当なマニアなのかと思って、ワクワクしたんだよな。
「フフッ。その後、急に一緒に学校をサボってラビットマウンテンに行こうなんて誘ってきてビックリしました」
「あれは、我ながら無謀なお誘いだったな……けど、何であの時は、そんな俺の無謀な誘いに乗ってくれたの?」
「それは色んな理由からですが、ただ一言に集約すれば、誘ってくれたのが本牧くんだったから、ですよ」
「…………」
また、沈黙が2人の間に流れる。
けど、先ほどの沈黙とは違って、心地の良い静かな時間だった。
今までの、色んな白兎さんとの想い出が蘇ってくる。
「あの……!」
もうすぐ屋上の入口に辿り着くという所で、昇っていた階段の足を止めて白兎さんが、意を決したように沈黙を破る。
俺は屋上入口のすぐ前の所まであと階段1段という所で立ち止まって、白兎さんの方を振り返る。
「私、本牧くんのことが……」
おそらく、彼女の想定ではこの場所で、この場面で言うつもりではなかったのだろう。
口をついて出てしまったことに、自分で驚いてドギマギしているという様子が、階段上段から見下ろす形だからだろうか、彼女の考えていることがよく解った。
この先の言葉は、ちゃんと白兎さんと同じ目線で聞きたい。
そう思った俺は、白兎さんと同じ段まで階段を下りる。
同じ段の狭い場所に、2人で立って向き合う。
白兎さんは、感情が昂っているせいなのか、今にも泣きそうなほどに目を潤ませて身体を震わせている。
それでも、精一杯伝えようとしてくれている。
「あ……」
白兎さんのいじらしい姿が可愛くて、思わず彼女の頬に触れる。
指先から伝わる熱気は、白兎さんの白い肌には似合わぬものだった。
白兎さんが目の前でこんな状況だから多少余裕があるように見えるのかもしれないが、俺の方も感情の昂ぶりが限界なのだ。
白兎さんは息を漏らすような声を出した後、顔に触れる俺の手を、上気した愛おしそうな顔で優しく両手で包んだ。
その白兎さんの表情で、俺も色々と決壊した。
もう、2人の間に言葉なんて要らなかった。
俺は、白兎さんに包まれた左手だけでなく、右手を彼女の背後にのばす。
(ピクンッ!)
背中に俺の指先が触れて、かすかな反応を示すのも構わず、俺は白兎さんの背中に手を回し、彼女を抱き寄せようと、腕に力を
「そんな真似できるかよ!」
甘ったるい2人だけの世界を切り裂く男の怒声が、屋上入口にまで流れてきた。
怒声のせいで、俺と白兎さんは、何とも中途半端な体勢で固まってしまった。




